これを書いてる現在、ドラマ「不適切にもほどがある!」は第5話が終了しました。
簡単に登場人物を説明します
- 小川市郎:主人公。1986年の51歳、中学校の体育教師。昭和と令和を行き来する。今で言うコンプライアンスやハラスメントの概念がない。昭和では体罰をする。キヨシのクラスの副担任で学年主任。
- 小川純子:市郎の娘。スケバン。高校2年生。
- 向坂キヨシ:令和から昭和にタイムスリップして市郎の勤務する中学校に通学する。母サカエと共に小川家に居候する。純子のことが好き。
- 向坂サカエ:令和から昭和にタイムスリップしてきた社会学者。フェミニスト。PTA役員を引き受ける。
- 安森:キヨシの担任教師。
第5話ではキヨシのクラスに「佐高(さこう)」という不登校生がいることが判明。
令和では不登校生だったキヨシは佐高とコンタクトを試みて様々なラジオ番組にハガキを投稿しようとします。
ここで佐高関連のエピソードは終了しました。
第6話以降どうなるのかまだ分かりませんが、このドラマの不登校の描き方、扱い方によっては現実の不登校生や保護者の方々が傷つき、更に追い詰められるのではないか心配しています。
(ドラマ自体は面白いので、アンチではないことはご理解下さい。
記憶違いがあったらすみません
ネタバレあります)
5話では、PTAの用事で学校に行ったサカエが、安森にキヨシのクラスに不登校の子どもがいる件を尋ねます。
すると(昭和61年なので)安森は「ああ、登校拒否ですね?我々が何をしても登校しないからお手上げなんですよ」と、教え子の不登校は教え子個人の問題だと認識していることが判明します。
サカエは2024年から来たので「登校拒否じゃなくて不登校です。不登校の原因は社会にもあるから、個人の問題にするのは間違っている」と令和の現代人らしい説明をします。
場面は変わって喫茶店。サカエ、キヨシ、純子の3人でお茶しながら
キヨシ「令和にはフリースクールという、学校に行けない子どものための学校がある」
純子「へー、未来は良いね」
なんて会話します。
そこでキヨシは令和で不登校だったと純子に明かすのですが、純子から「キヨシならその子と仲良くなれるかもしれない」と言われます。
そこからのラジオ投稿。
純子もダメ出しをしつつも手伝います。
ここまで読むと「このドラマの制作者は不登校に理解がある」と読み取れそうです。
しかし「理解がある」からといって当事者を傷つけないドラマを作るとは限りません。
というのも主人公の小川市郎は1986年の中学校の体育教師だからです。
劇中でも顧問を務める野球部で部員に水を飲ませずに練習させたり、連帯責任でケツバット(部員のお尻をバットで叩く体罰)していました。
第4話で市郎は2024年のテレビ局のカウンセラーをしているのですが、ドラマのベッドシーンを撮影するのにインティマシーコーディネーターが現れます。
(インティマシーコーディネーターの説明は割愛します)
インティマシーコーディネーターとベッドシーンをする女優のマネージャーが
「女優の肌をどこまで見せていいか」
「どんな動きをさせるか」で色々と言い合いになりました
(監督もいたはずですが、あまり台詞がなかったと思います。記憶から抜けてます)。
その時に市郎が
「ベッドシーンだって食事シーンと同じく、普段自分がやってるように演技すればいいんだよ!
俺の好きな女優の◯◯や✕✕(名前は忘れた)は体当たりでベッドシーンに臨んで有名になったんだ!」
などと言い出しました。
第3話では「自分の娘がされたら嫌なことは自分もしない」という結論を自分で導き出したにも関わらず、なぜか上のような台詞を言い出しました。
最後は結局女優本人から「好きに動いてみたい」という要望があり、インティマシーコーディネーターが女優の意志を優先させる、という結果になりましたが
(本当に撮影現場でこうなるのかは分からないので置いておきます)
仮に女優が「本当はベッドシーンは一切やりたくないけど、マネージャーが取ってきた仕事は断れないから仕方なくやってる」だったとしたら、市郎は女優の心を全く想像できてなかった事になります。
そもそも食事は人前でもするけど(レストランとかで)、セックスは誰にも見せないものです(AVなどの仕事は例外です)。
食事シーンとベッドシーンを一緒にしている時点で市郎はズレています。1986年の人が聞いてもズレてると思いそうですが。
それに女優は素の自分とは異なるキャラクターを演じる仕事です。
食事シーンにせよベッドシーンにせよ「普段自分がやってる通りにやる」のはあり得ません。
これも1986年の人が聞いてもズレてると思いそうですが。
2024年に生きてる私が聞いててズレてると思ったのが市郎の頭の中です。
だから市郎が自分の学年の不登校生にどんなズレたことを言い、それで視聴者の不登校当事者が傷つかないか、1986年よりは進んだ(と思われる)不登校への理解が後退しないが心配なのです。
最近NHKスペシャルで「学校のみらい 」
という回がありました。
番組内で
「不登校は問題行動と見なしてはいけない」という文科省の通知を紹介。
(だからサカエの見方は問題ありません)
それだけでなく、学校以外の場所で学ぶ子ども達を肯定的に紹介していました。
私も知らなかったのですが現在は法律上の正式な学校として「学びの多様化学校 という小学校、中学校、高校もあります。
一言で言えばフリースクールみたいな学校です。
しかし市郎は1986年の中学校教師です。
前述の通りの体罰教師です。
「非行は体罰で治る!体罰は愛のムチだ!」とか
「みんなで一致団結して運動会や部活に取り組むことは良いことだ!やる気のない奴は集団の和を乱すから許さない!」
とか
「学校に行かないと将来ダメになる。だから再度登校させないといけない」とか、本気で信じているような人です。
(※ドラマの内容から推測)
「不登校を問題行動と判断してはいけない」という文科省の通知なんてそもそも知りません。
だから今の不登校生や保護者を傷つける説教をしないか心配です。
しかも市郎は終戦時10歳。
学校で学んだり遊ぶ機会を戦争に奪われた世代です。
それ自体は大変気の毒ですし今後あってはならない事です。
しかし私の経験上、その世代のには「私達の子どもの頃は戦争で学校に行けなかった。なのに今の若い子たちの中には学校があるのに学校にいがない子もいる。なんて事態だ。けしからん」という意見を述べる人が多かったんですよ。
もちろんその世代の方々は大変気の毒ですが
現代の子どもには現代の子どもの悩みや生きづらさがあるので
「学校に行かない状態」を彼ら彼女らの経験談から否定的に見るのはやめてほしいんです。
そろそろその世代の方々が引退し、寿命を全うされて他界する事も増えてきました。
一方で例えば中川翔子さんみたいな、私と同世代の不登校経験者が「学校から逃げる事」を肯定するメッセージを社会に発信するようになり、上に書いたように文科省のスタンスや教育政策も変わりました。
そんな中での戦前生まれの教師の再来です。
心配です。