皆と別れ、一旦は北に向かった先生は、つと立ち止まった。
風に向かって髭を立てた。何かを感じているかのように、時折ぴくぴくと尻尾を動かしている。


「どうしました、先生。何か気になることでも」
油すましが、その大きな頭を傾げて先生を見詰める。
油すましとて妖しのもの、しかも仲間内では一番の頭脳を誇る。

危機察知能力も高く、逃げ足の速さは天下一品だ。
その油すましでさえ、この体勢を取った時の先生には叶わない。
敵が来る方角、距離、その数、持っている武器の種類までも正確に言い当ててしまうのだ。

「…豆腐小僧が命を落としました。仲間を守り、最後まで闘って。また一人、逝かせてしまった」


掛ける言葉が見つからず、俯く油すましの脛を優しく尻尾で撫で、先生は続けた。
「坂本様も十郎太さんも、見事に相手を倒したようです。残ったのは芹沢のみ」
「では何とかなりそうですな」


けれど先生の表情は厳しい。
「そうはいきませんね。天海の一味が残っている限り、四天王は替えが効きます。
何人でも創られてしまう。それと」
「それと?」


先生がゆっくりと振り向いた。髭が激しく反応する。
「僧兵が動きだしました。止めねばなりません。予定変更です、我々は日ノ岡に向かいましょう」
言うが早いか、先生は走り出した。


簡単に言うが、なかなかできるものではない。太陽は眩しいものでも見るように、目を細めた。そんな太陽を優しく見詰め、彰宏は言った。
「太陽君のお父さんこそ、凄い人じゃないか。子どもたちの為に、命がけで働いている」

信念を持ち、ぶれない姿勢を保つ父の背中ほど、少年の目標になるものはない。この点において、彰宏も太陽も幸福であった。
彼らの父親の背中は、目標として充分な大きさであった。
「おーい、二人ともぉー、飯ができたでー」
山崎が自慢気に大声を張り上げ、二人を招いた。

「お父さん、これって」

どうやらチャーハンらしいが、あちこちからウィンナーが顔を覗かせている。
キリンや象やらライオンやら、まるでジャングルのようだ。

「すまん。調子にのってウィンナー動物を作りすぎた。はっはっは」
絶対に手を抜かない信念の人、山崎ならではの料理であった。

「さて、飯を食ったら作戦会議開始」
里美が地図を広げながら全員を見渡した。
大人たちだけなら強行軍で行けるが、子ども連れとなるとそうもいかない。
どれだけ頑張っても、途中で野営しなければならないのは必至だ。
引き受けたからには必ず無事に送り届ける、里美はそう決めていた。


「ねえ。彰宏のお父さんて器用だね」

太陽がそういうのも無理はない。
最終的に山崎が作り上げた動物は三十種類を超えている。
一つ作るのに要した時間は三十秒に満たない。が、彰宏は太陽の賞賛を柔らかく否定した。
「お父さんが器用?とんでもないよ、太陽君」

彰宏は朗らかに笑い、父を見つめた。尊敬し、愛おしむ眼差しである。
「日本を出る前さ、シャツにアイロンあてようとして穴を開けたんだよ。飛行機のタラップでつまずいて前にいるおばさんのスカートを脱がしちゃったし」

太陽は口をぽかん、と開けて呆れ顔だ。
「器用なんかじゃない。ただ、父さんは諦めないんだ。
どんなに難しくても、手に負えそうもないことも、やらずに諦めることがないんだよ。あのウィンナー細工も、三ヶ月掛かった。その間に、指を八回切ってる」

太陽は、もう一度山崎を見た。山崎は鼻歌を歌っていた。
息子にそんな話をされているとは露知らず、料理を続けている。

「なんでそんなに頑張れるの? 」

彰宏は黙り込んだ。少し考え、言葉を続ける。
「たぶん…それがお父さんの覚悟なんだと思う」
「覚悟?」
「そう。どんな仕事でも、どんな相手でも、絶対に手を抜かないっていう覚悟」

「それなら、あたしが案内しますよ」
「え。そやかて、滅茶苦茶危ないところや聞いてますよ。大丈夫でっか?」
「大丈夫でおます」

下手糞な関西弁やなぁ、と一頻り笑い、山崎は急に真顔になった。
揺れる座席の上で、器用に居住まいを正し、正座する。
「ありがとう。ほんまにありがとうございます。やっぱり、池田はんを訊ねてきて良かった」
深々と頭を下げる山崎の隣で、彰宏も同じように頭を下げた。

「というか、山崎さんの方こそ大丈夫なんですか?アランさんの居場所とか」
「それは大丈夫ですわ。地雷処理のNPOに問い合わせましたからな。ちと腹が減りましたな、池田はん、お宅に着いたらまな板と包丁を貸してもらえまっか」

車はようやく村に着いた。村の子どもたちは最初、山崎を遠巻きにしていたが、それもほんの束の間であった。
里美の家の前で、山崎が一声高く張り上げたのである。
「まいどー、山崎でございましてー。今日はね、日本から持ってきたウィンナーをこれこのように細工しましてー。ほれほれ、ちょちょいのちょいと。ライオンの出来上がりー。
次なるはこれをばこのように切りまして、こっちをちょいっと。さ、これ何だ?そう、カバですな」

次から次へと魔法のように出来上がるウィンナーの動物達に、村の子どもたちは歓声をあげた。
結局、口上全てを日本語で行いながら、山崎は村人全員の笑顔と信頼を得たのである。

里美が、ぽかんと口を開けたまま、山崎を見つめた。
「お母さん、ハンドルハンドル! ぶつかるっ! 」

太陽に叱られて、里美は慌てて前を見た。間一髪、大木を避ける。

「ひゃあ、びっくりした。大丈夫でっか、池田はん」
「びっくりしたのはこっちです。今時の日本にも、山崎さんのような人が居たんですねぇ…」

きょとんとした顔つきの山崎は、ついでと言った口調で言った。
「そや、これ忘れてた。池田はんのお母さんから預かってきた手紙ですわ」

気にはなる里美であったが、これ以上運転を誤るわけにはいかない。
チラリと横目で見た手紙の表書きは確かに母の字であった。
村に着くまでの間、山崎は延々と喋り続けた。
里美は呆れると同時に、すっかりこの男に惚れ込んでしまった。
なんとも冴えない外見だが、内に宿る情熱は熱く、人に対する愛が深い。
惚れ込んだ相手は、とことん面倒を見たくなるのが里美の悪い癖である。
「それでですな、シェラレオネまではどないして行こうかっちゅうのが今んとこの悩みでしてな。なにせ、扱う旅行代理店ちゅなもんが一切ないんですわ。池田はん、なんぞ知恵はおませんか」
そう問いかける山崎に里美は満面の笑みを返した。