ドラマ「不適切にもほどがある」を第3話から観ています。面白いです。
これから第1話を批判しますがドラマ自体は好意的に観てますし続きが楽しみです
(現時点では第5話まで放送)

(以下、あらすじや登場人物の説明は割愛します。ネタバレあります

第5話を見終わってから第1話が気になってTverで観ました。
Tverで第1話と最新話は無料で観られますが2話以降のバックナンバーは有料のVODでしか観られません。
そういうわけで第2話は観たことがなくて、第1話はダイジェスト&本編の「秋津真彦と上司が居酒屋でパワハラの話し合いをしているところを市郎に絡まれる」ところからラストまで観ました。

私が違和感を覚えたのは居酒屋でのパワハラの話し合いのくだりです。(以下、記憶違いなどあったらすみません)

入社7年目の秋津は新入社員(だったかな?)の若い女性社員「加賀ちゃん」からパワハラで訴えられました(裁判ではなく社内のコンプライアンス室?人事部に訴えた)。

その内容が私でもさすがに「パワハラ」とは呼べないものだったのですが、「相手がハラ(ハラスメント)だと感じたらハラだから」という男性上司の論理で、加賀ちゃんの訴えがパワハラだという前提で話が進んで行きました。

その内容なのですが
  • 加賀ちゃんがプレゼンをする前に秋津君が「頑張ってね」と言ったが、そうやってプレッシャーをかけるのがマズかった。
  • 加賀ちゃんがスマホでフリック入力をしたとき、速度が速かったので褒めるつもりで「さすがZ世代」と言ったが、「◯◯世代だから〜」と世代で区切るのはエイジハラスメントである。
  • 新入社員一同とバーベキューパーティをしたとき、加賀ちゃんがお肉をよそって秋津君に渡したとき、秋津君が「将来いいお嫁さんになれるね」と言ったが、結婚が幸せという価値観の押し付けである。多様性(多様な価値観)の尊重に反するからパワハラである

私からすれば、これらをパワハラだとそのまま認める上司達が問題だと思いました。

しかし、小川市郎を含め誰もそこを指摘しません。

そもそもバーベキューの件は、他に女性の新入社員が何人もいるのに秋津君が加賀ちゃんにだけ「いいお嫁さんになれるね」と言ったから他の女性社員達同士でヒソヒソ話が始まってしまったため、加賀ちゃんが居心地の悪い思いをした、というのが本来の問題なのではないかと思いました。

秋津君はイケメンだし、密かに狙っていた女性の新入社員もいたはずです。

加賀ちゃんからすれば「◯◯さんは秋津さんのこと好きなのに私がこんなふうに褒められてしまった。◯◯さんから嫉妬されないかな?嫌がらせされないかな?」とか
「女子のみんながヒソヒソ話をしている。私が秋津さんを好きだとか噂してるのかな?(そんな事ないのに)」と心配になってしまったのではないでしょうか?

(劇中で加賀ちゃん本人からもそういう説明はありませんでしたが、『多様な価値観を尊重してほしかった』とも言いませんでした

それを上司達が「多様性」の問題にすり替えていたのが本当に不快でした。

「この人達は日頃から『多様性の尊重』が気に入らなくて、この出来事を利用してこの気に入らない価値観を潰そうとしているのだろうか?」とすら思いました。

話を加賀ちゃんに戻します。

フリック入力の件はエイジハラスメントとは思いませんが、秋津君も公式サイトによればゆとり世代だし、上の世代から「ゆとり世代」と一括りにされて嫌な思いした経験はないのか?自分がアラサーになったら同じことを若い世代にしてしまうのか? という疑問も出ました。

世代を理由に褒めるのは個人的には悪いとは思いません。
しかしZ世代にもフリック入力が苦手な人はいるし、世代を理由に「◯◯が得意」と思ってほしくないです。
(だからといってそれがエイハラに当たるとまでは思ってないけど。いや、今やエイハラなのか?!)

秋津君たちのやり取りを隣の席で聞いていた市郎が食って掛かります。

「部下を『頑張れ』と励ました彼(秋津君)が叩かれて、頑張れと励まされた方が被害者扱いされるのはおかしいだろ?!」と一喝します。

そこまではいいです。
市郎の乱暴な言い方には賛同しませんが、言いたい事には賛同します。

しかし次に市郎が言ったことは
居酒屋の壁に貼ってあるバイト募集の時給を指さして

「1986年と時給がほとんど変わっていない!
コンプライアンスを気にしすぎるあまり人間同士が本音で話し合えなくなったから不景気なんだ!
俺達はこんな世の中にするために頑張ってきたんじゃない!
人間は配膳ロボットに仕事を取られている!(※この居酒屋はタッチパネルで注文し、配膳ロボットが注文の品を運んでくれる)
ロボットはミスもしないし心も折れないから、コンプライアンスを気にして接する必要がないから人間に取って代わられるんだ

という内容を荒い言葉遣いで主張します。

「この人ヤバい。秋津、構うな。別の店に行こう」と言う上司2人(そりゃそうなるわ)

ここでおもむろに秋津が「話し合いましょう〜♪」と歌い出してミュージカルパートが始まるんですが…。

待て!市郎の主張は支離滅裂だ!!

なぜ「不景気の理由」が「コンプライアンス意識が高まったから(それ故本音で物が言えない社会になったから)」なのか??

因果関係はありませんよね??

本当に居酒屋の時給(確か1120円。東京が舞台)が1986年と変わっていないのか疑問ですが、仮にそうだとしても
バイトの時給や人々の給料が上がらない理由はコンプライアンスではありません。

「失われた30年 原因」や「失われた30年」などでググれば答えが出てきますので割愛しますが。

それにホールスタッフが配膳ロボットも取って代わられた理由ですが、最大の理由は「人手不足」。つまり「求人を出しても人が集まらないから」です

その次に「人間を雇うよりも安上がりだから」です。

配膳ロボットもリースかもしれませんが、月々のリース料金は人間一人を雇うよりもずっと安いはずです人間だと時給だけでなく(扶養控除内の主婦や学生を除けば)社会保険料も払わないといけません(雇用主と被雇用者で半分ずつ払うんだっけ?間違っていたらすみませんが)。万が一労災が遭ったら雇用主の責任も問われます。

労災って1986年にももちろんありますよ。
居酒屋のホールだったら、雨の日に客の靴や傘の水滴で濡れた床で足をすべらせて捻挫や骨折だとか
酔っぱらい客同士の乱闘に巻き込まれて自分も殴られたとか
コンプライアンスとは関係ない労災なんて昔からあります。

だから時給が上がらない理由や労働者がロボットに取って代わられる理由とコンプライアンスには因果関係がない(というのが私の考えです)。

なのに誰もそこを指摘しないから、まるで市郎が正しいかのようになってて違和感を覚えました。

居酒屋に加賀ちゃんが現れて秋津君と話し合って和解して終わりました。

第1話のメッセージは「話し合いましょう」でしたが、今回の事例ではそれが正解だったと思います。

しかし、一般的にパワハラやセクハラって、当事者同士の話し合いでは解決しませんよ。

というか、もしあなたが毎日上司から怒鳴られて人格否定的な言葉をかけられていたとします。

その上司と話し合って解決しろ、って言われてできますか?
話し合いたいと思いますか?

そもそもハラスメントは上下関係のある所に生まれやすいんですよ。

「話し合って解決すればいい」だなんて強者の論理ではないですか?

第1話は視聴者にパワハラというものを誤解させると思いました。
まるでパワハラを訴える側が過敏だ、構ってほしくてパワハラだとか騒いでるだけだ、とでも言いたげだと思いました。

そもそも秋津君は加賀ちゃんを全く叱っていなかった(彼女が仕事できて叱るところがなかった)のに、なぜこれがパワハラの事例としてドラマで扱われるのか?

言いすぎかもしれませんが、問題設定がおかしいと思いました。

秋津君の叱り方が厳しすぎて加賀ちゃんがパワハラを訴えている、という問題設定だったら

「ではパワハラにならない叱り方ってなんだろう?」
「適切な叱り方ってなんだろう?」
と視聴者に考えさせ、気づきを促せたと思いますが。

上にも書いたように、本来多様性の問題ではないものを多様性の問題にしてしまってるのも納得がいきません。

この事例で上司がやるべきことは双方の言い分を聞いた上で「加賀と秋津、どちらも気持ちよく働けるには何が必要か?2人に何をさせるべきか?」と検討することだったはず。

決して、加賀ちゃんの言い分を鵜呑みにして人事部との面接に臨むことではありませんでした。

市郎は1986年の中学校教師です
「こんな世の中にするために俺達は頑張ったんじゃない」と2024年を全否定していましたが、その2024年を作ったのは市郎の教え子達の世代でもあります。彼らは今50代ですから。

そもそも1986年の中学校教師って一般的にどんな教育を行ってきたのか?

令和の居酒屋で「話し合おう」と歌っても、昭和の教育現場でちゃんと生徒たちと話し合っていたのか?

市郎も顧問を務める野球部で「連帯責任で部員全員にケツバット(尻をバットで叩く)」をしてましたが、そうやって暴力と上下関係で支配する「教育」をしている人間に「ロボットは話し合いはできないけど人間は話し合える」なんて説教されても何も響きません。

10年ほど前、ある本で読んだのですが、1980年代は全国的に中学校で生徒から教師への校内暴力が問題になっていたそうです。

その本によれば上に書いたような教師の暴力的なやり方、生徒の言い分を聞かずに力で抑え込むようなやり方、理不尽な校則、詰め込み教育などに反発した結果、教師に暴力を振るうようになったそうです。

あくまでその本の著者が言っていたことなので実態は分かりません。
上に書いた理由で暴力に走ってしまった生徒もいたと思いますが、自己中心的な理由での暴力、教育とはあまり関係ない理由の暴力もあったかもしれません。
それと手元にその本がないので記憶違いかもしれません

本によれば校内暴力を抑え込むために公立高校入試に内申点を利用するようにして、教師が内申点を下げると(直接的あるいは間接的に)生徒達を脅した結果校内暴力は止んだ。
しかしストレスや不満を抱えたままの生徒達は自分より弱い生徒をいじめるようになり、いじめが陰湿化した。問題行動が教師に直接向かわないようになったので、教師には問題行動が見えにくくなったそうです。

つまり、一般論から考えれば市郎も子ども達を「話し合いのできる人間」に育てなかった責任があります。

だから「こんな世の中にするために〜」のくだりは「お前が言うな」って腹が立ちました。

公式サイトによれば秋津くんは市郎の「コンプライアンスに縛られない自由な発言に感化される」らしいですが、コンプライアンスを気にしない(知らない)で暴言を吐くのが「自由」なのですか?
そこにも引っかかりを覚えました。

しかし、名前は出さないけど現実でも「失言」や「暴言」の多い政治家が多くの国民の支持を集め、
「ドS」や「辛口」といったキャラの歯に衣着せぬ物言いをする芸能人が人気を集めたりします。

今に始まったことではないし、外国でも同じです(元職を含めて大統領を見れば分かります)。

自分が心の中で思ってても言えないような事をズバズバ発言する人は、いつの時代も人気を集めます。
自分を代弁してくれるかのようで気持ちがいいんですよね。
(しかし、その人がいつ自分の支持できない事を言い出すのか分かりません)

もし第1話から観ていたら2話以降は観てなかったと思います。

以前から(私が直接の被害を受けてなくても)ハラスメントと思った事をハラスメントだと言いづらい空気を感じていて
「おかしいのではないか?」と言いたい時も喧嘩売ってると思われないように言葉を選んできたのですが
第1話を観てますます「これはハラスメントではないか?」と言いづらくなりました。

現にパワハラやセクハラの被害に遭っていて誰かに相談しようか迷っている人がこれを観たらますます追い詰められたのではないかと心配です。

辛くて精神的に余裕がない時って冷静な判断ができなくなりますから。

だから、冷静に考えれば「明らかにパワハラ(セクハラ)」という被害を受けていても精神的に余裕がない時は「この程度でハラスメントだと言っても上司に相手にされないんじゃないか?」と思い込んで誰にも相談できなくなる人もいるんじゃないかって、そこが心配です。

しかし、ドラマ観ている時はドラマの世界に没頭してしまうし、市郎の支離滅裂な論理にも何故か共感しそうになってしまうんですよね。
場の雰囲気って怖い。

それにドラマ自体は面白いです。
コンプライアンスとハラスメントだけがテーマではなく、80年代の若者文化の小ネタが散りばめられていて、当時を知らない私にも面白いです。
第5話では市郎と渚が祖父と孫の関係であることが判明、市郎と純子の父娘が阪神淡路大震災で死ぬことも明かされました。さてこれからどうなる、というところ。

面白くなってきました。
「歴史を変えてはいけないから」と市郎は自分と娘の運命を受け入れて余命9年を生きるのか?
(実は余命モノでもあったのね、このドラマ)

それともアニメの「君の名は。」みたいに、阪神淡路大震災から神戸の人々(自分と娘も含め)を救うために奮闘するのか?

さすがに神戸の人々みんなを救うのは諦めて、何とかして1995年1月17日に自分と純子・ゆずる・渚を神戸の外に移動させようとするか?

気になります。

しかし一方で今後不登校をどう扱うのかが気がかりですね。

令和から昭和の中学校に転校したキヨシが、同じクラスの不登校生にコンタクトを試みるところで終わりましたが…。

市郎が不登校を全否定するような演説をぶちかまさないか、それで現代の不登校の視聴者が傷つかないか心配ではあります。

とりあえずファンでもアンチでもない立場で第6話も観ます!

(追記)私と同じ意見のライターさん発見!紹介させて頂きます。



不登校の描き方についての懸念も書きました。