先日、
ふらっと、
近くの100円ショップに寄りました。
いわゆる、
ダイソーという場所です。
用事があったわけではありません。
ただ、
なんとなく、
店内をぶらぶらしていたのです。
そうすると、
目に入ってきたものがありました。
それは、
なんだかよく分からない、
プラスチックの『謎の棒』でした。
長さは、
だいたい三十センチくらいでしょうか。
色は、
地味なグレーです。
端っこに、
変な突起がついています。
パッケージには、
『便利すぎるマルチスティック』と書いてありました。
なんだか、
ものすごく怪しい商品です。
100円だし、
失敗しても痛くありません。
私は、
魔が差したように、
それをカゴに入れてしまいました。
レジに持っていき、
家に戻りました。
そして、
さっそく使ってみることにしたのです。
では、
いったい、
その棒で何をしたのでしょうか。
実は、
ソファの隙間に落ちた、
リモコンを取ろうとしたのです。
我が家のソファは、
ものすごく大きくて、
重いものです。
ちょっとやそっとでは、
動きません。
その奥の隙間に、
テレビのリモコンが、
スルッと落ちてしまったのです。
手を入れても、
指先すらかかすことができません。
そんなときに、
あの『謎の棒』を思い出しました。
棒の先にある、
あの変な突起です。
あれを、
ソファの隙間に、
そっと差し込んでみました。
すると、
どうでしょう。
あんなに取れなかったリモコンが、
カチッと引っかかったのです。
そのまま、
スルスルと引き上げることができました。
これは、
スゴイことです!!
本当に、
感動してしまいました。
ここで、
少し、
話しは変わりますが、
私たちは普段、
ちょっとした「困りごと」に囲まれて生きています。
ソファの隙間に物が落ちる。
ペットボトルの蓋が固くて開かない。
電球の替えが面倒くさい。
そういう、
本当に小さな、
ささやかな問題です。
放っておいても、
命に関わるわけではありません。
でも、
確実にストレスになります。
じわじわと、
心を削っていくのです。
では、
いったい、
なぜそんな小さなことで、
私たちはイライラしてしまうのでしょうか。
それは、
『自分の無力さ』を感じてしまうからなのだと思います。
たかがリモコンが取れない。
たかが蓋が開かない。
そんなことすら自分の手で解決できないと、
なんとなく情けなくなってしまうのです。
そう考えると、
あのダイソーの『謎の棒』は、
単なるプラスチックの棒ではありません。
私の傷ついた自尊心を救ってくれる、
『救世主』なのです。
ちょっと大げさでしょうか。
でも、
本当にそう思ったのです。
ここで、
別の例を出してみます。
たとえば、
朝、
靴下を履こうとしたときです。
片方の靴下だけが、
洗濯物の山の中から見つからない。
そういう経験はありませんか。
私は、
よくあります。
忙しい朝に限って、
見つからないのです。
「あれは、いったいどこに行ったんだ……」
と、
ひとりごとを言いながら、
家中を探し回ります。
焦れば焦るほど、
見つかりません。
時間だけが過ぎていきます。
ようやく見つかったときには、
もう汗だくです。
朝から、
どっと疲れてしまう。
そんな経験、
ありませんか。
これは、
靴下が見つからないという事件です。
でも、
もっと深く考えてみると、
これは事件ではありません。
『日常の小さな試練』なのです。
私たちは、
毎日、
こういう小さな試練と戦っています。
大きな戦争をしているわけではありません。
大統領でもありません。
ただ、
リビングのソファと、
洗濯物の山と戦っているのです。
そう考えると、
人間の生活とは、
なんと泥臭いものなのでしょうか。
でも同時に、
なんと愛おしいものなのでしょうか。
ここで、
もう少し話を広げてみます。
私たちが生きるこの世界は、
じつは、
こうした「小さな不便」で満ちあふれています。
完璧な世界などありません。
どこかに隙があり、
どこかに落とし穴があり、
どこかに落ちているリモコンがあるのです。
では、
私たちは、
その不便に対して、
どう向き合えばいいのでしょうか。
諦めることでしょうか。
それとも、
怒ることでしょうか。
実は、
そうではありません。
ダイソーに行って、
100円の『謎の棒』を買うのです。
それだけで、
世界が変わります。
大げさに聞こえるかもしれません。
でも、
本当なんです。
リモコンが取れた瞬間、
私の心はパッと明るくなりました。
「やった!!」
と、
声に出してしまいました。
夫は、
別の部屋でテレビを見ていて、
何事かと驚いていましたが、
私は気にしません。
自分の手で、
困難を克服したのです。
たとえそれが、
ソファの隙間のリモコンであっても、
達成感に変わりはありません。
人は、
どんなに小さなことでも、
自分の力で問題を解決したとき、
ものすごく大きなエネルギーを得るのです。
自分が変わり、
部屋の空気が変わり、
そして、
人生そのものが、
少しだけ輝き出す。
おおげさではなく、
そういうことなのだと思います。
あの100円の棒は、
私にそれを教えてくれました。
だからこそ、
私は声を大にして言いたいのです。
ダイソーの『謎の棒』はスゴイ、と。
いや、
棒がスゴいのではありません。
その棒を手に入れた、
私の選択がスゴいのです。
……少し調子に乗りすぎました。
でも、
それくらい嬉しかったのです。
明日も、
何か別の便利グッズを探しに行ってしまいそうです。
今度は、
何を買うのでしょうか。
自分でも、
少し楽しみです。
日常の小さな不便を愛しながら、
私たちは今日も、
どこかの100円ショップの棚の前に立つのです。
それが、
人間というものなのだと思います。
たとえば、
朝、
家を出るときのことです。
鍵をかけたかどうか、
不安になることはないでしょうか。
駅まで歩きながら、
急に心配になる。
「あれ、鍵をしめたっけ?」
そう思うと、
もう気になって仕方がありません。
引き返して確認する。
ちゃんと閉まっている。
なんだ、大丈夫だった。
そうホッとして、
また駅に向かう。
誰もが一度は、
経験したことがあるのではないでしょうか。
これは、
日常のなかの、
本当に些細(ささい)な出来事です。
でも、
この瞬間、
私たちの心の中で何が起きているのでしょうか。
ようするに、
『不安』という感情に、
心が支配されているということです。
では、
いったいなぜ、
私たちはそんな小さなことで、
これほどまでに心を乱されてしまうのでしょうか。
それは、
私たちの心が、
常に安定を求めているからです。
変化を恐れ、
予測できない事態を嫌う。
それが、
人間というものなのです。
少し、
話は変わりますが、
先日、
面白いテレビ番組を見ました。
宇宙についての番組です。
地球から何億光年も離れた場所にある、
巨大な星の話でした。
その星では、
毎日、
私たちの想像もつかないような大爆発が起きているそうです。
太陽の何万倍ものエネルギーが、
一瞬で宇宙空間に放出される。
そんな、
気が遠くなるようなスケールの話です。
テレビを見ながら、
私は思いました。
今、
私たちが生きているこの地球も、
その広大な宇宙の一部なのだと。
そう考えると、
さっきの「鍵をかけたかどうか」という不安が、
なんだかとても小さく思えてきます。
宇宙の膨張から見れば、
私の鍵の心配なんて、
砂粒ほどの意味もないのかもしれません。
でも、
ここで重要なのは、
「だから人間の悩みはちっぽけだ」で終わらせないことです。
問題は、
その砂粒のような不安が、
当人にとっては、
世界が終わるくらいの重大事だということです。
そう、
どれだけ宇宙が広くても、
私たちは、
自分のこの小さな部屋の中で生きています。
ソファの隙間に落ちたリモコンを探し、
出がけの鍵の心配をする。
その日常こそが、
私たちの世界のすべてなのです。
では、いったい、
どういうことなのでしょうか。
大きな宇宙と、
小さな日常。
一見すると、
まったく関係のないこの二つは、
実は、
深く結びついているのです。
それと同じように、
私たちの心の中にも、
無限の宇宙が広がっています。
自分の内側を見つめること。
それは、
夜空の星を眺めることと、
まったく同じなのです。
自分という小宇宙。
そう呼ぶこともできるかもしれません。
自分の心のなかを覗(のぞ)いてみると、
そこには、
さまざまな感情が渦巻いています。
喜びがあり、
悲しみがあり、
怒りがあり、
そして、
どうしようもない不安がある。
まるで、
星が生まれ、
そして消えていくように、
私たちの感情も、
絶えず変化しているのです。
ここで、
一つの疑問が湧いてきます。
私たちは、
なぜそんなにも変化を恐れるのでしょうか。
なぜ、
いつも通りの平穏な日常を、
これほどまでに求めてしまうのでしょうか。
それは、
人間が『安心』を愛する生き物だからです。
変わり映えのしない毎日。
同じ時間に起き、
同じ電車に乗り、
同じ仕事をこなす。
変化のない日々は、
退屈かもしれません。
でも、
そこには確かな安心があります。
予測できる未来。
それが、
私たちに心地よさをあたえてくれるのです。
けれど、
本当にそれだけでいいのでしょうか。
もし、
人生に変化が全くなかったとしたら。
毎日が寸分の狂いもなく、
完全に予測通りに進んでいったとしたら。
それは本当に、
『生きている』と言えるのでしょうか。
少し、
考えてみてください。
私たちは、
予期せぬ出来事に驚き、
ときに悩み、
ときに感動するために、
生まれてきたのではないでしょうか。
あの100円の棒もそうです。
予定通りの買い物ではありませんでした。
たまたま見つけた謎の棒。
それが、
私の退屈な日常に、
小さな波風を立てたのです。
たったそれだけのことで、
世界が少しだけ輝いて見えた。
そう考えると、
日常のなかにある『ちょっとした変化』こそが、
私たちの人生を彩るスパイスなのだと言えるでしょう。
では、
私たちはどうやって、
その変化を受け入れたらいいのでしょうか。
無理をして、
遠くへ旅に出る必要はありません。
高いお金を払って、
何か特別な体験をする必要もないのです。
ただ、
目の前にある小さなことに目を向ける。
ソファの隙間に手を突っ込んでみる。
100円ショップの棚の奥を覗いてみる。
それだけでいいのです。
身の回りの些細なことに対して、
心を開いてみる。
「おっ」と驚いてみる。
「なるほど」と感動してみる。
そういう心の柔軟さこそが、
私たちの人生を豊かにしていくのです。
自分が変わり、
世界が変わる。
それは、
大げさな革命ではありません。
日々の暮らしの中での、
ほんの少しの視点の違いです。
コペルニクス的転回、
という言葉があります。
地球が宇宙の中心ではなく、
太陽の周りを回っていると気づいた、
あの歴史的な発見です。
あんなふうに、
世界の中心を少しだけずらしてみる。
自分中心の視点から、
ちょっとだけ離れてみる。
そうすると、
今まで見えなかったものが、
見えてくるのです。
見慣れた部屋が、
全く違う場所に思えてくる。
いつも歩く道が、
冒険のフィールドのように感じられてくる。
本当に、
スゴいことだと思います。
世界は、
私たちが思っているよりも、
ずっと広く、
ずっと面白い。
だからこそ、
私たちは、
日常に退屈している暇などないのです。
明日もまた、
新しい発見が待っているかもしれません。
朝起きて、
コーヒーを飲む。
そのカップの手触りに感動するかもしれない。
道を歩いていて、
きれいな落ち葉を見つけるかもしれない。
あるいは、
また新しい100円の便利グッズに出会うかもしれない。
どんな小さなことでもいいのです。
自分の五感をフルに使って、
世界を味わい尽くす。
それが、
人間として生きるということなのだと思います。
さあ、
今日の話はこれくらいにしておきましょう。
そろそろ、
私も眠くなってきたようです。
ベッドに入り、
天井を見上げる。
暗闇の中で、
自分の呼吸の音を聞く。
それだけで、
生きている実感が湧いてきます。
明日という日は、
どんな一日になるのでしょうか。
まだ誰も知らない、
まっさらな一日が始まろうとしています。
私たちは、
その素晴らしい世界に向かって、
一歩を踏み出すのです。
大きく息を吸って。
そして、
ゆっくりと吐き出す。
それだけで、
もう十分なのです。