就職氷河期の不利益を、今になっても本人の努力不足のように扱うのはおかしいと思っています。

あの時代の雇用環境は、個人の頑張りだけではどうにもならない部分が大きかったはずです。  
それなのに、非正規が長かったこと、収入が伸びなかったこと、職歴に空白があること、老後不安が強いことまで、全部「自分の選択の結果」として処理されてしまう。  
それには、どうしても納得できません。

私は、就職氷河期の問題は、もう少し真面目に「社会の問題」として扱われるべきだと思っています。

個人の問題ではなく、時代の問題だった

就職氷河期世代について、政府自身も「バブル崩壊後の厳しい雇用環境の中で就職活動を行い、希望する就職ができず、不本意ながら不安定な仕事に就いた人や無業状態にある人が多く含まれる」と認めています。しかもそれは、個人や家族だけの問題ではなく、社会全体で受け止めるべき重要な課題だと位置づけています。

この認識があるなら、本来「自己責任」で終わる話ではないはずです。

景気が悪かった、企業が採用を絞った、新卒一括採用の慣行が強かった、非正規雇用が増えた。  
そうした条件が重なった結果として、特定の世代がまともにスタートを切れなかった。  
これは「努力した人は乗り越えられた」という話ではなく、入口そのものが細くされていたという話です。

実際に、採用は絞られていた

厚生労働省の資料でも、バブル崩壊後の1990年代以降、大企業を中心に入職抑制が行われ、1997年以降は全ての企業規模で正規雇用者が減少したと整理されています。さらに、雇用全体は非正規雇用で増加し、企業は人件費抑制や即戦力重視の方向に動いたとされています。

また、2000年から2005年にかけては、正規雇用が256万人減少する一方で、非正規雇用は360万人増加しました。つまり、社会全体として「若手を正規で育てる」より、「安く、調整しやすい労働力に寄せる」方向が強まっていたわけです。

こうした変化の中で就職活動をした世代に対して、あとから「もっと頑張ればよかったのでは」と言うのは、さすがに無理があります。

“あの頃の不利”は、その後ずっと尾を引く

就職でつまずいた影響は、その年だけで終わりません。

最初に正規で入れなかった人は、職歴の見え方が不利になりやすい。  
収入が低いままだと、貯金も難しい。  
非正規や短期雇用が続けば、結婚や出産、住宅、老後設計にも影響する。  
年金や退職金の差も積み上がっていく。

つまり、就職氷河期の問題は「昔大変でしたね」という話ではなく、今の生活と将来不安に直結している現在進行形の問題です。

だからこそ、自己責任論で切ってしまうと、現実が見えなくなるのだと思います。

国も「問題がある」と認めているのに、救済は十分とは言えない。

政府は現在も、就職氷河期世代を対象とした支援策や関係閣僚会議を設けています。つまり、問題の存在自体はもう否定できない段階にあります。

一方で、現実には「支援がある」と言われても、それで過去の不利益が埋まるわけではありません。  
非正規期間が長かったことによる収入差、職歴の傷、メンタル不調、家族形成への影響、老後資金の不足。  
これらは単発の就労支援や相談窓口だけで解決する話ではないはずです。

問題を認めるなら、もっと踏み込んだ救済や補完が必要ではないでしょうか。

今の人手不足を見ると、なおさら理不尽さを感じる

いま日本では人手不足が大きな社会問題になっています。厚生労働省は、2010年代以降の人手不足を「長期かつ粘着的」と表現し、求人の充足率は長期にわたって低下していると分析しています。

さらに総務省は、生産年齢人口が1995年をピークに減少しており、2050年には2021年比で29.2%減少すると見込んでいます。

いまになって「若手がいない」「人が足りない」「新卒は貴重だ」と言われても、こちらからすると複雑です。  
あの時に採用を絞り、世代ごと薄くしておいて、今は人手不足だと騒ぐ。  
しかも、そこで不利益を受けた世代には、いまだに自己責任論が向けられる。

それはあまりにも都合がよすぎる、と思います。

これは、恨み言ではなく、整理されるべき現実だと思う

就職氷河期のことを語ると、「まだそんなことを言っているのか」と思う人もいるかもしれません。  
でも、これは過去への執着というより、整理されずに放置されてきた問題を、ちゃんと問題として扱ってほしいという話です。

運よく立て直せた人もいるでしょう。  
努力して今の仕事につながった人もいるでしょう。  
それはそれで本当だと思います。

でも、だからといって、時代全体の構造的な不利益まで消えるわけではありません。  
個人の回復例があることと、制度や社会に責任がないことは、同じではありません。

私は、就職氷河期の問題を「本人の問題」に押し戻すのではなく、  
時代が生んだ不利益として可視化し、必要な救済や補完を考える段階に来ていると思っています。

同じように感じている方へ

就職氷河期の不利益を、今になっても本人の努力不足のように扱うのはおかしい。  
そう感じているのが私だけではないなら、同じ思いを持つ方とつながりたいです。

私はいま、就職氷河期が残した影響について、当事者の声を集めたいと思っています。

たとえば、

- 希望する就職ができなかった  
- 非正規や低賃金の時期が長く続いた  
- いまもその影響が仕事や生活に残っている  
- 老後不安や年金不安が強い  
- 「自己責任」と言われることに強い違和感がある  

そんな思いがある方がいたら、ぜひ声を寄せてほしいです。