再掲・第三百八十四夜・モンパルナス・モンマルトル_街が見たもの | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
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2015年1月27日記事

 

エコール・ド・パリを中心に

 

1920年代を中心に、各地からボヘミアンのように芸術家が、

パリに集まった・・・École de Paris(巴里派)と呼ばれた人々。

 

 

                 

 

 

同時に、キュービズムや印象派も存在した、熱病のような巴里。

成功し、長寿を全うした者あり、貧窮の中、アルコールや麻薬、

心身共に、病に倒れた者あり・・・

 

 

そんな方々を、ちょっとだけ、この作品は実際に拝見したな、

というものを中心に、探してみました。

 


 

 

お巴里~の風景というと、この人が出て来るかなあ。

Maurice Utrillo(モーリス・ユトリロ)様、1883年12月26日~1955年11月5日、享年71歳。

子供の頃から、情緒不安定、アルコール依存、精神病、見事、フルコース。

な割に、ご長寿?だし、病院で、精神的な治療の一環として絵を描くことと出会う等、

人生のバランスのシーソー、上下の振りが大きすぎるお方?




 

 

Jules Pascin(ジュール・パスキン)様、1885年3月31日~1930年6月5日、享年45歳。

ブルガリアのご出身で、筆名は、本名のアナグラム。比較的早くから認められておられる・・・

が、この方もまた、アルコール依存と鬱に悩まされ、友人の妻と不倫関係の挙句の自殺。

葬儀の日には、巴里中のギャラリーが店を閉めて喪に服し、

何千人もの人が、棺が埋葬される墓地に運ばれる後をついて行かれたそうです。

今でも、フランスは、芸術家が亡くなった時の敬意の現し方が徹底していますが、

本当に、根っから、そういう気質のお国なんですね。だから文化・芸術も大切にされる。

 

 



 

 

 

Moïse Kisling(モイズ・キスリング)様、1891年1月22日~1953年4月29日、享年62歳。

別名「モンパルナスの帝王」。困ったちゃんがごろごろしてる中、東奔西走?

ユトリロ、パスキン、モディリアーニ等の面倒をみられたという、出来たお方。

た・・・たまにはこういうお方がいらっしゃらないとね???



 

 

そういう出来た人に大迷惑をかけた人に限って、後の世で映画になっちゃったりする。

Amedeo Clemente Modigliani(アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ)様。

1884年7月12日~1920年1月24日、享年35歳。イタリアご出身なんですね。

肺結核、飲酒、薬物依存にヒモ気質。


 

「Les amants de Montparnasse(モンパルナスの灯)」(1958年)、

あの絶世の美男子Gérard Philipe(ジェラール・フィリップ)様主演の不朽の名作。

どうやさぐれて見せても、ジェラール・フィリップ様でございます。

モディリアーニ様・・・ご本人がご覧になったら、どう思われることやら。





 

この美女が、上の肖像画で描かれている、妻、Jeanne Hébuterne(ジャンヌ・エビュテルヌ)様。

1898年4月6日~1920年1月25日、享年21歳。(上はモディリアーニ様を描いた肖像画)

敬虔なカトリックとして育てられ、家族の猛反対を押し切り、モディリアーニの元へ。

一子をもうけるも、モディリアーニ様の死去。第二子を懐妊している中、5階から投身自殺を。

没後10年、家族がやっと折れて、モディリアーニ様と共に埋葬される。

下の絵は、藤田 嗣治(後のLéonard Foujita:レオナール・フジタ)様が描いたジャンヌ様。



 


 

 

その、藤田 嗣治様、1886年11月27日~1968年1月29日、享年81歳。

独自の画法を生み出し、キャラクター性も加わり、「東洋の貴公子」(!?)として、

時代の寵児となられるも、第二次世界大戦での、画壇での責任を一人で負わされる形となり、

日本を永遠に去ることに。当時の絵も拝見しました。

 

 

それは、決して戦争を鼓舞するものとは思いませんでした。

日本を去るフジタ様がおっしゃっいた言葉。

「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。

日本画壇は早く国際水準に到達して下さい。」

どうでしょうか。画壇の事は解りませんが、日本の文化・芸術に対するレベルは、

今、戦争が起きたとしたら、また、同じ悲劇が起こりそうな気もしないではなく・・・








 

 

 

Henri Rousseau(アンリ・ルソー)様、1844年5月21日~1910年9月2日、享年66歳。

フジタ様の絵では、にゃんこさんのものが好きなのですが、

ここでは、一生一度しか見れないだろうなと拝見した、お写真の方のみにしたので、

仲良しでいらしたルソー様にしては珍しい?普通の?にゃんこの肖像画?を。

有名な「洗濯船」にて、ピカソ様らが発起人で冗談気分の「アンリ・ルソーの夕べ」が行われ、

からかい半分とはいえ、多くの画家や詩人がルソー様を讃えたと言われます。



 

 

若き日のPablo Picasso(パブロ・ピカソ )様、 1881年10月25日~1973年4月8日、享年91歳。

その華やかな個性故か、好悪される方が分かれやすい御仁のように思われます。

あの芸術家溢れる巴里で、独自の地位を確立する個性、エネルギー。

芸術論の違いなどを越えた、面倒見の良さ?亡くなるまで「女はいいもんだ」なんて言うお人。

好きですねえ。作風も、あれだけ模索し、確立していった、それぞれの時代に魅力を感じます。

なんてったって、「ピカソもどき」のオリジナル!

 

 

 

 

ピカソ様の一番目の奥様Olga hokhlova(オルガ・コクローヴァ)様、

ディアギレフ様のリュスにてバレリーナをされておられたお方。

1891年6月17日~1955年2月11日、享年63歳。

自分をモデルにする時は、解るように描け!とおっしゃったっだけに、

ピカソ様の絵でも、ちゃんと解ります。 



スーチン

 

 

オルガ様と同じくロシアご出身、Chaïm Soutine(シャイム・スーティン)様、

1893年1月13日~1943年8月9日、享年50歳。

ロシアを去った原因が、宗教的戒律で絵を描くことが許されなかったから・・・

野生児スーティン様の面倒をよくみられたというのが、モディリアーニ様。

モディ様の亡くなられた後のスーティン様は、精神的不安定にも陥られるものの、

生前に認められ、豪奢な暮らしもご経験され。その後、再び貧困へ。

挙句、ユダヤ人であることで、ゲシュタポから逃れて転々とするうちに胃潰瘍悪化で天に。


Max Jacob詩人


 

 

 

現代詩の先駆者と言われるMax Jacob (マックス・ジャコブ)様。

1876年7月12日~1944年4月5日、享年67歳。

キュビスム、シュールレアリスムといった絵画のイメージを詩に導入しておられる。

この方もユダヤ人。ドランシー収容所での死去。

 


         

 

ある映画でUdo Kier(ウド・キア)様が演じられておられました。

殆ど台詞はない中、あの硝子玉のような眼が、多くを語っていた気がします。

この、前面のピカソ様の左後ろです。この映画に関しては、またいずれ改めて。

 


 

 


 

そして、時代は移ろい、また、新しい絵画や写真、様々な芸術が巴里を駆け抜ける。

Salvador Dalí(サルバドール・ダリ)様、1904年5月11日~1989年1月23日、享年84歳。


 

ダリ様と並ばれておられる Man Ray(マン・レイ)様。

少し、コクトー様に似ている一枚?

 

Moise Kisling, Ortiz de Zarate, Max Jacob, Pablo Picasso

and Paquerette, walking in Montparnasse, Paris in 1916.


 

Amedeo Clemente Modigliani,Pablo Picasso,Andrė Salmonas

 

確かに巴里、とても広いとは言えない都、その中で、

世界中から集まった、まだまだ数え上げられないほどの、芸術に生涯をかけた方々が、

こうして歩いておられた、集まり、話し、飲み、議論しておられた・・・

そんな時代が、確かにあったのでした。

マン・レイ様あたりまで来ると、作品からパリを感じるは少し遠いかな?

 

徒然に、激しく哀しく情熱的な巴里を彷徨った一日でした。