なんともハッキリしない冬空ではあったが、随分久しぶりに横浜中央図書館へ学習に出かけた。前回は2年前だったかな?
今日の学習のテーマはいきなり![]()
というのは、2016年、2018年、2019年に、はるばる横浜から訪問したことのあるディープな奥多摩が本店のVARTEREが、来年1月に私の地元横浜、それもディープな野毛にTaproomを開店するというので、それに先立って行われるプレオープンをちょっと覗いてみる前に、そもそも横浜が発祥の地とされているビールについての学習という次第。
前回の訪問は2019年
以下は、図書館で入手した資料「ビールと文明開花の横浜 コープランド生誕150周年記念」誌から。
(1984年8月キリンビール株式会社発行)
ノルウェーで生まれたウィリアム・コープランド(原名ヨハン・マルティニウス・トーレセン)は地元でドイツ人技師からビール醸造を学び、その後アメリカに渡り、ウィリアム・コープランドと改名し横浜が開港して6年目の1864(元治元年)年に日本に移住して、横浜で友人達とで酪農、運送事業などを経営した資金を基に山手123番(天沼)1969年にスプリング・バレー・ブルワリー(現麒麟麦酒)を設立した。1972年に一時帰国したノルウェーで挙式挙げた妻アンネ(15歳)は1979年日本で22歳の若さで病死した。その後1889年に日本人勝俣ウメと結婚。
1902年コープランドは横浜石川町の自宅で68歳の人生を終えた。今は、6年後の1908年に亡くなったウメと一緒にスプリングバレー社のあった天沼に近い横浜の街を見下ろす山手の横浜外国人墓地に眠っている。
貴賓のある容貌と美しい書体のサインは彼の勤勉・実直さを表していると言われています。
William Copeland
(1834-1967)
日本のブルワリーの歴史が分かる年表は興味深い。
そして、目的地のVARTERE Yokohamaへ。
なんだかまだ工事中の感じ。
あれっ?
今日は予約のみだって!
仕方ないので、桜木町駅の Kirin Cityへ。
「キリンビールの100年 絵で見る歴史図鑑」
(彩流社2017年刊)
キリンビールの本を読みながら飲むキリンもいいものだ。
ビアシティーヨコハマで、今日は軽く
NO BEER, NO LIFE![]()
来年のVERTEREの初飲みが楽しみだ。












