何がどうあっても「感謝」が第一 | Yokoi Hideaki

Yokoi Hideaki

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私の知り合いに上場企業の会長がいます。

彼は私の後輩で付き合いは40年にはなるでしょう。

彼のことは良く知っており、若いころから大変性格がよく、人に慕われる好人物でした。

 

その彼と共通の友人から聞いた話です。本人が友人に語ったそうです。

彼が易者に自分の運命を見てもらったときのことです。易者の見立ては「あなたは望外の大出世を遂げます。でも最後は責任を取らされ(辞める)ることになります。」というようなものだったと言います。

 

残念ながら、彼が経営トップになってからその会社は迷走を続けています。彼の性格は極めて良いのですが、経営者向きか、トップとしての能力はあるか、というと残念ながらそのようには思えませんでした。

 

彼の善き性格も地位が上がるにしたがって、徐々に変わってきたのかもしれません。最後に会ったときには、彼の人相が何か暗いものへと変わってしまっていました。

 

なぜこんなエピソードを書くかと言うと、いつものように朝夕読んでいる古い白光誌に五井先生の次の言葉を見つけたからでした。

 

(望外のような良い運命を)

心が出来ていない時に与えられたら、それは過去世の因縁がよっぽどよかったのです。そしたら過去世の因縁によく感謝して、感謝を十倍にも三百倍にもして返さないといけません。

 

この世には絶対法則があります。それは因果応報、想いが実現するという法則です。

彼の今生の善き運命は彼の過去の善き生活態度、想念によってもたらされたものです。善き想念行為によって、天に福徳という貯金を積んできた結果が今生の恵まれた地位になったわけです。

 

しかし、その良き運命の上にあぐらをかいて、「自分の実力だ」と勘違いしてしまうとその貯金を浪費することになり、貯金が尽きれば、運命は逆転、不幸な境遇に突き落とされるということになります。そのことを易者は読み取ったのでしょう。

 

五井先生は同じお話の中でこのようにもお話です。

金持の家に生まれた、地位の高い家に生まれたなら、過去世の因縁がよくって生まれるのですから、それを大事にし、その上に積み重ねて感謝していかなければいけない。そうすると良いものの上に更に光が積み重なって行きますから、更によくなります。それを金持に生まれ地位も出来た、「あぁ俺の力だ」なんて高ぶって思っていたらば、過去世の因縁の徳がなくなった時は、ガタガタと落ちてしまいます。

 

人間万事塞翁が馬

上は一見「良い」と見える運命が実は不幸の始まりであって、一見「悪い」と見える運命が幸福への入口であったということを教えてくれる中国の故事です。ご存じでない方は以下をご覧ください。

 

 

 

 

我々は凡夫であって、易者でもありませんから、過去世の因縁や未来に起こることを知りません。でも現在の果(結果)を見れば過去の因縁を知ることが出来ますし、さらに現在の因(今やっていること)を見れば未来の果(未来の運命)を知ることが出来ます。

 

このブログで書いてきたように、次元上昇によって原因から結果に至る時間距離がどんどん短くなってきています。時空と言う緩衝材が消えつつあるのが今の地球です。

だから良き想念行為が心身に満ちている自分に「早くなる」ことが一層重要になっているわけです。

 

先に紹介した五井先生のお言葉は、その善き想念行為を一言すれば「感謝」であることを教えてくれています。そこにあった「心が出来ていない時」とは、先に紹介した後輩のように「出世は自分の実力だ」と勘違し、感謝の心を忘れた状態を指すのでしょう。

 

そういったことを思い出させてくれ、改めて考えさせられた五井先生のお話を以下に転載します。

昭和41年の白光誌からの抜粋です。(以下転載)

 

(五井先生の50歳のお誕生日にご自身の人生を振り返られて‥‥‥)

私の体験とすれば、神は愛である、ということが原理だし事実なのです。守護霊 守護神として、その愛を間近かにみています。肉体人間の心がこれだけ出来たから、この地位を与えよう。よしこれだけ出来たからこの金を与えよう、というように、神さまのほうで計り給うてやって下さっています。

 

ですから絶対に神さまを信じることです。神様はどんなことでも、こちらの心と照らし合わせてやってくれているのですから、自分の心が未熟の場合には、まだ出て来ないのです。自分の心が一段階上ると、それにふさわしい地位なり、金なり、健康なりを与えてくれる。また一段上るとそれにふさわしい体にしてくれる。或いは富を与えてくれる。

 

まだ心が出来ていなければ与えられません。心が出来ていない時に与えられたら、それは過去世の因縁がよっぽどよかったのです。そしたら過去世の因縁によく感謝して、感謝を十倍にも三百倍にもして返さないといけません。

 

苦境を突破する力-感謝の心

常に不平不満を云わないこと、思ったら消えていく姿にすること。常に「有難うございます」の一念でいいのです。 神様、有難うございます。すべての方々有難うございます、という感謝の想い一念で生きれば、どんな環境も突破出来ます。

 

感謝の心というのは、神様の波長そのままなのです。調和の心です。この心が一番です。それを代表したのが「世界人類が平和でありますように」という祈り言なんです。 調和の心、感謝の心を起していれば、その人は絶対に悪くなりません。

 

最後の最期、どん詰りに来たら、ものすごい転換がなされます。例えば死ぬなら死ぬにしても、普通ならばいい所へ行かないで、さんざん修行しなければならない人があるとすると、どん詰まりまで苦しんで苦しんで死んだ場合、パァーと神界に上ります。

 

神界に上るのには、過去世の因縁が消えさえすればいいのです。消すのは自分では消せない。神々が神計りに計り給いてうまく消して下さる。そして、天命が全うされるのです。全うさせて下さるのです。

 

だから、すべて何事も肉体の自分でなし得ることはありません。私の経験では、すべて神々の守護霊守護神の力によってなされているのです。それをかたく信じること。いかなる時でも、神を信じていけば、神に感謝し、神ばかりではなく、すべてのものに感謝していれば、必ず何事もよくなるに決まっている。

 

ですから、「すべてが有難うございます」の一念につきます。有難うございます、がいつも湧いてくるような人は、立派な人。何の理屈を云わなくてもその人は立派な人です。

 

今日は私の体験談をお話しましたが、人間は苦労するといいですよ。わざわざ苦労する必要はありませんけれど、金持の家に生まれた、地位の高い家に生まれたなら、過去世の因縁がよくって生まれるのですから、それを大事にし、その上に積み重ねて感謝していかなければいけない。

 

そうすると良いものの上に更に光が積み重なって行きますから、更によくなります。それを金持に生まれ地位も出来た、「あぁ俺の力だ」なんて高ぶって思っていたらば、過去世の因縁の徳がなくなった時は、ガタガタと落ちてしまいます。

 

徳を減らしてはいけません。徳というのは何かというと、愛の心、思いやりの心、感謝の心です。守護霊さん、守護神さん有難うございます。こんないい境遇におかせて頂きまして、こんなに私に収入を与えて下さいまして有難うございます。

 

有難いな、と感謝出来る自分にして頂きまして、有難うございます。いくら才能があっても、年中、不平不満を云っている人は伸びません。 なんでもいい。 感謝する心があって生活していけば、その人は立派になるということです。(転載おわり)

 

五井先生のお話にあったように、「世界平和の祈り」は「感謝の心」を代表するものです。

 

 

「世界平和の祈り」がより良き人生を生み出す源泉になることを改めて申し上げたいと思います。

 

世界人類が平和でありますように、

 

今日の記事がお役に立てば幸いです。