人類にとって最強、最大の難敵との戦い方 | Yokoi Hideaki

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人類の不幸の真因は何か

前回のブログの最後に、私は「今日言いたかったのは問題の本当の原因は何かということですが、こと病気に関しては医療が原因である、というのは一つの答えです。しかし、大元の原因は別にあります。そしてそれが人類の幸せにとって一番の難敵です。今日は短いブログにしたいので、その原因が何かについては、また次回書きたいと思います。」と書きました。

 

今日はその続き、病気は勿論、人類の不幸の本質的原因は何かを書きたいと思います。最初に結論ですが、それは「貪·瞋·痴」(とんじんち)のいわゆる業想念、煩悩なのです。これを三毒ともいいますが、個別の意味は次のようなものです。

 

『貪』とは「貪欲(とんよく)」、むさぼって飽くことをしらないことです。

『瞋』とは「瞋恚(しんに)または(しんい)」、憎しみ。 嫌うこと、いかること。 心にかなわない対象に憎悪をもつことです。

『痴』とは「愚痴(ぐち)」、心性が愚かで、一切の道理にくらいことです。

 

元は仏教用語ですが、甲田光雄先生がこれを「病の真因」、「心の宿便」であるとされ、これを除かねば本当の治病もないとお考えでした。

 

こう言ってしまうと、ハナから「何だそんなことか、それは無理、できっこない」、「人間は煩悩からは抜け出せない」、「また煩悩があるから人類の進歩もある」などという人もいるでしょう。私も最近まではそういった一人でした。

 

忘れもしない2019年秋、ダラムサラでのダライラマ法王の法話会でのことです。

法話会は3日間。午前中に法王のお話を聞きます。なかで法王は煩悩を滅却(めっきゃく)する(消してしまう)ことが仏道の目的である、というお話をなさいました。

 

それを聞きながら、心の中で「無理!」という自分がいました。しかし、今はそれが可能だと思っています。またそれを断固行わねばならない、と強く思っています。

私は、近代において甲田先生ほど、貪瞋痴がもたらす不幸と正面から向き合われた方はいらっしゃらないのではないかと思っています。

 

先日たまたまYoutubeで懐かしいTV番組を見る機会がありました。調べてみたらUFOなどの不思議現象を取り上げる『特命リサーチ200X』という番組でした。20年以上前の放送ですが、佐野史郎が司会者で稲垣吾郎も出演していました。

 

それが以下です。

 

 

この番組は「断食に病気を治す効果があるのか」がテーマで、懐かしい甲田医院で撮影されています。そして番組の結論は「断言できないが、甲田医院の実績から効果があるようだ」というものです。テレビが切り込めるのはこの程度でしょう。

 

懐かしい甲田医院の診察風景

久しぶりにこれを見て改めて考えるところがありました。

下は甲田医院での甲田先生の診察や患者の様子、治療実績をルポライターがレポートした1990年発刊の書籍です。

 

 

 

これを書いたルポライターは滝泰三さんとおっしゃるジャーナリストで、滝さんは甲田医院に体験入院され、そこで見聞きされたことを詳細にレポートされています。

 

私のこのブログでも甲田先生の不思議な診察やどれほど多くの難病患者を救ってきたのかを紹介してきましたが、この本でもそれが紹介されています。以下は本書にある甲田先生の不思議な診察風景の一コマです。(以下同書より抜粋転載)

 

医者としては、まことに不思議なお医者さんである。大学病院などで見かける先生というのは、概して恰幅よく貫禄に満ち、パリッとした白衣と筋目のピシッと着いたズボン、眼鏡など最新流行の型のものか、金縁にベッ甲をあしらった高価なもので、医局員や看護婦をお伴にして悠然と歩くもの、という印象がある。

 

言葉づかいはおだやかで上品であり、教養の深さをことさら誇示しているようなところがある。テレビなどに出演していろいろな病気の解説をしたりする大先生がたにこうしたタイプが多い。それでなくても、患者にとって、「お医者さま」というのは、やはり「身体を診ていただく、病気を退治して下さる先生さま」であり、患者と同列にいる人種ではないことは事実である。

 

だが、そんな先入観で初めて甲田院長の診察室に入った患者は、かなりの驚きに見舞われる。

何とも医者らしくないたたずまいである。ただ一人で、看護婦もいない。白衣はお世辞にもパリッとしているとはいえない。

ズボンには筋がない。そこから見える足は素足である。だいいち医者なら誰だって胸にぶら下げているべき聴診器が無いではないか。机の上を見ても血圧計などの機器は何もない。

 

甲田医院に来る患者は、ほとんど一人残らずといっていいが、難病を抱えて日赤、大学病院などの大病院を転々としてきた人達である。つまり医者に対して目が肥えているわけだ。

そういう目で甲田院長を見るから奇異の感を抱くのは当然かもしれない。

 

今朝、初めて診察をうける患者がほっとしたのは、甲田院長の、あのくしゃくしゃ (失礼か?)とした笑顔であった。大きく包みこむような雰囲気がある。慈愛に満ちた目がじっと自分に注がれる。自分の訴えを聞いたあと、診察台に寝かせられ、お腹を見せた。ただ掌でお腹をさする(触診)ようでもあり、少し離して全体に掌を移動させているようでもある。

 

この患者は肝臓病で長年苦しんできた。慢性肝炎と言われてもう八年になる。その間ずっと病院通いを続けており、検査値もそれほど悪いということもなく、医者からは、ほぼ全快に近いところまできましたね、と言われていた。

 

しかし本人は、八年前からの重苦しい自覚症状が依然続いており、逆に最近ではその症状は進んでいた。朝起きられない。ひどく身体が重く十分寝た気がしない。昼もぼんやりしていることが多く、「怠け癖がついたのかしら・・・・」と思って自分を振るい立たせようとしてもダメ、つい昼間でもゴロ寝してあれこれととりとめない不安に包まれている・・・・・・こういった日常のくり返しで、半分はノイローゼに近い状態だった。

 

そんな時、病院で知りあった友人が『現代医学の盲点をつく』を貸してくれた。初めて甲田光雄という先生がいて、現代医学の病院とはまったく違ったやり方で、医者に見放された病人を救っているということを知った。

 

四ヶ月前に診察をお願いし、やっと今日初診ということになったのである。「肝臓が相当悪いね、入院して私のいう通りの食事療法をやれるかな、断食もするよ、生菜食もやる。 やれるかな・・・・・・」

「それよりも先生、私の肝臓はもう治っていると日赤で言われたのですが・・・・・・」

「治っていない、むしろ悪くなっているはずだ。」

 

甲田先生の話は続く

「あなたの肝臓はね、今の医学では診断のつかない重肝臓というやつだ。ものすごい宿便がたまっている。これを治すには断食と生菜食、そしてその後は少食の生活習慣を死ぬまで続ける、これしかない。途中で音を上げるくらいなら入院しない方がいい。頑張る気があるなら入院しなさい。」

 

「先生、私治るでしょうか......」「治る。私が治してあげる、安心しなさい。」この患者は四日後に入院ということになった。 埼玉県から来た北村(仮名)さんである。

 

甲田先生は聴診器を使わない(持っていると思うのだが私は見たことがない)、 初診の患者、入院中の患者の血圧を計らない。薬も出さない、注射もしない、ただじっと患者を観察し、掌でお腹のあたりを探るだけである。これでは保険の請求ができないのは当り前である。だからいつまでも貧乏病院の名誉? から脱皮できないでいる。

 

今朝は朝礼後最初から診察室で甲田院長の診察ぶりを拝見したのだが、一番目がこの埼玉から来た人であった。続いて入院患者の診察、そして通院患者の診察となる。数が多いから患者全員の診察の様子は紹介できない。幾人かに絞って診察後のインタビューをお願いした。(抜粋転載おわり)

 

甲田療法の治癒率はほぼ100%

本書には、上の記述に続いて患者さんの体験談が多く掲載されています(森美智代さんへのインタビューもあります)。全部紹介できませんので、私が読んで胸が熱くなり、思わず落涙したエピソードを一つだけ紹介します。宮崎から来られた西川さんという若い男性のお話です。(以下抜粋転載)

 

神様はどうしてこんな不公平をなさるのかと思わずにおれない。西川さんの身体は、もうぼろぼろになっていた。どこの病院でも手のつけようがない。西川さんは何度自殺を覚悟したことか。脳圧昴進症、狭心症、胃潰瘍、腎炎、肝炎、有痛性大腸憩室症、上下肢異常、腱反射異常、椎間板ヘルニア・・・・あとまだあるのだが略す。この病名はみな現代医学の大病院がつけたものである。

 

やっとの思いで3月18日に入院してきた。小型ライトバンを改造してベッドを備えつけ、世帯道具一式を積みこんで長期入院の覚悟だった。やせこけて青白い顔だが、目はしっかりした力を持っていた。私が会ったのは短い期間だったが、私と話す時の口調はもう自殺を考えていた時のそんなものではなかった。

 

生きる希望が身体じゅうにみなぎっていた。五日間の断食を六回、その間は生菜食を続け、あれほどの症状がすべて好転してきた。この本を読んでいる人はほとんど信じられないだろう。しかし、これは西川さんを実際に見て私が確認したことである。

 

8月2日退院の日、西川さんは涙ながらに自分の病歴を語った。「甲田先生は、こんな私を見て、『治るよ、必ず治してあげる』とおっしゃって下さいました。」

 

「私は泣きました。こんな私が本当に治るのかしら、病院という病院が、お医者さんというお医者さんがみな信用できなかった私に、甲田先生は治してあげるとおっしゃって下さいました。そしていま、私は元気で帰れるのです。帰りましても先生の指示どおりの生活を続けます。甲田先生は私のお父さんです……。」(後は言葉にならなかった)

(抜粋転載おわり)

 

この西川さんのような治病体験は甲田医院では当たり前。決してレアケースではありませんでした。甲田先生のおっしゃる通りの処方を行えば、ほぼ100%の治癒率であったと思いますが、現代医学が見放した難病患者を救ってきた甲田療法のポイントは以下の3点に尽きます。

 

①  少食、または一定期間の断食

②  西式健康法、六大法則の実行

③ 「良くなる、善くなる、能くなる」と心より念ずる

中でも、甲田療法の中核は、①少食と断食です。

 

甲田先生の敵は業想念だった

患者さんも沢山の治癒例を目にし、体験談も沢山聞いていますから、甲田先生の指示通りのことを実践すれば、自分の病気は治る、と確信することができました。そして症状が重篤で辛ければ辛いほど、真剣にこれに取り組むことができました。

 

しかし、少し良くなると「脱線する」患者が少なくありません。ほとんどの患者さんが、ちょっと良くなると、食欲をコントロールできず脱線し、お腹いっぱい食べてしまうという失敗を犯しました。その結果が、元の木阿弥です。

 

そんなとき、甲田先生は優しく叱られます。優しくというのは甲田先生も同じような体験を散々なさったからです。何故、甲田先生が優しかったのかを教えてくれる本があります。

麻野吉雄さんという方がお書きになった以下の書籍です。

 

 

 

麻野さんは私も親しくさせてもらった方で、はじめてお目にかかったのは甲田医院での体験入院中でした。以下本書よりの転載です。

 

甲田光雄先生がお亡くなりになった。8月12日のことである。82歳になられたばかりだが、まあいい年といえばいい年である。甲田医院の事務長の松下君から電話があったのは葬式の数日後で、甲田先生は、「百日は誰にも知らせるな」と遺言されたそうである。

 

甲田先生に初めて会ったのは、もう20年以上も前であるが、深く印象に残っているのは、目の輝きである。その目はスキあらば何か悪戯をしてやろうかという、純粋で奔放な少年のもので、それから一方的にこちらがお世話になるばかりのつき合いだった。(中略)

 

先生の精神力の強さや魂の崇高さは敬服に値するものであったが、身体の方では随分苦労されたようだ。遺言の百日は待てず、二か月余りして、もうほとぼりが醒めた頃だろうと思い、甲田医院を訪ねた。

 

お目にかかった奥さんがふともらされ、思わず涙ぐまれおっしゃった「甲田の一生はずっと闘病生活だった」という言葉は衝撃的だったが、奥さんの実感であったのだろう。

身体の丈夫な人に名医はいない。自分の痛みを通して患者の痛みを知る。甲田先生が社会的にえらくなっても雲の上の人にならなかったのは、地上の苦しむ病者と自分とを結びつける壊れ易い身体をもっていたからである。

 

「少食」というものをあれだけ長きにわたり、あれだけ情熱をもって語られるのは、本人の身体がそのことを一番よく知っていたからである。

失敗を操り返す患者に対し、あきれる程優しく粘り強く接せられるのは、自分にその経験があるからである。

 

甲田先生の机には、西勝造先生と五井昌久先生の写真が飾られている。西先生は西式健康法の創始者、五井先生は世界平和の祈りの提唱者である。この二人の先生が甲田先生の心身の指導者であり、恩人でもある。

 

西式健康法を、そして少食を実践するに当って、心の支えとしたのは五井先生の教えだったと思う。もっと直截に言えば、「祈り」だったのではなかろうか。

欲望に敗けて食養の失敗を何度も繰り返す。弱い自分に歎きながらも、その解決の糸口が見えない。そんな時、甲田先生の援けになったのが祈りだった。

 

「どうか私を強くせしめ給え」という祈り以外なかったのだ。

甲田先生は並はずれて意志の強い人だ。しかし人間の意志などたかが知れている。意志をいったん天に返し、天からそれを受け直した時に、その材質は鉄から鋼に変わる。それが祈りである。

 

祈り続けることで、地上の意思は業の衣を脱ぎ捨て、天空へと昇華される。そうなったとき意思は己を全うするだけでなく、己を超え万人に向けられるようになる。意志は愛の広がりを持つようになるのである。

 

ある時、甲田先生は私の目の所に手をかざして、「入っている、入っている。麻野さん、神の光が入ってるでぇ」と言われた。

 

「わしはなあ、あんたがこの事に気づいてくれるのをずうっと待ってたんやで」と言って、これまで見たこともない穏やかで暖かい笑顔をされた。

 

「この事」とは何かというと、絶対的な真理ということである。もっとはっきり言うと、人間は大霊である神の一部、つまり霊そのものであり霊は永遠に進化しながら生き続ける。

肉体はこの世だけのものであり、人間は霊であり肉体ではない。神は宇宙一切の法則であり、その属性は愛と調和である。

 

こういうことに気がつくと、本質的に人と争わなくなる。平和運動でさえ、このことを知らないと対立を生む。甲田先生は「このことが分からなければ、いくら病気治しをしてもダメですよ」と言いたかったにちがいない。しかし、医者の立場としてこれが言いづらかったようで、私に「あんた言うてや」とよく言われていた。

 

甲田先生がこの世に残された「断食療法」や「少食療法」は色んな人に受け継がれるだろう。

でも、「人間とは何か、生命とは何か」という根幹を伝えなければ、「仏作って魂人れず」ということになる。それは私の役目だと思っている。

(転載おわり)

 

甲田先生は文字通りの菩薩でした。「願兼於業 がんけんおごう」という言葉があります。仏教の言葉で、「願って業を兼ぬ」と読み、菩薩が人を救うために悪業をわざわざ背負って生まれてくることを指します。

 

大変な病を経験する方、障害を持って生まれてくる方にはそのような菩薩道のために生まれてくる方が多くいらっしゃいます。甲田先生はまさにそのような方でした。

甲田先生奥様の述懐のように、ガラス細工のようなお身体で生まれてこられた甲田先生は患者と共にご自身の闘病生活を続けていらっしゃったのでしょう。

 

それゆえの優しさであったと麻野さんの記述から改めて認識できました。

繰り返しますが、甲田先生のおっしゃる通りのことを行えばほぼ100%の確率で難病も快癒したのです。しかし分かっていてもこれが出来ないのが人間です。「貪欲」がこれを許しません。

 

詳しく紹介する紙数がありませんので、詳細は述べませんが、甲田医院では筋無力症(ASL)すら改善する事例がありました。

中に子供さんのASLのケースがあり、生菜食で治療実績が上がっていました。

生菜食と断食の繰り返しという先生の処方は入院中は実行出来ますが、症状が改善し、自宅に戻ると出来ないのです。

育ち盛りの子供にこれを強いるのは残酷でもあります。親御さんも苦しかったのでしょう。

そのような患者さんは退院後、音信不通になったように記憶しています。

 

甲田先生にとってこのような体験はまさに日常でした。その意味で「食欲=貪欲」こそが甲田先生にとって最大の敵でした。

頭でわかってもそれを乗り越えることができない人間の業を相手に甲田先生は戦われていました。

 

巨大な貪欲集団「医療産業の産官学」

このような抑えられない食欲という「貪欲」だけでなく、治病を妨げ、人の健康をむしばむもう一つのさらに深刻な「貪欲」があります。一つ例を上げましょう。

 

下は先日話題になった認知症治療薬「レカネマブ」の効果をグラフ化したものです。

 

メーカーであるエーザイの資料によれば、治験では、27%に悪化を遅らせる効果があり、それはおよそ7.5か月程度のものであったという事です。よくあるように、効果面は針小棒大に取り上げれていますが、必ずある副作用については殆ど取り上げられません。

 

どうでしょう。これを効果ありと呼べるでしょうか。先に述べたように甲田医院はほぼ100%です。レカネマブは27%。しかも、たった半年と少し遅らせるだけです。そして、薬事承認によって、治療に対して健康保険として巨額の国費が投じられます。

 

このあたりの仕組みは前回のブログに書きまししたので、これをご覧ください。

 

 

ここには二つの貪欲がうごめいています。

一つは産官学の「貪欲」です。金儲けをしたい、少しでも高い地位を得たい、という彼らの欲望が巨大な医療産業を育て、膨大な医療費の無駄を生んできました。

ただし、エーザイやエーザイの研究者がそうだというのではありません。

「何とか病を解決したい」という人間の善意をも利用する悪劣な組織的仕組みの問題なのです。

 

もう一つは「助かりたい」という患者側の「貪欲」です。そこにはもう一つ「愚痴」(おろか)という業想念もうごめいています。患者のとにかく助かりたいという欲が、もう一つの業である「愚かさ」を生み出してしまっています。それを医療産業は利用します。

 

これは治病、健康だけの話ではありません。

今起こっているイスラエル対ハマス、ロシア対ウクライナを始め世界中で一向に収まることのない戦争、紛争の類も業想念によって引き起こされています。

 

戦争も業想念が原因で、それを利用する輩がいる

ここで表に出るのは「瞋恚(いかり)」です。異民族、他宗教を憎み、自国、自国民の利益と相反する対象に持つ根深い恨みと怒りの感情が紛争、戦争の火種であることは言うまでもありません。しかし、問題はそれだけではありません。それをもっと深刻にしているのも「貪欲」です。

 

米国の第34代大統領のアイゼンハワーは退任に際して有名なテレビ演説を行いました。

それは、軍産複合体に国家が牛耳られることへの警鐘でした。以下、同演説よりの抜粋です。

 

今日のわが国の軍の組織は、私のどの前任者の時代に知られた組織ともほとんど共通点がありません。第二次世界大戦まで、わが国は軍需産業を持っていませんでした。しかし、非常時になってから国防のために(武器を)即座に作るリスクを負うことはできない時代となり、私たちは恒久的で巨大な兵器産業を創設せざるを得なくなったのです。

 

加えて、(現在の)わが国の国防体制には350万人の人々が直接関わっています。そして私たちは毎年、すべてのアメリカ企業の純益(の合計)より多くの金額を、軍と安全保障に費やしています。

 

このような、「巨大な軍」と「巨大な兵器産業」が組み合わされた組織は、わが国がこれまで体験したことがなかったものです。それが及ぼす総合的な影響は、経済、政治、そして精神面においてさえ、わが国のすべての街、すべての州政府、そして連邦政府のすべての省庁で感じることができます。

 

しかし私たちは、このことが持つ重大な言外の意味を理解しなければなりません。それは、私たちの生活のすべて、私たちの社会の構造のすべてが、それに関わっているということです。私たちはこの軍産複合体の不正な影響が、政府のさまざまな部局において、意識的にせよ無意識的にせよ定着することのないよう、守りを固めねばなりません。

 

誤った権力が壊滅的な台頭をする潜在性が存在しています。その潜在性がなくなることはありません。私たちはこの(巨大な軍と巨大な軍需産業の)組み合わせの重みに、私たちの自由や民主主義を危険に陥らせることがあっては絶対になりません。安心していてよいことはひとつもないのです。

 

常に注意を怠らない見識ある市民社会のみが、平和的な方法と目標を持つことにより、この巨大な産業と国防軍事マシンが合体したものを打ち負かすことができるのです。安全保障と自由が、ともに手を取り合って繁栄することができるように……。

(抜粋おわり)

 

アイゼンハワーの警告は、つづく35代大統領のケネディーにもしっかり届き、彼はこれを抑え込もうとしましたが、その結果がダラスでの暗殺です。暗殺の主犯がオズワルドでなく、実行者が誰かは別にして、裏に軍産複合体の存在があることは明瞭です。

 

軍産複合体とは金儲けと地位向上のために戦争さえ利用する存在です。

ベトナム戦争の深みにはまってしまっていた36代大統領のジョンソンは、事件の調査報告を公にできず、50年間はこれに封をしました。それがトランプ政権、バイデン政権と徐々に公開されてはいますが、おそらく真相は明らかにならないでしょう。

 

ちなみに、私はそういった闇の存在の脅威についても以下のブログに書いていますので、ご興味あればご覧ください。

 

 

テレビや新聞報道を見ていると、今回のウクライナや中東での戦争も、悪者はロシアやハマス、そしてその裏にいるイランや中国。これに対して民主主義と自由を守っているのがアメリカという図式の報道が多いようです。しかし、ロシアやハマスのような存在はアメリカと世界を牛耳る暗黒思想家たち、闇の勢力によって利用されています。

 

実際、世界中に戦争、紛争の種をまき続けているのは、民主主義と自由を守るはずの「アメリカの軍産複合体」、さらに背後の暗黒思想家達なのです。

同じ文脈で言うと病気や健康被害をまき続けているのは、命と健康を守るはずの「産官学の医療制度とその受益者たち」、さらに同じ暗黒思想家なのです。


このような暗黒思想家達は、一見善なること、民主主義、人権、健康、環境、サステナビリティーなどを看板に社会を分断させ、世界に混乱、破壊をばらまいています。彼ら自身をそうさせ、また彼らが利用するのも人間の業想念の「貪・瞋・痴」の三毒です。


このように考え、その実態を知れば、個人ばかりでなく、人類の不幸の真因、大元が「貪・瞋・痴」の三毒であることが判るでしょう。

イエスも釈迦もムハンマドも老子も、過去の聖者方はそのことを見抜き、これへの対処法を自らの教えとして説かれました。

 

甲田先生が見出した業想念への対処法

先に麻野さんの書かれた記述を紹介しましたが、この大事なところを再掲します。

 

甲田先生の机には、西勝造先生と五井昌久先生の写真が飾られている。西先生は西式健康法の創始者、五井先生は世界平和の祈りの提唱者である。この二人の先生が甲田先生の心身の指導者であり、恩人でもある。

 

西式健康法を、そして少食を実践するに当って、心の支えとしたのは五井先生の教えだったと思う。もっと直截に言えば、「祈り」だったのではなかろうか。

欲望に敗けて食養の失敗を何度も繰り返す。弱い自分に歎きながらも、その解決の糸口が見えない。そんな時、甲田先生の援けになったのが祈りだった。

 

「どうか私を強くせしめ給え」という祈り以外なかったのだ。

甲田先生は並はずれて意志の強い人だ。しかし人間の意志などたかが知れている。意志をいったん天に返し、天からそれを受け直した時に、その材質は鉄から鋼に変わる。それが祈りである。

 

祈り続けることで、地上の意思は業の衣を脱ぎ捨て、天空へと昇華される。そうなったとき意思は己を全うするだけでなく、己を超え万人に向けられるようになる。意志は愛の広がりを持つようになるのである。(再掲おわり)
 

過去のブログでも紹介しましたが、甲田先生はよく「観普賢菩薩行法経」の有名な下の一節を口になさいました。

 

一切の業障海は

皆妄想より生ず

若し懺悔せんと欲せば

端坐して実相を思え

衆罪は霜露の如し

慧日能く消除す

 

(訳)不幸や病などの一切の業障は、すべて誤った想念、妄想から生み出される。もし自分の業障を懺悔したいなら、静かに端座して実相を思えばよい。実相とは自身が光であり、神性であり、仏性であるということだ。そうすれば罪として見えている不幸や病は、あたかも霜や露のごとくものだから、智慧の光に照らされ消えてしまうのだ。

 

過去、何度か紹介してきましたが、甲田先生は「五井先生によって救われた」と繰り返しおっしゃいました。患者の貪欲との闘いの日々の中で、疲れ果てた甲田先生がようやく光明を見出したのが、五井先生の「世界平和の祈り」だったのです。

 

甲田先生に五井先生を教えて頂いた私も「あわあわ」の講話でこのことに触れています。

先生がお亡くなりになる2,3年前でしょうか。診察室で、「先生、本当にありがとうございます。私は西式甲田療法で肉体を、先生から教えていただいた『五井先生の世界平和の祈り』で魂を救って頂きました」と直接お礼を申し上げる機会がありました。

 

このことを「あわあわ」でお話するたびに胸がいっぱいになり、涙がこみあげてくるので、いつも困ってしまうのですが、これは私の魂からの感謝の思いの表明でした。本当に世界平和の祈りで「業想念」を消除することができるのです。

 

これを習慣にし、日々折々に世界平和の祈りの中に自身の想念を置くことができれば、業想念はどんどん小さくなり、必要最小限のサイズにすることができます。

「必要最小限」と、おかしなことを言うようですが、煩悩、本能が完全になくなるとこの世にいる必要がなくなります。生きている限り、それらを消滅させることは出来ないでしょう。しかし、それを小さくできれば、業想念に邪魔されず、自らの天命を存分に果たすことができます。

 

背腹運動中のお祈りのススメ

そのために今、私は背腹運動中のお祈りを日課にしています。

背腹運動のやり方はYoutubeに上げられていますが、以下などはとても分かりやすく解説されています。

 

 

ここでは座ってなさっていますが、このやり方はひざを痛める可能性が高いので私は椅子(スツール)に座って行っています。甲田先生も椅子に座り、これを実行されていました。森美智代さんもそうです。

 

以下の過去ブログで背腹運動中に行う「世界平和の祈り」とその効果について書いています。ので、これもご覧ください。

 

 

その冒頭、「今日の結論」として書いたことを次に再掲します。

 

① 背腹運動が西式健康法の眼目である理由は「心身一者」にある。「心身一者」は存在論、実践論の両面で説明できるが、実践論では思いの習慣と行動の習慣を正しいものとし、これを維持することを説いたものと考えれば良い。

 

② この思いの習慣と行動の習慣を煩瑣な日常生活にあって正しく整えるために行うのが「背腹運動」である。背腹運動中は交感神経と副交感神経の働きを調和させる効果があり、これによって自律神経が完全調和状態になり、正しく働く。

 

③ 自律神経は一種の自動操縦装置でこれが完全に働けば、体の健康だけでなく、願望実現にも大きな働きを為す。よって背腹運動を「良くなる、善くなる、能くなる」と念じ(唱え)ながら行えば、心身一者の原理から、治病、健康回復に大きな効果を表すことができる。

 

④ 更に背腹運動中に自らの願望、目標を心に鮮明に描きながら、同時にそれを唱えながら行えば、シンクロニシティ―(共時性)やセレンディピティ―(素敵な偶然)の原理が働き、必要なモノ、ヒト、情報が集められ、夢のような願望の実現も可能になる

 

⑤ しかし、「自分にはそんな大それた『夢』や『願い』はありません、ただ幸せに、健康に暮らしたいだけです」、という人もいるだろう。そんな人は五井先生の「世界平和の祈り」を行いながら背腹運動を行うことを薦めたい。

 

⑥「世界人類が、平和でありますように!」と声を出しながら、リズミカルに背腹運動を行うことには絶大な効果がある。

と言っても唱えるだけなら、雑念が出てきて、なかなか集中できないということもあるだろう。そんな人には心に身近な人、まず家族、同僚、上司、友人など、縁ある人たちの顔を思い浮かべながら、それらの人たちの幸福と健康を祈りながら行うのが良い。

 

⑦ また例えばプーチンさんやゼレンスキーさんの顔を思い浮かべながら「ウクライナ、ロシアの平和」を祈るのもよい。さらに日々世界の平和、日本の平和を祈り続けていらっしゃる天皇陛下の衣冠束帯のお姿を思い浮かべ、陛下の御心に合わせるようにこれを念ずることも薦めたい。

 

⑧ ぼんやり祈るのにも効果があるが、意識を集中した「祈り」は、その力を一層強力にし、自分だけでなく、思い浮かべた人たちにも素晴らしい光と波を届けることができるからである。

 

⑨ 縁ある人たちへの祈りには、それらの人たちを浄める働きがある。さらにそれを喜ばれた縁ある人の守護霊、守護神が感謝の光をこちら側に送ってくださるので、祈った人の福徳となり、その光も心の宿便を消去せしめる助けとなる。

 

⑩ 西勝造先生は西式健康法の本当の目的は「霊肉の浄化」「霊性の開発」にあるとおっしゃった。甲田先生が度々口にされた観普賢菩薩行法経の一節「一切の業障海は、皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え。衆罪は霜露の如し、慧日能く消除す。」とはこの祈りによって「心の宿便」が消除されることを指している。背腹運動と「世界平和の祈り」を同時に行うことの意味を知り、是非これを実行されたい。

 

以上が過去ブログ再掲ですが、書いた当時、上のようなやり方が良いと思い、そう書きましたが、今はごくシンプルに行っています。

下は私が背腹運動を行う際に目に入る正面の窓と壁です。

 

 

中央は五井先生の「神愛」の書の写真です。

 

その右(下)は先日森さんから頂いた絵です。

絵には「みんな仲よく 天の願い」「この世の祈り」という賛が添えられています。

 

 

左(下)の写真は五井先生の会の本部があった聖ヶ丘道場(市川市)への入り口、石段の写真に先生の詩を添えられた会報「白光」にあったページです。詩のタイトルは「光の石段を登ろう」です。

 

 

参考まで、以下、その五井先生の詩です。

 

光の石段を登ろう 五井昌久
 

緑の林を切り開いて
天までつづく石段ができた
その右段を一歩一歩登つてゆくと
大光明の世界に出る
七色の光きらめく妙なるひびきが
石段を登り切ったところから宇宙中にひびきわたる
そこは聖ケ丘
天のみ心がそのままうつし出されている丘
神々の大調和の姿が祈り心となつて
人々の汚れた想いを浄め去つてくれる

天までつづく石段を登ろう
今日も明日も明後日も
石段の上から見はるかすと
森や林が生々と輝やいて見える
今まで貧に泣いていた人が
病で苦しんでいた人が
絶え間ない争いで悩みきっていた人が
石段を登り切った時から
光明世界の住人となり
笑顔と笑顔でお互いの心を照し合えるようになる
貧も病も争いも
その時からその人の世界のものではなくなる
その人たちは忽ち(たちまち)神の子の姿を現わし
世界平和の祈り心だけになって
どのような不調和想念も
消えてゆく姿として過去の世界へ断ち切ってしまう

さあ 貴方も貴女も、あなたも君も
光の石段を登ってゆこう
救世の大光明のひびきを浴み(あみ)にゆこう

(新装なつた聖ケ丘道場入口階段で)(五井先生の詩おわり)

 

私は背腹運動と世界平和の祈りで、森さんが書かれたように、わが身でもって天の願いとこの世(地上)の祈りを一つにし、光の石段を上ることが出来るということを確信することができました。世界平和の祈りは個人、人類同時成道の祈りです。個人だけでなく、個人を通じて人類のご想念を浄める働きがあるのは過去も申し上げてきたとおりです。

 

なお、下は更にそれを拡大した写真です。

一番右の月からの地球の画像は、甲田先生が感動され、愛の星「地球」への願いを込められてご覧になっていたことを思い出し、ここに貼り付けました。左の「不動心」の色紙は、実に力強い五井先生のお筆です。

この壁に向かっての朝夕の背腹運動とお祈りが私の習慣になりました。

 

さて、長くなっていますので、そろそろ本稿を閉じます。

今日のブログに書いたように「貪・瞋・痴」の三毒は人類にとって、難敵中の難敵です。

しかし、これに対して人間は決して無力ではないのです。私たちには出来ることがあります。

 

このブログをご覧になった方で、まだ世界平和の祈りをなさっていない方は以下の記事をご覧いただき、まずはここで書いた朝夕のお祈りから始められることをお勧めするものです。

 

 

このブログが皆様の様々な問題解決や願望実現に役立つことを心より祈るものです。

 

世界人類が平和でありますように