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Yokoi Hideaki

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このところ連続して、昨年末、親族から送られてきた喪中はがきを機縁としたジェームス・アレンの「原因結果の法則」にまつわることを書いてきました。今回はジェームス・アレンを離れて、上をテーマに書きたいと思います。

 

「原因結果の法則」はバシャールの一番有名な言葉「与えるものが受けとるもの」で説明できます。それについては昨年以下のブログに書きました。

 

 

「与えるものが受けとるもの」原語である英語表記は「what you put out what you get back」で、直訳すれば「貴方が発したものが、貴方に還ってくる」です。この言葉を「与えるものが受けとるもの」と訳したのはダリルアンカの通訳をされた関野直行さんの名訳と言えます。

 

上のブログでも書いたように、バシャールは「これは純粋に物理学を表現した言葉である」という趣旨のことを述べていますが、原因結果の法則はすべてが波動であることに基づいた物理学的法則なのです。

 

時空というバッファー、緩衝材

しかし、この次元の「現実世界」に生きていると、不条理に思えることが多すぎて、「全ては偶然である」としか思えないのが現実です。その理由はこの次元には時間と空間が存在するからです。そして、時間も空間も幻想であることは現代物理学の最先端で既に証明されています。

 

幽界や霊界という高次の次元では時空は存在しませんから思ったことは直ちに現れます。どこかで書いた記憶がありますが、時空というのはバッファー、衝撃を和らげる緩衝材のような働きを持っています。

 

悪果を招く悪想念を完全に滅却した「悟った」存在にはバッファーは要りませんが、私たちが存在するこの次元は修行の場のようなものですから、バッファーがないと存在そのものが維持できず、学習や修行は行えません。

 

話しが変わるようですが、五井先生は死刑廃止に反対なさっていました。当たり前なら「五井先生のような宗教者は死刑には反対されているだろう」と思うものですが、実際にはそうではありませんでした。原因結果の法則に基づけば、この世で死刑に値するような悪因を為せば、その悪因は必ず厳しい悪果として自身に還ってきます。以下はそれに関する五井先生のお言葉です。

 

米国に生存していたエドガー・ケーシーという人は、仏教的にいえば宿命通とでもいうのでしょうか、人々の過去世における出来事や、輪廻転生の事実を、その霊能によって知らせ、病気の原因や不幸の原因をさとしていましたが、この人のことを書いた本を読むと、私が常日頃から説いていることと同じようで、今生の運、不運、幸、不幸は、殆んど過去世の自己の想念行為の因縁によって現われてくるものであることがよく判ります。
過去世の因縁が今生で現われるということは、今の自己の想念行為は、今日以後からあの世まで、あの世から来生、再来生までもの未来において必ず廻わり廻って、いわゆる輪廻して、自己の運命となって現われてくるものであることは確実なのであります。
人をだまして、うまくやったと想ってほくそ笑んでいる人は、やがて今生のうちか、幽界においてか、来生、再来生においてか、その行方は必ず自己にえってくるのです。恨みも妬みも怒りも、非道な想念行為も、殺傷沙汰も、すべていつか必ず自己の運命として還ってくるのです。
ですから私は、強盗殺人罪を犯した人でも、死刑にしてはいけない、という生半かの人情論には反対なのです。
犯した罪はこの世において早くぬぐっておいた方が、幽界へ行ってからの苦しみにくらべたら、 どれだけ得であるか判らないからなのです。
幽界で苦しみ来生で苦しむ、そんな無駄な苦しみを重ねるより、今生で良心にめざめ、悔い改めて、罪のつぐないをしていった方が、その当人にとって、どれだけ幸せであるか判らないのです。
その人が悔い改めたから、改悛の情が凄いからといっても、その人の良心は必ず自己を処罰せずにはいられないものを内に持っているのです。その真理を知らぬ、死刑廃止論などは、かえってその人たちを苦しめつづける結果となってしまうのです。

(お言葉おわり)

 

五井先生は死刑に反対する理由を「『死刑』という形でその罪を少しでも解消しておいた方があちらに行ってから受ける厳しい悪果を和らげることが出来るから」という趣旨で説明されていました。時空のある「この世」はそのような「場」でもあるのです。

 

斎藤秀雄さんのお話

こう言えば「そんなことを言っても無実なのに、警察に罪をでっち上げられた冤罪をどうするのだ」という人もいるでしょう。

 

それも原因結果の法則が働いた結果ではないでしょうか。過去世において無実の人を罪に陥れたような因縁が自身に還ってきている可能性があります。このことを寓話的に語るエピソードを紹介します。それを紹介されたのがタイトルにある斎藤秀雄さん(以下斎藤先生)です。

 

釈尊にもイエスにもそれぞれ十大弟子、十二使徒という高弟がいらっしゃいましたが、五井先生にも高弟がいらっしゃいました。斎藤先生はそのお一人で、霊能に優れた方でした。

 

斎藤先生は五井先生の会の草創期、み教えの普及活動に尽力され、全国各地(国外も)を巡られた方ですが、斎藤先生には巡行された各地での不思議な体験をまとめられた「霊験巡行記」という興味深い著書があります。

 

 

 

後段でこの本から興味深いエピソードを少しピックアップ、紹介しますが、ここではまず斎藤先生が五井先生の会の会報に寄稿された「因縁因果の法則」にかかわる五井先生とのやり取りを紹介したいと思います。

 

以下、昭和三十年代後半の五井先生の会の会報(白光)よりの抜粋です。

 

まだ聖ケ丘の道場もなく、毎月一回市川駅前の五丁目会館で、五井先生の御法話と統一会を開いていた当時のことでした。

本部から会場まで、先生のお供をして干葉街道を歩いていた時、私はふと或る本で読んだ因縁話を思い出し、このように五井先生にお尋ねしました。

 

「先生、因縁因果についての昔の本に、お修行中の一人のお坊さんが峠を越える時、いつも峠の見晴しのよい所でお弁当のお握りを食べることになっていました。その日もおにぎりを食べて、その包みの竹の皮をそこへ捨てたのです。丁度その時、そのお坊さんの後の木の枝に一羽の烏がとまって、お坊さんの捨てた竹の皮に残された御飯粒を、お坊さんが居なくなったら御馳走になろうと楽しみに待っていたのです。お坊さんは、さて出かけようと思って立ち上り、何気なく前にあった小石を拾い、ぽんと後へ捨てたのです。」

 

「その小石が烏の頭に当たって、カァーとも鳴けず死んでしまったのです。お坊さんはそのことに気づきませんでした。それから10年、そのお坊さんが同じ峠の下を通りかかったとき、峠の上の方で大きなイノシシが穴を掘っていて、そのイノシシの爪で飛ばされた大きな石がそのお坊さんの頭に当たり、お坊さんは死んでしまいました。その本にはこれが因縁因果だと書いてあったのです。私はそんな馬鹿な、と思っているのですが、先生どうでしょう?」

 

先生は「そうですよ。それが因縁因果の法則です。」と予期に反し、厳然とおっしゃいました。そこで私は、「それが本当で、私たちが知らずにやっていることにまで責任があるなら、道も歩けません。豚や牛の肉も食べられません。法則通りなら私たちは安心して一日も生きてゆけないのじゃないですか?」と申し上げたのです。

 

先生はこうおっしゃいました。

「その通りです。法則通りに現れたら人間は生きては行けません。それほど厳然たるものです。古代の生物のように人類も滅んでしまいます。けれども法則の神だけでは、人類の向上進化は望めないので、大神さまは守護霊、守護神を人類の指導神霊として一人一人の人間に指し向けて、人類救済に当たらせているのです。人間は誰でも、唯物論者でも、一日も守護の神霊なしには生きてゆけません。宗教信仰の必要はここにあります。法則は絶対です。その法則の現れを出させずに、知らぬ間に引き受けて、休みなく浄化消滅し、幽界、霊界で現して消してしまったり、小さく表して消してしまってくれているのです。夢などもその働きです。この働きがあるから人間は平気で生きてゆけるのです。法則から言えば知るも知らぬもありません。本人の想念行為は必ずその報いを受けるのです。」(転載おわり)

 

五井先生のお話

この斎藤先生のエピソードを私は森美智代さんの合宿講話でお話しましたが、そこでは併せて五井先生の次のようなお話も紹介しました。

以下、五井先生のお話です。

 

人間には過去世の因縁がありまして、不具で生れてくる者もある、年中頭が重いという子供もあるでしょう、ノイローゼや精神病などの人もありますが、それはどういうことかというと、過去世において自分の行ったいろんな間違ったこと、人をいじめた、人を苦しめた、人を残虐に処したとか、いろんなことが誰れでもあるわけです。

 

その度合が多いほど、深いほど、この世に現われてくる苦しみが多いし、深いのです。それが自分の行いだけが自分に帰って来て悪くなっている場合もありますし、逆に、その人が先祖の迷った人たちを救おうとして行う菩薩行である場合もあります。

 

先祖の業を自分が一身に引受けて、自分の世代でもって先祖の業をみんな消してしまいたい、と発願して、魂がワザワザそういう所に生れてきて、不具な形になっている人もあるのです。それで自分の魂の所へ、先祖の犯した業想念がみんな寄ってくる。そして自分の魂が一身に背負うわけです。

 

だから(本体は)光り輝いているけれども、ウンと背負ってくるから、苦しくなってそれがテンカンになったり、片輪になったり、或いは精神病になったり、医学で治らないような病気に生まれたりする人もあるのです。二種類あるわけです。

 

それをなおすためにはどうしたらいいかというと、その人の業因縁でも先祖の因縁でもかまいません。そんなことはどっちでもいいから「ああ過去世の因縁の消えてゆく姿なんだナ、どうかこの人の天命が完うされますように、この子供の天命が完うされますように」と世界平和の祈りを一生懸命して、守護霊さん守護神さんにお願いするわけです。

 

周囲の人がそう致しますと、お願いした時のほうが、お願いしない時よりもズッと楽になります。その人自身が出来たらつづけてゆくのです。うまず絶ゆまず、終始一貫つづけていく。

 

そうするとこの世でなおるものはなおるし、もし亡くなるにしても、魂が楽になって、業がスッカリ消えて霊界へ行くわけです。そして天命が完うされるわけです。その人が望んで来たこと、或るいは過去世の因縁がそこで消えて、その人は霊界できれいな生活が出来るわけです。

 

なんにしても、光の柱に入ることが大切なのですし、光の道の中に導き入れることが大事なんです。

ここで一寸、祈りの中で守護霊さんはどういう風に働いておられるかということを説明しましょう。守護霊さんは、守っている肉体人間とは、かつては血縁のあった霊なので、お互いの交流がしやすくなっています。

 

普通の場合は、肉体人間のほうからは交流してこないので、もっぱら、守護霊さんのほうから瞬時の隙なく、被守護体を守りつづけていて、それは大変なことなのです。しかし、世界平和の祈りを知って、守護霊さんへの感謝をささげている人は真に守りやすいのです。

 

守護霊さんにとっては、守っている肉体人間の今後の運命がはっきり判っていますので、その運命が少しでも良いほうに向かうように、常に波動を調整しているわけです。

 

例えば、その日予定の飛行機に乗ったら、死傷ざたが起こる運命に守っている肉体人間があるという場合、これを正すために、急に病気にしたりして、その日の旅行を取り止めざるを得ないようにして、その惨事を救ったり、 その人の運命のために、会っては悪い人間に会わねばならぬ、という時、もっと重要な事柄が起って、会えなくしたりして、いろいろの方法で、その人の苦難の道を防いでやっているのです。

 

守護霊さんは、 肉体人間の両親や祖父母と違って、守っている子孫の心の中の運命からすべてが判っているので、実にたよりになる存在なのです。ですから、肉体人間のほうでは常に常に守護霊さんへの感謝をつづけ、ますます守りやすいようにしてゆかなければならないのです。

守護霊さんは、自分の力の及ばぬ時は、守護神さんに援助を求めて、あくまで守っている子孫を立派にしてゆこうとしているのです。

 

子孫が大きな苦しみにあっているような場合でも、それがその子孫の魂をより立派にするものであれば、じっとそれを見守っています。そしていざとなれば、一挙に救ってしまう場合もあります。

 

何はともあれ、守護の神霊、大神様は地球人間を立派にしようとして、神々に援助の手を差しのべさせているのでありますから、人間側は、それを信じて、世界平和の祈りと、神々への感謝を行じつづけていたらよいのです。私たちは、それを実行し、そのことが真実であることを、はっきりと知っているのです。 (五井先生のお話おわり)

 

世界平和の祈りと守護の神霊への感謝

ここで五井先生は悪因悪果の中には、そんな悪因は持っていないのに菩薩業として一族縁者の悪因を引き受け、悪果を一身に背負って生まれてくる方がいらっしゃることをお話になっています。そのことは私も以下のブログで紹介しました。

 

 

 

この様な菩薩業の場合は別にして、自分のやったことはすべて漏れなく、自分に還ってきます。先の五井先生のお話にあるように、自分が為した善因は必ずそれに応じた善果を、悪因は必ず相応の悪果をもたらします。

 

前回のブログで、現れたものが善果であれ、悪果であれ、それによって因縁が解消したのであるから、現れた善果は守護の神霊に感謝し一層の善因を積むための契機と為し、現れた悪果は「これによって悪因は消えたのであるから、もう悪因を積むのをやめ、これからは善因を積もう」とそれまでの生き方を変える契機とすることが大切なのである、という五井先生の教えを紹介しました。

 

善因を一層重ねるため、また犯してしまった悪因を善因に転ずるための最高の方途として五井先生がお示しくださったのが、「世界の平和を祈り」と「守護の神霊への感謝」です。

 

私は断然これをお薦めしますが、心から祈り、唱えるならキリスト教の「みこころの天になるがごとく、地にもなさしめたまえ」でも、仏教の「南無阿弥陀仏」や「観音経」でも、神道なら「祓え給い、清め給え、守り給い、幸(さきわ)え給え」の祝詞でも良いのです。要は折々に神仏の中に自分の思いを投じる習慣を持つことが悪因を祓い最高の善因を積んでいくことになります。


斎藤先生のこと 伊東「松月院」のこと

さてここで斎藤先生のことにもう少し触れておきたいと思います。(下、斎藤先生)

 

斎藤先生は五井先生のお弟子になられるまで、霊能などとは全く無縁の唯物論者で、共産革命を目指したこともあったそうです。五井先生とのご縁を経て、霊能を開かれ、先に書いたように五井先生のお側にあってみ教えの普及に活躍されました。

 

霊能もそうですが、斎藤先生は画才などとも無縁で絵を描かれたことがなかったそうですが、ある時から観音様や龍神の絵を描かれるようになったと言います。そのことを五井先生は「斎藤さんの背後の高級神霊(女性)が描かせている」とおっしゃったそうです。それを知って以来、どこかで斎藤先生の絵を見れないものか、と思っていたところ先日ようやく拝見する機会に恵まれました。

 

斎藤先生の画は伊豆、伊東市の松月院という曹洞宗の寺院で拝観することができます。おそらく斎藤先生が地方巡行の折に伊豆方面での会の行事の拠点になさっていたのが松月院だったのでしょう。

 

そのご縁もあってか、松月院境内には五井先生が自ら出向かれ、お浄めされたという一葉平和観音が祀られた五井先生ゆかりの寺院でもあります。そのことを昭和四十二年の白光誌で読み、知った私は先日同院を訪れ一葉平和観音にお参りし、ご本堂も拝観しました。下が一葉平和観音が安置された五重塔、さらに御本堂と御本堂内の斎藤先生画と思われる観音図と龍神図です。

 

 

 

 

 

松月院は伊東温泉の高台にあり、風光明媚でもあります。機会があれば、有名な伊東温泉への入浴がてら同院を参拝されることをお薦めするものです。

 

さて、ちょっと脱線しましたが、最後に斎藤先生の先のご著書からのエピソードを紹介します。この本には興味深いお話が満載なのですが、中から五井先生と合気道の植芝守平先生の初めての出会いのお話と米国の著名な霊能者、ラインハート師との出会いを転載します。

 

二聖者会談 「私は宇宙です」 五井先生と植芝盛平先生

もう一つ忘れることの出来ない尊い思い出がある。それは、十数年前のある日、五井先生が神田区民会館で個人指導をなさっていた時だった。

 

そこへ、合気道の創始者で、武道に挺身し、その道の奥義を極め、遂に「武は愛なり」と悟った「武の神様」と言われている植芝盛平先生が何の予告もなく突然訪ねて来られた。

 

受付にいた私の前に泰然とお座りになられ、「私は、五井先生のお弟子になりたいと思って来たのです。どのような手続きをしたらよろしいのですか」と底光りのする爛々と輝く眼を、真直ぐに私に向けて慇懃に挨拶された。

 

この方は常人ではないと直感したが、五井先生は、常々どんな有名な偉い方が見えても、また名も知れぬ貧しい恰好をした人でも、「私は区別しようとは思っておりませんよ」と、おっしゃっておられたので、「私達の会には、難しい手続などございません。この申込書に住所氏名をお書きになり、会費三百円を納めて下されば誰でも五井先生のお弟子になれるのです。」私は、いとも簡単に答えた。

 

「そうですか、それでは、これでお願いします。」申込書に千円札を添えて差出した。書かれた名前を見ると植芝盛平と記されていた。

 

私はかって五井先生から「私は宗教の道から入って神と合体した者ですが、植芝先生は武の道から入って神と合体された最高のお方ですよ」とまだ一度もお会いになっていない植芝先生を霊覚でご覧になり、絶賛されるのを伺っていた。

 

私は早速五先生にお知らせした。先生はお喜びになり、「もう少しで、個人指導も済むから、会食をしながらお会いしましょう。あなたも、いい機会だからご相伴なさい。」

地上最高の聖者と言われるお方が、ここにお二人、初めて会見されるのだ。その世紀の会見の場に、私ごとき者がご相伴に与るとは何んという幸せ者だろうと思った。

 

間もなく個人指導も済んだので、私は植芝先生をご案内して先生のお部屋へ入った。五井先生は、いつものようにニコニコと微笑を浮べながら、「さあ、さあ、どうぞ」とお気軽に座をすすめた。

 

植芝先生も鋭い眼に親しさの溢れる光をたたえ、五井先生の前に正座し、「五井先生 私は宇宙です。」開口一番、こともなげにおっしゃった。

私は植芝盛平という立派なお名前があるのに何故にこんな自己紹介をされるのかと不思議に思った。

すると五井先生も「植芝先生、私も宇宙ですよ。」五井先生も、いとも簡単に、同じことをおっしゃった。

 

私は どうして、宇宙、宇宙とお二人が同じような自己紹介をなさるのか、さっぱり理解できず、啞然とした気持ちで、この世にも珍しいご挨拶から始まる大聖者同志の会見の成り行きを見まもっていた。

 

それから、お二人は、まるで十年の知己のように、がらりとお寛ぎになり、ご会食をなさりながら語り合い、植芝先生はお修行中の面白い武勇伝などをお話しになり、約一時間、世にも記念すべき世紀のご会談が展開されたのである。

 

筆禍奇縁を生ず

私は、その会見記を凡夫の未熟な頭脳で、興味本位の文章で白光誌に発表した。ところが、その記事のことで植芝先生からコテンパンにお叱りを受けて、私は自己の未熟さを深く反省し、早速翌月の白光誌上で「陳謝の記」を発表して軽卒筆禍を深くお詫びする、という大失態を演じてしまったのであるが、その失敗が幸運な奇縁となって植芝先生が「五井先生、斎藤先生を、これから二人で立派に仕上げて見ましょうや」と、おっしゃって、今日の私の宗教人としての基盤をお二人の大聖者のご慈愛の鞭によって叩き直して戴けたことは、まことに、まことに幸せであったと深く感謝している。

 

数年後のある日、五井先生が聖ヶ丘の聖壇で「世界平和の祈りは、守護の神霊と一つになり、救世の大光明霊団の光明と合体し、光のエレベーターに乗って、大宇宙を創造された、大宇宙神のみ心の中へ、すっぽりと入ってしまうことなのです。そこで、大宇宙神のみ心の中から、無限の大宇宙を、そしてまた、小っぽけな人間生活の消えてゆく姿を、しっかりと見直すことです。」とおっしゃった。

 

そのご法話を聴き、私は愕然としてかっての大疑問の答を得ることが出来た。

そうだ「私は宇宙です」と、両聖者がおっしゃったその言葉の意味が、その時、初めて心のどん底から、ハッと理解することが出来たのだ。

 

人間は誰でも、大宇宙を創造された宇宙神の大生命から発した生命を、生命として、ここに戴いて生きているものなのだ。「私は宇宙です」ということは、五井先生と植芝先生だけのことではなく、人間は誰でも、その生命の大元である大宇宙神のみ心の中へ還れば、私でも、あなたでもない、一つの大生命である宇宙神そのものなのだ。と、いうことを分らせて戴いた。

 

五井先生が常々「消えて行く姿と世界平和の祈りの行じ方について、徹底した消えてゆく姿を行ずれば、人間のつくった有限のカルマはいつかは消え去り、無限、絶対の大宇宙神の愛と調和のみ心だけが残るのです。」とおっしゃっておられた消えてゆく姿の真理が、やっと分らせて戴いたような気がした。

 

地球上に愛と平和の新しき世界を建設する祈りによる世界平和運動の実践には、こうした宇宙的なスケールの自覚が必要なのだ。そこで初めて、世界平和の祈りが宇宙的な偉大なひびきを持って、本来の素晴しい力を発動されるのである。

 

個人の幸せも、日本の平和も、全人類の平和も、すべて大元の宇宙神のみ心から発している大光明によって完成されるものであることを自覚し、その原点から再出発せねばならないのだ、ということを、つくづくと心の底から分らせて戴いたのである。

 

今こそ、中途半端な人間智の小っぽけな考え方をさっぱりと捨て去り、大宇宙神と私達人間の心を一つに直結する五井先生が生命をかけて創設された世界平和の祈りによる光のエレベーターに乗って、すべてのすべての原点である宇宙神のみ心の中にかえり、「私は宇宙です」の自覚を身につけて「祈りによる世界平和運動」の光の道を、心も新たに再出発する時である。

 

今ここに、私も、あなたも、五井先生という人類史上最高の大聖者に、お目にかかれた喜びを、この幸せを、もう一度、ゆっくりと、噛みしめ、噛みしめて味わい、大慈愛の五井先生を讃え、そこまでお導き下さった諸々のご先祖様に、父母に、兄弟姉妹に、親友に、そして悪友に、悪縁の消えてゆく姿として結ばれた悪党様方に、すべてのすべてに感謝の祈りを捧げましょう。

 

もう一つ、忘れることの出来ない貴重な記憶がある。それは次に述べるラインハートとの会見である。

 

初めての海外布教 ロス支部の発会式

この「神霊界との交流」の思い出は私の生涯を通じて真に貴重な体験の一つである。と同時に物質的心霊現象としても特筆すべき出来事だったと思っている。

 

ことの起りは、昭和四十六年五月上旬、私は五井先生から呼ばれ、「斎藤さん、今回ロスアンゼルスの岡さんがロス市に支部を創りたいから先生の代理として誰か講師を派遣して下さいという要請がありました。私の名代として行って下さい。」と突然先生から言われたことでした。

 

私はびっくりして「先生、私は英語は学生時代から大の苦手の方で、全然だめなんですが」と申し上げましたが、先生は「斎藤さん、そんな心配はいらないのですよ。相手は日本人だものね。それに飛行場につけば迎えに来てくれるし、あとのことは、日本国内の支部を創って歩いた体験豊富なあなたなら、大丈夫ですよ。」とのこと。

 

「英語の話せない私で出来ることでしたら喜んで行ってまいります。」と先生のご命令なれば、たとえ地獄のどん底でも厭わぬ、と常々思っている私。そこで、早速ロス行の話が具体的に決った。

 

ところが幸いにも斎藤さんが行くならぜひ私もお供したい、という申出があった。それは丸山さんという水戸に住む同志で、地方の支部創りでは、商売を兼ねて、全国沢山の支部創りに貢献してくれた熱心な同志である。五井先生も「連れが出来て良かったね。」と、お喜び下さったので、早速二人で行くことになった。

 

やがて渡米して分ったことだが、私が期待していた丸山さんの英会話は、私よりも、あやふやで、結局私のブロークン英語で押し通すことになった。けれども、気心の知れた同志と二人であることは気強いことであった。

 

又、その上、幸なことに、もと、萩支部長をしていた池内さんのお嬢さんが、ロスに支店を持つ商社の杉野さんと言うと社員の方と結婚してロス市に住んでいるからぜひス滞在中はお泊り下さい という、池内さんからの親切な申出があり、計らずもそのご厚意により、大変お世話になることになった。

 

さて、ロス部結成も無事に終了し、サンフランシスコに飛び、そこで会員から紹介された日本人会会長にも会い、翌、六月十一日、アメリカの国境を飛越えて、カナダのバンクーバー空港に到着した。

かねて東京の会員から連絡を取っておいて貰ったので、岩間さんと小川さんの二人が私達を出迎えてくれた。

 

私達は小川さんの車で、当市にあるブリティシュコロンビア大学に、かつて五井先生が四谷で個人指導をなさっていた頃、勝山講師ご夫妻の紹介で五井先生に親しくお会いしたことのあるハウズ博士をお訪ねした。博士は十年前、ほんの数分しか会ったことのない私をよく覚えていてくれた。

 

同大学のクラシックで落つきのある大学教授専用のクラブで約二時間、五井先生の思い出話や、人類の危機と世界平和運動などについて語り合った。ハウズ博士は、大学では東洋学部の責任教授で、戦前には日本に約九年間も居られ、日本と日本人について深く研究されただけあって、非常に流暢な日本語を話されていた。

 

私達は帰路小川さんの車で、バンクーバーの町を見物した。ホテルの直ぐ近くに、大原始林のある自然公園があった。そこでは、リスや野兎が人間など恐れる様子もなく自由に飛び廻っていた。又湖には白鳥やオシドリなどがなれなれしく岸辺を泳いでいた。ここでは野性の動物や鳥たちが中心の楽園のように思われた。(中略)

 

世界最高の物質化霊媒を訪ねて

その日の夕方、私達の泊っていたジョージアンタワーホテルへ、シアトルの相馬さんがご自分の車で私達を迎えにきてくれた。思いがけないお計らいに、予定の飛行機をキャンセルして、車で行くことに変更した。

 

翌日の午前九時半、私たちはバンクーバーを後に、世界最高の物質化霊媒と言われているキース・ミルトン・ラインハート師訪問のためシアトル市に向った。幸にも快晴の天気に恵まれ、澄みわたった大空は、あくまで蒼く行けども行けども新緑に輝く大草原が果てしなくつづいていた。

 

その緑の砂漠に、一条の白線を引いたように国道五号線がある。その道は、遠地平線の彼方、遙かなるシカゴ市まで一直線に通じているのだという。とても狭い日本では考えられない風景である。

 

私達は時速百五十キロを超える猛スピードで、行き交う車など殆んど見えない広々とした直線道路を快適に走りつづけた。私たちは生れて初めて味わうスピードの醍醐味を満喫しつつシアトルへと急いだ。

 

約五時間後、私たちはシアトル市に到着した。相馬さんのお骨折りで、いつも多忙で留守がちなラインハート師に、師の自宅で午後八時に面会する運びになっていた。私たち三人は約束の時間にラインハート師の白亜の豪邸をお訪ねした。 そして、二十畳ぐらいの豪華に装飾をほどこされた応接間に通された。

 

暫くすると、長髪にして、緑の鮮かなワイシャツに五彩に輝く華麗なペンダントをつけ、白の背広という装いで、ニコニコと微笑を浮かべながら、大きく手を拡げ、まるで私たちを抱えんばかりにしてラインハート師が現れた。

 

「OH! Mr.SAITO, MARUYAMA ANDSOMA...」余りに、大げさなジェスチュアーに、私は予め用意していた挨拶の英語などどこかへ吹き飛んでしまった。結局、相馬さんの通訳で歓談することになった。この会見で、つくづくと若いうちに英語を怠けたことがくやまれた。

(ラインハート師と斎藤先生(右)、丸山さん(左))

 

ラインハート師は、まるで十年の知己のような親しさで「あなた方お二人が今日、遙々と日本から来られたことは、神様の計画されたことである。あなた方お二人は神の光をそのまま、現わしている方です。私はあなた方の指導者である五井先生をよく知っております。それは肉体の旅行の時ではなく肉体以外の霊体での旅行の時お会いしています。」

 

私は相馬さんの通訳で、今度の会見の録音と写真撮影の許しを得た。そのおかげで、その時の録音を帰国後、会員の勝山さんに翻訳していただき、より詳しいことを知ることが出来た。(後略 転載おわり)

 

この後ラインハート師によるサイババのような物質化現象などのエピソードが語られますが、それは紙数の関係でまたの機会に譲ります。尚、ラインハート師については以下のサイトでその事績を知ることが出来ます。

 

 

以上斎藤先生の著作からごく一部でしたが、転載しました。

 

五井先生の高弟にはもうお一人、村田正雄さんという霊能に優れた方がいらっしゃいました。村田先生のご著作も大変興味深い内容満載ですので、「霊界」や「宇宙人」にご興味のある方は一読をお薦めするものです。

 

 

 

 

 
 
 
 

 

以上、この記事が読者の皆さんのお役に立てば幸いです。

 

世界人類が平和でありますように