涙を流すセラピーのススメ | きょうもはなまる

きょうもはなまる

えがおでいきましょ

なんとなく、『育てにくいなぁ~』と感じていた二郎の今までや、発達障害と診断されてからの日々
子どもとの生活のなかで向き合うことになった自分のこと、心理カウンセラーや講師のお仕事のことなど

を主に書いています
一郎と三郎もときどき登場しています

 

 

 

 

このブログを最初から読んでくださる方はこちらから

 

 

突然ですが、あなたは時々涙を流していますか?

 

私は時々泣いています。

それは、

悲しいニュースを目にしての涙だったり

感動の映画を観ての涙だったり

美しいものに触れての涙だったり

 

 

感情って厄介だなと思うこともあるけれど

神様から人間に与えられた特権でもあって

ネガティブに感じるものも

ポジティブに感じるものも

本当は善悪なんてなくて

ごくごく自然なもの

 

 

 

だから、

蓋をしないで

感じることを歓びにできる方がきっと自分らしく生きていける

 

学んでからはそんな風に思います。

学びの場でも安心して涙を流すことで

自分を肯定して受け入れることを繰り返し

自分を大好きになっていきました。

 

 

 

 

 

私は小さい頃からいわゆる

空気を読む子ども

でした。

 

 

ダジャレを言って孫を楽しませようとする祖父に

子供心にも一生懸命笑ったり、

あ、それそういうことかーって

本当はすぐわかっていても、考えるふりをしてリアクションしたり。

 

 

買ってほしいって思っても言うのを我慢したり、

逆に欲しいものがない時に買ってあげるよって言われたら無理やり探して

で、それを買ってあげたことを後悔させないようにとっても大切にしました。

 

辛いことがあっても話さず自分の中で留めたり

学校でも嫌なことを嫌と言えずその場の空気を壊さないようにしました。

 

 

誰がどう見ても私の悪口をこれ見よがしにわざと言っているのを目の前にしても黙っていました。

 

 

出来上がった卒アルに自分の写真がたった一枚しか載っていなくても自己消化しました。

 

 

争いが嫌いで、仲裁役を自らしてしまうので人の負の感情や事情を背負ってしまったりして余計な気苦労をすることもよくありました。

 

 

これはほんの一部ですけれど、

思い返せばたくさんのことが思い出され、

抑圧された子ども時代を過ごしていたとよくわかります。

 

 

当時はそれが生きづらさの原因の1つでもあるとは思いもしません。

 

 

けれど

 

泣くこと

 

というお守りを私は見つけました。

 

 

 

泣いても現実が変わるわけではありません。

けれど

部屋で一人泣いてバランスをとり

私なりに朝が来たら奮起して生きてきたのです。

 

 

 

 

泣くことで自分なりにバランスをとっていたのだと思います。

そして、洗い流せることは涙と一緒に洗い流す

そんなことを自然にしていたと思います。

 

 

 

だから、

泣きたい時は泣く

 

おススメします。

 

 

 

講座や、カウンセリングでも

遠慮なく泣いてもらえたらいいと思います。

むしろその方がいい。

 

 

 

私はその涙を受け止めます。

 

 

 

最後に、私が最近涙した動画をご紹介します。

勝手に涙が出てしまいました。

 



 

 

人に感動を与えられる人

素晴らしいですね。

 

こちらの方も素晴らしいです。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Instagram


twitter



カウンセリング・講座・ワークショップ等のご案内はこちらからご覧いただけます


ご案内を受け取りたい方はLINE@へどうぞ


その他お問い合わせ等
お問い合わせフォームはこちら