困窮とまでは、いかない悩み、苦労は誰もが少しは持つ。

その悩み、困窮に少しでも耳を貸し、
手をさしだすことには誰しも限界がある。

まして個人であれば、たかが知れている。

それ故にこうした行為は、曰く偽善的、自己満足と、
とかくよく言われることはない。
何にでも限界はあり、人の行動は少なからず自己満足的であるが、それはそれ。

自己の持てる有形、無形を一人占めしないだけのこと。
仏教を哲学の領域で捉えるのは学者、学僧。

稼業としての僧侶でなく、
学もない私が進む方向は多分にこちらかと思う昨今である。


$私は僧侶になりました