「睡眠と夢」 考えよう その深い意味 | Yokoi Hideaki

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前回のブログテーマは「『特別な子供』考えよう人生の深い意味」でしたが、今日のテーマも「考えよう深い意味」シリーズで、対象は「睡眠と夢」です。

 

 

私には睡眠についてちょっとした体験があります。ずいぶん以前のことですが、それは寝入りばなに体験した「急上昇」の体験です。

「うとうと」しだした入眠時です。急に宇宙ロケットに点火した直後のような激しいG(重力)を体(意識)に感じ、びっくりして起き上がりました。

 

まるで高速エレベーターのようと言っても良いのですが、エレベーターと言うにはあまりにリアルで強烈な上昇感覚でしたから、当時いろいろ相談することが多かった「田中さん」にそのことを話しました。

 

田中さんは五井先生のお弟子さんで、彼については以下のブログに書いています。

 

 

夢はみるものではなく、みせられるものなの

私のこの急上昇体験に、田中さんは「それは毎晩のことですよ」とこともなげにおっしゃったのですが、その「深い意味」を考える五井先生のご講話を拝読したのでそれを紹介しようと思いました。

ご講話で特に目を引いたのは「夢はみるものではなく、みせられるものなのである」という五井先生のお言葉です。

 

余談ですが、このブログで紹介している森美智代さんの睡眠時間が、一日3時間余りである理由もこの五井先生のお話を読んでよく分かりました。

先の急上昇体験が何だったのか、また森さんの睡眠時間が短い理由は後段に書きますが、先ずは以下に昭和41年11月の白光誌から五井先生のご法話「睡眠の大事さと夢について」を転載します。(以下転載)

 

夢が生まれる時

睡眠や夢については、一般の人たちは関心を持ちながらも、深く探究は致しませんが、近来は学者たちの間で、真剣にこの問題の研究がされはじめております。

 

「実生活は1ページ、1ページ、はじめから読む本に似ている。ところが夢は、ふと開いて読むページである。だから夢にはつながりがない。過去のことも、未来のことも、突然に出てくる。」と哲学者ショウペンハウエルは言っていますし、生理学者林操氏は、それには誤解があるとして、「実生活は1ページ、1ページ読む本、ただし過去をくりかえすことはできるが、これから読むところは禁じられている。夢はこの過去の経験の断片断片を自分勝手につづり合わせて1ページとしたものでなく、未来の想像でもなく、現在の創作なのである。」といっていますが、ジョン・ファイファーという人は、眠りと夢の正体という本の中で、睡眠を四段階に分けて、その中で科学的に夢の状態を説明しています。

 

「現在までにこの分野の研究で、四千人の被験者が実験台にのぼり、1万回の夜間観察実験が行なわれ・・・・ 目の動きを電気信号としてキャッチし、頭部から脳波をキャッチする。また心臓の鼓動、筋肉の緊張など他の要素も電気信号でとらえる。

第一段階とうとする段階。電圧の低い不規則な波が急速に続き、さざなみ模様を描き出す。

第二段階=浅い眠り。一秒に十二ないし十四の割合で活発な紡錘状の波が生まれる。

第三段階=比較的深い眠り。電圧の高い、大きな波がゆっくり現われる。

第四段階=深い眠り。大きな波ばかり続く。

以上の四段階が終わると、次に逆戻りするが、第一段階に戻りはじめたときを注意しなくてはならない。大きな波がいくつも続いたあと、その数が次第に少なくなり、ついで紡錘状の波に変わり、さらにさざなみ模様に戻る。

このときが夢の生まれる時間である。·······

このような実験が繰り返された結果、夢の基本的パターンが明らかになった。まず夢を見る時間が一晩に4、5回訪れること、その時間を合計すると全睡眠時間の20ないし、25%を占めることである。これは7、8時間の睡眠中、1時間半ぐらいであろう。

一部の説とちがい、夢は単なる怠惰な活動ではないのだ。興味深いが本質的には瑣末な脳のリクリューションだ、とはいえないのである。夢はきわめて重要で、必要欠くべからざる生物学的現象なのである。」

 

夢はどんな人もみている

筆者(ファイファー氏)はデメント、フィシャー両氏が被験者に夢をみせない実験を行なった時のことを書いて、夢の時間に入ると被験者を起こすことを何回もしていると、益々夢をみる回数が多くなって、ついには、まるで頭脳は失われた夢の時間を取り戻そうとするように、焦って夢をみようとする状態になり、夢の邪魔をすることが不可能になってしまった、といっています。

 

また「神経細胞の放出する電気信号を調べると、夢の時間には頭脳は実に活発に活動していることが判った。実際のところ、昼間のたいていの時間よりもっと活発かもしれない。われわれが日常の決まりごとをする場合には、頭脳は最高能率をあげないものである」ともいっていまして、夢を発生させる中枢部が脳にあることは、夢をみることが生き残るために必要であるためだろう、といっているのです。夢を交えた睡眠というものが、どんなに人間が生きるために必要なことであるか計り知れないのであります。

 

人間ばかりではなく動物もそうなのですが、この場合は人間だけに限って説明してゆくことにしますが、 第二次大戦中、アメリカで数百人の兵隊を使って、断眠の実験をしたのですが、その結果は肉体的にはどこにも異常がないのに、精神的に参ったものが多かったということでありました。眠りと脳の活動とは深い関係があることを示しています。

 

東大の実験でも、逆説睡眠状態の人を起してみると、100%夢をみていたということ、もしそうだとすれば、逆説睡眠の時間は毎晩二、三時間あるのがふつうだから、たいていの人は2、3時間は夢をみていることになる、といっている学者もあり、逆説睡眠の脳波をくわしく調べると、脳の海馬溝といわれる部分からの脳波がいちじるしい、といいます。

 

つまりこのへんが活動状態にあるということで、おもしろいことにこの海馬溝は記録の場といわれ、過去の出来事と関係がある。過去の印象の再現ともいわれる夢がどういうしくみで起るか、このへんに解決の手がかりがつかめそうだ、と研究者たちはいっています。

 

夢をみなければ人類は亡びている

さて、そこで私はどういう風に睡眠や夢について考えているかと申しますと、拙著「神と人間」の中でも少しく書いておきましたが、睡眠は勿論のこと、夢を見なければ、この人類はとうの昔に滅び去っている、ということを痛切に感じているのです。

 

前述のように学者たちの研究でも、夢をみることの大事さが次第に取り上げられてきていますが、実に夢はみるものではなく、みせられるものなのであります。

 

この小論のはじめに、林氏の夢は過去の経験の断片断片を自分勝手につづり合わせて1ページとしたものだ、という言葉がありますが、人間を肉体的人間としてみた場合は、この言葉は間違っておりまして、夢は自分勝手にみることのできるものではなく、守護の神霊の力によって、過去において蓄積された想念波動を夢の世界において消し去って貰っている姿なのであります。

 

人間が眠るということでもそうでありますが、いかにも自分の勝手に眠ったり起きたりしているように思えますが、よくよく考えてみますと、眠るということは、極く自然に力みも気張りもなく行なわれることでありまして、自分で眠ろう、眠ろうとすれば、睡眠薬でも飲まなければ眠れなくなってしまうもので、自然に眼がさめると同じように、自然に眠るのであります。

 

人間が生きていて呼吸をしている、この呼吸をしているのでも、意識して、呼吸をしようとして呼吸している人はありません。自分の気ずかぬうちに自然と呼吸をしているのでありまして、呼吸のことに想いが把われたりしますと、かえって呼吸が乱れて苦しくなってきたりします。

 

人間万般、心臓から肺臓、腎臓、肝臓、すべて人間意識にかかわりなく活動しているので、その場所やその働きが気になり出した時は、その個所が故障している時なのであります。

 

宗教的な言葉として使われている「無為にして為す」ことの大事さ、「全託」の必要さは、肉体内部のこうした働きをみると、全く尤な(もっともな)教えであると思わざるを得ないのです。

 

人間が生きている、ということは霊性がすっかり開発された人で、自己が神の分生命であることを知り、自分の想念がいつも本心の中から発せられている人たちの言える言葉であって、肉体人間としての立場に立っている人としては、生かされている、という心構えが本当なのであります。

 

私がいつも申しますが、太陽といい、空気といい、水といい、この大地といい、みなこの肉体人間の生存のために、大愛そのものの誰かのお力が働いていることは事実なので、それを神と呼ぼうと自然と呼ぼうと、日々、感謝せずにはおられないものがあります。

 

睡眠や夢もそれと同じように、人間の生存のために絶対に必要な状態なのです。睡らないでいれば、断食に耐え得る期間よりはるかに短い時間で、人間は参ってしまいます。眠りの大事さがその一事で判ります。

 

夢と睡眠とは守護の神霊の一つの働き

それでは睡眠とはどういうことであり、夢とは如何なる事態なのかということを、私なりに解説してゆきたいと思います。

 

私には学者の研究のように、種々のデーターがあるわけではありません。私が守護の神霊方から知らされた通りを申し述べてゆくだけです。

 

宇宙子波動生命物理学の勉強をしていますと、一に波動、二に波動という程に、想念の波を大事にします。研究員の誰かが数字を一字書き違えても、その波動が変ってしまって、その数字を眼でみるわけではないのに、私の体にその波動の違いが判って参りまして、その数字は間違いである、と私が正したりします。数そのものも波動であることが、よく判ってきます。数そのものが生々とした波動として活動しているわけなのです。

 

このようなわけで、人間の想念も肉体も、すべて波動そのものであり、波動の現われでないものはないのです。一人の人間が何かを想います。するとその想いは波動となって、宇宙に伝わってゆくのです。善いことを想えば光の波動が、悪いことを想えば汚れた波動が流れてゆくのです。

 

そういう状態が何人(なんぴと)にも過去世から、ひきつづき行なわれてゆくのでありまして、その想念波動は輪のようになって廻っているのです。

 

それが顕在意識として、または潜在意識として行ない、形となって、自己の運命をつくりなしてゆくのであります。これを仏教的には因縁因果というので、この世を輪廻転生の世界というわけなのです。

 

このように神から分けられた生命エネルギーを基として、人間各自は、自己の想念波動を出して、自己の形の世界の運命をつくってゆくのでありますが、人間がこの地球という物質世界に、肉体という衣を纏って生活するようになってからは、どうしても肉体的自己保存に重点が置かれ、競争心や争いや恐怖や恨み、怒り、妬心などが生じてきまして、今日の世界をつくりあげてきたわけです。

 

そのような想念の波は行為となり、行為は潜在意識層に入って再び、顕在想念となり、また行為として繰りかえされてゆくのですが、その間、人を憎む想い、争いの想い、妬みの想い、怒りの想い等々の、他を痛め、自己を傷つける想いが、自己の想念の輪の中にも、地球世界全体の波動圏の中にも充満してゆくのであります。

 

これが大きくは世界戦争や、天変地変となり、小さくは、自己の運命の崩壊ともなって現われてくるのです。そういう業想念波のエネルギーを、何んとかして消滅させてしまわなければいけない、というので、神の愛の行為者として、各自の守護の神霊が、人間を睡眠状態に導き入れ、霊魂にまつわりついている、想念波動(カルマ)を霊界において洗い浄めることになったのです。

 

肉体が眠っている時、その霊魂は神界或いは霊界において統一行をしているのであります。

そして、その間に守護の神霊が、その人の想念波を洗い浄めるのです。その洗い浄めている時に幽体或いは肉体の脳裡に、その波動が夢として画かれてゆくのであります。

 

想ったことは必ず形の世界に現われてしまうのが、業(カルマ)の法則ですから、形の世界に現われないうちに、何んとかして消し去ってしまわなければ、この人生は終りになってしまうのです。

 

「神と人間」にも書いてありますように、肉体人間の世界では、自己を守るあまり、人を恨み、妬み、恐れ、怒る、というように、悪い想念を出すことが多いのでありまして、人間各自の想念波動がそのまま形に現われてしまったら、この地球世界は一瞬のうちに業火によって滅び去ってしまうのは必然なのです。

 

そして悪い想念を出すまいとして抑えていれば、肉体内に積ってしまって、肉体を痛めてしまい大病になり、それで滅びてしまいます。どっちにしても、日々の蓄積されてゆく業想念波動を何分かでも消し去ってゆかなければ、個人も人類滅亡し去るより仕方のない状態が、現在の地球世界の状態なのです。

 

ですからこの面から人間を観る人は、人間は本来悪なのだと観てしまうのであり、人間は神とは遠い距り(へだたり)をもった生物であるように思ってしまったりするのであります。

 

こういう観方もあながち無理ではないので、この肉体世界だけを人間の世界とみている正直な唯物的な人は、善悪の戦いということを考えてしまうのであります。

 

ところが、神は大愛なのであり、絶対的能力の持主なのです。自らの分生命である人間を、むざむざ滅ぼしてしまわれるようなことをなさるわけがありません。神といっても宇宙神そのもの、法則そのものの神として働かれるわけではなく、人類救済の神、つまり守護の神霊として働かれるわけであります。

 

そして、守護の神霊の一つの働きとして、睡眠があり、夢があるのであります。現在の人々は、人間というものを肉体人間唯一のものと思いこんでいますが、そのことが、人間の進歩を阻んでいる最大のものなのです。

 

人間は神の分生命である

人間は神の分生命であり、太陽のような光そのものなのであります。その光のエネルギー波動が、様々な階層をつくりなしていったのであり、その世界は神界と呼ばれる世界もあり、霊界と呼ばれる世界もあり、幽界という波動の世界もあるのです。そして、皆さん御存知のこの肉体世界があるのです。

 

ですから、私共は肉体の世界に住んでいると同時に幽界にも霊界にも神界にも住んでいることになるのであります。

 

人間を形と考えないで、意志であり、意識であり、想念であると考えてみて下さい。肉体自身は意志をもち想念波動によって、動かされてゆくことは事実でありまして、意志も想念も無く、活動するということはありません。

 

人間はあくまで生命そのものであり、生命の働きが光の波となり、想念の波動となって、形の世界や運命をつくってゆくのであって、肉体はあくまで、光の波や想念波動によってつくられたものなのです。

 

それをどう間違えたか、肉体が人間だと思うようになってしまったのです。生命である人間は、神界においても働き、またずっと粗い波動体として肉体界にも働いているのであり、生死を超えた永遠の生命なのであります。

 

この人間生命は種々様々な階層に神のみ心を画き出そうとして働いているのであり、皆さんが肉体界で意識しようとしないにかかわらず、皆さんの本心、本体は神界―霊界―幽界―肉体界を通して、生命波動、光の波動としての働きをつづけているのです。

 

睡眠の場合などは、人間の本心と守護の神霊とが、人間の顕在意識の想念波動に邪魔されることなく、充分に働き得る貴重な時間なのであります。肉体がめざめている日常生活の中でも、常に本心(本体)は神のみ心(波動)を伝えているのであり、守護の神霊はそれを浄めの光明波動にして与えているのですが、肉体界の波動が邪魔をして、その当人にその事実を判らせることができないのです。

 

つまり、肉体の意識想念が邪魔なわけです。 そこで、古代の聖者方は、いずれも、その想念波動を取りはらうことを教えているわけで、それが空になる修業とか、鎮魂と無為とか全託とかの教えや方法の伝授になるわけなのです。

 

何んにしても、人間が神の分生命であり、神のみ心をこの地球界に現わす為に自分がここ(現象世界)にいるのだ、という真理の現れを妨げる行為が、人間の進化を遅らせ、地球世界の平安を乱しているのであります。

 

私はこれを、消えてゆく姿で平和の祈りとして、神のみ心との一体化を計っているのです。

実際人間というものは、人類に必要なことよりも、人類の進化を邪魔するような、業想念の方を多く出しているのであって、このままでは実に困ったことになるのであります。それを守護の神霊のたゆみなき加護と、睡眠による浄化という方法で、何んとか持ちこたえさせているのであります。

 

人間進化のために大きな働きをしている

前述の学者たちの研究によると、 夢の時間の方が昼間のたいていの時間より頭脳が活発に動いていたとか、海馬溝といわれる脳の部分が夢の時間にはいちじるしく働いているといい、その海馬溝は記録の場といわれる、等の発表がしてあるのは、私が守護の神霊に教わったことと一脈相通ずるものがあるのです。

 

それはどういうことかといいますと、頭脳というものは人間の進化にとっては一番大事なところであることは、誰でも知っております。その大事な頭脳の働きが、夢をみている時が最も活発に働いているということは、人間の進化の為の一番大きな働きを、夢の時間にしている、ということになってきます。

 

そしてもう一つ面白いことは、脳の海馬溝といわれる部分が記録の場であって、しかも夢をみる時に最大の働きをしているということです。

 

これは私の説の裏づけをしてくれたようなもので、過去からの想念波動の蓄積は、その脳の海馬溝といわれるところにあるので、この海場溝は幽界、霊界、神界という、他の階層との波動の交流点であるのです。

ですから、想念波動の記録は、その交流点を通して、幽界から肉体頭脳に、肉体頭脳から幽界に或いは霊界、神界にと交流してゆくのであります。

 

そして、眠らされている時の肉体は、肉体界と、幽界、霊界、神界との交流の妨げをしない無意識状態なので、神霊界の光明を肉体頭脳に流し入れ、肉体頭脳に蓄積されている想念波動の記録(業想念)を、夢と画いて消し去ってゆくのであります。

 

そういう働きが急速になされるので、その時、その働きを司る肉体頭脳の一部、つまり海馬溝が活発に働くということになるのです。

 

こういう作業を行なっているのは、守護の神霊方なのであります。守護の神霊の働きを考えないで、自然に眠ったり、自然に起きたり、夢をみたりすることは決してできないのです。

ちなみに眠たくない時に、いくら眠ろうと思っても、薬の力にでも頼る他は眠れるはずがありません。

 

人間は肉体ではなく生命そのものであり、光の波と想念波動によって肉体世界というものがつくられているのであることは、前にも申しましたが、光の波と想念波動とは、常に神界、霊界、幽界という様々な階層にそれぞれの世界をつくっているのでありまして、肉体世界はいつでも、これらの階層の影響下にあるのです。

 

それが、神界の影響を強く受けうる意識想念の人々は、人格高潔な立派な人物となり得るのであり、幽界の低級波動の影響をより多く受けている人は、人格低劣な人物となってしまうのであります。

 

守護の神霊への感謝を怠るな

守護の神霊は、いずれも自己の守護する人間の本心開発の為に動いているのでありますので、その人間に悪かれと思ってやるようなことは決してないのですが、あまり良くない過去世からの想念波動が溜まりきっている人間に、一挙に神界の光明動波を注入しては、その人間が肉体身を保つことができなくなってしまう。

 

それは真昼の太陽を真正面にみると眼がくらんでしまう、と同じようなもので、光明波動が強すぎると、業波動が一度に崩れ去るので、その衝撃に肉体が耐え得なくなるのです。

 

そこで、少しずつ浄める為に、その肉体人間に適当と思われる階層に波を合わせて、適量の光波を注入するのであります。これを宗教的、霊的に説明致しますと、肉体が睡眠に入るということは、死と同じように、霊魂が守護霊に誘導されて肉体を離れてゆくのです。

 

そう致しまして、その霊魂に適当な階層まで守護霊が連れてゆき、そこで統一に入らせたり、必要な道の修業をさせたりするのであります。その状態を情景として言えば、高僧の前で修業させられていたり、衣冠束帯の神人の指導で統一行に励んだりしている姿となるわけです。

 

そういう状態の間に、守護の神霊はその人間の霊魂にまつわる業想念波動の浄めの働きをするわけなのです。そして、或る時間がくると、肉体にその霊魂を戻してよこすのです。

 

只、死の状態と違うことは、霊線、つまり魂の緒がしっかりと肉体と霊魂とをつないでいて、いつでも霊魂が肉体に戻れるようになっているのです。魂の緒が切れればそれは死という状態になるのであります。

 

こうして毎夜霊魂の浄化が行なわれ、新しく霊要素を頂いて、一日の仕事を成し遂げてゆくのです。ですから、急に叩き起こされたり、大きな音で目ざめたりすると、気持が悪くなったりするのは、序々に霊魂が肉体に入ってくるのを急速に戻ってしまうので、不調和な状態になり、気持が悪くなるのです。

 

又、折角充分な睡眠をとっていながらも、寝ざめが悪かったりする時もあります。これは、霊魂が肉体外の階層で修業に疲れたりする時の名残りがあるからです。しかしこれは想念とは関係ありません。

人により、その日の状態によって、その夜の予定だけの浄化ができにくかったりする場合も疲れが残るものです。

 

何んにしても、この睡眠中の守護の神霊の働きは大変なもので、守護霊、守護神というものは、寝ても醒めても、被守護体の人間を守りつづけ浄めつづけているものなので、人間の運命を考える場合に、守護の神霊のことを考えないではいられないものなのです。

 

このように睡眠というものは大事であり、夢という状態で、想念波動が浄められてゆくことのありがたさは、とても筆舌ではつくせない御恩であるのです。(「神と人間」参照)

 

 

 

ですから人間は一日たりとも、守護の神霊への感謝を怠ってはならないものでありますが、守護の神霊への感謝は、少しでも神のみ心をこの世に現わす手助けを人間側がすることにあるのでして、その一番易しく大きな行為が、世界人類の完全平和を願う、世界平和の祈りの行為であるのです。

 

眠る前に感謝の心で世界平和の祈りを祈り、目ざめてすぐに世界平和の祈りを祈り、常に自己の想念行為を反省して悔い改め、すべての誤った想念を消えてゆく姿として、世界平和の祈りの日常生活をつづけてゆく時、あなたの睡眠はより進化の道を早め、あなたの安心立命の道がより早く切り開らかれてゆくのであります。  (転載おわり)

 

さて、先に書いた私の急上昇体験ですが、このお話にあるように守護の神霊のお働きによって、私の意識が「修行の場」に連れてゆかれる際の意識体験だったということを改めて理解することが出来ました。

 

そこで私の意識(魂)が「修業」している間、肉体意識はその浄化に必要な『夢』を見せられ、悪しき運命として現れないための浄化と修正が行われていたわけです。そして、それは毎夜のことです。

 

「夢は守護の神霊による浄めの働き」であることは一応の知識として知ってはいました。今回のこのご法話はそれをさらに深く考える良い機会となりました。

今日のブログで紹介させていただくのは、これを読んで先の急上昇体験が思い出されたからでした。

 

そして併せて、森美智代さんの睡眠時間が大変短いことを思い出したのは、森さんに浄めるべき汚れた想念が「少ない」ことにあることも連想されたからでした。森さんに神霊の光がじかに働きかけている理由もそこにあります。

 

五井先生は繰り返し、被守護者の守護の神霊への感謝は守護者による守りをより堅固にすることをお話になっています。

 

前に、「妖怪との遭遇体験」のエピソードを紹介しましたが、ここに書いたように「意識」は「目に見えない存在」へのチャネルを開き、行き来するいわば「道」を作ります。

 

 

守護の神霊への感謝が、その守りの力を一層強めることは私の体験からも断言できます。

よって、それぞれの皆さんの得心の行くやり方で、日々、刻々と守護の神霊への感謝をささげることを強くお勧めするものです。


その具体例が、

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が全うされますように

守護霊さま、守護神さま

ありがとうございます

という「世界平和の祈り」です。


特に祈り言葉がない方は、五井先生が上のご講話でお話のように、これを朝夕の祈りとされることをお薦めします。

 

今日の記事が、読者の皆さんのより良き人生のお役に立てば幸いです。

世界人類が平和でありますように