私が所属する寺では、新たに納骨堂を増築した。
リーマンショックのあおりで完成時期はずれこんだものの、
しばらく前に完成した。

不動産屋用語で言えば新規分譲売り出し。

最後には地元の葬儀屋とのトラブルを予想し断念し、
役所に出した書類では檀家の要請とあり、
要請する檀家の氏名がズラッと揃えられているが、
もとより根拠もなく並べた氏名。

順調なすべりだしといえぬ。

ウン億を文字通り、賭けてアウトとなった寺もあるときく。

同じような納骨堂を持つ寺も増え、
新設した納骨堂の売り込みに一同専念。

寺での行事のオリにPR。

PRがすぎて、誰にPRしたか記憶も定かではないうえに内部の連絡も雑。

さかんに進められたAさんナカナカ首をたてに振らず
『私は古いところに納骨しているがね。
見てくれと言ったから見たまでで、一軒に二つも納骨堂がいるかね?』

そこで慌てないのが不動産屋と僧侶。
『イヤイヤ 何方か知っているひとにと思いましてね....』

思わず言葉を濁す住職。

察するにAさんはきっと心のなかで呟いたに違いない。

『檀家の骨を預かっていることも知らぬのかね?』

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困窮とまでは、いかない悩み、苦労は誰もが少しは持つ。

その悩み、困窮に少しでも耳を貸し、
手をさしだすことには誰しも限界がある。

まして個人であれば、たかが知れている。

それ故にこうした行為は、曰く偽善的、自己満足と、
とかくよく言われることはない。
何にでも限界はあり、人の行動は少なからず自己満足的であるが、それはそれ。

自己の持てる有形、無形を一人占めしないだけのこと。
仏教を哲学の領域で捉えるのは学者、学僧。

稼業としての僧侶でなく、
学もない私が進む方向は多分にこちらかと思う昨今である。


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途中入社で、寺の眷属でもない者が、
実践派を目指すと言っても簡単ではない。

また、実践派は前にも述べたが
大雑把ではあるが3分類される。

1)営業至上(布教至上)派
2)社会派
3)奉仕(人道)派

営業至上派は、寺の大義名分は寺院興隆、
外向けの大義名分は " 布教の拡充 " 。

これを目指すとすれば、
寺を持たない身なので、
住職の指示のもとに檀家回りをコナスこととなる。

読誦する経典も布施次第、寺との縁も本音は " 布施 " 。

" 布施 " の終わりが縁の終わり。

社交辞令を超えて本音で " 布施は気持 " などと言えば一騒動。

『誰の所為で給料がもらえるかいね?』

娑婆ではよく聴くセリフをこんな処で聞こうとは思っても見なかった。

何時かそんなセリフを言われる前にヤンワリと距離を置くこととした。

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人には夫々の適正がある。

音痴の私が声明を幾ら唸っても、
今からウットリするような域に達するのはムリな話。

草野球が甲子園を目指すより無理。

また、人は永い間に身体で覚えていくことがある。

法衣の着こなしこそ何となくサマになってきたが、
それでもイザとなると頭で覚えている通りに
身体がスマートに動かないのが途中入社(?)の悲しさ。

その点、寺院で育った人は呑み込みが速い。

まずは三パターンの荘厳重視とココを目ざすことには無理がある。

それでは教義探究か?
始めに開祖アリキ、は大したことはないが、
今までの自分の歴史がツイ邪魔をする。

然れば、もう少しハバを持たせるかと考えるものの、
セイゼイ資料が揃うと思われるのは近代まで。

それも少し都合の良くない資料は各寺の中。

宗派には関係なく、無難な処の仏教となると
原典解読がマズは無理。

こうして消去していくと、
途中入社組に適しているのは実践派。

荘厳も教義探究も怠るわけではないが、
素直に限界を認め、実践派の僧侶となることにした。

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" 自行化他 " 、” 自他利他 " は北伝仏教(大乗)の教え。

しかしこの " 化他 "、 " 利他 " とは言うまでもなく
他人にも仏教の法悦を進めること。

法悦を " 現世での癒し " と考えれば、
北伝仏教の専売ではないジータカで解るようように
釈迦の犠牲は想像を超えている。

仏教はその始まりから、困れる人や悩める人への
救済が一つの柱となっている。

これは仏教だけではなく、宗教全体に言えることかも知れない。

これは先程の社会派に比べより実践的ではあるが、
思ったより難しい。

募金を募り、あるいは募金に応じた場合も
相手の顔はみえないことが多い。

人間の困窮、難渋、脳乱が相対的であれば、
そこに少しでも手を差し伸べることに本当に、
皆が是とするのか?

こんな事を考えるようではマダマダ勉強が足らない所為かもしれない、
と思いつつも疑問は尽きない夏の宵であった。

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