今月初めに、若葉台団地近くで偶然目にした珍しい水路鉄橋(大貫谷戸水路橋)が気になったので、市立中央図書館で色々調べてみたら、この付近には、他にも同じような水路鉄橋があることが分かった。
横浜市の水道は相模湖から大部分が地下に埋設されている導水管(水道みち)によってで、1887年(明治20年)に建設された日本での近代水道の発祥の地の横浜野毛山の貯水池送られているということは知っていた。
その後の水道水の需要増大のため、1952年に拡張された川井浄水場(旭区上川井)から鶴ヶ峰配水池(旭区鶴ヶ峰)までの部分は、いくつかの谷戸越えの必要性から緩やかな勾配(6/10,000)の鋼構水路橋が造られたようだ。当初はサイホン方式も考えられたようだが、コスト、工期、メンテの面から水路橋になったと言われている。
「横浜水道」
これらのうち①、②、③は地上からも見えるようなので、勝手に「水路橋三兄(橋)弟」と名付けて現地調査を行ってみた。
①
②梅田谷戸水路橋
そして今日は、その最後(末っ子)の③鶴ヶ峰水路橋だ。
市営地下鉄中山駅でバスに乗り換え十日市場駅行きのバス。
十日市場駅で乗り換えて、最近頻繁に通う昭和のニュータウンの若葉が美しい若葉台団地へ。
平日で人は少ない開放的な中庭で軽くランチを済ませた後、バスターミナルから横浜西口行きのバスで鶴ヶ峰駅を目指す。
「大貫谷戸水路橋」をバス車内から見上げるのは初めてで、新鮮だった。
目的地の鶴ヶ峰水路橋へは鶴ヶ峰駅から歩こうと思っていたが、鶴ヶ峰中学校のそばという事だったので、駅二つ手前の鶴ヶ峰中学校前のバス停で緊急下車。香港の小巴(ミニバス)風の「シンサンヤウロ」(先生有落)ではなく、「つぎ止まります」ボタンを押す。
中学校はこのバス停前ではなく、ここから坂道を歩いて10分ほどの丘の上にあったが、中学校の先にあの緑色の水路橋(1952年完成)が見えてきたのは感動だった。
西側には水道局(工業用水課)への坂道。
反対(東)側はこの先の鶴ヶ峰配水池につながっているようだ。
水道局正門前から東の水路橋を振り返る。
ここで、道に腰を下ろして、一枚。
東側の丘を目指す。
丹沢山系が見えたが、朝見た富士山は雲の中。
導水路がカーブしているのがよく分かる。
今朝自宅の近くから見た富士山はこれ
尾根の東端にあるのが横浜市水道局鶴ヶ峰配水池
配水池がある場所には遺跡もあったようだが、今はここに移設されている。横浜市地域史跡「畠山重忠古戦場跡-駕籠塚」
尾根の北側には、住宅で埋まった緑区、青葉区、都筑区あたりが見える。
このあたりの標高は77mで、横浜市では一番高い場所かな?
ちなみに、中山駅では標高18m、若葉台団地は38m、写真中央の鉄塔のある丘の向こう側にある我が家は標高35mだ。
立派な鶴ヶ峰配水池の正門。
帰りは別の道を通って水路橋の北面も見てみた。
来た時と同じ坂道を下って大きな五叉路で右折して鶴ヶ峰駅に向かう。
駅方向の商店街にあった鎧橋は、水道みちと帷子川が交差していたようだが、今は埋めててられて公園になっている。
ここにも「水道みち」の看板
南町田グランベリーパーク鶴間公園(2022年5月撮影)
相鉄線鶴ヶ峰駅の横にはまだ踏切が残っている。
ここからは引き続き敬老パスが使えるバスとなるので私鉄電車には乗らないが、念のため駅を確認。
この辺りの海抜は我が家と同じ38mだった。もっと低いかと思っていたので意外だった。
そして、バスターミナルへ。
かなりのバス路線なので、帰りもいろんな路線が楽しめそうだ。
先程利用した横浜駅西口行きに乗る。
国道16号の路標では高島町まで5km。
半日かけたバスの旅の〆は横浜ビールペールエールでウガイ。
1ヶ月半かけて大阪から、和歌山、熊野古道、伊勢、中山道をヒッチハイクしてきたという隣の米国青年(デザイナー)と本当に久しぶりの英語でのノミュニケーションを楽しんだ。日本のクラフトビールが大好きという彼もスタウトの次はペールエールに切り替えてくれた。
横浜市役所壁面のウクライナ🇺🇦支援のライトアップはまだ継続中。一日も早くこのライトアップが消える事を祈る。
小腹が空いたので、野毛を歩いていると見慣れない店があったので、入ってみた。
プレオープンなのでドリンク半額、ラッキー!
流石にサービスは教育中だったが、おすすめの手巻き寿司のプレゼンテーションと味はナイスだった。
そして、目の前にあった大好物は外せなかった。
ウクライナとロシアの雪解けを願って、雪解け牡蠣をいただく。
疲れた下肢にはミネラル一杯のカキで、大満足の一日でした。
もし、5月14日までに横浜に来られたら是非!