ドラム道21
高校生までは独学でドラムを叩いてた。
テクニックは正直言って不安定だったな。
だってスティックの握り方も、腕の振り上げ方も、意識したことなかったもん。
実はこの「意識する」ってのが重要でさ、ドラムにしろギターにしろ歌にしろスポーツにしろ、自分の身体と真剣に向き合って、意識しないと上達しないんだよね。
「なんか分からないけど、練習もしないのに出来るようになっちゃった!」っていうような事はごく稀なんだよね。たまにあるけどww
でも音の大きさだけは自信があった。
これはテクニックじゃなくて気迫と根性だよ。 がむしゃらねw
当時、音の大きさだけでベストドラマー賞をもらったんだ。たぶんそう。。
でも嬉しかったなぁ。
ますます自惚れたねww
ドラム道20
俺の通ってた高校は県立だったけど、まあ中の下レベルでさ。
特に勉強やスポーツができるわけでもなきゃ、また極悪ヤンキーでもない。つまり平均的な生徒が集まった学校だったのよ。
俺は大学進学を目指してるわけじゃなくて、高校はテキトーに過ごせれば良かった。そんな俺にはピッタリの学校だったねww
だから全然勉強しなかったし、学校の事に興味なかったな。まじめに勉強したり部活をやったりすることがダサいとすら思ってた。
いま思うと恥ずかしいんだけど、クラスメイトに対しては
「俺はライブハウスに出てるセミプロのミュージシャンだぜ。お前らと一緒にするなよ…」みたいに自惚れてた!まじ最悪ww
セミプロなんてプロでもなんでもないから!そもそもセミプロなんてこの世にないから!そんなの幻想だから!
でも毎日バンドのリハーサルやアルバイトに追われて、学校行ってもほとんど授業中は寝てたから成績は落ちる一方だったよ。
そんなある日、普段なにも言わない父親が「そろそろいい加減にしないか」って言うわけ。バンドを一つに絞ったらどうだと。
父親のことが好きだったから、これは効いたわ。まあ実際あのままじゃお金が続かなかったしね。
それでバンドを全部やめたのね。
矢堀先輩とやってたイエスのコピバンも、西新井のレインボーのコピバンも、横浜のクイーンのコピバンも、赤羽のポリスのコピバンも、ルージュさんのサポートも全部辞めさせてもらった。
んで、同じ高校に白崎さんというギターの上手な先輩がいたんだ。あと柏の高校に通うチョッパーベースの上手な森さんていう先輩がいて、この人たちとバンドやりたかったのでトリオ編成でCLIMAXってバンドを組んだんだ。高校2年のときそのバンドで「第3回 横浜ハイスクールホットウェーブフェスティバル」ってコンテストに応募したら決勝まで行っちゃったんだ!
まあ高校生にしては演奏がしっかりしてた方だと思うんだわ。
その決勝大会はフジテレビで放送されたんだど、夏休み中の深夜放送だったので友達は誰も観てなかった。。。
映画祭に参加した!
審査員として「日本セルビア映画祭」に参加させてもらったよ!
いやもう最高に面白かったわ!
どの映画も10〜20分の短編で、内容がエグいのなんの。いや凄かったね。
日本の映画もセルビアの映画も精神的にヘヴィな映画が多かった。
で、どの映画も監督が若いんだよね。みんな20代かな。若い女性の監督も多かった。
そりゃ生まれたときから家庭にビデオカメラがあって、いまやPCやスマホで気軽に動画編集が出来る時代の若者だもんね。
我々みたいに「写真を撮られると魂まで抜かれる」と思ってた時代の人間とはワケが違うよ。そんな現代の若者が作った映画はテーマも含め本当に素晴らしかった。
勉強になった。
時代も人も移り変わっていくものだ。
長いだけで退屈な長編映画よりも、要素詰め込みすぎの慌ただしい短編映画の方が、俺は面白いしカッコいいと思う。
長いロックンロールなんてイカさないだろ?