まさかお昼ごはんであんな大惨事になるとは | のらりくらりす。

のらりくらりす。

ゲーム好き!ゲーム音楽好き!ゲーム攻略本好き!な
ゲーマー兼オタク兼カメコです。

お昼ごはんの時間が、

やってきました。

 

それは、

いつものお昼ごはんです。

 

特別な予定も、

ありませんでした。

 

ただお腹が空いて、

何かを食べようと思った。

 

それだけの、

日常の風景です。

 

たとえば、

お気に入りの定食屋さんに入るとします。

 

そこで、

メニューを開く。

 

何を食べようか、

ワクワクしながら選ぶ。

 

これは、

とても楽しい時間です。

 

人によっては、

一日の最高の癒やしだったりする。

 

そう、

ただのごはんの時間です。

 

では、

お昼ごはんとは、

いったい何なのでしょうか。

 

それは、

単なる栄養補給の手段ではありません。

 

もっと、

深い意味を持っているのです。

 

生きるためのエネルギーを補給する。

 

それと同時に、

心を落ち着かせる。

 

いわば、

『心のオアシス』

なのです。

 

少し、話しは変わりますが、

人間の欲望とは、

不思議なものです。

 

お腹が空いているとき、

私たちはどうなるでしょうか。

 

頭の中が、

食べ物でいっぱいになります。

 

あれが食べたい。

これが食べたい。

 

そうやって、

頭の中でシミュレーションをする。

 

それも、

お昼ごはんの楽しみの一つです。

 

では、いったい、

何を食べたのでしょうか。

 

実は、

ちょっと豪華な定食でした。

 

いつもより、

少しだけ贅沢をしたのです。

 

お値段も、

普段よりちょっと高い。

 

ご褒美のつもりで、

頼みました。

 

運ばれてきた料理を見て、

私は感動しました。

 

これは、

スゴイことです!!

 

お皿の上には、

美味しそうな料理が並んでいる。

 

湯気が立ち上り、

食欲をそそる匂いが漂う。

 

本当に、

最高のお昼ごはんでした。

 

ここで、

問題が発生しました。

 

いや、

正確に言うと、

事件が起きたのです。

 

では、いったい、

何が起きたのでしょうか。

 

それは、

あまりにも衝撃的な出来事でした。

 

美味しそうなおかずを、

目の前にして、

私は気を緩めてしまった。

 

そう、

完全に油断していたのです。

 

もっとも、

誰もが同じ状況なら油断するでしょう。

 

目の前には、

極上のごちそうがある。

 

早く食べたいという衝動に、

かられる。

 

思考回路が、

少し停止する。

 

そして、

勢いよく箸を動かした。

 

その瞬間です。

 

何かが、

おかしな方向に転がり始めた。

 

少し、

状況を説明させてください。

 

その定食には、

アツアツの汁物がついていました。

 

お椀になみなみと注がれた、

お味噌汁です。

 

湯気がもうもうと上がっている。

 

いかにも美味しそうな、

お味噌汁でした。

 

それを、

うっかり、

盛大にひっくり返してしまったのです。

 

ガシャン。

 

いや、

そんな可愛い音ではありませんでした。

 

ドシャーッという、

すさまじい音が響き渡る。

 

周囲の視線が、

一瞬でこちらに集まりました。

 

私の心臓は、

激しく鼓動を打ち始めました。

 

頭の中が、

真っ白になる。

 

これは、

大惨事(だいさんじ)です。

 

本当に、

大変なことになってしまいました。

 

では、いったい、

どうしてそんなことになってしまったのでしょうか。

 

原因は、

私の不注意です。

 

しかし、

それだけではありません。

 

もっと深い、

『人間の業(ごう)』

のようなものが、

そこにはあったのです。

 

お腹が空きすぎて、

視野が狭くなっていた。

 

早く食べたいという欲望が、

動作を雑にさせていた。

 

つまり、

自分の欲望に、

足元をすくわれたということです。

 

そう考えると、

これは単なるアクシデントではありません。

 

人生の縮図(しゅくず)なのです。

 

私たちは、

目の前の誘惑に負けることがある。

 

少しの油断が、

取り返しのつかない事態を招く。

 

お味噌汁をこぼしたという小さな出来事は、

実は人生の大きな教訓を、

私たちに教えてくれているのです。

 

お盆の上は、

悲惨な状態になりました。

 

お米とおかずは無事でしたが、

汁物がすべてこぼれ落ちた。

 

テーブルの上は、

茶色い海と化している。

 

店員さんが、

すぐに駆けつけてくれました。

 

「大丈夫ですか?」

 

その優しい言葉が、

余計に胸に突き刺さる。

 

恥ずかしさで、

顔から火が出るようでした。

 

「すみません、本当にすみません」

 

私は平謝りするしかありませんでした。

 

ここで、

ふと思いました。

 

では、いったい、

私たちはこの失敗から何を学ぶべきなのでしょうか。

 

それは、

『どんな時も平常心を保つ』

ということなのです。

 

調子に乗っている時ほど、

足元をすくわれる。

 

最高のお昼ごはんを前にして、

浮かれていた自分。

 

その慢心が、

この悲劇を生んだ。

 

だからこそ、

私たちは戒(いまし)めなければならないのです。

 

自分だけではありません。

 

人間の歴史そのものが、

こうした小さな油断の繰り返しだったのではないでしょうか。

 

歴史上の偉大な人物たちも、

きっとどこかで、

お味噌汁をこぼすような失敗をしていたはずです。

 

そう思うと、

少し気が楽になります。

 

いや、

楽になっている場合ではありません。

 

テーブルの上は、

まだ濡れているのです。

 

ふきんを受け取り、

必死にテーブルを拭く私。

 

周りのお客さんは、

何事もなかったかのように食事を続けている。

 

その日常の風景の中で、

私は一人、

自分の愚かさと向き合っていました。

 

お昼ごはんという、

ささやかな日常のワンシーン。

 

そこには、

人間の喜怒哀楽のすべてが、

凝縮されていたのです。

 

美味しいものを食べて幸せになり、

油断して失敗して絶望し、

そして反省してまた前を向く。

 

これこそが、

『人生』

というものなのではないでしょうか。

 

そう考えると、

お味噌汁をこぼしたという失敗さえも、

愛おしく思えてくる。

 

……というのは、

さすがに強がりすぎかもしれません。

 

本当は、

めちゃくちゃショックでした。

 

美味しいお味噌汁の味を、

半分くらいしか味わえなかった。

 

でも、

それも含めて思い出です。

 

次に高級な定食を食べるときは、

絶対に、

絶対に、

汁物から遠い位置に置こうと心に誓いました。

 

いや、

お盆の端に置くのはやめよう。

 

真ん中に置く。

 

それが、

今回の最大の学びです。

 

日常生活のなかに、

教訓は転がっている。

 

まさかお昼ごはんであんな大惨事になるとは、

思いもしませんでしたが、

結果として良い経験になりました。

 

人間の心とは、

かくも脆(もろ)く、

そして面白いものなのです。

 

明日のお昼ごはんは、

何を食べようか。

 

もちろん、

汁物には細心の注意を払いながら。

 

平穏で、

かつ安全な、

素晴らしいお昼ごはんを、

今度こそ満喫したい。

 

そう心から願う、

今日この頃なのでした。

では、

少し、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

『習慣』

というものについて、

考えたことはあるでしょうか。

 

毎日、

同じ時間に起きて、

同じ道を歩いて、

同じように仕事をする。

 

いわゆる、

ルーティン、

というやつです。

 

たとえば、

朝起きてすぐに、

コップ一杯の水を飲む。

 

これは、

健康のために良いと言われています。

 

では、

なぜ水を飲むのでしょうか。

 

喉が渇いているから、

というのもあります。

 

でも、

それだけではありません。

 

水を飲むことで、

眠っていた身体の機能を呼び覚ます。

 

いわば、

『スイッチ』

を入れている。

 

そういうことなのです。

 

それと同じように、

私たちの毎日の行動には、

それぞれ意味があります。

 

朝のコーヒー。

通勤電車の窓の外の景色。

デスクに向かう前の深呼吸。

 

何気なくやっている、

その小さな行動が、

実は、

自分自身を形作っている。

 

そう考えると、

少し、

怖くなりませんか。

 

自分が何気なくしていることが、

自分の未来を決めている。

 

言い換えるなら、

毎日の積み重ねが、

そのまま自分の

『境涯(きょうがい)』

を作っていく。

 

仏教では、

これを、

生命状態(せいめいじょうたい)

の現れと捉えたりします。

 

難しい言葉ですね。

 

でも、

要するに、

こういうことです。

 

「今の自分が、

過去の自分の選択の結果である」

 

ということなのです。

 

では、

いったい、

どうすればいいのでしょうか。

 

良い習慣をつければいい。

 

それは、

頭では分かっています。

 

でも、

それができれば苦労はしません。

 

三日坊主、

という言葉があります。

 

何かを始めても、

すぐにやめてしまう。

 

自分はなんて意思が弱いんだろう、

と落ち込む。

 

実は、

私もその一人です。

 

毎朝ランニングをしようと決めて、

結局、

靴を買っただけで満足してしまう。

 

そんな経験、

ありませんか。

 

ここで、

問題になるのが、

 

『人間の意志の力』

 

というものです。

 

私たちは、

自分の意志だけで、

人生を変えられると思っている。

 

「明日から絶対に変わるんだ」

と心に誓う。

 

しかし、

人間の意志というのは、

私たちが思っている以上に、

もろいものなのです。

 

お味噌汁をこぼしたのと同じように、

ちょっとしたことで、

簡単に崩れてしまう。

 

では、

意志の弱い私たちは、

一生、

変わることはできないのでしょうか。

 

いいえ、

そんなことはありません。

 

ここで、

視点を変えてみる必要があります。

 

意志の力に頼るのではなく、

『環境の力』

を借りるのです。

 

たとえば、

朝ランニングをしたいなら、

前日の夜のうちに、

枕元にランニングウェアを置いておく。

 

起きた瞬間に、

すぐ着られる状態にしておく。

 

それだけで、

動き出すハードルが、

ぐっと下がります。

 

これは、

心理学の世界では、

『ナッジ』

と呼ばれたりする手法です。

 

強制するのではなく、

自然と望ましい行動を選んでしまうような、

そんな仕組みを作る。

 

そう考えると、

工夫次第で、

人間はいくらでも変われる。

 

いや、

自分を変えるというよりも、

『自分の扱い方』

を工夫する。

 

そう言ったほうが、

しっくりくるかもしれません。

 

自分の取扱説明書を、

自分で作っていく。

 

それこそが、

人生を面白くするコツなのだと思います。

 

少し、

大きな話になってきました。

 

私たちは、

ただ生きているだけで、

色々なことに直面します。

 

仕事でのトラブル。

人間関係の悩み。

将来への不安。

 

次から次へと、

問題がやってくる。

 

まるで、

終わりのないゲームのようです。

 

では、

私たちは、

何のために生きているのでしょうか。

 

美味しいお昼ごはんを食べるため。

仕事で成功するため。

家族を幸せにするため。

 

どれも正解です。

 

でも、

もっと根本的な、

何かがあるような気がするのです。

 

それは、

『経験すること』

そのものなのではないでしょうか。

 

嬉しいことも、

悲しいことも、

失敗して恥ずかしい思いをすることも。

 

すべてを含めて、

味わい尽くす。

 

苦いお味噌汁も、

甘いデザートも。

 

人生というスープの中に、

混ぜ合わされていく。

 

そう思うと、

日々の出来事が、

すべて愛おしくなってきます。

 

完璧な人間なんて、

どこにもいません。

 

みんな、

失敗しながら、

迷いながら、

それでも前に進んでいる。

 

転んだっていい。

 

お味噌汁をこぼしたっていい。

 

そこから何かを学び、

また笑顔で立ち上がることができれば、

それで十分なのです。

 

明日も、

きっと色々なことがあるでしょう。

 

思い通りにいかないことも、

あるかもしれない。

 

でも、

そのときは、

こう心の中でつぶやいてみようと思います。

 

「これも、

次のネタだな」

 

と。

 

人生という長い旅の途中で、

私たちは、

今日も何かを食べて、

何かを感じている。

 

平穏で、

かつ少しだけスリリングな、

私たちの日常。

 

その一日一日を、

大切に味わっていきたい。

 

そう思いながら、

今日も、

目の前の一皿に向き合うのです。