最近ニコ生でFC版ウィザードリィを実況プレイしてる人がいまして。
本人は初見プレイなんですが、ここに集ってる視聴者がまぁガチ勢なんです。ワタクシからのちょっとした質問と回答
「攻略情報が無かった時代、武器のスペックは統計取ってたんですか?」
「それぞれ100回ずつ殴った記憶がある」
実際に統計を取ったダメージを見て、その装備のダメージ計算式は1d6だとか、2d6だとか、そういうのを探ってた訳です。
情報あふれる今の時代には考えられない遊び方です。
コアプレイヤーは、自分の手と頭を使って手に入れた知恵を、苦労して掘り当てた宝物のようにいつまでも忘れないのです。彼らは数々の実績や裏仕様を共有できる仲間に出会うと歓喜します。そこはマニア同士にしか分からない、ディープで最高に楽しい世界なのです。
ウィザードリィというRPGは元祖にして鬼作でもあったわけなんですが。どういう意味で鬼なのかというと、ある種の鬼畜仕様はもちろんですが、制作者目線で見た時に、とにかく仕組みが細かいんです。
手作り感満載の、ロジックが混み入った複雑な作りになっている。仕様が複雑な分、バグというか仕様の穴も入り込みやすい訳でして。
長年愛されるこの名作は、プレイヤーの探究によってバグ技というか、仕様を利用した数々のテクが編み出されたわけです。
ロクトフェイトでダンジョンから脱出すると、装備を失ってしまう。この仕組みを利用して、呪われた装備を外すことができる。
悪名高いエナジードレイン。これでレベルを下げられると、HPはレベルに応じて下がるが、実は能力値は下がらない。むしろレベルを下げたお陰でステータスが上げやすくなる。
などなど、一見マイナスに思えるような要素が、探求の結果、利用価値のある仕組みになっていたりする訳です。
どこまでが製作者の計算づくだったのか、偶然の産物なのかは分かりません。ただ、探れば探ぐるほど何かが見えてくるこの作品が、確かに存在するのです。
工夫の余地がある。試行を繰り返して探る楽しさがある。
検索したらすぐ答えが出てくる情報化社会ではなかなか味わえない喜びかもしれません。
このゲームがどうやって生み出されたか。それは「全て計算づく」の方法論からは決して生まれないものです。生産性、効率性、保守性など度外視。九龍城塞のように、後から後から足された要素が絡み合って、絶妙なバランスでギリギリ均衡を保っている巨大集合住宅です。
よくよく考えたら、ゲームの本質はプレイヤーを楽しませることです。仕様の穴のないことが必ずしも善とは限らないし、リメイクしやすさ、メンテしやすさが正義でもない。もっと言えば、ゲームバランスの良さだけ追求していればいい訳でもないんです。
一回こっきり、その作品の中でそれなりに辻褄が合っていて、遊ぶ選択肢がたくさん与えられている。プレイヤーが悩みながら答えを探り、その過程に楽しみを見つけられたら、それで勝ちなのです。
バグがあれば叩かれます。中には許されないバグもあるでしょう。しかし、作り手がやりたいことをとことん盛り込みまくった結果、文句を言われつつ、その一方で仕様の穴すらも愛されるような作品が生まれたのです。
こういう作品を世に生み出してしまう制作者は、一般人とは違ってどこかのネジが外れています。ある種の狂気に近い境地とも言えます。即キャラ全ロストの危険も孕んだ、なんでもありのRPGなんて、普通の感覚ではまず作れません。
とっても変わり者なのです。そして、こういう種類の人間は、何かにとんでもない熱量を注ぎ込むのです。ただただ、熱量の凄まじさに圧倒されます。
面倒くさいことを色々やっている。仕組みを作るの大変だろうなぁとか、デバッグ大変になりそうだなぁとか、見てて思いますが、そういうのは度外視してるというか、「楽しければOK」で最後まで突き進んだのでしょう。
ワタクシに足りないもの。忘れかけていたもの。
面白そうだからこれも入れよう、あれも入れよう。制作過程でワクワクが止まらない。その熱を保ったまま走らせるエンジンのようなもの。
あまり先のことはあれこれ考えない、時には無計画で衝動的に、自分の中の炎に焼かれる。理性というか、現実的な思考は炎に水を掛けてしまう面があるのです。
「狂気と冷静さを混ぜると強くなる」
これは格闘家の朝倉未来も言っていましたね。賢く、冷静に相手を分析してカウンターを狙う、それだけだとどうしても消極的になる。時には本能に任せてめちゃめちゃ攻め込む。
さて、この記事のタイトルに戻ります。
作品は良くも悪くも作者を表してしまいます。そして、作品は似た人を引き寄せてしまいます。
ワタクシに言えること、それはウィザードリィの制作者とコアプレイヤーは、どちらもガチ勢だということです。
ゲームという媒体を介して、ガチ勢とガチ勢がぶつかり合っているのです。
そんな関係をプレイヤーと築くことができたら、制作者にとってこれに勝る喜びはないのではないでしょうか?