現代医学の根本学説は誤りである(by 西式健康法 創始者 西勝造先生) | Yokoi Hideaki

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先日の前回ブログで武田邦彦先生の「人工透析患者が増えるのは透析機械が増えているからであり、また現代医学の治療が患者を透析へと追い込んでいるのである」という発言を紹介しました。

 

大多数の人にとってこの武田先生の言葉は非常識に聞こえたと思いますが、私には至極もっともに聞こえました。

今日は「何故この発言を正しいと思うのか」の背景、理由を表題のテーマから説明したいと思います。

 

西勝造先生の言葉

最初に紹介したいのは、西式健康法の創始者である西勝造先生の次の言葉です。

 

 

「現代医学が無力であって、疾病治療に、ほとんどなんらの効験を示していないということは、現代医学者の中にも、これを認めている彗眼の士も多い。したがって、現代医学もなんらかの大きな転回を示さなければならない。約言すれば、現在医学の学説は、いまや大改革を必然とする段階にきている。西医学は、現代医学者のいう正統医学ではない。また国法で公認もされていない。しかしこれが実践者は病気にかからない。また病気も治る新しい医学であり、西医学からみれば現代医学の根本学説は誤りである。現代医学は、西医学によって革命されねばならぬと、私は二十余年来絶叫してきている。医学の価値は、それが国家が公認するとか、未だ公認しないとかいうことでは決まらぬ。健康が保てるか、病気が治るかということが、その判定の規準にならなければならぬ。」

 

今日このブログを読んで下さっている方にお伝えしたいのは、この西先生の言葉に尽きています。

「医学の価値は、それが国家が公認するとか、未だ公認しないとかいうことでは決まらぬ。健康が保てるか、病気が治るかということが、その判定の規準にならなければならぬ。」はというお言葉は至極もっともです。

 

その意味では医療技術の進歩、新薬の発見、医師の増加にもかかわらず、病気の数、病人の数、医療費が増加の一途をたどる現実が今日のブログテーマの正しさを証明しているように思います。

 

西先生がこの発言をなさったのは60年以上前ですから、この事実をもってしても「現代医学の根本学説は誤りである」という先生の訴えは正しかったと言えるのではないでしょうか。

 

そこで、ここにその正しさを示す傍証をいくつか紹介したいと思います。

最初はアメリカの良心と言われたロバート・メンデルソン博士の著作よりからの引用です。

 

医者がいない方が健康は保てる

1973年、イスラエルで病院ストライキが決行された。診察する患者の数が1日6万5000人から7000人に減らされた。ストライキは1カ月続いた。その期間中に同国内の死亡率は実に半減した。同国で、これほど死亡率が激減したのは、20年前やはり医者がストライキをした時以来だった。そしてストが解除され、病院が再開すると、死亡率は元に戻ったのである。

 

1976年南米コロンビアでの首都ボゴタでも同じような事が起こった。医者が52日間のストライキを起こして緊急医療以外は行わなくなった。その期間中死亡率は35%低下した。(地元新聞が報じた「奇妙な副作用」というニュース)

 

同じ年、ロサンゼルスでも同じような事があった。その時の死亡率の低下は17%であった。その時は調査(UCLA)が行われ、スト期間中手術の数が60%減少していたことが分かった。ストが終わり医療機器が活動を始めると死亡率は元に戻った。(引用終わり)

 

そして、メンデルソン博士はこのように結論付け、主張されています。

「私は医者は永遠にストを続ける必要があると主張してきた。医者が医療行為の9割をやめて、救急医療にだけ取り組めば、人々の健康状態は間違いなく改善されるはずだ。」

 

 

 

過去私のブログでも夕張総合病院の閉鎖後のことを取り上げた日経ビジネスの記事「病院が消えても死亡率は変わらない」や老人医療費が全国で一番少なく、かつ塩分摂取量も多い長野県が全国一の長寿県であることを紹介された武田先生の見解=「数値から見る限り医療が寿命を縮めていると結論せざるを得ない」を紹介してきました。

 

何故このような常識とは矛盾したことが起こるのでしょうか。それを判りやすく説明された中村天風師の言葉があるので、ここで紹介したいと思います。ちなみに、私のブログのテーマの一つは中村天風師の思想、哲学を紹介することにあります。天風師の成功三部作は私が最もお薦めする重要図書の一つですが、それとともに健康面で是非一読をお勧めしたいのが以下のご著作です。

 

 

天風師はこのようにおっしゃっています。(以下引用)

 

「病を回復させる正しい手順・治病のプロセスを妨げるな」

病というものは、その種類を問わず、みな一定の秩序と階段がある。病は、その秩序と階段から脱線しないで進行もし、また回復もするというのが、厳粛な原則になっている。だから、もしも途中でこの秩序を無視し、あるいは回復の階段を邪魔するような不自然な一時押さえの手当てをすると、病の進行や回復をゴチャゴチャに妨げることになってしまうんだ。

 

その結果は、早く治る病が早く治らず、重くならなくともいい病を重くしちゃう。時によると、自分の無知からほどこした、間違った手当てや養生法のために、死ななくてよいのに死んじゃうような、愚にもつかない事になってしまうのです。素人においては、一時の病の苦痛や悩みから何とかして一刻も早く逃れたいという気持ちで一杯になる。

 

この苦しみ、この熱、この痛み、何とかして早く治りたい…そう考えるのがあたりまえではあるけれども、さあそこなんだ。痛んだり、悩んだり、苦しかったりするから病だ。

 

それをね、感じると同時に、一日も早く治してしまおう…これがいけないんだよ。歯ひとつ痛んだって、痛む原因があるから痛むんだ。痛むだけ痛ませて治さなきゃ治らないんだ。

 

途中で痛みをとめたら最後、大変だ、ねえ。一時押さえの手段、方法、それをあなた方は悪いと思わずやってる場合が多いんですよ。それも、お医者さんがやるんだから。

 

薬剤の問題

このごろは、一時しのぎに、非常に強い薬を注射したり、強い薬を飲ませたりします。とくに抗生物質の乱用というのは、民族の健康の上に本当に真剣に考えなきゃならない大問題だ。薬の事も言っておこう。よい薬は、やっぱり飲まなきゃいけない。では、用いてよい薬とはどんな薬か。

 

こういう薬ならいいんだよ。「有害的な副作用をもたないで、組織や機能に対して少しも破壊的な結果をもたらさないもの」なら飲んでいい。こいつが難しいんだ、素人にはこのけじめがつかないもん、見分けがつかないからね。

 

まず、無機鉱物からこしらえられた、この節の大抵の薬は、よくない。無機というのは、命のないもんだ。この現象世界にある物質というものは三つしかないはずだね。

 

植物と動物と鉱物。動物の体を形成している、骨、肉、血液、筋肉一切みんな鉱物だが、その鉱物は有機鉱物であります。有機鉱物である我々の、ある故障を治そうがために用いる薬が無機鉱物である場合、この無機鉱物というものが有機鉱物と同じような作用を我々の肉体に与えてくれないことは、わかりゃしないかい?

 

鉄分が必要だって普通の鉄を化学的な所作でもって飲みいいようにして、極端なことをいやあ、釘一本を削って飲ませるようなやり方をしてる。そうすると、その結果はどうかというと、有害な作用が必ず後に残る。無機鉱物は組織や機能に破壊的な被害をもたらすことが多いんだよ。

 

じゃあ、どうするか。良い薬は日々食べている食べ物の中、特に天然産物の中にある。私がしょっちゅうあなた方に「果物を食べなさい。植物性の野菜をうんとお食べ」というのは、この中に限りなく豊富な、中毒のない有機鉱物が入ってるからなんだ。

 

医者としての私の事実の体験の上から、薬飲んでる人を見るてぇと、もしも、親類か知人なら、ひったくっちまいたいぐらい、危ねえもん飲んでるな、と思うんですよ。

 

そうするとね、「いや、これはちゃんと政府で許してあって、無害なもんです」と、こう言う。すぐ飲んで死なないから、無害だと思ってる。ちょうど、フグの臓物を当たらないからって、食ってるのと同じだ。フグの臓物なんか食うと晩年必ず、狭心症にかかるということを知らないでいる。

 

だからね、どんな場合があっても、今後、薬という名のみにとらわれて飲んじゃいけない。ましていわんや、売薬屋の広告に暗示づけられて「病にならないように」というような気持ちで飲むなんてぇことは、かりそめにも文化民族としてすべきことじゃない。

 

お医者さんが用いている薬にでも、往々中毒反応を起こしがちだということを考えてみたら売薬屋の広告というのはおっかねえ。不治の病、難治の病、癌だとか、そういう病にかかる原因の何割かは、むやみやたらに無機質の薬を用いすぎた結果だと言っても言い過ぎじゃないんです。

 

 出来物、腫物にも感謝せよ

考えてごらん、あなた方。どんなできものでも、それが痔であろうと、ニキビでも、体の中の病的物質が、いいかえれば、病毒が体の外に出ようがためにその現象が出てきたんだ。

 

だから、おできができたら、「本当にありがたい。うれしい」と思いなさい。体の中の悪いものが外に出てくれるんだもん。そういう腫物の類を電気の針で焼いたり、メスでもって切ったりする人があるけども、これは病毒の出口をふさいでしまうことになる。

 

また、出口の出を悪くすると、その恐るべき病毒は体のどこかの部分にたまってしまう。そういうやつは体の中にいられない身分なんですから、何とかして出ていこうとして、いつかは必ず、組織の一番食い破りやすいところへ行って悪さをするんだ。だから、痔を手術した人は大抵三年、五年のうちにどこかに病をわずらってくるだろう。

 

真理の上から考えると、体の中の病毒がいろいろな状態や方法で体の外へ出てくれようとしている働きのあることは、本当に造物主に対する感謝をあらわさなきゃならない。

 

そうだろ、こういう作用があればこそ、我々はこうして刺激の多い世の中に、とにかく生きていられるんだからね。

 

病のときにね、まず第一番にこう考えることが必要なんだよ。頭痛がしようと、腹を下そうと、こう考える。「病というものは、自分を丈夫にしてやろうとする天の恵みの力が働いてるときだ」と。どうだい、全然あなた方と考え方が違うだろ。人間は病がなかったら、すぐ死んじまいますよ。まだわからないかい?

 

それじゃあね、あなた方が何か食べたとする。顕微鏡にかけて分析して食ってるわけじゃねえから、変なものを食べて、それで病が出ない体だったらどうする?

 

食べたものの中に、もしもばい菌やたちの悪い微生物が入っていたとする。そのとき吐きもしないりゃ、下しもしなかったら、そのままその中毒で死んじまうじゃないか。

 

ところが、ありがたいかな、腐ったものを食ったり、良くない「菌」の入ったものを食えば、たちまち胸がむかついてきて、吐くわ、下すわ、そりゃのたうち回って、その病毒と体が戦ってくれて、治るまでは苦しむ。苦しんで、治る。

 

それを考えたらありがたいと思わないかい。まだ私を生かしておきたい、丈夫にしてやりたいという思召しが天にありゃこそ、この体の中のすべてのものを健康的にしようがために、こうして、手をかえ品をかえて、この病毒を出すお力を働かせてくだされているんだ。

 

「この熱、この痛み、これは自然治癒軍が活動して、おれを丈夫にしようがために働いている活動だ。あゝありがたい。」というように考えるようになさい。熱がでれば、神棚にお燈明をあげてお礼を言やいいんだよ。「もっと出ろ!」ってくらいの気持ちでいることだ。

(以上 引用終わり)

 

「症状即療法」の原理

ここで天風師がお話になっているのが西式健康法の二大原理の一つ「症状即療法」です。熱にせよ、痛みにせよ、また出来物、腫物の類にせよ、すべての体の不調、不具合、すなわち症状は「体が良くなっていくプロセス」であり、そのまま治病の一番有効な療法であるということです。

 

この症状即療法の原理を甲田先生のご講話から紹介したのが、以下の以前のブログです。甲田先生のお言葉も合わせてご覧頂ければと思います。

「病や不幸とどう向き合えばよいのか④ 五井先生の「消えてゆく姿」と甲田先生の「症状即療法」

https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12402854493.html

 

現代医学の慧眼の士

冒頭、西先生の「現代医学が無力であって、疾病治療に、ほとんどなんらの効験を示していないということは、現代医学者の中にも、これを認めている彗眼の士も多い。」という言葉を紹介しましたが、その「慧眼の士」のお一人が免疫学の世界的権威でいらした安保徹(あぽとおる)先生です。

 

安保先生の言葉も紹介しておきましょう。(以下 ご著作より引用します)

 

治病の正しいプロセスを妨げる医療行為(安保徹)

頭痛には痛み止め、カゼで熟が出たら解熱剤、胸やけには消化剤、眠れないときは睡眠薬、ひざ痛には湿布薬などと、病院で薬をもらうことは半ば習慣化しています。確かに薬を飲めば不快な症状は消え、気分も楽になります。頭痛持ちや腰痛で悩んでいる人は、「痛み止めなしでは暮らせない」と思っている人も多いでしょう。

 

しかし消炎鎮痛剤(痛み止め)や睡眠薬、抗不安薬、制酸剤(胃酸の分泌を抑える薬)など、医療の現場でよく使われている薬であっても、2年、3年と長期に使い続けていると病気はますます治りにくくなります。さらに、やがて新たな病気を発症させる恐れがあるのです。

 

病気になって現れる痛みや発熱、かゆみ、下痢などの不快症状は、体が治るときに生ずる「治癒反応」ですが、患者さんにとってはつらく苦しいものにすぎません。患者さんからも、また医師からも、こうした治癒反応は悪玉として見なされています。

 

医師は患者さんの苦しみをなんとか取り除いてあげたいと考え、症状を薬で抑える対症療法を行います。これで患者さんはいったん楽にはなりますが、治癒反応を抑えられた体は治るチャンスを失ってしまいます。その結果、病気の治りは悪くなり、さらに薬を足していくという悪循環が始まるのです。

 

対症療法は昔から行われていましたが、戦前は抗生物質や免疫抑制剤、抗ガン剤のような強い薬はありませんでした。作用の弱い薬は効き目もそこそこで、治癒反応もさほど阻害されずにすみました。対症療法を行っても、治癒のプロセスをたどることができたのです。

 

現代医学は薬学と二人三脚で歩みを進めてきました。消炎鎮痛剤、ステロイド剤、免疫抑制剤など、症状を劇的に改善できる薬が開発されるようになると、対症療法の世界も一変しました。

 

これら作用の強い薬を使えば、激しい炎症(治癒反応)もたちどころにおさまります。不快な症状がおさまると患者さんは治ったような気になり、医師も治療がうまくいっているように錯覚し、ますます熱心に症状を抑え込むようになります。(以上引用終わり)

 

 

ガンですら「症状即療法」の良能の働きである

もうお一人「現代の慧眼の士」を紹介しましょう。森下敬一博士(お茶の水クリニック院長 国際自然医学会会長)です。先生はガンとは「血液の浄化装置」であるとこのようにおっしゃっています。(以下引用)

 

ガンの正体を一言でいうと、「血液の汚れ」である。血液に中にガンウイルスやその他のウイルスが入り込んで汚してしまっている、それ自体がガンなのだ。すなわち、本当のガンは、一般にガンと呼ばれているオデキを体の中につくらせた「バックグランド」である、というふうに私は考えている。

 

血液が汚れてきた時、その人の体の中の一番敏感なウィークポイントに、ガンというオデキができるということなのである。本人も要求しないのに、ウイルスが体の外からいきなり入ってきてガンができる、などということはあり得ない。ガンというオデキができるのは、目的があってのことだ。

 

すなわち、血液が汚れてきたのを浄化する、という目的である。そうなると、ガンというオデキは一種の浄血作用をするものである、と解釈しなければならなくなる。

 

悪魔の創造物であるというのは、考え違いもいいとこで、本当は、ガンというオデキは、その人にとって、まさに救いの女神なのだ。つまり、血液が汚れてしまって、このままではどうしようもないという時に、ガン腫ができて血液をきれいにする働きをしてくれるわけである。

 

最近、フランスの学者が、ガンのオデキの中に「抗毒素」が生産され、血液の中に分泌されているということを発見した。今までは悪魔の創造物だから、切り取るとか、放射線をかけて火傷をさせるとかして、やっつけなければならないと思っていたものが、最近の研究で、そうでないことが判ってきた。

 

ガン細胞は抗毒素を分泌して毒素を中和するばかりか、血液の中に抗毒素を送りこんでいることがわかったわけだから、ヨーロッパのガン学会はあわて始めた。

 

この問題を解決するためには、ガン腫は浄血装置である、という私の理論をもってこなければならない。

 

そうでなければ、ガンのオデキの中から抗毒素が分泌されているという事実を、説明できない。浄血装置なら、そのような働きがあって当然だ。血液の汚れとは、毒素が血液中にあるということで、その結果できるガンは浄血装置なのだ。

 

体というものはまったくうまくできている。ガンができたということは、むしろ喜ぶべきことなのである。これを理解し考え違いを改めなければならない。(以上 引用終わり)

 

 

中村天風師が説く「ガンとは何か」

このように、森下博士は「ガンの正体は血液の汚れである」と看破されましたが、天風師もガンについて同様のことをおしゃっています。以下 少々長くなりますが、天風師のご著書からの引用です。

 

とにかく、癌であろうと、何の病であろうと、一番忘れちゃならないことは、血液を純潔に清淨ならしめること、そして、その方法をしょっちゅう、普通に生きてる場合でも忘れちゃいけないんだ、ねえ。何の病でも血液が汚いんだ。

 

風邪ひとつだってそうよ。血液がきれいだったら、風邪ひかないのよ。あなた方は寒さに当たると風邪ひくと思ってるが、違うんだもの。寒さに当たって体力が弱ると、体の中のばい菌が猛威をたくましくするんだが、そのときに血液がきれいだと、ばい菌先生、暴れようにも暴れられなくなっちまう。

 

それが、血液が汚いと暴れ出すんだ。すると、すぐ熱が出てきたり、頭が痛くなったり。もっとも、そのときの熱というものは悪い熱じゃない。ばい菌の暴れたやつを、できるだけ弱らせちまおうと思って熱が出てくる。

 

だから、風邪ひきでも熱の低いやつは困るんです。いつまでたっても治らねえんだもん。四十度ぐらいの熱だというてえと、一週間、十日で治っちまう。出るんだか出ねえんだかわからない、まるで、けちんぼが買い物に行ったときみたいにだね、いつ測っても七度五分か八度ぐらいで、ひと月もふた月も丹念に風邪ひいてる人がいる。

 

そういう人は、いつでもね、もう一遍カーッと熱出させてやります。一遍もとへ返らなきゃだめ。それで一気に治しちまわなきゃだめだ。

 

だから、一番の理想的な治療法というものは、心身統一法で教えるところの生活法、あのとおりの食い物を食い、あのとおりの生活を行いさえすれば、自然と血液がきれいになっちまうんだよ。

 

医学のほうではね、癌という病を局部的なものだとみなしているのであります。つまり、胃癌なら胃、喉頭癌なら喉、舌癌なら舌の根、肺臓癌なら肺の中、腸癌なら腸の中、直腸癌なら直腸の中というふうに局部にできた、とみなす。

 

そこで患部だけを目当てに治療しようとするために、この病が治らない。そこで、不治の病、こうなっちゃった。

 

でも癌という病は、局部的なものじゃ絶対にないんであります。局部的に発生した病ならば、われわれの習った医学で教えられている局部的な治療というものを施せば、合理的なんだから、治るかもしれませんけどね。

 

私の研究は、将来、五十年、百年後に、全世界の医学者に大きな参考になるであろうと確信していますが、いつも預言者は一歩先を行っています。

 

癌の病原は、血中にあるんであります。それが、体の一部分にかたまって集まったものを、すなわち癌という。もっと詳しくいうと体の中で腐敗した動物性物質の毒が次第につもって、しかる後、かたまっちゃったのが癌。

 

その意味では癌は全身的なもので、癌の病原は、血中にあるんであります。それが、体の一部分に固まり集まったものを、すなわち癌という。もっと詳しくいうと、体の中で腐敗した動物性の物質の毒が次第にちり積もつて、しかる後、固まっちゃったのが癌。

 

さらに詳しくいうと、癌の病原は、動物性の食物がその有力なる原因の一つなんだ。牛や豚や鶏や、魚肉といえども、ゆめにもたくさん食べるなというのは、ここだ。

 

もっとも、女の人は、肉食は早く年をとっちまいますから、自分で後悔するでしょう。私が半年同棲していた世界一のオペラ女優であるサラ・ベルナールは、野菜サラダばかり食べていたんだよ。

 

大体食物の種類はあんまり多くすると良くない。「種類が多いほど良い」と思っている人が多くないかい?肉と植物とを区別せずに食っているとだ、完全な排泄作用のない人間になっちまう。お通じの悪い人間だとか、汗をあんまりかかない人間だとかというものは、癌になる素質が十分にあるんです。

 

とにかく、動物性のものは体の中で腐りやすい。その腐った動物性のタンパク質と菌の作用で、体の中のある部分に細胞が異常に、そこにあっちゃいけないほどの数、繁殖しちまうんだ。

 

ところが、もし、その細胞が特別に繁殖した部分に、血管または排泄作用を行う器官…これは、どうしても細胞の健全生活に必要なんだが、それがありやいい。完全に備わってりゃ問題ない。

 

しかしこの排泄機能が備わっていないと、この一旦繁殖した細胞が、間もなく今度は腐敗し始める。その腐敗した細胞の中にあるタンパク質が、その付近に存在している生きてる細胞までをも刺激して、一方に細胞を繁殖せしめながら、一方にまた細胞を腐らせしめて、かためてしまうんであります。そこに、悪性の肉のかたまりができる。これが癌。

 

刺激を与えるところに癌ができるというけど、刺激を与えるから癌ができるのではなく、つまり、刺激を与えたことが直接の原因じゃなくして、刺激で誘ったことになる。だからねえ、女の人が固いブラジャーを当てたりなんかするのはよくないんであります。それが乳癌のもとであります。固いズロースもそう。

 

これに限らず、外的に与えるところの刺激誘導によって、何らかの病にかかるおそれがあるわけだ。とにかく、自分の病をつくる原因が自分にある、ということを知らずにやっていた人は、以後、心して、改めなさい。

 

病というものは、癌であろうと、単なるこぶのようなものであろうと、肉の腫れであろうと、いま言ったとおり、意識、無意識を問わず、刺激が誘導し結果が来るということだ。

 

この真理を知らないでもって、刺激を与えるんだとは思わないで、光線なんかをさかんに当てているやつがいる。一時的にいい結果が来るからというんで、さかんに用いるんだがね。

 

あるいは、電気針を用いたり。はなはだしいのは、ナィフを用いてちょん切ろうとする。柄のないところに柄をつけた理屈でもって、本当に人間の体が救えようかしら。

 

それもね、造物主が癌の手術するんなら、これはある程度までうなずける。人間が人間の目でもって、メスを手にしながら手術を進めていくときに、癌となるべきもののすべてを切り取っちまうことができますか。

 

それよりほかに手段がないからってやってるんですけど、何にもしないほうがかえっていいんだよ。何にもしないほうがいいけれども、癌にかからないほうがまだいい。

 

癌にかかりたくなかったら、肉食を、たとえ魚肉でも、たくさん食わないようにおし。七分、三分と言ってるだろ。全体の食い物の中で、七割以上は植物性のものをお食ベと。三割以下は肉食してもいいからと。

 

けど、かりそめにもだよ、それは健康者に向かっての食い物の割合なんで、病人になったら、断然断然、風邪ひき一つだからとて、いいか、動物性のものを食べちゃいけないんだよ。(以上 引用終わり)

 

この天風師のお話しを整理、補足すると、以下のようになります。

 

①ガンとは血液の汚れであり、全身的なものである。それが体の一番弱いところに現われる。だから症状が現れた部位への局所的な放射線治療や手術などの治療は無駄であるばかりでなく、病態を悪化させる原因にもなる。

 

②見方を変えれば、血液の汚れが弱い所に集まって目に見える形に現れたのが「ガン」。こう考えれば森下博士の「血液の浄化装置」は正しい。

 

③血液の浄化に必要なことは二つ、1)血液を汚さない食事の習慣を持つことと 2)排泄の機能、働きを高めることである。

 

④西式甲田療法が有効なのは先ず少食、そして玄米菜食(さらには生菜食)中心にした血液を汚さない食習慣で1)「入るを制し」、六大法則や裸療法の励行で排泄機能を高め、2)「出るを制する」からである。

 

⑤血液を汚さない食事の第一は肉食をやめることにある。

(上の引用では魚も含めて動物とおっしゃっていますが、天風師は一番良くないのが四つ足動物の肉である、とおっしゃっていること、また上の肉食3割、菜食7割も40歳くらいまでで、それ以降は肉食の比率を減らすべきであるとおっしゃっていることを補足します。)

 

⑥もう一つ天風師のお言葉から知るべき重要な認識はガンだけでなく「何の病でも血液が汚いんだ。風邪ひとつだってそうだ」という病気の真因への認識である。

 

⑦その意味で東洋医学の基本認識「万病一元 血液の汚れより生ず」が病気とは何かを考える上での大前提で、それが先の「癌(病)は全身的なもので、癌(病)の病原は、血中にある」という認識に通づる。

 

解熱剤や手術はもってのほか

余談ですが、動物性の食事が良くないこと共に現代医学の治療が誤りであることを天風師はこのようにも述べられています。(以下引用)

 

動物性のものを食べると血液が酸性中毒になる。すると扁桃腺やその他の排泄器官が、共同的に働いてそれらの中毒性の物質を体外に追い出すんだ。だから扁桃腺が腫れた時に解熱剤や手術などはもってのほかなんだ。扁桃腺ばかりじゃありません、痔であろうと、その他の腫れものであろうと、同様だ。

 

子供を持つご婦人に申しあげるが、弱い子供に限って扁桃腺やその他の腫物が出来やすい。それを慌てふためいて医者のすすめるままに外科的治療をするのは大間違い。

 

確かにアデノイド(扁桃腺)を切った子供はもう熱が出ませんよ。その代りちょっとした肺炎にかかってもすぐに死んじまう。大きくなってから結核菌にさっと侵されちまう。

 

扁桃腺は熱を出すためのものでなく、天が人間に与えた「排泄器官」なんだ。体内に有毒物質がたまったら、それを扁桃腺の中に追い込むんです。そして、有毒物質や老廃物を焼いちまう。だから熱が出るんです。扁桃腺はこれらを無毒にするための働きをしているんです。(以上 引用終わり)

 

最近はさすがに、熱を出さないためにアデノイドや扁桃腺手術をやることはないだろう、と思っていたのですが、本稿を書くに当たって念のため調べてみると、東京の著名な耳鼻咽喉科専門病院のHPにこのような記述がありました。

 

「病巣感染といって、扁桃が病巣となり、腎炎・リウマチ熱・掌蹠膿疱症など重大な病気を引き起こすと考えられる場合は手術が必要です。年に4回以上扁桃炎を起こす場合、全身に及ぼす影響が大きいので、手術した方が良いとされています。」

 

度重なる子供の発熱で困っている母親がこのHPをみたら、一度先生に相談してみようと思うはずです。そして安易に手術を受けるでしょう。一見、それらしく聞こえるからですが、実際は恐ろしい話なのです。

 

人体の絶妙かつ奥深い働きを知らず、極めて薄っぺら、安直な「科学的知見」で、自然良能の働きを阻害する手術、治療を行う。

 

これが現代医学の実態なのです。この病院は耳鼻咽喉科専門ですが、専門になればなるほど、局所の問題を扱うことになりますから、専門家が熱心に行えば行うほど、全体の利益から離れてゆくことになりがちです。

 

「4回以上扁桃炎を起こす場合、全身に及ぼす影響が大きいので、手術した方が良いとされています。」とありますが、根拠はまったくありません。

 

敢えて言えば「4回も起こるのは大変だから、いっそ切ってしまえばよい」という暴論でしょう。その結果、神様が与えて下さった免疫力を損なうという愚かしいことになっています。全身に及ぼす影響が大きいのは、病院が熱心に進める手術の方なのです。

 

乳がんの原因は「牛乳」にある

上に紹介した天風師のお話のポイントは①病気の原因は血液の汚れにあり、②汚れの主たる原因は動物性タンパク質にあるの2点にありますが、これに関しても既に様々な実証的研究が発表されています。ここからはその中から代表的なものを2つ紹介しましょう。

 

最初はイギリスの著名医であるジェイン・プラントさんが書かれた以下の著作です。

 

 

この著作の訳者は佐藤章夫さん(山梨医科大学 名誉教授)ですが、佐藤さんは後記でこのようにのべられています。

(以下佐藤教授による後記より引用)

 

著者のジェイン・プラント教授は1945年生まれのイギリス人で、地球化学の研究者で、1997年にはその研究功績により大英帝国勲章を受章している。(中略)教授は、1987年に42歳で乳がんになり。乳房切除。その後4回の乳がん再発を経験し、放射線治療、抗がん剤治療を受けた。

 

彼女は、乳がんで死なないために、科学者としての経験、知識を総動員して、なぜ自分は乳がんになったのかを省察した。その結果、乳がんは乳製品によって起こるという結論に達した。その論証の過程はスリリングで、まるで推理小説を読んでいるような臨場感がある。

 

教授が、乳がんの再発を避けるために「乳、乳製品を完全に避ける」という食事を実践したのは1993年で、鎖骨上リンパ節に転移した乳がん治療の為に、抗がん剤を投与されている時であった。その後、2000年にこの著作を世に問うまでの7年間、さらに2008年の現在にいたる8年間の計15年間、完全乳がんフリーでご活躍である。(引用終わり)

 

この著作の内容を紹介するのは大変ですので、興味のある方は是非一読を願いたいのですが、これを読めば、牛乳の恐ろしさに戦慄を覚える方が少なくないはずです。牛乳がいかに危険であるかを科学的に、すなわち論理的に、合理的に、かつ実証的に説明されています。

 

これは女性だけの話ではありません。プラント教授は同様に前立腺がんも牛乳が原因であると指摘しているからです。

 

若し、今日のブログを読まれている方の中で、乳がんの方がいらっしゃるなら、ただちに生活の中から一切の乳製品を排除することです。

 

プラント教授の元にはこの本を発表してのち、乳がん患者が相談に殺到されたということです。教授は丁寧にこれを薦められて、それらの患者さんたちに再発はなかった、とおっしゃっています。

 

同様に牛乳や動物性タンパクの害について、警鐘を鳴らした名著をもう一つ上げましょう。「葬られた『第二のマクガンバン報告』(コリン・キャンベル著)」です。

 

第二のマクガバン報告(原題The China Study

チャイナスタディー(第二のマクガバン報告)

 

 

著者のコリン・キャンベル博士は米国コーネル大学の名誉教授で、「栄養分野のアインシュタイン」と称される世界的権威です。

 

チャイナスタディーという本書のタイトルは、この本の元になった研究調査が中国農村部の食習慣研究であったことから名づけられたものですが、内容は中国の食習慣にとどまらず、広い範囲に及んでいます。

 

ガンの原因は動物性タンパク、なかんずく「カゼイン」である。

キャンベル博士は本書の中で大変重要な研究結果を紹介されています。それはこのようなものです。

 

博士が研究者としてのキャリアを始めたころ、テーマは最も発がん性の高い有害な化学物質であるダイオキシンとアフラトキシンでした。

 

その後、博士はフィリッピンの栄養失調児童を救うためのプロジェクトに参加します。その時のテーマが「何故、通常は成人が罹患する肝臓がんがフィリッピンの子供に異常に多いのか」の調査研究でした。

 

プロジェクト中心テーマは子供の栄養失調対策であったので、タンパク質、中でも動物性タンパクの不足をどう補うかを中心に調査や対策が進められました。

 

その調査で博士は意外な事実を発見します。それは肝臓がんに罹患している子供のがん患者はすべて裕福な家庭の子供たちで、高たんぱくの食事をしている子供たちが、ガンになる確率が最も高いということでした。

 

さらに博士は興味深いデータを発見します。それはインドからの研究報告書に中にありました。インドの研究者がネズミを2つのグループに分け、博士の専門だったアフラトキシンの摂取と肝臓がん発生のリスクを実験、調査していたのです。

 

アフラトキシンは肝臓がんを発生させる発がん物資で、博士の専門分野です。この発がん物質とフィリッピンの子供の肝臓がんの多発には因果関係があるに違いないと考えた博士がこの報告書に注目したのは当然のことでした。

 

しかし、実験結果は博士の考え方を根本的に変えるものでした。2つのグループのうち、Aグループのエサは総摂取カロリーの20%のタンパク質が含まれたものでした。欧米の成人が摂取しているのとほぼ同量です。

 

Bグループは5%のタンパク質を含むエサが与えられていました。そして2つのグループには肝臓がん発生のリスクが高いとされる量のアフラトキシンが共に与えられていました。

 

博士は実験結果に驚愕します。Aのグループには100%肝臓がんの病変が発見されたのですが、Bのグループには病変が皆無だったからです。博士はこのように述べています。

 

「なんと「100対0」の結果だったのである。そのため『適切な栄養摂取を続けていれば、非常に強力な発がん物資さえ打ち負かせる』ということは疑う余地がなかった」

 

「タンパク質がガンの原因である」という常識外れなこの実験結果に、博士はガンの発生におけるタンパク質の役割について徹底的に研究してみることを決断します。

 

博士は既に棋界の著名研究者であったので、国立衛生研究所や米国がん協会などの公的機関から潤沢な資金援助を得ることができ、研究に没頭することが出来ました。

その結果を博士は著書でこのように述べています。(以下引用)

 

我々の発見は、まさに衝撃的だった。低タンパクの食事は、どれだけアフラトキシンをネズミに投与したかには関係なく、この発ガン物質によるガンの発症を予防したのである。ガンの発症が確認されたあとでも、低タンパクの食事はそれに続いて生じるガンの増殖を劇的に阻止した。

 

言い換えれば、このきわめて強力な発ガン性化学物質による影響力は、低タンパクの食事によって、取るに足りないほどのものに変えられてしまったのだ。

 

要するに、食事に含まれるタンパク質は、ガンに及ぼす影響があまりにも強いため、タンパク質の摂取量で、ガンの増殖を「ON」にしたり、「OFF」にしたりすることができたのである。

 

そのうえ、実験でネズミに与えたタンパク質の量は、私たち現代人がいつも摂取している比率だったのである。発ガン物質の研究でよく行なわれるような、並外れた量のタンパク質を与えたわけではないのだ。しかも、これが研究結果のすべてではない。我々は、すべてのタンパク質にこの作用があるわけではない、ということも突き止めている。

 

「絶えずガンの発生゜増殖を強力に促進させるものの存在」がわかったのである。それは「カゼイン」たった。これは牛乳のタンパク質の87%を構成しているもので、ガンの形成、増殖のどの過程でも作用していたのである。

 

また、大量に摂取しても、ガンの形成、増殖を促進させないタイプのタンパク質も発見した。この安全なタンパク質とは、小麦や大豆など、植物性のものだった。(引用終わり)

 

なぜこのような認識が広がらないのか

天風師が何十年も前に指摘されたことが、その後の著名な科学者の研究によって既に証明されていました。

 

天風師ご自身が「預言者は一歩先を行く」とおっしゃった通りなのですが、これが新しい「常識」とならないのは何故でしょうか。

 

その理由もプラント教授、キャンベル博士が明らかにされています。「利潤追求」を優先する世の中の仕組みがそれを阻むからです。

 

酪農家や食品メーカー、また薬剤メーカーなどの医療産業などが政治的影響力を行使して、これらの研究結果を大衆の目から遠ざけ続けてきました。

 

プラント教授は激しい個人攻撃を受けたことを著書の中で述懐されていますし、キャンベル博士もこう述べています。(以下引用)

 

こんなに害のある牛乳が「身体に良い完全食品」と無批判に受け入れられてきたのか。アメリカ人が消費する食品群の第2位を占めるといわれる巨大な牛乳・乳製品業界が、財力にものを言わせて政治的圧力や宣伝攻勢を仕かけてきたからである。

 

上下両院議員の7人に1人がこの業界を支持基盤にしていると言われ、「ミルクロビー」が存在している。(日本も同じ)テレビのCMの3割近くが菓子メーカーや牛乳、乳製品メーカーで、マスコミも牛乳の危険性は取り上げないという暗黙の了解がある。

 

アメリカの食品業界や健康業界、医療業界は巨大な利益を上げている。その巨大マネーで大きな影響を持つグループになっている。自社の商品を売るためのマーケティングだけでなく、都合の悪い情報を消費者の目から隠すことに巨額なマネーを使っている。それは政界や行政、学術の分野にも及んでいる。(引用 終わり)

 

利潤追求が優先する悪しき構造を変えよう

大丸百貨店の店是「先義後利」は孟子の言葉で「まず正しいことを為せ、さすれば利益はついてくる」という意味です。企業経営だけでなく、人間や社会の永続性、長期的繁栄を考えるなら、この「先義後利」は当たり前の事です。

 

しかし人間は後先を逆転させ「先利後義」に陥ってしまいがちです。また「先義後利」を実践するにはまず「正しいこと」は何かということを学ばねばなりません。

 

幸いにして今日紹介した研究成果や西先生、天風師、甲田先生など先駆者、預言者の言葉、思想へのアクセスがインターネットの普及で可能にしました。私のブログの目的もここにあります。

 

本稿を締めるに当たって今一度中村天風師、メンデルソン博士の言葉を紹介します。

 

医者は世の中の不要物である(中村天風)

「お互い、人間として生まれて、お医者の銀行預金を増やすためにこの世に出てきたんじゃないでしようが。本当をいうと、私はね、早く医者と裁判官と警察がいらないような世の中が欲しいんだ。裁判所も巡査もいらないだろう。いわんや、医者もいらない。それが最高の理想だと思うんです。いま、医者やってる人間は、それが遠い将来の問題であり、理想の問題であると考えないことだ。自分がばかに邪魔にされたように感じるかもしれないが、真理からいったら、医者は世の中になくてもいいものだ。」

 

世の中の役に立ちたいなら医者をやめなさい(メンデルソン博士)

「人間の体に宿る生命は、適切な条件さえ整えば、自然治癒力という素晴らしい修復力を発揮する。現代医学が医療機器や薬剤に依存した人を死に至らしめる形式だけの医学なら、新しい医学は人に希望を与える医学である。新しい医学に従事する医者が目指すのは、最後には自分の仕事をなくすことである。だから人々には医者に依存する事を日々減らすように指導する。知人の医者から手紙を貰った『人々に希望を与え、世の平和に貢献する為に、医者だから出来る事とは何だろう?』私は返事を出した。『医者をやめることだね』と」 

 

今日のブログタイトルを西先生の言葉である「現代医学の根本学説は誤りである」とした理由がお判りいただけたでしょうか。

今日はここまでとします。

 

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