僕はあるアルバイトをしているのだが、その仕事でミーティングの内容をまとめ、それを英語に直し関係部署に配布するというものがある。大学に入って以来これといって英語の勉強をしていなかったので英語の能力もだいぶ落ちちゃったかなと思っていたのだけれど、先日TOEICを受けたところいい点数がとれた。そこで英語学習に必要なのは何なのか考えた。

まず受験勉強で学ぶ英語というのは何なのか思い出してみる。大きく分類すると以下のようになるだろう。
1文法
2長文読解
3英作文
4リスニング

うん、これで十分なんだよね。ちゃんと勉強すればもうこれで普通に大丈夫だと思う。リスニングは文章の速読と頭の使い方がだいたい一緒だから1~4が相互に関連し合いながら何かの能力が上がれば他の能力も上がっていく。

でも、これじゃ話せなくない?うん、そうですよね。話せないんです。話せないと外人もナンパできないし、旅行行っても外人をナンパ出来ないんです。しかも、洒落たジョークも言えないんで外人がナンパできないんです。

じゃあどうするか。

映画で素敵なダジャレをパクって、西麻布のクラブでオンザジョブトレーニングしましょう。
使っていかないと上達しません。クラブで勉強できなさそうな女の子たちが外国人男性と英語で流暢に話しているのを目にするたびにそう思います。

でも仕事で使う英語としてはちょっと違和感がある英語を覚えてしまうので、TEDを見てその表現を盗んでいくのがオススメです。


結局のところ日常的に英語に触れ合っているかどうか、話す自分を想定して英語を聞いているかだと思います。そしてその聞いてる英語が自分のニーズと合っているか。(それはビジネス用か?ナンパ用か?)会議室で聞き逃さないように外人の意見を聞いている中で僕のビジネス英語力も少なからず磨かれたと思う。


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小林秀雄の講演会を録音したCDってモノがこの世にはあって、浪人時代によく聞いていたんだけど久しぶりにそのCDを聞いてみた。そのCDの中で、少し甲高い声で彼は言う。「悲しみを数量化することはできないだろ?」と。

現実を数量化し、それを数学を用いて分析していくのが経験科学である。しかしその一方で、現実の全ての物事が数量化できるわけじゃない。悲しみをはじめ人間の主観は数量化出来ないわけだ。それ故に、科学はそれ自身方法論的な限界を内包しているというのが小林秀雄の主張である。そして、その数量化出来ないものをいかに論理的に分析していくか、それこそが現代科学の課題であると示唆して講演は終わる。この延長線上に茂木健一郎が提唱する「クオリア」があると思えば科学の発展の系譜が漠然とわかるように思う。

さて、僕は経済学部の学生だ。だから経済学についても考えよう。
経済学では「効用(Utility)」という概念がある。これは平たく言うと、「満足度」みたいなものだ。そしてその効用は関数で表される。一般的に効用は消費の関数で表される。つまり、消費量によって人間の効用、つまり満足度が決まるでしょということだ。満足度は主観だから、厳密な意味では数量化出来ない。でも経済学はモデル分析だから現実を単純化して分析する。だから効用は消費の関数でいいのだ。

では厳密に考えるとどうだろう?僕達の効用はどのように決まるだろう?それはつまり、僕達にとっての幸せってなんだろうってことと同じ問いになる。

じゃあ僕達の幸せって?

僕は神様じゃないから一般に通用しうる幸せではなく自分の幸せについて考えたいと思う。

もちろん「消費」は大きく僕の幸せに影響を及ぼすだろう。うまい飯は食いたいし、好きな服も買いたい、住みたい家にも住みたい。じゃあそれが最も大事なことか?

「友人」「女」「家族」どれも自分にとってはすごく大事で自分の効用に影響を及ぼすだろう。

でも、もう一つ自分にとって大切だと思うことがある。これ結構クサイですよ。

「何か少し大きめの目標を掲げ、その目標に向かってガムシャラに努力し、その目標を達成すること。(そして、その目標はある程度の期間を経ないと達成できないことであること。)」です。

何を幸せとするかによって生き方はだいぶ変わってくると思う。各項目にウエイトを与え加重平均することによって自分の幸せが決まるとすれば、僕は効用最大化するように生きていくだろう。

だから自分の幸せについてじっくり考えたりするのも大切だよなぁと徒然なるままに考えていたのでした。そしてそれに答えなんてないのだ。

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学生だから出来ることをしたいと誰かが言った。

僕はその発言にすごく違和感を持った。学生って言ってなんか自分でハードル下げてないか?

なんか違和感だらけだけだったので文章にして考えてみることにした。

まず最初に現実があった。狩猟採集経済から農耕文化が花開き、僕達人間は定住を始めた。農耕文化ではある程度は体力でどうにかなるから若くても土地を耕すことが出来、土地を国家から付与されその土地でコメを耕すことが一種の社会進出だった。(班田収授の法とかね)

でもやがて、生産は高度化し知的労働者としてのスキルが求められると共に、義務教育とその後の高等教育を経て若者は訓練を受け、賃金労働者として社会に進出するようになった。要するに、人間は社会にでるのに必要なスキルを若者に付与するためにシステムを作ったんだ。
現実からシステムが生まれた。

手段は目的のためにある。そして、その目標を達成するための手段は一つじゃない。だから、社会に出て何らかの労働(あるいは仕事)を行うことをゴールだとするならば、その労働に必要なスキルを手に入れることが手段ということになる。

寿司職人になるなら大学に行く必要はないし、トレーダーになるためには結構数理的な勉強をすることも必要だろう。WEBデザイナーになるならひたすらパソコンいじったりしてた方がいい。

そこでだ。大学在学中の学生が「学生だから出来ること」と言って中途半端な学生団体を作って何の意味があるんだろう。そういう事をやっている自分たちに酔ってるだけだろうと思う。

本気なら起業すればいいし、起業するなら大学は休学するかあるいは退学すればいい。自分でやっていけると考えたのだから。そこまでやるなら納得出来る。あぁ君は社会にでるためのスキルをある程度身につけたんだね。僕も頑張って追いつくよ。先に行って頑張っててくれ、と。

でも、イベントやったり、学生団体やっておままごとやるのは無駄なんじゃないだろうか。あるいは僕は批判的に過ぎるんだろうか。

謙虚に行こうぜ。自惚れないで。そんで頑張りまくろうぜ。

僕も含めスキルがない人は、ひたすら謙虚にすごい人達からスキル盗みまくって力蓄えようぜ。
俺は必死に盗んでるよ、今。


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