The Beginner's Guideというゲームの実況を観ました。
ストーリーについて色々な解釈が出来る、不思議な世界観を持った作品です。
結末を観てから2周目。この作品に散りばめられたメッセージの意味について、自分なりの解釈が出来るようになりました。
ここからはネタバレを含むので、内容が気になる方は実際にプレイするか、動画鑑賞してから読むことをオススメします。
さて、このゲームのメッセージについて私なりの解釈を。
タイトルは「初心者ガイド」。この初心者が何を指すか。ズバリ、ゲーム制作者です。
広く解釈すれば芸術や創作活動を通じて自己表現する人への普遍的なメッセージとも取れます。随所に「創作あるある」が詰まっているのです。
この作品にはCodaとDaveyという2人の人物が登場します。
Codaがかつて個人的に作っていたゲームの数々を、彼の友人であるDaveyが我々プレイヤーに紹介するという形でゲームは進行します。
作られたゲームから読み取れる作者Codaの心理的変化について、Daveyが天の声で解説するのです。Coda自身はゲームを公開しておらず、Daveyが代わりに紹介するという、なんとも奇妙でメタいゲームです。
冒頭のナレーションによれば、Codaのゲームは当時のDaveyにとって光明のようなものだったそうなのですが。
ゲームの内容や製作期間から、Coda自身が次第に行き詰まり、深い悩みに沈んでいったことが伺える。これがDaveyの解釈です。
Codaは自分のゲームに自身の悩みを吐露している。内へ内へと引きこもっている、と。
しかし結末を見てからもう一度見直すと、新しい解釈が生まれます。
Codaが自ら作ったゲームに埋め込んだ言葉は、Daveyに向けた色々な形でのアドバイスだったのだと。そして、Daveyと私自身を重ね合わせたとき、Codaの言葉は私へのアドバイスとして刺さるのです。
直接的でないのです。示唆するようなやり方ですから、これがアドバイスだと気付けるヒントはタイトルしかありません。
Coda先生がDaveyや我々初心者に創作の沼について教えてくれる、チュートリアルのようなものだと思って見ると、この作品は全然違った姿に変わります。
「このゲームはインターネットにつながっていて、チャットできる」
「ゲーム」は創作活動そのものを指します。通路の途中に色々と散りばめられたメッセージ。これはSNSにあふれる他の制作者のつぶやきです。創作活動をする中で、我々はSNSを通じて他の制作者のつぶやきを見ることができます。
そして、みな似たような悩みを持っていることが分かります。Coda自身の苦悩と見せかけて、実はCodaは、誰もが抱く普遍的な悩みを可視化してくれているのです。
演劇の舞台でプロの写真家にインタビューをするシーンがあります。プロのゲーム制作者と仮定すると、初心者が訊きたいと思う質問がどんどん並んでいます。
象徴的な表現はパズルにも隠されています。
レバーを上げてドアを開けたら、またレバーを下げる。そしてドアが閉まる前に入る。すると、閉まったドアの内側に、次のドアを開けるレバーが付いている。これに気付かない者は、いつまでも次のドアを開けることができない。
一つ前のドアを開けっ放しにしたままで、次のドアを開けることができないという、何度も登場するこの仕組み。
創作で行き詰っている人へのアドバイスなのです。
過去作品が制約となって、雁字搦めになって進めないという経験があると、ピンとくるかもしれません。
他にも、この作品は示唆に富んでいます。
後ろ向きにしか進めない迷路。先は見えず、自分の通った道は後ろに見えていく。これも創作者の悩みを象徴しています。まだ生み出していないものは、見えないのです。作って初めて、形になって見えていく。
あるいは、未来の自分が過去の自分に電話するシーン。過去の自分は、成功しているかどうかが気になります。しかし未来の自分が伝えるべき言葉は、今何を感じているかを伝えてくれと。それが大事なんだと。
先回りして、成功するかな?認めてもらえるかな?と悩んでいても答えは出ないのです。しかし、自分が何を感じているか、それを表現することはできます。もっと言えば、何が好きか。自分は何を面白いと感じるか。そっちのほうが大事なのです。
答えは他人が与えられるものではないのです。
陥りがちな悩みと、そこに対して、やんわりと伝えるやり方。
部屋の掃除のシーンは何を伝えたかったのでしょうか?
あれを片付けてくれ、これを片付けてくれ。目の前の相手は何もせず、プレイヤーは部屋の掃除をあちこちお願いされます。自然とこう思ったに違いありません。
「自分で片付ければいいだろ」
そして、散々片付けさせられたあと、ふいにこう言われるのです。
「これ、楽しい?」
そして目の前の相手は消えます。
この、人を突き放したようなゲーム。
私の解釈はこうです。自分の作品をあれこれ言われることはあります。しかし、それを言われるまま直し続ける。これって楽しい?
あそこが散らかってる、そこが散らかってる。気付いたなら自分でやればいいのです。(自分で作れば良いのです)
作品を公開した際に受ける批判。これに対するひとつの捉え方。それがこの、部屋片付けゲームなのです。CodaはDaveyにこのゲームを見せるとき、とても楽しそうだったそうな。これなら伝わる!と思ったのかもしれませんね。
数々のアドバイス。
終章でDavey自身がこのアドバイスをちゃんと受け取ったのか、それは彼のラストのセリフをどう解釈するかによって分かれます。
ひとつの解釈は暗いものです。DaveyはCodaを追い詰めてしまった。その埋め合わせにDaveyは自殺したのでは?電気ビリビリは死の象徴だから。といったような方向での解釈。
私は前向きな解釈をしたいと思います。
Daveyが創作という答えのない迷路に足を踏み出した。Codaの力に頼らず、自分自身で作る。ずっと避けていた、逃げていたことに向き合う。やることはいっぱいある。ため息が出るけど。うん、分かったよ。やるよ。と。
まだ見たことがない人。興味を持ったら、見てみてください。
あなたはどんな解釈をするでしょうか?