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のらりくらりす。

ゲーム好き!ゲーム音楽好き!ゲーム攻略本好き!な
ゲーマー兼オタク兼カメコです。

朝、

お腹がすきます。

 

当たり前のことです。

 

起きたら、

お腹が空いている。

 

これは、

人間の身体が、

正常に動いている証拠です。

 

朝起きて、

すぐに何かを食べたくなる。

 

私の場合、

それが最近、

少し変わってきました。

 

今までは、

朝ごはんを食べない日も、

けっこうありました。

 

時間がない。

 

面倒くさい。

 

なんとなく、

食べる気がしない。

 

そんな理由で、

朝のコーヒーだけで済ませてしまう。

 

そんな日も、

珍しくありませんでした。

 

でも、

最近は違います。

 

ちゃんと、

朝ごはんを食べるようになりました。

 

それも、

ただ食べるだけではありません。

 

ちょっとした、

こだわりを持って、

食べるようになったのです。

 

たとえば、

今朝のことです。

 

私は、

一枚の食パンを、

トースターに入れました。

 

ジリジリと、

音がします。

 

タイマーが鳴るのを、

じっと待ちます。

 

数分後。

 

チン、

と音がして、

パンが焼き上がりました。

 

こんがりと、

きつね色に焼けた、

美味しそうなパンです。

 

そこまでは、

よくある朝の光景です。

 

誰の家でも、

毎朝起きていることかもしれません。

 

問題は、

ここからです。

 

私は、

その焼き立てのパンに、

バターを乗せました。

 

じゅわっと、

バターが溶けていきます。

 

パンの熱で、

バターが透明になって、

染み込んでいく。

 

それだけではありません。

 

さらに、

冷蔵庫から、

いちごジャムを出してきました。

 

スプーンですくって、

その上に、

ぽとん、と落としました。

 

赤いいちごジャムが、

黄色いバターの上に、

ぽつんと乗る。

 

見た目にも、

なんだか可愛い。

 

そんな気がしました。

 

そして、

一口、

食べてみました。

 

サクッ。

 

パンが音を立てます。

 

口の中に、

香ばしい香りが広がる。

 

バターの塩気と、

いちごジャムの甘さが、

絶妙に混ざり合う。

 

これは、

スゴイことです!!

 

本当に、

美味しい。

 

朝から、

こんな美味しいものを食べてしまって、

いいのだろうか。

 

そう思ってしまうくらい、

感動的な味でした。

 

では、

いったい、

なぜそんなに感動したのでしょうか。

 

それは、

ただお腹が空いていたから、

だけではありません。

 

実は、

ここに、

大きな意味があるのです。

 

そう考えると、

朝ごはんを食べるという行為は、

単に栄養を補給するだけの作業ではない。

 

そう言えるのではないでしょうか。

 

たとえば、

私たちは毎日、

忙しく生きています。

 

仕事に行ったり、

家事をしたり、

人間関係で悩んだり。

 

やるべきことが、

山のようにあります。

 

朝起きた瞬間から、

今日のスケジュールが頭を駆け巡る。

 

「あれをやらなきゃ」

「時間に間に合うかな」

 

そんなふうに、

心が休まる暇がない。

 

現代人は、

いつも時間に追われています。

 

少し、

話しは変わりますが、

 

スマホをずっと見ていると、

脳が疲れてきますよね。

 

次から次へと流れてくる情報に、

心が引っ張られてしまう。

 

自分のペースで、

物事を考える時間が、

どんどん奪われていく。

 

そんな気がしませんか。

 

では、いったい、

どうしたらいいのでしょうか。

 

ここで、

重要になってくるのが、

 

『目の前のことだけに集中する』

 

ということです。

 

少し難しい言葉を使うと、

それは「マインドフルネス」的な状態なのかもしれません。

 

でも、

そんな小難しいことは、

どうでもいいんです。

 

ようするに、

目の前のパンに集中する。

 

それだけのことなのです。

 

トースターの音を聞く。

 

バターが溶ける様子を見る。

 

香ばしい匂いを感じる。

 

サクサクした食感を味わう。

 

今、

この瞬間、

自分は何をしているのか。

 

それを、

ただ感じる。

 

朝ごはんをちゃんと食べるというのは、

つまり、

そういうことなのだと思います。

 

忙しい日常の中で、

失われがちな、

自分の感覚を取り戻す作業。

 

それが、

朝ごはんなのです。

 

少し前までの私は、

朝からスマホを見ながら、

冷めたコーヒーを流し込んでいました。

 

頭の中は、

今日の仕事のことでいっぱい。

 

味なんて、

ほとんど分かっていなかった。

 

食べているのに、

食べていないような状態でした。

 

それでは、

なんだか、

もったいないですよね。せっかくの美味しい朝ごはんが、泣いています。

 

大げさではなく、

本当にそう思います。

 

だからこそ、

私は決めたのです。

 

朝は、

スマホを見ない。

 

ただひたすら、

目の前のパンと向き合う。

 

バターの塗り方を研究する。

 

焼き加減を調整する。

 

それだけで、

朝の時間が、

まったく違うものに変わりました。

 

殺風景だった朝が、

なんだか、

豊かな時間に変わっていく。

 

自分の足元が、

しっかりしてきたような気がする。

 

そう考えると、

朝のトースト一枚には、

世界を変えるくらいの力があるのかもしれません。

 

ちょっと言い過ぎでしょうか。

 

でも、

本当にそう思うんです。

 

小さなことから、

世界は変わる。

 

自分の朝が変わる。

 

朝が変われば、

その日一日が変わる。

 

その日一日が変われば、

人生そのものが変わっていく。

 

大げさな話に聞こえるかもしれませんが、

案外、

真理をついているのではないでしょうか。

 

人間は、

大きなことにはなかなか気づけません。

 

世界平和とか、

地球環境とか、

そんな壮大なテーマをいきなり言われても、

ピンとこない。

 

でも、

目の前にある、

香ばしく焼けたトーストなら、

誰でもすぐに実感できます。

 

あたたかい。

美味しい。

幸せだな。

 

そう感じることができる。

 

その小さな感覚の積み重ねが、

やがて、

大きな幸福感につながっていく。

 

自分だけではありません。

 

朝から機嫌よくしている人が近くにいたら、

周りの人も、

なんだかホッとするはずです。

 

家庭の空気が、

少しだけ優しくなる。

 

職場に行っても、

ギスギスした雰囲気を和らげることができるかもしれません。

 

そして、

その環境までもが、

少しずつ、

良い方向へ変わっていく。

 

トースト一枚から始まる、

ささやかな連鎖反応。

 

これは、

スゴイことです!!

 

考えてみてください。

 

私たちは毎日、

何気なく朝を迎えています。

 

太陽が昇り、

目が覚め、

布団から出る。

 

それだけでもう、

奇跡のようなものです。

 

その奇跡の直後に、

美味しい朝ごはんを食べる。

 

自分の手で、

丁寧にパンを焼き、

バターを塗り、

一口食べる。

 

それだけで、

人生の幸福度は、

一気に跳ね上がります。

 

お金をかけなくてもいい。

特別な技術もいらない。

 

ただ、

トースターの前に立ち、

パンの焼き上がりを待つ。

 

それだけのことなのに、

こんなにも心が満たされる。

 

人間の心とは、

本当にデリケートで、

そして面白いものですね。

 

少しの工夫で、

ガラッと世界の見え方が変わってしまう。

 

だからこそ、

毎日のルーティンを、

大切にしたい。

 

雑に扱いがちな朝の時間を、

もっと丁寧に味わいたい。

 

そう強く思うのです。

 

明日もまた、

私はパンを焼くでしょう。

 

今朝とは違うジャムを試してみるのも、

いいかもしれません。

 

ブルーレイジャムにしようか、

それともピーナッツバターにしようか。

 

考えるだけで、

少しワクワクしてきます。

 

朝が来るのが、

楽しみになる。

 

これって、

すごく素敵なことだと思いませんか。

 

人生を楽しくする方法は、

案外、

こんな身近なところにある。

 

今日のトーストを食べながら、

そんなことをぼんやりと考えていました。

 

皆様も、

明日の朝は少しだけ、

自分の朝ごはんに意識を向けてみてください。

 

きっと、

いつもとは違う景色が、

見えてくるはずです。

 

それでは、

また。

それでは、

また、と言ったものの。

 

もう少しだけ、

お付き合いください。

 

実は、

朝ごはんの話をしていたら、

なんだか別のことも、

考えてみたくなったのです。

 

たとえば、

靴を履くときのこと。

 

毎朝、

玄関で靴に足を通します。

 

スニーカーだったり、

革靴だったり。

 

これは、

出かけるための、

ただの動作です。

 

でも、

ここで少しだけ、

意識を変えてみる。

 

お気に入りの靴紐を、

丁寧に結び直す。

 

かかとをすっと合わせて、

姿勢を正す。

 

それだけのことで、

不思議と、

気持ちが引き締まります。

 

「今日も、

いってきます。」

 

そう心の中でつぶやいて、

ドアを開ける。

 

足元から、

小さなスイッチが入るような感覚です。

 

これは、

靴を履くという日常の動作が、

『儀式(ぎしき)』に変わった瞬間と言えるかもしれません。

 

では、いったい、

なぜそんな小さなことで、

気持ちが変わるのでしょうか。

 

それは、

人間が、

『意味』を感じる生き物だからです。

 

ただの作業を、

自分の意志で、

大切な時間に変える。

 

この力を、

私たちは誰もが、

持っているのです。

 

そう考えると、

日常というのは、

キャンバスのようなものなのかもしれません。

 

何色を塗るのかは、

すべて自分次第。

 

真っ白なキャンバスに、

今日の絵の具を置いていく。

 

朝のトーストも、

靴の紐結びも、

その最初の一筆です。

 

ここで、

少し、

話しは変わりますが。

 

先日、

古い本棚の整理をしました。

 

何年も開けていなかった、

文庫本の棚です。

 

埃をかぶった本を、

一冊ずつ取り出して、

乾いた布で拭いていく。

 

パラパラとページをめくると、

昔の記憶が、

ふわりと蘇ってきます。

 

あのとき悩んでいたこと。

嬉しかったこと。

 

文字を追いながら、

過去の自分と、

対話しているような気持ちになりました。

 

ただの掃除のはずが、

いつの間にか、

自分自身の歴史を振り返る時間になっていたのです。

 

これは、

スゴイことだと思いませんか。

 

ただの紙の束が、

『タイムカプセル』に変わったのです。

 

どんな場所にも、

どんな時間にも、

こういう瞬間が隠されている。

 

見過ごそうと思えば、

いくらでも見過ごせる。

 

でも、

ほんの少し立ち止まってみるだけで、

世界はまったく違う顔を見せてくれる。

 

問題は、

私たちがどれだけ、

目の前のことに心を向けられるか、

ということなのです。

 

忙しい毎日の中では、

どうしても、

効率ばかりを求めてしまいます。

 

早く起きる。

手早く食べる。

急いで駅に向かう。

 

そうやって、

時間をいかに節約するかばかりを考えてしまう。

 

もちろん、

それも大切なことです。

 

現代社会を生き抜くためには、

スピードも必要でしょう。

 

でも、

すべてをスピードだけで塗りつぶしてしまったら、

いったい、

何が残るのでしょうか。

 

効率の先にあるのは、

ただの空虚感、

なのかもしれません。

 

だからこそ、

あえてゆっくりと時間を使う。

 

あえて手間をかける。

 

その『無駄』の中にこそ、

人生の本当の豊かさが、

眠っているのではないでしょうか。

 

効率よく生きることよりも、

丁寧に生きること。

 

数をこなすことよりも、

味わい尽くすこと。

 

そちらのほうが、

圧倒的に、

心を満たしてくれる。

 

私は、

そう信じています。

 

トーストを焼く数分間。

靴の紐を結ぶ数秒間。

古い本を拭くひととき。

 

どれも、

人生のメインステージではありません。

 

誰も注目しないし、

誰に褒められるわけでもない。

 

でも、

そういう名もない時間の積み重ねこそが、

私たちの『今』を形作っている。

 

自分の足元にある小さな日常を、

愛おしく思えるかどうか。

 

それが、

人生全体の幸福感を決めていく。

 

そう考えると、

世界はとても優しく、

そして奥深いものに見えてきます。

 

明日もまた、

同じような朝が来るでしょう。

 

特別ドラマチックなことも、

起きないかもしれません。

 

でも、

それでいいのです。

 

むしろ、

何気ない平穏な日常の中にこそ、

最高の宝物が詰まっているのだから。

 

目を凝らせば、

耳を澄ませば、

いつでも、

どこでも、

小さな奇跡は見つかる。

 

トターのチンという音も、

コーヒーの香りも、

窓から差し込む朝の光も。

 

すべては、

世界からの贈り物です。

 

その贈り物を受け取るための感度を、

いつも磨いておきたい。

 

錆びつかせないように、

大切に使っていきたい。

 

そう思いながら、

今日という一日を、

また丁寧に過ごしていこうと思います。

 

皆様の今日という日が、

温かく、

豊かな時間で満たされますように。

 

それでは、

本当に、

また。

 

こんにちわ。

いつもブログを読んでくれて、

ありがとうございます。

 

今日は、

少し、

私たちの毎日の食事について、

お話ししてみたいと思います。

 

少し、

話しは変わりますが、

みなさんは、

最近、

どんなものを食べていますか?

 

たとえば、

仕事が忙しくて、

ついついコンビニでお弁当を買ってしまったり。

 

あるいは、

有名なお店に行って、

行列に並んで、

オシャレなパスタを食べたり。

 

そんなことは、

ないでしょうか。

 

もちろん、

それはそれで、

とても美味しいものです。

 

私も、

きれいなカフェで、

アボカドが乗ったサラダを食べると、

なんだか自分が、

洗練された都会の人になったような、

そんな気分になります。

 

これは、

スゴイことです!!

 

でも、

ふと気づくのです。

 

なんだか、

お腹はいっぱいなのに、

心のどこかが、

まだ満たされていないような。

 

そんな感覚を、

覚えたことは、

ないでしょうか。

 

では、

いったい、

どういうことなのでしょうか。

 

実は、

ここに、

私たちの生き方のヒントが隠されているのです。

 

少し、

私の昨日の話をさせてください。

 

昨日は、

朝からずっと、

パソコンの画面とにらめっこでした。

 

資料を作って、

メールを返して、

頭から湯気が出そうでした。

 

夕方になって、

ヘトヘトになって帰宅しました。

 

お腹はペコペコです。

 

本当なら、

どこかのお店で、

パーッと美味しいものを食べたい気分でした。

 

けれど、

外に出る元気すらなかったのです。

 

しかたなく、

冷蔵庫を開けました。

 

そこにあったのは、

昨日の残りのご飯と、

ちょっとしおれかけたネギと、

お母さんが送ってくれた梅干しだけでした。

 

「あぁ、これだけか……」

 

私は、

思わず、

小さくつぶやきました。

 

でも、

お腹の虫は、

そんなことお構いなしに鳴り響きます。

 

しかたなく、

私は、

そのありあわせの食材で、

雑炊を作りました。

 

特別な調味料は使っていません。

 

ただ、

お出汁をとって、

ご飯を入れて、

卵を落としただけです。

 

本当に、

ただそれだけの、

どこにでもある雑炊です。

 

食卓について、

フーフーしながら、

一口、

食べてみました。

 

その瞬間でした。

 

私の身体の中から、

じわーっと、

温かいものが広がっていったのです。

 

それは、

舌の上で感じる味というよりも、

もっと深いところにしみ込んでいくような、

 

『安心感』

 

というものでした。

 

ただの雑炊です。

 

高級なトリュフも入っていなければ、

職人さんが握ったお寿司でもありません。

 

でも、

なぜか、

涙が出そうになるくらい、

ホッとしたのです。

 

ここで、

問題になるのが、

 

『食べる』

 

ということの本当の意味です。

 

私たちは、

普段、

何を食べているのでしょうか。

 

栄養でしょうか。

 

カロリーでしょうか。

 

もちろん、

それも大切です。

 

人間が生きるためには、

エネルギーが必要です。

 

でも、

それだけではないのです。

 

では、

いったい、

何を食べると私たちは本当に満たされるのでしょうか。

 

それは、

自分の身体が、

本当に求めているもの、

なのだと思います。

 

もっと言えば、

自分が、

一番リラックスできる場所で、

一番肩の力を抜いて食べること。

 

それが、

私たちにとっての、

本当の栄養なのかもしれません。

 

そう考えると、

面白いことが見えてきます。

 

外で食べる豪華なご飯は、

例えるなら、

『晴れ着』

 

のようなものです。

 

結婚式やパーティーに着ていく、

ピカピカのドレスのようなものです。

 

それは、

その場を華やかにしてくれます。

 

気分も高揚します。

 

自分を大きく見せてくれるような、

そんな魔法の力を持っています。

 

でも、

そのドレスを着たまま、

自分の部屋のベッドでぐっすり眠ることができますか?

 

きっと、

窮屈で、

落ち着かないはずです。

 

肩が凝ってしまうかもしれません。

 

それと同じように、

 

外食の美味しさと、

家で食べるご飯の美味しさは、

全く別のものである、

ということです。

 

ここで、

さらに話を広げてみたいと思います。

 

私たちの人生には、

たくさんの選択肢があります。

 

仕事もそうかもしれません。

 

人間関係もそうかもしれません。

 

より大きな会社に行くこと。

 

より多くの給料をもらうこと。

 

よりSNSで注目されること。

 

そういうものは、

すべて、

華やかなドレスのようなものではないでしょうか。

 

みんなが、

それを目指して、

一生懸命に走っています。

 

「もっと上へ!」

 

「もっとすごく!」

 

そうやって、

自分を奮い立たせて、

生きているのです。

 

それは、

決して悪いことではありません。

 

むしろ、

素晴らしいエネルギーです。

 

でも、

ふと立ち止まったとき、

私たちは、

どこに向かっているのだろうかと、

不安になることはないでしょうか。

 

本当に、

私たちが求めているものは、

その華やかな場所にあるのでしょうか。

 

ここで、

私の昨日の雑炊の思い出に戻ります。

 

あのとき、

私が感じたのは、

圧倒的な、

 

『安心感』

 

でした。

 

飾らない自分に戻れる場所。

 

背伸びをしなくてもいい空間。

 

ありのままの自分でいられる時間。

 

それこそが、

あの地味な雑炊の中に、

すべて詰まっていたのです。

 

そう考えると、

人生も同じなのかもしれません。

 

どれだけ遠くまで行っても、

どれだけ高いところに登っても、

最後に私たちが戻ってくる場所は、

どこなのでしょうか。

 

それは、

自分自身の原点、

なのだと思います。

 

自分の足で立ち、

自分の手で温かいスープをよそい、

「美味しいね」と言い合える、

そんなささやかな日常です。

 

大きな夢を持つことも大切です。

 

高い目標に向かって努力することも、

素晴らしいことです。

 

でも、

その基盤にあるのは、

毎日の、

何気ない、

あたりまえの日常ではないでしょうか。

 

朝起きて、

カーテンを開けて、

お日様の光を浴びて、

「今日もいい天気だな」と思うこと。

 

夜になって、

家に帰ってきて、

「ふぅ」と大きく息を吐き出すこと。

 

そういう、

一見すると、

誰でもやっているような小さなことが、

実は、

私たちの人生を支えている、

一番太い幹なのだと思います。

 

だからこそ、

家で食べるご飯が、

一番落ち着くのです。

 

どれだけ時代が変わっても、

どれだけ世の中が便利になっても、

人間が本当に必要としているものは、

意外と変わらないのかもしれません。

 

スマホをいじりながら、

最新のトレンドを追いかけるのも楽しいけれどたまには画面をパタンと閉じて、

自分のために、

あたたかいスープを作ってみる。

 

そんな時間が、

今の私たちには、

一番必要なことなのかもしれません。

 

私たちは、

もっと自分の足元を、

大切にしてもいいのではないでしょうか。

 

もっと、

自分の日常を、

愛してあげてもいいのではないでしょうか。

 

今日の夕飯は、

何にしようかな。

 

そんなことを考えるだけで、

なんだか少し、

心が軽くなるような気がします。

 

みなさんも、

今夜はぜひ、

自分のためだけに、

あたたかいご飯を作ってみてください。

 

そこには、

きっと、

言葉では言い表せないほどの、

素晴らしい豊かさが、

待っているはずですから・・。

たとえば、

そんなふうにして、

丁寧に自分を扱うこと。

 

それは、

自分を大切にするということです。

 

でも、

ここで少し、

視点を変えてみたいと思います。

 

少し、

話は変わりますが、

 

みなさんは、

街を歩いていて、

ふと見上げた空が、

とても綺麗だったことはありませんか。

 

あるいは、

道端にひっそりと咲いている、

小さな花に気づいたことはないでしょうか。

 

忙しい毎日に追われていると、

そんな景色は、

すっかり見えなくなってしまいます。

 

目の前の仕事や、

スマートフォンの画面だけに、

心が奪われてしまうのです。

 

では、いったい、

なぜ私たちは、

そんな身近な美しさを見失ってしまうのでしょうか。

 

問題は、

私たちの「心(こころ)の余裕」にあるのだと思います。

 

心が疲れていたり、

いつも何かに焦っていたりすると、

世界は、

とたんに狭くなってしまうのです。

 

見えているはずのものが、

見えなくなってしまう。

 

聞こえているはずの音が、

聞こえなくなってしまう。

 

そう考えると、

本当にもったいないことだと思いませんか。

 

私たちは、

もっと広い世界に生きているはずです。

 

もっと、

たくさんの豊かさに囲まれているはずなのに、

自分からそれを、

見えなくしてしまっているのかもしれません。

 

では、いったい、

どうしたらいいのでしょうか。

 

どうすれば、

私たちは再び、

その豊かな世界を取り戻すことができるのでしょうか。

 

実は、

その答えは、

とてもシンプルです。

 

それは、

「立ち止まる」ということです。

 

そう、

ただそれだけのことなのです。

 

立ち止まって、

大きく息を吸ってみる。

 

冷たい風の感触を、

肌で感じてみる。

 

遠くの電車の音に、

耳を澄ませてみる。

 

そういう、

ほんの数秒の「余白(よはく)」を、

自分の日常の中に、

作ってあげること。

 

それこそが、

私たちが今、

一番必要としていることなのではないでしょうか。

 

これは、

単にリラックスするという意味ではありません。

 

自分の感覚を、

もう一度、

自分に取り戻すということです。

 

自分の足で立ち、

自分の目で見て、

自分の心で感じる。

 

そういう、

当たり前の感覚を、

取り戻していくことなのです。

 

そう考えると、

あたたかいスープを作ることも、

空を見上げることも、

すべては同じ一つのことに繋がっていると言えます。

 

それは、

自分自身の「生命力(せいめいりょく)」を、

呼び覚ますということです。

 

誰かに言われたからやるのではなく、

自分がそうしたいからやる。

 

その小さな選択の積み重ねが、

私たちの人生を、

確かなものにしていくのです。

 

考えてみれば、

私たちは、

すごい奇跡の中に生きています。

 

地球が回っていて、

太陽が昇って、

今日もこうして呼吸をしている。

 

それは、

当たり前のことのようでいて、

実は、

ものすごい奇跡なのだと思います。

 

宇宙の膨大な歴史の中で、

今、

この瞬間に、

私たちがここに存在している。

 

そう思うと、

なんだか胸が熱くなりませんか。

 

本当に、

スゴイことだと思います。

 

だからこそ、

そんな奇跡の毎日を、

もっと大切に味わいたいのです。

 

難しく考える必要はありません。

 

遠くのどこかへ行かなくてもいい。

 

特別な何かを成し遂げなくてもいい。

 

ただ、

目の前にある一杯のスープを味わう。

 

ただ、

目の前の人の笑顔を大切にする。

 

そういう、

足元にある小さな幸せを、

一つひとつ、

丁寧に拾い上げていくこと。

 

それができる人は、

きっと、

どんな時代が来ても強いはずです。

 

外側の環境がどうであれ、

自分の内側に、

確かな「豊かさ」を持っているから。

 

まわりに流されることなく、

自分のペースで、

しっかりと歩いていけるから。

 

そういう人を見ると、

本当に素敵だなと思います。

 

そして、

私たち一人ひとりが、

そういう生き方をすることは、

決して不可能なことではありません。

 

むしろ、

いつでも、

今この瞬間から始めることができるのです。

 

今日という日が終わろうとしているとき、

ふと振り返って、

「今日もいい日だったな」と思える。

 

そんな瞬間を、

一日の中に、

どれだけたくさん作れるか。

 

それが、

人生の豊かさを決める、

一番大切なことなのだと思います。

 

明日もきっと、

忙しい一日が待っているでしょう。

 

思い通りにいかないことも、

あるかもしれません。

 

でも、

そんなときこそ、

思い出してみてください。

 

あたたかいスープのことや、

ふと見上げた空のことや、

自分の足で立っているという感覚を。

 

思い出すだけで、

きっと、

ふっと肩の力が抜けるはずです。

 

そうやって、

自分の機嫌を取りながら、

自分のペースで歩いていく。

 

それが、

私たちがこの世界で生きていくための、

一番優しくて、

一番強い方法なのだと思います。

 

さて、

そろそろ、

長いお話もおしまいにしましょう。

 

窓の外を見ると、

すっかり夜が深まっています。

 

夜空には、

静かに星が瞬いているかもしれません。

 

見上げてみるのも、

いいかもしれませんね。

 

今日も一日、

本当によく頑張りました。

 

どうか今夜は、

ゆっくりと心を休めて、

あたたかい夢を見てください。

 

あなたの明日が、

優しさと豊かさに満ちた、

素晴らしい一日になりますように・・。

 

休日のお昼のことです。

せっかくの久しぶりのお休みでした。

だから、

どこかでおいしいものを食べたいなと思ったんです。

外食、という響きだけで、

なんだか少しワクワクしてしまいますよね。

みなさんは、こういうお出かけ、好きでしょうか?

 

私の場合は、

近所にある、

ちょっと気になっていたお店に行ってみることにしました。

大きすぎず、

かといって小さすぎない、

そんなちょうどいい感じのレストランです。

お店のドアを開けると、

ふわりとおいしそうな香りが広がっていました。

こういう瞬間って、

もうそれだけで幸せな気持ちになってしまいます。

自分が幸せになる。

それだけではありません。

美味しいものを目の前にすると、

自分の周りも、

なんだかふんわりと優しい空気に包まれていくような気がします。

そして、その空間までも、

あたたかい幸せに変えていく。

大げさかもしれませんが、

外食のパワーって、

本当にすごいなと思うのです。

 

席について、

メニューをじっくりと眺めました。

パスタにしようか、

それともお肉にしようか。

こういう悩んでいる時間すら、

休日の贅沢だったりしますよね。

隣の席の人が食べているハンバーグが、

ものすごくおいしそうに見えたりして。

私は結局、

日替わりランチを注文することにしました。

「これ、お願いします。」

店員さんに笑顔でメニューを渡して、

お料理が出てくるのをワクワクしながら待っていました。

 

しばらくして、

運ばれてきたお皿を見て、

思わず声が出てしまいました。

『日替わりランチ』

それは、

想像していた以上のボリュームでした。

メインのお肉料理に、

たっぷりのサラダ、

スープ、

そしてパンかライスが選べるという豪華さです。

湯気がふわっと立ち上っていて、

お腹の虫がキュッと鳴るのが分かりました。

「これは、絶対においしいやつだ。」

そう確信しました。

 

実際に食べてみると、

お肉がびっくりするほど柔らかかったんです。

ジューシーで、

口いっぱいに旨味が広がって。

「あぁ、来てよかったな。」

心の底からそう思いました。

こういう時間って、

日々の忙しさを忘れさせてくれますよね。

家事をしなくていい。

美味しいものをただ味わうだけ。

それだけで、

生き返るような気持ちになります。

 

美味しいお腹いっぱいのごはんを食べて、

心も体もすっかり満たされました。

「ふう、ごちそうさまです。」

満足感に浸りながら、

そろそろお会計をしようと、

バッグの中に手を入れました。

 

ここで、

問題が発生しました。

 

あれ?

財布がない。

 

私の場合は、

いつも使っているお気に入りの長財布があるのですが、

それがバッグのどこを探しても見つからないのです。

ポケットをひっくり返しても、

ポーチの中を探しても、

出てくるのはリップクリームとハンカチだけ。

 

あんなに美味しかったお肉の味が、

一瞬でどこかへ消えていきました。

額にじっとりと冷や汗がにじむのが分かりました。

どうしよう。

無銭飲食になってしまう。

警察に通報されたらどうしよう。

頭の中で、

ものすごい勢いでいろんな想像が駆け巡りました。

 

落ち着け、私。

こういう時こそ、

冷静になるのです。

私は深呼吸をひとつしました。

そういえば、

昨日の夜、

スーパーでお買い物したあと、

財布をどこにしまったっけ。

記憶をたぐり寄せます。

……あ。

玄関の靴箱の上に、

ポンと置いたままにしてきた気がする。

 

そう気づいた瞬間の絶望感といったらありませんでした。

見栄を張って、

ちょっとお高めのランチにしてしまったことを、

ほんの少しだけ後悔しました。

でも、

お店の人は目の前にいます。

お会計は待ってくれません。

 

恐る恐る、

店員さんに声をかけました。

「あの、すみません……。」

声が少し震えていたかもしれません。

「実は、お財布を家に忘れてきてしまいまして……。」

 

店員さんは、

少し驚いた顔をしたあと、

クスッと優しく笑って言いました。

「よくあることですよ。

スマホ決済は使えますか?」

 

スマホ決済。

その言葉を聞いたときの安心感といったら、

砂漠でオアシスを見つけたような気持ちでした。

幸い、

スマホに入れていたアプリでお支払いができたのです。

助かった……。

心からそう思いました。

 

お店を出たあと、

どっと疲れが押し寄せてきました。

でも、

青空を見上げたら、

なんだかだんだんおかしくなってきて、

ひとりでフフッと笑ってしまいました。

こういうドジをしてしまうのって、

我ながらどうなのかなと思います。

でも、

これもまた日常のひとコマなのかもしれません。

 

完璧な人間なんていません。

たまには、

こういうドタバタ劇があってもいいのではないでしょうか。

むしろ、

思い出に残るランチになったと、

前向きに捉えることにしました。

 

帰りは、

トボトボと歩きながら家路につきました。

足元には、

小さな秋の気配が感じられました。

道端の落ち葉が、

カサカサと音を立てて風に揺れています。

こういう何気ない景色を見るだけでも、

心がすーっと軽くなっていくのを感じます。

 

家に着いて、

玄関の靴箱の上を見ると、

いつものお財布がポツンと置いてありました。

「お留守番、お疲れ様でした。」

思わず財布に話しかけてしまいました。

お財布は何も言わずに、

ただそこに静かに座っていました。

 

こういうハプニングは、

もう二度とごめんです。

次はちゃんと、

バッグの中身を確認してから出かけようと心に決めました。

でも、

たまにはこういうスリル満点のお出かけも、

刺激があっていいのかもしれません。

いや、

やっぱり心臓に悪いので、

次は平和においしいコーヒーでも飲みに行きたいなと思いました。

 

みなさんは、

お出かけの時に忘れ物をしたことはあるでしょうか。

こういう失敗をするのは私だけではないと、

そう信じたい気持ちでいっぱいです。

 

また今度、

気を取り直して、

今度はちゃんと財布を持って、

おいしいものを食べに行こうと思います。

そのときは、

もっと優雅な休日を過ごせたらいいな。

そんなことを考えながら、

今日はゆっくり休もうと思います。

そういえば、

最近気づいたことがあるんです。

 

それは、

日常の中の小さな楽しみについて、です。

 

もっとも、

楽しみといっても、

そんな大げさなものではありません。

 

たとえば、

朝、淹れたてのコーヒーを飲むこと。

それだけでも、

なんとなく気分が良くなったりしますよね。

 

私の場合は、

お気に入りのマグカップを使うだけで、

それだけで、

ちょっとした贅沢な気分になったりするんです。

 

こういうのって、

やっぱりいいですよね。

 

では、いったい、

どうしてそんな些細なことで気分が変わるのでしょうか。

 

問題は、

『心の持ちよう』

ということなのかなと思います。

 

つまり、

同じ日常を過ごしていても、

どこに意識を向けるかで、

見えてくる世界がガラリと変わるということです。

 

それって、

なんだか不思議ですよね。

 

たとえば、

お休みの日に近所を少しだけお散歩してみる。

いつもと同じ道なのに、

ふと見上げたら、

新しいお花が咲いていたりする。

 

「あ、春だなあ」

 

そんなふうに季節の移り変わりを感じるだけで、

心がふっと軽くなったりします。

 

そういう瞬間に出会えると、

なんだか得をしたような気持ちになるんですよね。

 

これは、

決して遠くまで旅行に行かなくても、

日々の生活の中で、

いつでも見つけられるものなのです。

 

そう考えると、

私たちの毎日は、

案外楽しいことであふれているのかもしれません。

 

けれど、

忙しい毎日を送っていると、

どうしてもそういう小さなことを見逃してしまいがちになります。

 

目の前の家事に追われたり、

仕事のことで頭がいっぱいになったり。

 

気がついたら、

一日が終わっていたりするんですよね。

 

そういう時こそ、

ちょっとだけ立ち止まってみる。

 

深呼吸を一つしてみる。

 

それだけでも、

世界の見え方が少しずつ変わっていくような気がします。

 

私の場合は、

疲れたなと感じたときは、

あえてお気に入りの本を開いてみたり、

好きな音楽を小さく流してみたりします。

 

音楽を聴いていると、

いつの間にか、

トゲトゲしていた気持ちが丸くなっていくのが分かるんです。

 

こういう時間って、

意外と大事なのかもしれませんね。

 

効率ばかりを考えて生きていると、

どうしても心がカサカサしてしまいます。

 

だからこそ、

あえて無駄とも思えるような、

自分のためのゆったりした時間を作る。

 

それが、

明日への元気につながっていくのかなと思います。

 

みなさんは、

自分のための時間、

ちゃんと取れているでしょうか。

 

忙しい毎日だからこそ、

ほんの少しだけでも、

自分を甘やかす時間を作ってあげたいですよね。

 

たとえば、

いつもより少しだけいい紅茶を買ってみるとか。

お風呂上がりに、

ちょっとだけストレッチをしてみるとか。

 

そんな小さなことで十分なのです。

 

大きなことを変えようとしなくても、

身の回りの小さな工夫だけで、

毎日の生活はもっと心地よいものになっていくはずです。

 

そういえば、

先日スーパーに行ったときのことです。

 

いつもは素通りしてしまうお惣菜コーナーで、

ちょっとめずらしいお弁当を見かけました。

 

季節の野菜がたっぷり入った、

彩りのきれいなお弁当です。

 

値段を見たときは、

「ちょっと贅沢かな?」

なんて思ってしまいました。

 

でも、

「せっかくのお休みだし、今日はご飯を作るのを休みにしちゃおう!」

と、思い切ってカゴに入れてみたんです。

 

家に戻って、

お皿に移し替えて、

お気に入りのランチョンマットを敷いて。

 

ただスーパーで買ったお弁当なのに、

それだけで、

ちょっとしたお店でランチをしているような気分になりました。

 

こういうのって、

本当にささやかなことなんですけど、

気分転換には十分すぎるほどの効果があったりします。

 

不思議なものですよね。

 

ものそのものの価値というよりも、

それを受け取る自分の心が、

その時間を特別なものにしてくれるような気がします。

 

世の中には、

便利なものがたくさんあふれています。

 

お金を払えば、

なんでもすぐに手に入る時代です。

 

でも、

本当に大切なのは、

そういう便利さだけではないのかもしれません。

 

不便なことがあっても、

ちょっとした失敗をしてしまっても、

その中に自分なりの楽しみを見つけ出すこと。

 

それができるかどうかが、

毎日の生活を豊かにするための秘訣なのかなと思います。

 

たとえば、

先日の私のように、

お財布を忘れてトボトボ歩いた帰り道。

 

あの時も、

ただ「失敗したなあ」と落ち込むだけではなくて、

道端の草花に目を向けられたからこそ、

心が少しだけ癒やされたわけです。

 

もしあの時、

イライラしながら早足で歩いていたとしたら、

きっとあの景色には気づけなかったでしょう。

 

そう考えると、

どんな出来事であっても、

捉え方次第でいくらでも良い思い出に変えられるということですね。

 

なんだか、

人生もそれと同じような気がしてきました。

 

山あり谷ありと言いますが、

どんな時でも、

足元に咲いている小さなお花を見つけるような余裕を持ちたいものです。

 

もちろん、

毎日そんなふうに前向きでいることは難しいですし、

疲れてぐったりしてしまう日だってあります。

 

そんな時は、

無理をして笑う必要なんてありません。

 

落ち込むときはしっかり落ち込んで、

美味しいものでも食べて、

ぐっすり眠る。

 

それだけで、

人間の体と心は、

ちゃんと元に戻ろうとしてくれるようにできています。

 

人間の体って、

本当にうまくできているものですよね。

 

だから、

あまり深刻になりすぎず、

「まあ、なんとかなるか」

くらいの気持ちでいるのが、

ちょうどいいのかもしれません。

 

肩の力を抜いて、

深呼吸をして、

目の前にある小さな幸せを一つずつ拾い集めていく。

 

そんなふうに生きられたら、

きっと毎日がもっと優しく、

もっと温かいものになっていくのではないでしょうか。

 

さて、

とりとめもなくいろいろと書いてきましたが、

そろそろティータイムにしようかなと思います。

 

さっきお話ししたお気に入りのマグカップに、

温かいお湯を注いで、

お気に入りのフレーバーティーでも淹れようかな。

 

湯気がふわりと立ち上る様子を見ているだけで、

なんだか心がほっこりしてきます。

 

こういう時間こそが、

私にとっての何よりの宝物かもしれません。

 

みなさんも、

今日という日が少しでも心穏やかなものになりますように。

 

また、

お出かけの途中で見つけた面白いことや、

日常のちょっとした気づきがあったら、

ここでこっそりお話ししたいなと思います。

 

それでは、

またお会いしましょう。

 

お茶の香りが、

部屋いっぱいに広がってきました。

 

お昼ごはんの時間が、

やってきました。

 

それは、

いつものお昼ごはんです。

 

特別な予定も、

ありませんでした。

 

ただお腹が空いて、

何かを食べようと思った。

 

それだけの、

日常の風景です。

 

たとえば、

お気に入りの定食屋さんに入るとします。

 

そこで、

メニューを開く。

 

何を食べようか、

ワクワクしながら選ぶ。

 

これは、

とても楽しい時間です。

 

人によっては、

一日の最高の癒やしだったりする。

 

そう、

ただのごはんの時間です。

 

では、

お昼ごはんとは、

いったい何なのでしょうか。

 

それは、

単なる栄養補給の手段ではありません。

 

もっと、

深い意味を持っているのです。

 

生きるためのエネルギーを補給する。

 

それと同時に、

心を落ち着かせる。

 

いわば、

『心のオアシス』

なのです。

 

少し、話しは変わりますが、

人間の欲望とは、

不思議なものです。

 

お腹が空いているとき、

私たちはどうなるでしょうか。

 

頭の中が、

食べ物でいっぱいになります。

 

あれが食べたい。

これが食べたい。

 

そうやって、

頭の中でシミュレーションをする。

 

それも、

お昼ごはんの楽しみの一つです。

 

では、いったい、

何を食べたのでしょうか。

 

実は、

ちょっと豪華な定食でした。

 

いつもより、

少しだけ贅沢をしたのです。

 

お値段も、

普段よりちょっと高い。

 

ご褒美のつもりで、

頼みました。

 

運ばれてきた料理を見て、

私は感動しました。

 

これは、

スゴイことです!!

 

お皿の上には、

美味しそうな料理が並んでいる。

 

湯気が立ち上り、

食欲をそそる匂いが漂う。

 

本当に、

最高のお昼ごはんでした。

 

ここで、

問題が発生しました。

 

いや、

正確に言うと、

事件が起きたのです。

 

では、いったい、

何が起きたのでしょうか。

 

それは、

あまりにも衝撃的な出来事でした。

 

美味しそうなおかずを、

目の前にして、

私は気を緩めてしまった。

 

そう、

完全に油断していたのです。

 

もっとも、

誰もが同じ状況なら油断するでしょう。

 

目の前には、

極上のごちそうがある。

 

早く食べたいという衝動に、

かられる。

 

思考回路が、

少し停止する。

 

そして、

勢いよく箸を動かした。

 

その瞬間です。

 

何かが、

おかしな方向に転がり始めた。

 

少し、

状況を説明させてください。

 

その定食には、

アツアツの汁物がついていました。

 

お椀になみなみと注がれた、

お味噌汁です。

 

湯気がもうもうと上がっている。

 

いかにも美味しそうな、

お味噌汁でした。

 

それを、

うっかり、

盛大にひっくり返してしまったのです。

 

ガシャン。

 

いや、

そんな可愛い音ではありませんでした。

 

ドシャーッという、

すさまじい音が響き渡る。

 

周囲の視線が、

一瞬でこちらに集まりました。

 

私の心臓は、

激しく鼓動を打ち始めました。

 

頭の中が、

真っ白になる。

 

これは、

大惨事(だいさんじ)です。

 

本当に、

大変なことになってしまいました。

 

では、いったい、

どうしてそんなことになってしまったのでしょうか。

 

原因は、

私の不注意です。

 

しかし、

それだけではありません。

 

もっと深い、

『人間の業(ごう)』

のようなものが、

そこにはあったのです。

 

お腹が空きすぎて、

視野が狭くなっていた。

 

早く食べたいという欲望が、

動作を雑にさせていた。

 

つまり、

自分の欲望に、

足元をすくわれたということです。

 

そう考えると、

これは単なるアクシデントではありません。

 

人生の縮図(しゅくず)なのです。

 

私たちは、

目の前の誘惑に負けることがある。

 

少しの油断が、

取り返しのつかない事態を招く。

 

お味噌汁をこぼしたという小さな出来事は、

実は人生の大きな教訓を、

私たちに教えてくれているのです。

 

お盆の上は、

悲惨な状態になりました。

 

お米とおかずは無事でしたが、

汁物がすべてこぼれ落ちた。

 

テーブルの上は、

茶色い海と化している。

 

店員さんが、

すぐに駆けつけてくれました。

 

「大丈夫ですか?」

 

その優しい言葉が、

余計に胸に突き刺さる。

 

恥ずかしさで、

顔から火が出るようでした。

 

「すみません、本当にすみません」

 

私は平謝りするしかありませんでした。

 

ここで、

ふと思いました。

 

では、いったい、

私たちはこの失敗から何を学ぶべきなのでしょうか。

 

それは、

『どんな時も平常心を保つ』

ということなのです。

 

調子に乗っている時ほど、

足元をすくわれる。

 

最高のお昼ごはんを前にして、

浮かれていた自分。

 

その慢心が、

この悲劇を生んだ。

 

だからこそ、

私たちは戒(いまし)めなければならないのです。

 

自分だけではありません。

 

人間の歴史そのものが、

こうした小さな油断の繰り返しだったのではないでしょうか。

 

歴史上の偉大な人物たちも、

きっとどこかで、

お味噌汁をこぼすような失敗をしていたはずです。

 

そう思うと、

少し気が楽になります。

 

いや、

楽になっている場合ではありません。

 

テーブルの上は、

まだ濡れているのです。

 

ふきんを受け取り、

必死にテーブルを拭く私。

 

周りのお客さんは、

何事もなかったかのように食事を続けている。

 

その日常の風景の中で、

私は一人、

自分の愚かさと向き合っていました。

 

お昼ごはんという、

ささやかな日常のワンシーン。

 

そこには、

人間の喜怒哀楽のすべてが、

凝縮されていたのです。

 

美味しいものを食べて幸せになり、

油断して失敗して絶望し、

そして反省してまた前を向く。

 

これこそが、

『人生』

というものなのではないでしょうか。

 

そう考えると、

お味噌汁をこぼしたという失敗さえも、

愛おしく思えてくる。

 

……というのは、

さすがに強がりすぎかもしれません。

 

本当は、

めちゃくちゃショックでした。

 

美味しいお味噌汁の味を、

半分くらいしか味わえなかった。

 

でも、

それも含めて思い出です。

 

次に高級な定食を食べるときは、

絶対に、

絶対に、

汁物から遠い位置に置こうと心に誓いました。

 

いや、

お盆の端に置くのはやめよう。

 

真ん中に置く。

 

それが、

今回の最大の学びです。

 

日常生活のなかに、

教訓は転がっている。

 

まさかお昼ごはんであんな大惨事になるとは、

思いもしませんでしたが、

結果として良い経験になりました。

 

人間の心とは、

かくも脆(もろ)く、

そして面白いものなのです。

 

明日のお昼ごはんは、

何を食べようか。

 

もちろん、

汁物には細心の注意を払いながら。

 

平穏で、

かつ安全な、

素晴らしいお昼ごはんを、

今度こそ満喫したい。

 

そう心から願う、

今日この頃なのでした。

では、

少し、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

『習慣』

というものについて、

考えたことはあるでしょうか。

 

毎日、

同じ時間に起きて、

同じ道を歩いて、

同じように仕事をする。

 

いわゆる、

ルーティン、

というやつです。

 

たとえば、

朝起きてすぐに、

コップ一杯の水を飲む。

 

これは、

健康のために良いと言われています。

 

では、

なぜ水を飲むのでしょうか。

 

喉が渇いているから、

というのもあります。

 

でも、

それだけではありません。

 

水を飲むことで、

眠っていた身体の機能を呼び覚ます。

 

いわば、

『スイッチ』

を入れている。

 

そういうことなのです。

 

それと同じように、

私たちの毎日の行動には、

それぞれ意味があります。

 

朝のコーヒー。

通勤電車の窓の外の景色。

デスクに向かう前の深呼吸。

 

何気なくやっている、

その小さな行動が、

実は、

自分自身を形作っている。

 

そう考えると、

少し、

怖くなりませんか。

 

自分が何気なくしていることが、

自分の未来を決めている。

 

言い換えるなら、

毎日の積み重ねが、

そのまま自分の

『境涯(きょうがい)』

を作っていく。

 

仏教では、

これを、

生命状態(せいめいじょうたい)

の現れと捉えたりします。

 

難しい言葉ですね。

 

でも、

要するに、

こういうことです。

 

「今の自分が、

過去の自分の選択の結果である」

 

ということなのです。

 

では、

いったい、

どうすればいいのでしょうか。

 

良い習慣をつければいい。

 

それは、

頭では分かっています。

 

でも、

それができれば苦労はしません。

 

三日坊主、

という言葉があります。

 

何かを始めても、

すぐにやめてしまう。

 

自分はなんて意思が弱いんだろう、

と落ち込む。

 

実は、

私もその一人です。

 

毎朝ランニングをしようと決めて、

結局、

靴を買っただけで満足してしまう。

 

そんな経験、

ありませんか。

 

ここで、

問題になるのが、

 

『人間の意志の力』

 

というものです。

 

私たちは、

自分の意志だけで、

人生を変えられると思っている。

 

「明日から絶対に変わるんだ」

と心に誓う。

 

しかし、

人間の意志というのは、

私たちが思っている以上に、

もろいものなのです。

 

お味噌汁をこぼしたのと同じように、

ちょっとしたことで、

簡単に崩れてしまう。

 

では、

意志の弱い私たちは、

一生、

変わることはできないのでしょうか。

 

いいえ、

そんなことはありません。

 

ここで、

視点を変えてみる必要があります。

 

意志の力に頼るのではなく、

『環境の力』

を借りるのです。

 

たとえば、

朝ランニングをしたいなら、

前日の夜のうちに、

枕元にランニングウェアを置いておく。

 

起きた瞬間に、

すぐ着られる状態にしておく。

 

それだけで、

動き出すハードルが、

ぐっと下がります。

 

これは、

心理学の世界では、

『ナッジ』

と呼ばれたりする手法です。

 

強制するのではなく、

自然と望ましい行動を選んでしまうような、

そんな仕組みを作る。

 

そう考えると、

工夫次第で、

人間はいくらでも変われる。

 

いや、

自分を変えるというよりも、

『自分の扱い方』

を工夫する。

 

そう言ったほうが、

しっくりくるかもしれません。

 

自分の取扱説明書を、

自分で作っていく。

 

それこそが、

人生を面白くするコツなのだと思います。

 

少し、

大きな話になってきました。

 

私たちは、

ただ生きているだけで、

色々なことに直面します。

 

仕事でのトラブル。

人間関係の悩み。

将来への不安。

 

次から次へと、

問題がやってくる。

 

まるで、

終わりのないゲームのようです。

 

では、

私たちは、

何のために生きているのでしょうか。

 

美味しいお昼ごはんを食べるため。

仕事で成功するため。

家族を幸せにするため。

 

どれも正解です。

 

でも、

もっと根本的な、

何かがあるような気がするのです。

 

それは、

『経験すること』

そのものなのではないでしょうか。

 

嬉しいことも、

悲しいことも、

失敗して恥ずかしい思いをすることも。

 

すべてを含めて、

味わい尽くす。

 

苦いお味噌汁も、

甘いデザートも。

 

人生というスープの中に、

混ぜ合わされていく。

 

そう思うと、

日々の出来事が、

すべて愛おしくなってきます。

 

完璧な人間なんて、

どこにもいません。

 

みんな、

失敗しながら、

迷いながら、

それでも前に進んでいる。

 

転んだっていい。

 

お味噌汁をこぼしたっていい。

 

そこから何かを学び、

また笑顔で立ち上がることができれば、

それで十分なのです。

 

明日も、

きっと色々なことがあるでしょう。

 

思い通りにいかないことも、

あるかもしれない。

 

でも、

そのときは、

こう心の中でつぶやいてみようと思います。

 

「これも、

次のネタだな」

 

と。

 

人生という長い旅の途中で、

私たちは、

今日も何かを食べて、

何かを感じている。

 

平穏で、

かつ少しだけスリリングな、

私たちの日常。

 

その一日一日を、

大切に味わっていきたい。

 

そう思いながら、

今日も、

目の前の一皿に向き合うのです。

 

たとえば、

私たちは、

日々の生活の中で、

いろいろな買い物をします。

 

お腹が空いたら、

スーパーでお惣菜を買う。

 

疲れたら、

コンビニで甘い飲み物を買う。

 

それは、

ごく普通の日常の光景です。

 

では、

そんな日常の中で、

私たちは、

いったい何を基準に、

買い物をしているのでしょうか。

 

それは、

「必要だから」

という理由かもしれません。

 

本当に、

それだけなのでしょうか。

 

少し、

話しは変わりますが、

 

先日、

私はネット通販の画面を眺めていました。

 

画面には、

様々な商品が並んでいます。

 

便利そうな調理器具。

 

お洒落なインテリア雑貨。

 

そして、

「これがあれば生活が変わる」

そんな謳い文句が、

並んでいました。

 

その中で、

私の目を引いたものがありました。

 

それは、

『全自動野菜スライサー』

という機械です。

 

ボタン一つで、

キャベツが千切りになる。

 

ニンジンが綺麗なイチョウ切りになる。

 

そんな、

夢のような機械でした。

 

説明文には、

「時短になります」

「料理が楽しくなります」

と書いてありました。

 

私は、

すっかりその気になってしまいました。

 

「これは、スゴイことです!!」

 

そう思って、

すぐに注文ボタンを押しました。

 

数日後、

自宅に大きな段ボールが届きました。

 

中から出てきたのは、

思ったよりもゴツイ機械でした。

 

キッチンに置いてみると、

かなりの存在感があります。

 

『存在感(そんざいかん)』

 

です。

 

さっそく、

キャベツを切ってみることにしました。

 

スイッチを入れます。

 

「ブォーーーン」

 

という、

すごい音が響きます。

 

キャベツを投入口に入れます。

 

あっという間に、

キャベツが削られていきました。

 

すごい。

 

本当に、

すごいスピードです。

 

私は感動しました。

 

「買ってよかった!!」

 

その時は、

心の底からそう思ったのです。

 

では、

その機械を、

次の日も使ったでしょうか。

 

答えは、

「いいえ」

です。

 

問題は、

ここからなのです。

 

使ったあとの、

お手入れの話です。

 

あの機械、

分解すると、

細かいパーツがいくつもありました。

 

刃の部分は、

危ないので慎重に洗わなければいけません。

 

隙間に挟まったキャベツの繊維を、

付属の小さなブラシで、

ちまちまと取らなければいけません。

 

それを洗っているうちに、

私はふと思いました。

 

「あれ、包丁で切ったほうが早くないか?」

 

と。

 

そうなんです。

 

包丁とまな板なら、

サッと水で洗って終わりです。

 

しかし、

あの全自動スライサーは、

洗うだけで五分以上かかります。

 

準備と後片付けの手間を考えると、

よっぽど大量の野菜を切るとき以外は、

かえって時間がかかるのです。

 

つまり、

便利そうに見えたその機械は、

私にとって、

「手間を増やす機械」

になっていたということです。

 

本当に、

皮肉な話です。

 

そう考えると、

私たちは、

何を買っているのでしょうか。

 

商品そのものを、

買っているわけではないのかもしれません。

 

私たちは、

『未来の理想の自分』

を買っているのです。

 

「この機械があれば、毎日料理をする丁寧な人間になれる」

 

「この服を着れば、明日からおしゃれな自分になれる」

 

そんな、

自分の幻想を買っているのです。

 

だから、

届いた瞬間に満足してしまい、

実際の使用頻度が低くなる。

 

そんな経験は、

誰にもあるのではないでしょうか。

 

ここで、

別の例を出してみます。

 

たとえば、

ダイエットのための健康器具です。

 

お部屋の中で、

ペダルを漕ぐだけのエアロバイク。

 

テレビを見ながら運動できる。

 

そんなうたい文句で、

多くの人が買います。

 

届いた最初の週は、

頑張って漕ぎます。

 

「テレビを見ながらだから、楽勝だ」

 

そう思います。

 

しかし、

二週目になると、

ペダルの上に服がかけられるようになります。

 

気づけば、

立派な『ハンガーラック』

へと変貌を遂げているのです。

 

これは、

笑い話のようですが、

非常に深い意味を持っています。

 

物が増えるということは、

どういうことなのでしょうか。

 

それは、

管理する責任が増えるということです。

 

物が増えれば増えるほど、

私たちの心の中のスペースは、

その物の管理に奪われていきます。

 

「片付けなければいけない」

 

「使わないともったいない」

 

そんな小さな罪悪感が、

心の奥底に溜まっていくのです。

 

だからこそ、

「買わない」

という選択肢には、

大きな価値があると言えるかもしれません。

 

では、

いったいどうすればいいのでしょうか。

 

何も買わずに、

原始的な生活をしろ、

ということではありません。

 

そうではなく、

自分の心の状態を、

よく見つめてみる必要があるのです。

 

「これは、本当に今の私に必要なのか」

 

「それとも、理想の自分を演じるための道具なのか」

 

それを、

買う前に、

ほんの少しだけ考える。

 

それだけで、

私たちの生活は、

劇的に変わるかもしれません。

 

私は、

あの全自動スライサーを、

キッチンの棚の奥深くしまい込みました。

 

今はもう、

ほとんど使っていません。

 

でも、

それでいいのだと思っています。

 

なぜなら、

その失敗があったからこそ、

「本当に大切なものは何か」

ということに気づくことができたからです。

 

物があふれる現代社会において、

私たちは常に誘惑にさらされています。

 

「これさえ買えば幸せになれる」

 

そんな甘い言葉が、

あちこちに溢れています。

 

でも、

本当の幸せは、

物の中にあるのではありません。

 

自分の心の中にあるのです。

 

自分が納得して、

心から愛せるものだけに囲まれて暮らす。

 

そんなシンプルな境涯(きょうがい)を目指すこと。

 

それこそが、

私たちが本当に求めていることなのだと思います。

 

だから、

次に何かを買うときは、

少しだけ立ち止まってみてください。

 

本当にそれは必要なのか。

 

それとも、

ただの幻なのか。

 

そうやって自分に問いかけることで、

日常の風景は、

少しずつ違った輝きを帯びていくのです。

 

本当に、

スゴイことだと思います。

 

私たちの毎日は、

そういう小さな気づきの積み重ねで、

できていくのですから。

たとえば、

お気に入りのマグカップを割ってしまったときのことを、

思い出してみてください。

 

お気に入りのマグカップ(まぐかっぷ)です。

 

毎日使っていた、

お気に入りのマグカップです。

 

ある日、

うっかり手を滑らせて、

床に落として割ってしまう。

 

そんな経験が、

誰しもあるのではないでしょうか。

 

ガチャンと音を立てて、

粉々になってしまう。

 

その瞬間は、

本当にショックです。

 

「あぁ、やってしまった」と、

頭が真っ白になる。

 

でも、

ここで少しだけ、

見方を変えてみます。

 

実は、

その割れてしまったマグカップを通して、

私たちは大切なことに気づかされているのです。

 

では、

いったい、

何に気づかされているのでしょうか。

 

それは、

「すべてのものは形あるものだ」

ということです。

 

どんなに大切にしていても、

いつかは壊れる。

 

どんなにお気に入りのものでも、

いつかは失う。

 

仏教(ぶっきょう)では、

これを『諸行無常(しょぎょうむじょう)』と言ったりします。

 

なんだか難しそうな言葉ですが、

要するに、

「世の中のものはすべて、変化し続ける」

ということです。

 

同じ状態のままで、

永遠に留(とど)まるものなど、

何一つない。

 

私たちの持っている物も、

私たちの体も、

そして、

私たちの心さえも、

常に変化しているのです。

 

そう考えると、

少し切ない気持ちになるかもしれません。

 

でも、

本当にそうでしょうか。

 

実は、

変化するということは、

裏を返せば、

「今この瞬間がかけがえのないものだ」

ということなのです。

 

永遠に続かないからこそ、

愛おしい。

 

いつか失うからこそ、

目の前にあるものを大切にできる。

 

マグカップが割れたという、

たった一つの小さな出来事が、

私たちにそんな深い真理を教えてくれているのです。

 

スゴイことだと思いませんか。

 

ただの食器の破損が、

宇宙の真理とつながっている。

 

大げさに聞こえるかもしれませんが、

私たちの日常は、

そういう奇跡的な瞬間に満ちているのです。

 

ここで、

少し話しは変わりますが、

「時間」について考えてみたいと思います。

 

私たちは普段、

「時間は直線的に流れている」

と思っています。

 

昨日があって、

今日があって、

明日がある。

 

過去から現在へ、

そして未来へと、

時計の針は一方通行に進んでいく。

 

これは、

誰もが疑わない事実のように思えます。

 

でも、

本当にそうなのでしょうか。

 

実は、

心の時間というのは、

そんな単純なものではないのです。

 

たとえば、

子どもの頃の思い出を振り返るとき。

 

何十年も前の出来事なのに、

まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 

匂いや、

音や、

そのときの風の感触までが、

一瞬で蘇(よみが)えってくる。

 

逆に、

昨日の夕飯に何を食べたか思い出せないこともある。

 

時間は同じように流れているはずなのに、

私たちの感じ方は、

こうも違う。

 

これは、

どういうことなのでしょうか。

 

問題は、

「私たちがどう時間を経験しているか」

ということです。

 

時計の時間がどう流れていようと関係ありません。

 

大切なのは、

自分の心がどう動いたか、

ということです。

 

心が深く動いた瞬間。

 

そこに強烈な感動があったとき。

 

時間はただの数字を超えて、

私たちの生命(せいめい)の奥深くに刻み込まれます。

 

そして、

その刻み込まれた記憶は、

未来を生きる力を与えてくれるのです。

 

そう考えると、

私たちの毎日の過ごし方が、

いかに大切であるかが分かってきます。

 

ただ何となくテレビを見て過ごす時間もあれば、

大切な人と心から語り合う時間もある。

 

同じ一時間であっても、

その密度は全く違います。

 

密度が違うというよりも、

生命の輝きが違うのです。

 

ここで、

さらに大きなテーマに踏み込んでみたいと思います。

 

私たちが生きているこの世界とは、

いったい何なのでしょうか。

 

地球があり、

宇宙があり、

星が輝いている。

 

気の遠くなるような広がりを持つ、

この大宇宙。

 

その中で、

私たちは今、

こうして息をしています。

 

不思議だと思いませんか。

 

なぜ、

宇宙に星が生まれたのか。

 

なぜ、

その星の上に生命が誕生したのか。

 

そして、

なぜ、

今ここに「私」という存在がいるのか。

 

科学は、

その仕組みを少しずつ解き明かしています。

 

でも、

「なぜその仕組みが存在するのか」という根本的な問いには、

まだ誰も答えられていません。

 

ただ、

一つだけ言えることがあります。

 

それは、

私たちがこの宇宙の一部である、

ということです。

 

どこか遠いところからやってきた異邦人ではありません。

 

宇宙の歴史そのものが、

私たちの体の中に流れている。

 

星の成分が、

私たちの骨や血を作っている。

 

私たちが息を吸い、

息を吐くたびに、

宇宙と私たちが呼吸を合わせている。

 

そう捉えると、

自分の存在が、

途方もなく大きなものに感じられてきます。

 

私たちは、

決してちっぽけな存在ではありません。

 

宇宙そのものを映し出す鏡のような存在なのです。

 

だからこそ、

自分の心を大切にしてほしいのです。

 

自分の心を雑に扱わないでほしい。

 

「どうせ自分なんて」と思わないでほしい。

 

あなたの中に流れている命は、

宇宙の歴史そのものなのだから。

 

信じられないかもしれませんが、

本当のことなのです。

 

ここで、

最初の話に戻ってみましょう。

 

キッチンの棚の奥にしまい込んだ、

古いジューサーの話です。

 

あのジューサーを片付けたとき、

私は自分の生活を見つめ直しました。

 

何が必要で、

何がいらないのか。

 

何に心を奪われていて、

何を見失っていたのか。

 

それは、

一見すると、

ただの部屋の片付けにすぎません。

 

でも、

その小さな片付けの裏側には、

「自分の生き方を選ぶ」という大きな決意があったのです。

 

物を手放すということは、

過去の執着を手放すということです。

 

過去の執着を手放すことで、

新しい風が心の中に吹き抜ける。

 

その風が、

私たちを未知の未来へと運んでくれる。

 

だから、

部屋を片付けることは、

自分を新しく生まれ変わらせることなのだと言えます。

 

本当に、

面白いと思います。

 

外側の世界を整えることが、

そのまま内側の世界を整えることにつながっている。

 

物と心は、

別々のものなのではありません。

 

表裏一体(ひょうりいたい)なのです。

 

だからこそ、

日々の暮らしを丁寧に送ることが、

そのまま宇宙と調和して生きることになる。

 

特別な修行をする必要はありません。

 

山奥にこもって瞑想(めいそう)する必要もない。

 

今、

自分が座っているこの場所で。

 

今、

目の前にあるカップを丁寧に洗うこと。

 

今、

すれ違った人に優しい眼差しを向けること。

 

そういう些細(ささい)な行動の積み重ねが、

世界を変えていくのです。

 

世界を変えると言うと、

大げさに聞こえるかもしれません。

 

政治家になったり、

大きな発明をしたりしなければ、

世界は変えられないと思われがちです。

 

でも、

それは違います。

 

あなたが笑顔になることで、

隣にいる人が少しだけホッとする。

 

その人がホッとしたことで、

そのまた隣の人に優しくできる。

 

そうやって、

優しさの波紋が、

少しずつ、

確実に広がっていく。

 

世界を変えるというのは、

そういうことなのだと思います。

 

ドラマチックな事件が起きなくてもいい。

 

誰もが振り返るような偉業を成し遂げなくてもいい。

 

ただ、

自分の足元をしっかりと見つめ、

今日という日を大切に生きること。

 

それだけで、

十分すぎるほどなのです。

 

明日、

朝起きたとき。

 

カーテンを開けて、

窓の外の空を見上げてみてください。

 

いつもと同じ空かもしれませんが、

少しだけ深呼吸をしてみてください。

 

冷たい空気が肺に入ってくる感覚。

 

お腹の底から、

生きているという実感が湧いてくる感覚。

 

その瞬間を、

ただ味わってみてください。

 

それだけで、

世界は少しだけ輝きを変えるはずです。

 

私たちは、

いつでも、

どこからでも、

新しく始めることができます。

 

過去がどうであれ関係ありません。

 

今この瞬間から、

あなたの物語は新しく動き出すのです。

 

そう思うと、

なんだかワクワクしてきませんか。

 

これからの毎日が、

今までとは少し違った色を帯びて見えてくる。

 

そういう境涯(きょうがい)を、

自分の手で築いていく。

 

それこそが、

私たちが生まれてきた本当の意味なのだと、

私は信じています。

 

先日、

ふらっと、

近くの100円ショップに寄りました。

 

いわゆる、

ダイソーという場所です。

 

用事があったわけではありません。

 

ただ、

なんとなく、

店内をぶらぶらしていたのです。

 

そうすると、

目に入ってきたものがありました。

 

それは、

なんだかよく分からない、

プラスチックの『謎の棒』でした。

 

長さは、

だいたい三十センチくらいでしょうか。

 

色は、

地味なグレーです。

 

端っこに、

変な突起がついています。

 

パッケージには、

『便利すぎるマルチスティック』と書いてありました。

 

なんだか、

ものすごく怪しい商品です。

 

100円だし、

失敗しても痛くありません。

 

私は、

魔が差したように、

それをカゴに入れてしまいました。

 

レジに持っていき、

家に戻りました。

 

そして、

さっそく使ってみることにしたのです。

 

では、

いったい、

その棒で何をしたのでしょうか。

 

実は、

ソファの隙間に落ちた、

リモコンを取ろうとしたのです。

 

我が家のソファは、

ものすごく大きくて、

重いものです。

 

ちょっとやそっとでは、

動きません。

 

その奥の隙間に、

テレビのリモコンが、

スルッと落ちてしまったのです。

 

手を入れても、

指先すらかかすことができません。

 

そんなときに、

あの『謎の棒』を思い出しました。

 

棒の先にある、

あの変な突起です。

 

あれを、

ソファの隙間に、

そっと差し込んでみました。

 

すると、

どうでしょう。

 

あんなに取れなかったリモコンが、

カチッと引っかかったのです。

 

そのまま、

スルスルと引き上げることができました。

 

これは、

スゴイことです!!

 

本当に、

感動してしまいました。

 

ここで、

少し、

話しは変わりますが、

 

私たちは普段、

ちょっとした「困りごと」に囲まれて生きています。

 

ソファの隙間に物が落ちる。

 

ペットボトルの蓋が固くて開かない。

 

電球の替えが面倒くさい。

 

そういう、

本当に小さな、

ささやかな問題です。

 

放っておいても、

命に関わるわけではありません。

 

でも、

確実にストレスになります。

 

じわじわと、

心を削っていくのです。

 

では、

いったい、

なぜそんな小さなことで、

私たちはイライラしてしまうのでしょうか。

 

それは、

『自分の無力さ』を感じてしまうからなのだと思います。

 

たかがリモコンが取れない。

 

たかが蓋が開かない。

 

そんなことすら自分の手で解決できないと、

なんとなく情けなくなってしまうのです。

 

そう考えると、

あのダイソーの『謎の棒』は、

単なるプラスチックの棒ではありません。

 

私の傷ついた自尊心を救ってくれる、

『救世主』なのです。

 

ちょっと大げさでしょうか。

 

でも、

本当にそう思ったのです。

 

ここで、

別の例を出してみます。

 

たとえば、

朝、

靴下を履こうとしたときです。

 

片方の靴下だけが、

洗濯物の山の中から見つからない。

 

そういう経験はありませんか。

 

私は、

よくあります。

 

忙しい朝に限って、

見つからないのです。

 

「あれは、いったいどこに行ったんだ……」

 

と、

ひとりごとを言いながら、

家中を探し回ります。

 

焦れば焦るほど、

見つかりません。

 

時間だけが過ぎていきます。

 

ようやく見つかったときには、

もう汗だくです。

 

朝から、

どっと疲れてしまう。

 

そんな経験、

ありませんか。

 

これは、

靴下が見つからないという事件です。

 

でも、

もっと深く考えてみると、

これは事件ではありません。

 

『日常の小さな試練』なのです。

 

私たちは、

毎日、

こういう小さな試練と戦っています。

 

大きな戦争をしているわけではありません。

 

大統領でもありません。

 

ただ、

リビングのソファと、

洗濯物の山と戦っているのです。

 

そう考えると、

人間の生活とは、

なんと泥臭いものなのでしょうか。

 

でも同時に、

なんと愛おしいものなのでしょうか。

 

ここで、

もう少し話を広げてみます。

 

私たちが生きるこの世界は、

じつは、

こうした「小さな不便」で満ちあふれています。

 

完璧な世界などありません。

 

どこかに隙があり、

どこかに落とし穴があり、

どこかに落ちているリモコンがあるのです。

 

では、

私たちは、

その不便に対して、

どう向き合えばいいのでしょうか。

 

諦めることでしょうか。

 

それとも、

怒ることでしょうか。

 

実は、

そうではありません。

 

ダイソーに行って、

100円の『謎の棒』を買うのです。

 

それだけで、

世界が変わります。

 

大げさに聞こえるかもしれません。

 

でも、

本当なんです。

 

リモコンが取れた瞬間、

私の心はパッと明るくなりました。

 

「やった!!」

 

と、

声に出してしまいました。

 

夫は、

別の部屋でテレビを見ていて、

何事かと驚いていましたが、

私は気にしません。

 

自分の手で、

困難を克服したのです。

 

たとえそれが、

ソファの隙間のリモコンであっても、

達成感に変わりはありません。

 

人は、

どんなに小さなことでも、

自分の力で問題を解決したとき、

ものすごく大きなエネルギーを得るのです。

 

自分が変わり、

部屋の空気が変わり、

そして、

人生そのものが、

少しだけ輝き出す。

 

おおげさではなく、

そういうことなのだと思います。

 

あの100円の棒は、

私にそれを教えてくれました。

 

だからこそ、

私は声を大にして言いたいのです。

 

ダイソーの『謎の棒』はスゴイ、と。

 

いや、

棒がスゴいのではありません。

 

その棒を手に入れた、

私の選択がスゴいのです。

 

……少し調子に乗りすぎました。

 

でも、

それくらい嬉しかったのです。

 

明日も、

何か別の便利グッズを探しに行ってしまいそうです。

 

今度は、

何を買うのでしょうか。

 

自分でも、

少し楽しみです。

 

日常の小さな不便を愛しながら、

私たちは今日も、

どこかの100円ショップの棚の前に立つのです。

 

それが、

人間というものなのだと思います。

たとえば、

朝、

家を出るときのことです。

 

鍵をかけたかどうか、

不安になることはないでしょうか。

 

駅まで歩きながら、

急に心配になる。

 

「あれ、鍵をしめたっけ?」

 

そう思うと、

もう気になって仕方がありません。

 

引き返して確認する。

 

ちゃんと閉まっている。

 

なんだ、大丈夫だった。

 

そうホッとして、

また駅に向かう。

 

誰もが一度は、

経験したことがあるのではないでしょうか。

 

これは、

日常のなかの、

本当に些細(ささい)な出来事です。

 

でも、

この瞬間、

私たちの心の中で何が起きているのでしょうか。

 

ようするに、

『不安』という感情に、

心が支配されているということです。

 

では、

いったいなぜ、

私たちはそんな小さなことで、

これほどまでに心を乱されてしまうのでしょうか。

 

それは、

私たちの心が、

常に安定を求めているからです。

 

変化を恐れ、

予測できない事態を嫌う。

 

それが、

人間というものなのです。

 

少し、

話は変わりますが、

 

先日、

面白いテレビ番組を見ました。

 

宇宙についての番組です。

 

地球から何億光年も離れた場所にある、

巨大な星の話でした。

 

その星では、

毎日、

私たちの想像もつかないような大爆発が起きているそうです。

 

太陽の何万倍ものエネルギーが、

一瞬で宇宙空間に放出される。

 

そんな、

気が遠くなるようなスケールの話です。

 

テレビを見ながら、

私は思いました。

 

今、

私たちが生きているこの地球も、

その広大な宇宙の一部なのだと。

 

そう考えると、

さっきの「鍵をかけたかどうか」という不安が、

なんだかとても小さく思えてきます。

 

宇宙の膨張から見れば、

私の鍵の心配なんて、

砂粒ほどの意味もないのかもしれません。

 

でも、

ここで重要なのは、

「だから人間の悩みはちっぽけだ」で終わらせないことです。

 

問題は、

その砂粒のような不安が、

当人にとっては、

世界が終わるくらいの重大事だということです。

 

そう、

どれだけ宇宙が広くても、

私たちは、

自分のこの小さな部屋の中で生きています。

 

ソファの隙間に落ちたリモコンを探し、

出がけの鍵の心配をする。

 

その日常こそが、

私たちの世界のすべてなのです。

 

では、いったい、

どういうことなのでしょうか。

 

大きな宇宙と、

小さな日常。

 

一見すると、

まったく関係のないこの二つは、

実は、

深く結びついているのです。

 

それと同じように、

私たちの心の中にも、

無限の宇宙が広がっています。

 

自分の内側を見つめること。

 

それは、

夜空の星を眺めることと、

まったく同じなのです。

 

自分という小宇宙。

 

そう呼ぶこともできるかもしれません。

 

自分の心のなかを覗(のぞ)いてみると、

そこには、

さまざまな感情が渦巻いています。

 

喜びがあり、

悲しみがあり、

怒りがあり、

そして、

どうしようもない不安がある。

 

まるで、

星が生まれ、

そして消えていくように、

私たちの感情も、

絶えず変化しているのです。

 

ここで、

一つの疑問が湧いてきます。

 

私たちは、

なぜそんなにも変化を恐れるのでしょうか。

 

なぜ、

いつも通りの平穏な日常を、

これほどまでに求めてしまうのでしょうか。

 

それは、

人間が『安心』を愛する生き物だからです。

 

変わり映えのしない毎日。

 

同じ時間に起き、

同じ電車に乗り、

同じ仕事をこなす。

 

変化のない日々は、

退屈かもしれません。

 

でも、

そこには確かな安心があります。

 

予測できる未来。

 

それが、

私たちに心地よさをあたえてくれるのです。

 

けれど、

本当にそれだけでいいのでしょうか。

 

もし、

人生に変化が全くなかったとしたら。

 

毎日が寸分の狂いもなく、

完全に予測通りに進んでいったとしたら。

 

それは本当に、

『生きている』と言えるのでしょうか。

 

少し、

考えてみてください。

 

私たちは、

予期せぬ出来事に驚き、

ときに悩み、

ときに感動するために、

生まれてきたのではないでしょうか。

 

あの100円の棒もそうです。

 

予定通りの買い物ではありませんでした。

 

たまたま見つけた謎の棒。

 

それが、

私の退屈な日常に、

小さな波風を立てたのです。

 

たったそれだけのことで、

世界が少しだけ輝いて見えた。

 

そう考えると、

日常のなかにある『ちょっとした変化』こそが、

私たちの人生を彩るスパイスなのだと言えるでしょう。

 

では、

私たちはどうやって、

その変化を受け入れたらいいのでしょうか。

 

無理をして、

遠くへ旅に出る必要はありません。

 

高いお金を払って、

何か特別な体験をする必要もないのです。

 

ただ、

目の前にある小さなことに目を向ける。

 

ソファの隙間に手を突っ込んでみる。

 

100円ショップの棚の奥を覗いてみる。

 

それだけでいいのです。

 

身の回りの些細なことに対して、

心を開いてみる。

 

「おっ」と驚いてみる。

 

「なるほど」と感動してみる。

 

そういう心の柔軟さこそが、

私たちの人生を豊かにしていくのです。

 

自分が変わり、

世界が変わる。

 

それは、

大げさな革命ではありません。

 

日々の暮らしの中での、

ほんの少しの視点の違いです。

 

コペルニクス的転回、

という言葉があります。

 

地球が宇宙の中心ではなく、

太陽の周りを回っていると気づいた、

あの歴史的な発見です。

 

あんなふうに、

世界の中心を少しだけずらしてみる。

 

自分中心の視点から、

ちょっとだけ離れてみる。

 

そうすると、

今まで見えなかったものが、

見えてくるのです。

 

見慣れた部屋が、

全く違う場所に思えてくる。

 

いつも歩く道が、

冒険のフィールドのように感じられてくる。

 

本当に、

スゴいことだと思います。

 

世界は、

私たちが思っているよりも、

ずっと広く、

ずっと面白い。

 

だからこそ、

私たちは、

日常に退屈している暇などないのです。

 

明日もまた、

新しい発見が待っているかもしれません。

 

朝起きて、

コーヒーを飲む。

 

そのカップの手触りに感動するかもしれない。

 

道を歩いていて、

きれいな落ち葉を見つけるかもしれない。

 

あるいは、

また新しい100円の便利グッズに出会うかもしれない。

 

どんな小さなことでもいいのです。

 

自分の五感をフルに使って、

世界を味わい尽くす。

 

それが、

人間として生きるということなのだと思います。

 

さあ、

今日の話はこれくらいにしておきましょう。

 

そろそろ、

私も眠くなってきたようです。

 

ベッドに入り、

天井を見上げる。

 

暗闇の中で、

自分の呼吸の音を聞く。

 

それだけで、

生きている実感が湧いてきます。

 

明日という日は、

どんな一日になるのでしょうか。

 

まだ誰も知らない、

まっさらな一日が始まろうとしています。

 

私たちは、

その素晴らしい世界に向かって、

一歩を踏み出すのです。

 

大きく息を吸って。

 

そして、

ゆっくりと吐き出す。

 

それだけで、

もう十分なのです。

 

みなさん、おはようございます。

今日は、朝から本当に大変でした。

 

せっかくの休日。

少しゆっくり寝ていたい気持ちを抑えて、朝食の準備をしようと思ったんです。

 

パンを焼いて、コーヒーを淹れる。

そんな何気ない、いつもの朝です。

 

ところが、です。

キッチンの前に立った瞬間、問題が発生しました。

 

パンを焼くためのトースターが、

なんと、

 

「動かない」

 

のです。

 

電源コードを確認しても、

コンセントの差し込み口を見ても、

すべて正常に見えます。

 

でも、何度ダイヤルを回しても、

「チーン」という、あの愛おしい音が聞こえてきません。

 

せっかくのお休みなのに。

楽しみにしていた朝のトーストが。

 

ここで、

私の中の「冷静な自分」と、

「焦りまくる自分」が、

激しい戦いを繰り広げました。

 

では、いったいどうすればいいのか?

 

パンをフライパンで焼くか?

それとも、朝食を抜いて、そのままコーヒーだけで済ませるか?

 

ただのトースターの故障。

でも、その時の私にとっては、

まるで人生を左右するような、

大きな選択のように思えてしまったのです。

 

こういうのって、

やっぱりいいですよね。

 

いや、よくはないのですが、

小さなトラブルを前にして、

自分がどう動くかを試されているような気がするのです。

 

結局、私はフライパンでパンを焼くことにしました。

 

実は、フライパンで焼いたパンって、

トースターよりも外はカリカリで、

中はもっちり仕上がる気がするんです。

 

食べてみると、

やっぱり美味しい。

 

なんだか、

トースターが壊れたおかげで、

新しい美味しさを発見したような気分です。

 

そう考えると、

失敗も悪くないのかなと思います。

 

みなさんは、

朝のちょっとしたトラブル、どう乗り切っていますか?

 

もしかすると、

何気ない日常のハプニングの中にこそ、

日々の楽しみが隠れているのかもしれません。

 

次は、

もっと余裕を持って、

パンを焼けるようになりたいですね。

 

また明日から、

普通で幸せな朝が始まりますように。

 

そう思えた、今日の出来事でした。

そういえば、パンを焼くついでに、久しぶりに冷蔵庫の整理もしてみたんです。

 

奥の方から出てきたのは、いつ買ったのか忘れてしまったジャムの瓶。

まだ半分くらい残っていて、

なんだか、

ちょっと申し訳ない気持ちになりました。

 

こういうのって、

よくありますよね。

 

気づいたら消費期限が迫っていたり、

使い切れずに残ってしまっていたり。

 

物を大切にしたいという気持ちはあるのに、

日々の忙しさに紛れて、

つい忘れてしまうこと。

 

私にとっては、

今回のトースターの故障が、

冷蔵庫の中を見直すきっかけになったようです。

 

ものは、

使ってこそ価値がある。

 

当たり前のことなのに、

普段はなかなか意識できないものですよね。

 

実は、

整理をしていたら、

以前お出かけしたときに買った、

ちょっといい紅茶も出てきたんです。

 

いつもは急いでコーヒーを淹れて、

バタバタと家を出てしまう毎日。

 

でも、今日はなんだか、

その紅茶を淹れてみようかなという気持ちになりました。

 

お湯を沸かして、

丁寧に茶葉を蒸らす。

 

そんな時間さえ、

普段の私には贅沢すぎると感じていたのかもしれません。

 

でも、

実際にやってみると、

なんてことのない、

ただの朝のひとときです。

 

でも、

その香りが部屋いっぱいに広がったとき、

ふと、

心が軽くなるのを感じました。

 

問題は、

時間の長さではなく、

時間の質なのかもしれません。

 

あわただしい日常の中でも、

ほんの少しの工夫で、

心にゆとりを作ることができる。

 

そう考えると、

毎日がもう少しだけ、

楽しめるような気がしてきます。

 

みなさんは、

忙しい朝に、

どんな楽しみを見つけていますか?

 

もしかしたら、

私たちが追いかけているのは、

大きな変化ではなく、

こうした小さな、

日々の積み重ねの中にこそあるものなのかもしれません。

 

また、

次の休日には、

近所の小さなカフェにでも行ってみようかな。

 

そこで、

また新しいお気に入りの一杯に出会えたらいいなと思います。

 

そういえば、

パンを焼いたあのフライパン、

これからもう少し活用してみようかな。

 

目玉焼きもいいし、

焼き野菜なんかも、

香ばしくて美味しいかもしれません。

 

道具がひとつ変わるだけでも、

料理って、

なんだか少し楽しくなるものですよね。

 

壊れてしまったトースターの代わりなんて、

すぐに見つかるかもしれません。

 

でも、

しばらくは、

このフライパンと一緒に、

朝の時間を楽しんでみるのもいいかな。

 

そう思えるようになったのは、

少しだけ、

暮らしに余裕ができたからかもしれません。

 

たまには、

こういう予期せぬトラブルも、

悪くはないですね。

 

明日も、

また新しい一日が始まります。

 

どんなハプニングがあるか分かりませんが、

それさえも、

ちょっとした楽しみとして受け止められたらいいな。

 

そう願いながら、

今日はおやすみなさい。

 

また、

穏やかな朝を迎えられますように。

そうそう、

朝の光といえば、

最近はカーテンを少しだけ開けて寝るようにしているんです。

 

これまでは、

朝の眩しさで目が覚めるのが苦手だったのですが、

最近はなんだか、

それが心地よく感じるようになりました。

 

自然の光で目覚めること。

 

こういうのって、

なんだか自分自身の体が、

季節のリズムと合ってきたのかな、

なんて思うんですよね。

 

窓から入ってくる光が、

少しずつ白っぽくなったり、

オレンジ色に染まったり。

 

そんな変化を眺めているだけで、

一日の始まりが、

すっと軽くなるような気がします。

 

みなさんは、

どんなふうに朝を迎えていますか?

 

慌ただしい毎日の中で、

自分のペースを保つことって、

意外と難しいことですよね。

 

でも、

ほんの少しの工夫で、

気持ちの持ちようは変わるものなのかもしれません。

 

たとえば、

お気に入りのマグカップに、

温かい飲み物を注ぐ時間。

 

たったそれだけのことですが、

自分自身を大切にしている実感が、

ふつふつと湧いてくるような気がします。

 

ちなみに、

最近見つけたお気に入りのハーブティーがあるんです。

 

近所の小さなお店で、

店主さんが丁寧にブレンドしてくれたもの。

 

封を開けた瞬間に、

ふわっと広がる香りに癒されて、

それだけで、

今日一日頑張れそう!って思えるんです。

 

そういう小さなお守りのようなものが、

暮らしの中にあると、

毎日が少しだけ輝いて見えてきますよね。

 

そう考えると、

物選びって、

意外と大切なのかもしれません。

 

流行っているから、とか、

みんなが持っているから、とかではなくて、

 

自分がそれを使ったときに、

どんな気持ちになれるか。

 

そういう視点で選ぶことが、

結果として、

自分らしい暮らしに繋がっていくのかなと思います。

 

実は、

最近、

キッチンの棚を少し整理してみたんです。

 

ずっとしまいっぱなしだった、

可愛らしいデザインの保存容器。

 

思い切って出してみたら、

キッチンが明るくなって、

それだけで、

ちょっと料理をするのが楽しくなりました。

 

今まで、

何を見ていたんだろう、

なんて思ったりもします。

 

結局、

身の回りのことって、

自分の心の映し鏡なのかもしれませんね。

 

気持ちが落ち着いているときは、

部屋もきれいに整っているし、

逆に、

忙しくなると、

ついつい後回しになってしまうこともあります。

 

でも、

そんなときこそ、

あえてゆっくりと、

コーヒーを淹れる時間を作る。

 

問題は、

忙しさそのものではなくて、

自分を置き去りにしてしまっていることなのかもしれません。

 

そう考えると、

何事もバランスが大切ですよね。

 

頑張るときは頑張って、

休むときはしっかりと休む。

 

その切り替えを、

自分の中で上手に作れたら、

毎日がもっと愛おしくなるような気がします。

 

近所の公園を歩いていても、

季節の移ろいを感じることがあります。

 

先週まで硬かった蕾が、

いつの間にか膨らんでいて、

あ、春が近づいているんだな、

なんて嬉しくなったり。

 

こういう季節のサインに気づける心の余裕を、

これからも大切にしていきたいなと思います。

 

みなさんの周りにも、

そんな小さな変化はありますか?

 

もしよかったら、

明日は少しだけいつもと違う道を通ってみるとか、

そんな小さな冒険をしてみるのも、

いいかもしれませんね。

 

意外な発見があったり、

素敵な景色に出会えたり。

 

それだけで、

週末がもっと特別なものになるような気がします。

 

もちろん、

家でのんびり過ごすのも、

それはそれで贅沢な時間です。

 

お気に入りの本を読んだり、

溜まっていた映画を観たり。

 

何もしない時間を楽しむことも、

たまには必要ですよね。

 

実は、

今週末は、

ちょっとだけ贅沢をして、

お取り寄せしたお菓子を楽しもうかなと思っています。

 

ずっと気になっていた、

焼き菓子のセット。

 

コーヒーの香りと一緒に楽しんだら、

どんなに幸せだろうと、

今からワクワクしています。

 

こういう楽しみが待っていると思うと、

一週間の仕事も、

なんだか頑張れるような気がします。

 

人生って、

そんな小さな楽しみの積み重ねなのかもしれません。

 

大きな夢を持つことも大切だけど、

今日という一日を、

丁寧に慈しむこと。

 

そんなふうに過ごせたら、

きっと、

明日もいい一日になるはずです。

 

さて、

なんだかたくさんお話ししてしまいました。

 

最後までお付き合いいただいて、

本当にありがとうございます。

 

みなさんの日常にも、

たくさんの小さな幸せが、

あふれていますように。

 

明日も、

自分らしく、

心穏やかな時間を過ごせますように。

 

それでは、

また次のお出かけの話も、

聞いていただけると嬉しいです。

 

今日のところは、

この辺りで。

 

温かいお布団に入って、

ゆっくり休むことにします。

 

また、

お会いしましょうね。

そういえば、

寝る前のひとときって、

なんだか不思議な時間ですよね。

 

一日が終わる寂しさと、

ようやくすべてから解放される安らぎが、

入り混じっているような。

 

みなさんは、

どんなふうに過ごすのがお好きですか?

 

私の場合は、

決まって決まったルーティンがあるわけではありません。

 

けれど、

やっぱり夜の静けさというのは、

自分自身と向き合うための大切な時間なんだな、

と最近よく感じます。

 

ふと、

今日あった出来事を振り返ってみるんです。

 

うまくいったこと、

少し反省すること、

あるいは、

誰かの何気ない言葉に救われたこと。

 

そういう些細な記憶を、

ゆっくりと棚卸しするような感覚です。

 

そう考えると、

一日というのは、

記憶の積み木みたいなものかもしれません。

 

一つひとつの小さなピースを、

丁寧に置いていく。

 

ときにはグラグラしたり、

倒れてしまったりすることもありますよね。

 

でも、

積み木は何度でも積み直すことができます。

 

それが、

生きていくということなのかもしれません。

 

なんて、

ちょっと大げさでしょうか。

 

でも、

そんなふうに思えるようになったのは、

ここ最近のことなんです。

 

昔は、

もっと焦っていたような気がします。

 

あれもしなきゃ、

これもしなきゃ。

 

もっと成長しなきゃ、

もっと素敵な自分にならなきゃ。

 

そんなふうに、

自分を追い込んでいたこともありました。

 

でも、

最近は、

もう少し肩の力を抜いてもいいのかな、

と思えるようになりました。

 

せっかくのお休みなら、

どこか遠くへ出かけなきゃ、

と気負うのではなく。

 

お気に入りの器に、

温かいお茶を淹れるだけで、

十分素敵なお休みになる。

 

そう気づいてからは、

暮らしが少しだけ、

軽やかになった気がします。

 

たとえば、

お休みの日の朝。

 

カーテンを開けて、

窓から差し込む光を浴びるだけで、

なんだか新しい何かが始まるような予感がしますよね。

 

そんなとき、

あぁ、

今日も生きていてよかったな、

なんてしみじみと感じてしまうのです。

 

みなさんも、

そんなふうに感じる瞬間はありますか?

 

きっと、

どこか特別な場所へ行かなくても、

日常の風景の中に、

たくさんの輝きが隠れているはずです。

 

誰かに挨拶をしたときの笑顔や、

スーパーで見つけた旬のお野菜の色合い。

 

信号待ちで、

ふと見上げた空の高さ。

 

そういう小さな断片を、

大切に拾い集めていくこと。

 

それが、

丁寧な暮らしの正体なのかもしれません。

 

だから、

私はこれからも、

小さなお出かけを続けていこうと思います。

 

近所の公園を少しだけ遠回りしてみたり、

ずっと気になっていたカフェの扉を開けてみたり。

 

たとえ、

それがどんなに小さな冒険だったとしても、

そこには必ず、

新しい景色が待っているはずです。

 

みなさんの日常にも、

そんなささやかな冒険が、

たくさん訪れますように。

 

また明日から、

それぞれの場所で、

新しい一日が始まりますね。

 

ときには立ち止まってもいい。

 

ときには空を見上げてもいい。

 

自分の心に寄り添いながら、

ゆっくりと進んでいければ、

それで十分なんだと思います。

 

そういえば、

窓の外の月が、

ずいぶんときれいに見えてきました。

 

夜風も少しだけ、

冷たくなってきたようです。

 

そろそろ、

お布団に入って、

温かい夢を見る時間ですね。

 

今日は本当に、

楽しい時間を共有してくださって、

ありがとうございました。

 

また近いうちに、

お会いできるのを楽しみにしています。

 

それでは、

おやすみなさい。

 

よい夢を。

 

三月も半ばになってくると、ふと窓の外を見た時に「あ、なんか明るくなってきたな」って感じる瞬間があるんですよね。
光の角度が変わったというか、冬のあの鉛色の空とは確かに違う、薄桃色がかったような白さが空全体に広がってる。
でも雨。
なんなんでしょう、この時期の雨って。
冬の雨みたいに「寒いから当然でしょ」という納得感もないし、梅雨みたいな「しょうがない、そういう季節だから」という諦めもない。
ただただ中途半端に、しとしとと降り続けるんです。
傘を持って出るほどでもないかな、と思ったら思いのほか本降りだったり。
逆に覚悟して長靴まで履いて出かけたら、お昼には晴れ間が出てきて恥ずかしい思いをしたり。
私はこの「春になりそ、だけど雨」な時期が、一年の中でいちばん着るものに迷う季節だと思ってるんです。
コートを着れば暑いし、脱げば肌寒い。
マフラーは大げさだけど、薄手のストールはどこかにしまってしまった。
タンスの中身が完全に「冬」と「春・夏」の二択しかなくて、その狭間にある今のカラダの温度感に合うものが、どこにも見つからない。
そんな日は、台所に立つのが正解だと思ってます。
雨の日の台所は、なんとなく落ち着くんですよね。
窓に水滴が伝う音と、鍋がことことする音が、妙に合うんです。
この時期になると作りたくなるのが、菜の花のおひたし。
生協で届いた菜の花を見た瞬間、「ああ、春が来てるんだな」とじんわりします。
見た目は確かに春なんです。黄色い小さな花がちらちらついて、鮮やかな緑色で。
でも窓の外はやっぱり雨。
菜の花はさっと湯がいて(茹ですぎると色が悪くなるので、沸騰したお湯に茎から入れて、花の部分は最後の30秒くらい)、だし醤油とかつお節だけ。
あれだけで白いご飯が二杯くらいいけるんですから、冬の間に鈍ってた食欲も、春の食材ってちゃんと呼び起こしてくれるんだなと思います。
ちなみに親はこれに辛子を少し和えるのが好きで、「ピリッとくるのが春っぽい」と言っていて、その感覚はなんとなくわかる気がします。
雨の日に困るのは、お布団が干せないこと。
冬の間ずっと干せなかったのが、やっと陽射しが戻ってきたと思ったらまた雨で。
コインランドリーという手もあるのですが、重いお布団を車に積んで、濡れないように運んで、という一連の作業を雨の中やる気にはなれない。
なのでこういう日は布団乾燥機に頼ります。
ふかふかになった布団に、雨音を聞きながら横になる昼下がりというのが、実は春の雨のいちばんの贅沢なんじゃないかと、最近気づきました。
窓を少しだけ開けておくと、雨のにおいが入ってくる。
土とも緑ともつかない、あの独特の湿ったにおい。
調べたら「ペトリコール」という名前があるそうで、雨が地面に落ちた時に土壌の放線菌が出す「ジオスミン」という物質が原因なんだとか。
ロマンチックな感覚に、しっかりした化学的名前がついているのがちょっと笑えます。
でもそのにおいをかぐと、なぜかほっとするんですよね。
春が来てるんだなあ、と。雨越しだけど。
この時期になると、梅の花が終わりかけて、桜の蕾がまだ固い、という宙ぶらりんな状態が続きます。
どちらも「あと少し」という感じで、でも雨が続くとなかなかその「あと少し」が来ない。
子どもの頃は桜が咲くのをただ待つだけだったけれど、大人になってくると「この待ってる時間も悪くないか」と思えるようになってくるから不思議です。
ちゃんと来るってわかってるから、待てるのかもしれない。
雨が続く日は、読みかけの本がはかどります。
温かい飲み物を用意して(この時期はほうじ茶か、少しだけ甘めのタンポポコーヒーが好みです)、膝掛けをかけて、ページをめくる。
外はしとしとと雨で、部屋の中だけ少し明るくて暖かい。
春はもうそこまで来てる。ただ、今日は雨。
それでいいか、と思えたなら、この季節の雨もなかなか悪くないです。
*「ペトリコール(Petrichor)」という言葉は、1964年にオーストラリアの研究者によって命名されました。ギリシャ語の「石(petra)」と「神々の血(ichor)」を組み合わせた造語で、雨のにおいにそんなに詩的な名前がついていたとは、と知った時には、少し感動してた。

川越も、今日は初雪が舞う寒さ
ワン達の為に、炬燵を出しました。

早朝・夜の龍美のトイレ散歩も気合だーの季節

アルバムで時々写真をアップしてたので、やっと説明付紹介を
Gシェパ以外のダックスは、庭に眠ってます。

最初に飼ったダックス茶郎は、3日目で入院。その後は入院、7日目で虹の橋を渡ったので、写真がありません。
それ以外の歴代ワン達の絵皿を写真を見ながら、作り、名前を入れて焼いて頂きました。

時々スイム、残り1試合
骨折場所の手首より、ズレた右手の骨が、安定しなかったのか、未だ不安定な右手。
言い訳して、エンジョイスイマー・完泳スイマーです。

2日に1回1000m前後のスイムですが、レッスンになぜか
ハードが入って来て筋肉痛です。
筋肉痛になるほど、泳いでなかったようです。

45分レッスンで、900m~1600m様々です。
900mが、楽かと言えば、ハード・オールアウトが入るので息絶え絶え。
1600mが、50m1分ベースで、楽だったり。

セントラルクラブで、25m×108本煩悩スイムがあったのですが、珍しくパス。
参加して泳げば楽しいのですが、煩悩がありすぎて、今は泳いでも消えません
雨はただの雨。
テンションが下がるのは気圧のせいか。

今日切らしてた香水が届いた。
サムタイムハッピーティアーズ。

たぶん若い子がつけるチープな香水だけど
ものすごく好きな匂い。
爽やかで気分がよくなるw

甘い匂いが一切しないのが好きw

雨が降り出してから寒くて
今日はまた家の祠で服探し。
なんだかこの前服を入れ替えたばかりな気がするけど
また冬物と入れ替えなくちゃ…

鬼のようなスピードで過ぎていくわね、時間って。(汗

服を探してる時
忘れてた衣類をいくつか目にして(ぇ
祠をきちんと整理しないとダメだなーって
ちょっとやりかけたけど
時間切れの大惨事が目に浮かんだので仕切りなおす。

また…晴れた気持ちのいい日にしよう。(祠封印の予感w

自分ちで掘り出し物発掘しそうな
微かな楽しみもあることに気づいたので近々!

とりあえずしばらく雨みたいだけど
出かけるのだるいなー

乾こうとその身を晒してる洗濯物が
雨まじりの風にやられて
「勘弁して」って言ってるように見える…

私を代弁しているのだなwww

さて。

美味しいコーヒーでもいただいて
気を取り直して買い物行こ。