再掲・夜なき夜122・リアーヌ・ド・プジー様 | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

2015年4月8日記事

女性がまだまだ活躍出来たわけではないこの時代に、

自ら持ち合わせたキャラクター、磨いたセンス、美貌で、

男性のみならず、女性からもため息を漏らさせる存在であった、

ドゥミモンデール。ファッションリーダーでもありますね。

 

 

 

 

カードも沢山作られています。

 

「失われた時」を生きた女(ひと)

 

My永遠の「完読できない小説」の美しき代表作、Marcel Proust(マルセル・プルースト)著、

『À la recherche du temps perdu(失われた時を求めて)』(1913年~1927年刊行)。

登場人物のオデットのモデルの一人と言われる、Demi-Mondaine(高級娼婦)、

Liane de Pougy(リアーヌ・ド・プジー)様。1869年7月2日~1950年12月26日、享年81歳。


 

そりゃもう、美貌と才知と運?でのし上がる職業世界。別嬪です! 




 

たおやかで品ありげな風情・・・でらっしゃるんですが、数少ない、拝読出来た文献では、

共通して、始めに書かれているのが「パリで最も美しく最も悪名高い高級娼婦」。

で、どこら辺が悪名高いのかというエピソードが載ってれば解りやすいんですが、よく解らない。

Sarah Bernhardt(サラ・ベルナール)様が、舞台での演技をつける際、

「舞台の上では、その可愛らしい口を閉じておくのが最適ね」とコーチされたそうで、

要するに、口を開くと出て来る襤褸が何かしら性格におありだったという事でしょうか。





 

お育ちは、当時多かった?女子修道院で。16歳で妊娠して、海軍士官と駆け落ち・・・

というのも、ありがちな展開?生まれた息子さんはMarc Pourpe(マルコ・プールプ)と、

名づけられ、成長して回想録を書いておられます。

息子さんにとっては、ゴジラ・ママ(みどりの分類で、困った母族は「ゴジラ」と呼んでる。)で、

母親自体がまだ子供?子供は着せ替え人形のようなもので、女の子を飾りたてて、

楽しみたかったご様子。「生き人形」扱いされたと書いておられる。



 

夫となった、アルマン・プールプ様は、どうも、DVの要素があった?ようで、

虐待で、妻の乳房に、後々まで残る傷をつけたと言われています。

その夫の宿舎入り中、リアーヌ様、ちゃっかり公爵様を愛人に捕まえる。

ふたりの浮気現場を押さえたアルマン旦那、リヴォルヴァーをぶっ放し、

リアーヌ様の手首に命中させてます。命に別条がなくて幸い。 


 

「別れちゃるわいっ」と決意すると速い。あっという間に紫檀のピアノを即金で売りさばき、

1時間後には、パリに向かっていたというから、肝が据わってる。

残して行かれた息子さんは、祖父母に育てられることに(父方?)。 



 

結婚の失敗、パリ出奔。ここで、面白半分で始められたのが、女優業&娼婦業。

当時はセットと言ってもいいですね。『ナナ』の世界?

コカイン、阿片の中毒にもなられたことが解っているそうです。(でも、長生き。)




 

 

 

カラーの方は1886年のポストカードです。人気のほどが解ろうというもの。




 

自身の虚栄心の強さを自覚しておられ、だからといって愚かではないと示すが為、

絵画や書物、詩を学んだものの、そこら辺は退屈でらしたらしく、演奏会や流行歌を好みに。

しかし、サラ・ベルナール様に師事し、Folies Bergère(フォリー・ベルジェール)に、

出演されたというのだから、それなりの実力をお持ち・・・だったのでは・・・ないかと???





そしてサッフォーの世界の大物、生涯女性遍歴を重ねた作家、

Natalie Clifford Barney(ナタリー・クリフォード・バーネイ)様ご登場。

 

 

長くの有名な恋人の方々とは違うものの、リアーヌ様ともご関係がおありで、

その後の人生に、大きな影響を与えられたのではないでしょうか。

交流は、生涯を通し続いて、愛情に充ちたものだったと言われています。


 

 

このお方です。 1876年10月31日~1972年2月2日、享年95歳!?

作品自体よりも、その生き方や、催されていらしたサロンが、芸術家、小説家の、

驚くほどの面々の触発される場所で、それだけで膨大な記事になります。

ご長命ですし、アンドレ・ジッド様、アナトール・フランス様サマセット・モーム様から、

タマラ・ド・レンピッカ様、ジャン・コクトー様、マリー・ローランサン様・・・ううっ、さすがの面々。

亡くなられても、コレット様やトゥルマン・カポーティ様等の作品でオマージュが捧げられ・・・

ああっ、やはり、さすがの方向の面々。


  

 

Suzanne Dorvalという方と、リアーヌ様の一枚。 


 

1920年、グルジアの王子、Georges Ghika(ジョルジェ・ギカ)様とご再婚。プリンセスに。

その後、別居に至ったものの、ご離婚はされておられません。

 

 

リアーヌ様は、大地次世界大戦にて、前述の息子さんが、航空機操縦士として戦死。

それを境に、信仰に向かわれ、修道女として養護所にて、

先天的欠損症を持つ子供たちの世話にあたって、スイス、ローザンヌで最期を迎えられます。

 

 

バーネイ様の人生にも興味が湧き、真面目に資料拝読したいところ。

 

 

 

 

まるで映画のような人生を送られたリアーヌ様、バーネイ様。再会を期して。