折しも関西万博が開催中であるが、アジア初かつ日本で最初の万博は1970年の大阪万博(EXPO'70)で、その会場の総合設計者丹下健三のもとでテーマ館の総合プロデューサーとして参画していたのがあの有名な大阪万博のシンボルタワーとして現地に残されている「太陽の塔」をデザインしたのが「芸術は爆発だ!」の岡本太郎。
大阪万博の開催中は東京の大学生生活、夏休みも練習、合宿もあって万博は観ていない。
その代わりと言ってはなんだが、その42年後(2012年)に会場跡地の万博記念公園は訪問したことがある。
8月6日の原爆記念日も近いので、自宅からも近い川崎市生田緑地内にある川崎市岡本太郎美術館で開催中の特別展「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ原爆X芸術」を訪問してみた。
ビジターセンター横から緩やかな坂道を登る。
メタセコイヤの林に入ると幾分涼しい。
迎えてくれたのは樹霊I(1970)
「太陽の塔」(1970年、 繊維強化プラスティック)
森の掟(1950年、油彩・キャンバス)
「梵鐘(歓喜)」(1965年、レプリカ)
ある人が言った。
「あなたは絵描きさんでありながらさかんに文章も書くし、一体どっちが本職ですか」
「本職?そんなのありませんよ。バカバカしい。もしどうしても本職って言うんなら、本職は「人間」ですね」
「明日の神話」(1968年、油彩、177am×1085cm)

企画展示室ではプロの画家、写真家、アーテイストの様々な手法による原爆に関する展示に加え、広島県基町高校の生徒が被爆の証言者から聴き取った話をもとに描いた油絵(2010〜2024年)も40点ほど展示されていたのが興味深かった。
この基町高校の生徒による原爆の絵の展示は2022年8月に有楽町の東京交通会館で観たことがある。
最後には、顔出しコーナーも。
ビッグニュースに太陽の塔も喜びいっぱいでやった〜の表情🙌
建物と展示のハーモニー
外階段から屋上へ。
後ろの丘が有名な井上誠一設計の川崎国際生田緑地ゴルフ場には一人でもよく来たものだが、ゴルフは6年前に完全卒業。
シンボルモニュメント「母の塔」
奥に見える建物は専修大学生田キャンパス
とにかく盛りだくさんのTARO WORLDだった。
《パンフレット》
昨日の余韻もあって、今朝、JR渋谷駅と京王井の頭線渋谷駅の連絡通路にマークシティーが恒久展示(2006年)している「明日の神話」(1969年)の壁画(アスベスト製板にアクリル系塗料)も確かめてきた。なんと、550 cm × 3000 cmの大作だ。
今まで幾たびも自然に通り過ごしていた場所だが、改めてその凄さとこの作品の数奇な歴史に感動した。
下から見上げると立体感がよくわかる。
蛇足ながら、岡本太郎が何回も訪問し影響も受けているだろうと推察するメキシコにある国立人類学博物館での写真(1996年)

































