世界平和の祈り 二つの利点 個人 人類同時成道 「救世の大光明」の働き | Yokoi Hideaki

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このところ連続して、西式甲田療法に関する投稿を行いましたが、今日は五井先生のこと、世界平和の祈りのことを書きたいと思います。

 

先日、ある方にお願いし、五井先生が主宰された「白光真宏会」の会員誌「白光」の古い号を沢山頂戴しました。

お願いしたのは五井先生のことをもっと知りたい、勉強したい、という気持ちからです。

 

もちろん五井先生のご本は沢山出ていますし、先ずそちらから勉強するのが良いのでしょうが、五井先生ご生前の白光誌には五井先生のお写真やご講話がたくさん掲載されていて、ご本には収録されていないものもあるからです。

 

特にそのことを強く思ったのは、この二月にお亡くなりになった五井先生の高弟、伊藤顕先生とのご縁からでした。

 

二年ほど前に伊藤先生の隣でお食事をご一緒させて頂く機会があったのですが、そのとき先生が大事になさっているシステム手帳を拝見しました。

 

手帳には五井先生のお写真や詩歌などが沢山綴じられてあり、伊藤先生はそれをご覧になりながら、世界平和の祈りと五井先生をいつも念じられていらっしゃることが拝察されました。

 

またお写真には白光誌からの切りぬきと思われるものもありましたので、その時初めて、古い白光誌を読んでみたいと思い、その念願がかなって、頂戴することが出来たのでした。

 

頂戴した白光誌を古いものより順に少しづつ拝読していますが、私のブログのテーマである「霊性開発」に関しても重要だと思われる内容のものもありました。

 

まだ一年分も読んでいませんが、今日はその中から表題のテーマで五井先生のお話、会員さんの体験談、そしてお世話になった伊藤顕先生の寄稿文を紹介したいと思います。

 

先ず五井先生のお話です。

五井先生と会員さんの質疑応答の中で述べられていたのが表題の「世界平和の祈りの二つの利点」に関わるお話で、昭和三十二年五月の白光誌よりの転載です。

 

 

世界平和の祈りの二つの利点

此の世界平和の祈りには、二つの利点があるのでありまして、一つは、肉体人間の想いが、常に、此の地上世界の業想念(利害損得、喜怒哀楽)に捉われて、殆んど一日中、ああではない、こうではない、と業想念世界の渦の中をぐるぐる廻わりしていて、小我の想いの絶える時がありませんので、こうした業想念の渦から、人間の想念を抜け出させ、昇華させる意味で、小我の想念を転化させて、世界人類の平和……と云う、広い大きな希望の想いの中に投入させてしまい、一時刻でも、小我の想いを忘れ去らせる為であります。

 

そう致しておりますと、いつしか、小我小欲で悩み悶えている、自己の小ささが嫌になり、自づから、大きく心が開いてくる、と云う利点なのであります。

 

もう一つは、世界平和の祈り本来の、救世の大光明を、此の地上界、肉体人類の上に導入せしむる利点であります。人間は本来、法華経にもあります様に、仏(神)なのであり、神道で云えば神々なのであります。

 

本来仏であり、神々であるものが、地球界に天降って、物質世界の波動を身に纒って、次第に自己の神性、仏性を忘れ去ってしまったものなのであり、その為に、現今の様に、個人と個人、国家と国家が傷つけ合い、殺し合って、物質的自国、肉体的自己の利益のみを得ようと争っているのであります。

 

そこで、人類守護の神々が、種々な聖者となって道を説き、人間に本来性の仏性、神性を識らしめようとしてきたのでありますが、こうした末法の世になりますと、普通の説法ぐらいでは、とうてい人類の滅亡を防ぐ事は出来なくなってしまったのです。

 

どうしても、個人が救われると同時に人類をも救う、と云う個人人類同時成道と云う方法でないと、とても間に合はなくなってきたのです。

白光真宏会の誕生は、こうした神のみ心によって、生み出された団体なのであります。

 

その重要行事の一つが、世界平和の祈りなのであります。

前月号の塚本夫人の体験記にもある様に、世界平和の祈りをしている時には、確かに大光明が、其の人の体を通して、此の地上界に燦然と輝いているのでありまして、此の大光明は、其の人自身を救い、守ると同時に、其の人の周囲の業想念をも大きく浄めているのであります。これは誰人が祈ろうとも、そうなるのであって、特定の個人に限る事はないのです。(転載終わり)

 

救世の大光明とはハイラーキ―(白色同胞団)

これまで、このブログでは中村天風師、エックハルトトール、また禅宗の悟りなどをテーマに肉体を去来する様々な想念を鎮(しず)めることが「霊性開発」の王道であることを説明してきました。

 

上の転載の中で五井先生が世界平和の祈りの利点の一つとして最初に上げられているのは、この「想念を鎮める効果」です。

 

これをこのブログで書いてきた中村天風師のエピソードで言えば「天の声を聴き」そこに「心を休ませる」ことにも通じます。

 

天の声を聴く 中村天風師のインドでの悟り
https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12156858036.html

 

そして、五井先生はもう一つの利点を「救世の大光明」の光を肉体を通じて地上に降ろすことが出来る点にある、とおっしゃっています。

 

私はいつか機会を得て「救世の大光明」について書いてみたいと思っていたのですが、これが難しいのです。

 

イエスや釈迦などの聖者方が、直接肉体を持って救済の道を示したのに、相変わらず低レベルな地球人類を救済しようと、今も力を合わせて救済の活動をされている、光を投げかけてくださっている、といっても荒唐無稽に聞く人が大半でしょう。

 

さて、これをどう説明しようかと、充分自分の中で整理できるまで、書けずにいました。

 

今日もそれが出来るようには思えませんが、白光誌に掲載された内容を拠り所に「救世の大光明」について触れてみたいと思います。

 

五井先生が老子講義などでお書きになっていますが、ヨガや神智学でよく知られるハイラーキ(ヒエラルキア、ヒエラルキー)はこの救世の大光明のことです。

 

ハイラーキの聖者については神智学のバイブルとも言える「ヒマラヤ聖者の生活探求」でも詳しく紹介されています。

 

 

 

この本はずいぶん昔に舩井幸雄先生に紹介して貰い、読んでいたのですが、当時の私には荒唐無稽で難しすぎ、ほとんど理解できずにいました。

 

それがたまたま本棚で目に留まり、まず一巻から取り出してみました。

 

それでこのブログを書きながら読み始めると以前はチンプンカンプンだったところもスラスラと読め、全編にわたって真理を説いていることがよく判りました。

 

その内容の大半は採鉱調査の欧米探検隊のインド、チベット旅行記で、この調査旅行に協力された聖者方が彼らの目の前で見せた数々の奇跡や話されたことの克明な記録です。

 

彼ら欧米人への説明の為もあるのでしょう、キリストや聖書のことが詳しく書かれています。

 

聖者方は自ら奇跡を見せ、その上で聖書に書かれた同様の奇跡がどのように為されたものかを現代の言葉で論理的に説明されます。

よってイエスの真意、聖書の理解に大変役立ち、特にキリスト教徒の方にはお勧めです。

 

ただ、書かれていることは、そう遠い昔でなく現代で起こったことですから、聖書以上に荒唐無稽と受けとられる恐れはあります。

 

だからでしょうか、五井先生の質問会の録音で、ある男性が「ヒマラヤ聖者の生活探求」で描かれた事は真実ですか?」と尋ねたのに対して、先生が「真実です」とされた上で「貴方はもっと現実感覚を持って実際の生活や仕事に熱心に取り組みなさい。それが先です。」と諭されるシーンがありました。

 

五井先生は現実、要は普段の当たり前の日常の中で、真理の響きを響かせることが重要である事をいつもおっしゃっておられたように思います。地に足をつけないと響きが大地に伝わらないという事でしょう。

さて、このように救世の大光明の説明は大変難しいのですが、一言で言えば、地球の次元上昇(霊化)のための大きな援助の働きをされている神々、聖者、宇宙人などの集まり、大霊団であると思います。

 

(ちなみに五井先生がハイラーキ―に関してお話になっているのを1970年、71年の白光誌で見つけましたので、これを文末に掲載します。後ほどご覧ください。)

 

いずれにせよ、私たち個人の運命を浄め、幸せに導こうと日夜守護してくださる守護霊、守護神と同じように人類全体の進化成長に心をくだき、導いてくださっている大霊団があるということです。

 

この霊団を五井先生もハイラーキ―とおっしゃっていますが、何と呼んでも良い、文字や言葉に現われた呼び名はいずれも仮の名で大神様の大愛の大光明である事さえ分かっておればそれで良いのだ、ともおっしゃっています。

 

そしてこの大霊団は我々から遠く離れたところにあるのではありません。

 

世界平和の祈りを行うところに、燦然とその光明を輝き渡らせる、というのが五井先生がおっしゃった世界平和の祈りの第二の利点です。

 

即ち、世界平和を祈る人の肉体を媒介にしてこの大霊団の救済の光が地上、人類に投げかけられるということです。

 

この二つの利点の故に五井先生は、世界平和の祈りを「個人人類同時成道の道」であるとおっしゃいました。

 

その働きの例を紹介されたのが、「前月号の塚本夫人の体験記にもある様に」とされた塚本清子さんの体験です。

 

五井先生を信ずるごく普通の市井の一夫人だからこそ経験したものでしょう。

それも合わせて以下に紹介します。

 

(体験記)  世界平和の所は大光明 

塚本清子(白光誌 昭和三十二年四月号より以下転載)

 

それは昨年の九月丁度八幡様のお祭りの時でございました。近くの幼稚園へお稽古に行く一年生の男の子にせがまれて、一諸について行きましたが、もう二、三人お友達を待たなくてはなりませんでしたので、その足でお祭りを見に行く事にしました。

 

毎年の事ながら、古い伝統の農具市は大変な人出で、ともすると離れそうになる少さい手を汗ばむ程しっかり握って、色々見ながら拝殿の方へ進みました。かん高い風船の叫び、金魚、ほうづき、綿菓子と子供の頃のままの祭りの雰囲気に淡い郷愁をそそられながら、拝殿に着くと、ここも又大変な人です。

 

やっとお賽銭箱の前へ立った私は、はたと当惑しました。あわてゝ来たのでおさいふを忘れて来たのです。でも周りの人々の拍手にさそわれて合掌しましたが、又困った事に今では総てを五井光生にお任せして居ますので、何もお願いする事が無いのです。

 

昔は親の事、子供の事、はては十年も先の事までご飯粒で鯛を釣るような、虫の良いお願いをを並べて居たものですが………… 一瞬空白の時が過ぎましたが、毎日定時(九時)と寝る前、起きた時、合掌して世界平和をお祈りして居ますので、習慣ですぐ平和のお祈りが流れ出して来ました。

 

すると不思議なことに、今まで廻り中で聞こえていた太鼓の音、柏手等すべての騒音が消えて、何か防音装置のガラス箱にでも入ったような静かな、何ともいえない、すがすがしい気持ちになり、自分がだんだん宇宙にへ溶け込んでいくような不思議な気持ちになりました。

 

それから最後に八幡様に向かって、「いま世界は最大の危機に立っているそうです。どうぞ神様方もお力を合わせて五井先生をお助けし、世界平和の為にお働き下さい」とお願いしてお祈りを終えました。神様を激励するとは変った人間が有るものと八幡様もさぞ苦笑なさったことでしょう。

 

気がつきますと、相変らず神主さんはお榊で人々の頭上をおはらいし、待くたびれた子供はスカートにしがみついて居りました平和のお祈りの後のすがすがしさは、たゞでお参りした後めたさもなく、いい気持ちで石段を降りて来ますと、左側の狛犬の乗った岩の前に、小肥りな平凡な田舎風の小母さんが手相や方角を書いた紙を置いて座って居ました。

 

行過ぎてから呼ばれた様な気がしましたが、沢山の人ですから気にも止めずに行きますと前より大きな声で、「そこへ行く奥さん一寸待って下さい」と呼びかけて私が振返った時には小母さんは追かけて来て居ました。

 

「あんた御信心して居なさるね」大きな目を見すえる様にして、のぞき込むおばさんに、だしぬけの事で驚いて返事をしないで居ますと、「あんたはすばらしい神様に守られて居なさるよ」とたたみかけるように又云うのです。

 

そこで、やっと落付きを取り戻した私がそれはきっと守護霊様、守護神様の事だろうと思ったので、「そうですか、でも私の信仰して居る神様は誰でも皆守護霊様、守護神様に守られて居るという事を教えて下さって居るのですよ。私だけではないでしょう」と申しますと、小母さんは我意を得たように何度も大きくうなづきながら、

「それはそうだよ、それは間違い無い事だけれどあんたの神様は違う。すばらしい神様だ。あんたの背中からすごい御光りがさしてまぶしい程輝いて居るよ」といかにも感にたえないように、大きく何度も首を振りながら、目を輝かせて力強く言い切るのでした。

 

私は一瞬体中が熱くなるような感激と喜びで一杯になりましたが、小母さんなおも続けて「私はこんな商売をして居るから毎日たくさんの人を見て居るけれど、あんたのような人は珍らしい。どんな手相をして居なさるか私に見せてくれませんかね」とたのむのです。

 

私が一寸困って廻りを見回すと、驚いた事に大部人だかりがして、皆好奇心をそそられたような目をして、私と小母さんさんの顔を見くらべて居るのでした。私はそれを見ると急に自分の運命という神秘なものを、冷かし半分の他人に聞かれるのが気が進まなくなって、お金を持って居ない事を口実に断りました。

 

おばさんはなおもこちらから頼むのに見料なんかいらないよ、と熱心にすすめるので、一時は迷いましたが、さっきから両手で私の手にすがり、しきりに「帰ろうよ、おそくなるよ」とくりかえす子供の不安そうな目を見ると 急に可哀そうになって、思い切って何時か又きっと観てもらうことを約束して、残念相な小母さんの目を後に別れました。

 

カンナ色の夕日をまともに受けで帰る私の心は、今更ながら平和のお祈りの功徳のすばらしさと守られて居る喜びと感謝で一杯でした。

何時でも何処でも世界平和のお祈りがされる時、直霊の御光りは私達の頭上にさんさんと降りそそいで私達を浄め護って下さる事を思いがけず、こんなにはっきりと知らせて戴いて、有難さに一人でも多くの皆さんに此の事実を知って戴きたいと思ったのでございます。

 

日頃五井先生の御教え通り世界平和の大業のお手伝いをしながら自分自らも救われるという此の御教えこそ世界唯一最高の御教えだと確信いたします。私達は選ばれたる神の使徒であると云う大きな誇りをもって皆さんと心を合せて常住座臥世界平和のお祈りを続けて行きたいと思います。(以上転載終わり)

 

ここで塚本さんがおしゃっているのは何も特別なことではないのでしょう。それは五井先生が「これは誰人が祈ろうとも、そうなるのであって、特定の個人に限る事はないのです。」とおっしゃっているからです。

 

かくいう私もこのブログで度々紹介している森美智代さんにオーラを褒めて頂くことがありました。

 

森さんは霊覚のある人で、それが森さんの治療に役立っており、ベストセラーにもなった龍体文字も霊覚でキャッチされています。要は普通には見えないものが見える人です。

 

オーラにあまり興味がないのと、この体験記のように平和の祈りをしていれば、光っているのが当たり前と思っているので、「どんなオーラですか?」などと聞いたことはありませんが、五井先生のお話のように、平和の祈りで光明に包まれるのは、誰にでも起こることです。

 

ちなみにその森さんが白い光に包まれた画像がありますので、以下に紹介します。

森さんの映画を撮られた白鳥哲監督の会で壇上に並ぶ5人のパネリストの写真です。

 

 

以下が壇上を正面から撮ったものです。

 

 

 

 

白い光が徐々に壇上いっぱいに広がっていますが、森さんは世界平和の祈りをなさっていますから、私は神霊の光が森さんを通して現われたものだと思っています。

 

この写真をみて、先のヒマラヤ聖者の生活探求(第二巻)の「白光」に関する美しい描写を思い出したので、紹介します。以下「神人一体」についてのイエスさまの説話です。

 

わたしたちがこの正当なる相続に目覚めた時(注 神の子としての認識=神との一体に気づいた時)、わたしたちの身体が常に美しく純粋なる霊体であり、最も神聖、荘厳、真実なる神の宮であるという、永遠の昔から伝えられて来た真理の美しさと純粋さに、又目覚めるのである。

 

その時、わたしたちの身体は、本来この至高の状態より未だ曾て低下したことはなかったのだという確信が出てくる。

 

低下したというのは、実は人間が勝手にそう思い込んでいたのである。このような迷いが消える時、わたしたちの体はその本来の神性なる相を取り戻す。

 

その時、丁度炎熱の程よく冷めた夏の宵の香りがすべての風物に漲るが如くにも、わたしたちの体に光りが耀(かがよ)い始める。

 

間もなく純粋な白光線が体内に現われ、次第に輝きを増して体全体にみなぎり、この柔らかく輝く生きた光は丁度、白金色の雰囲気のように周囲の清澄な大気に及んでゆき、次第に光を増していって、遂には一切の周囲のものを蔽い、一切のものに浸み渡ってゆく。

 

更にこの輝きの中にあって、純粋なダイヤモンドよりも尚まぶしくきらめく結晶状の白光が現われる。それが実にわたしたちの体より発し、純粋な光を放って美しく輝くのである。

 

ここにおいてわたしたちは、神の生命に完全に浸り、美しく光り輝く体をもって『聖なる変貌の山』にイエスと共に立つ。即ち、人の子が神のキリストとなったのである。

 

寄稿 世界平和の祈り 伊藤顕

さて、五井先生が世界平和の祈りの二つの利点をお話しになった白光誌には伊藤顕先生の寄稿文も掲載されていました。

この寄稿文にも救世の大光明の働きが書かれていましたので、ここに転載したいと思います。以下転載抜粋です。

 

鉄筋コンクリートのアパートの1室。ここがいま私に与えられている生活の場所です。二万四千坪の敷地に三十八棟のアパートが建並び、その中に千何百世帯もの人がそれぞれの想いで生活を送っています。

 

それは丁度大きな汽船の一室に住んでいるような感じがしますが、先日、五井先生のおいでを願って、アパートのお浄めをして戴きましたとき、先生は「こういう建物は厚い壁で仕切られているが、全体の想いがつながっていて、あちらからも、こちらからも沢山のお客さん(想い)がお浄めをして貰いにやってきますよ」といわれました。

 

見ず知らずのように見えるけれど、私がこのアパートの1室にきたということは、アパートの人たちと私とが魂的に縁のつながりがあるというお話でした。同じ時代に生まれ合わせ、同じ建物の中に住み、また社会に出て隣人として同じ戦場で働くということは、何か深い縁があるに違いありません。

 

私たちは皆つながっているのです。アパートの1室で、私が世界平和を祈るということは、アパート全体が世界平和を祈っているというのと同じです。私たちが祈る世界平和の祈りは、水の中に画(えが)かれる波紋のように、御縁のある人すべての胸に響いて、そこからまた無限に拡がって行くのです。電車の中にも、会社の中にも、世界平和の祈りの波絞は無限に拡がって行きます。

 

(中略)

 

鉄筋コンクリートのアパートの一室も、電車の中も、職場も、すべて私たちにご縁のあるところは、世界平和の祈りの場所です。私たちはどんな物を見ても、どんなことにぶつかっても、いつも変わらず世界平和の祈りが、心の奥底から湧き出てくるように、毎日数多くの菩薩に導かれているのです。

 

善悪の判断を一先ず世界平和の祈りの中に投げ入れること、そして与えられたものすべてに感謝の祈りを捧げて行くこと。これが神様への一番の御恩返しだと思います。(以上転載終わり)

 

前述のように伊藤顕先生にはご縁があり、なんどかお目にもかかり、そのたびに暖かい激励を頂戴しました。先生は今、救世の大光明霊団の中で大きなお働きをなさっていると思います。今日のブログは伊藤先生へのお礼の気持ちで書かせて頂きました。

 

ハイラーキ―に関しての五井先生のお話し
最後に五井先生がハイラーキ―についてお話になったことを白光誌から抜粋、転載します。

ヒマラヤ聖者との交流(白光誌1970年12月号)
去年も日本にきましたイギリスのバズビーさん(注 ハズビー博士は世界各国で講演活動をされていたスピリチャルリーダー)が昨日(10/24)聖ヶ丘(注 五井先生のお住まいもあった市川市の本部道場)に見えまして、お祈りしたんですが、私が柏手を打ち、共にお祈りをしますと、バズビーさんはトランス状態に入り、バズビーさんを介してヨガの七大聖の一人のクートフミーという大師が現われました。


クートフミー大師は、愛と智慧の権化と慕われている聖者です。ヨガでは救世主をマイトレーヤーといい、つまり弥勒(みろく)菩薩のことですが、そのまわりに七大聖といって、七人の聖者が取巻いているんです。ヒマラヤの山の中に数千年ぐらい生きている聖者です。数千年といっても霊的に生きているわけですが、肉体的にも時々各地に現われたりするわけです。
 

ニューハンプシャーに行った時、七大聖の一人のモリヤ大師がロシアのおばあさんのうしろについて現われて、私と交流したわけですが、こんどはクートフミー大師(バズビーさんの守護神になっているわけですが)が現われていろいろと話しました。その話によりますと、ここ聖ヶ丘が世界平和の中心地である。ここから新しい平和の団体が生れる、というわけです。

 

ハイラーキーと救世の大光明(白光誌1971年1月号)
先月号にも書いてありましたように、英国のハズビーさんがまいりまして、統一しますとスーツとトランス状態になるんです。そこヘヒマラヤの大聖クートフミーという大師が現われたのです。
 

私が救世の大光明といっておりますが、マイトレーヤー(弥勒仏)が中心になって、そこに聖徳太子とか、キリストとか仏陀とか役の行者とか、いろんな方が一杯集まっている、地球救済の団体ですね。それをヨガの言葉でいうとハイラーキー(超人たちの大至純同胞団と神智学ではいう)といいます。
 

そのハイラーキーの七大聖といって、中心になる七人の偉大なる聖者がいるのですが、そのうちの一人がこの間アメリカで会いました(霊的に)モリヤ大師、それからバズビーさんを通して現われたクートフミー大師、このお二人が中心になって地球界に働きかけているのです。


この聖者はヒマラヤの山中にいるといいますが、みな霊身で、肉体にも時々現われられるんですけれども、そういう方々が私たちに働きかけている。ハイラーキーにはお釈迦様もキリストもいるんです。
 

ハイラーキーと救世の大光明は同じなのです。それをみなさん方に知らせようと、わざわざクートフミー大師がハズビーさん夫妻を聖ケ丘に連れて来て、現われてメツセージをみなさん方にくれたわけです。

 

そしてハイラーキーと救世の大光明とは同じなのだ、ということを知らせたわけです。そして自分たち(大師大聖方)が働いているんだ、五井先生がここで本当の世界平和を始めるのだ、とわざわざ告げにきたわけです。
 

みなさんは日本だけに働いているんじゃないんです。みなさんの働きというものは、ヒマラヤでもヨーロッパでもアメリカにも、全世界にチャンとしるされているのです。

 

みなさんが世界平和の祈りを日々瞬々刻々祈っています。その行いというものは、霊界の記録にはチャンと残っているのです。だから、もし仮りに、みなさんが肉体を離れて霊界にいく場合にも、大光明波動の仲問がたくさんいますから、楽々と行けるし、案内してくれます。
 

村田さん(注 村田正雄 長老)の書いている霊界通信(注 私の霊界通信)のように、西川定子さんのように、スーッといい所へ案内される。大光明の中、大円光の中へ持っていかれますね。

 

みなさん一人一人は、あのように大光明波動がちゃんと霊界の良いところに案内してくれるのです。そういうことになっていますから、みなさんは安心してください。(以上抜粋終わり)

なお、ハイラーキ―については高橋英雄さんの以下のご本にも触れられていますので、ご興味のある方はこちらもご覧ください。

 

 

また、伊藤先生が高橋さんからのご依頼で会員への遺書の気持ちで書かれた「書きのこすこと」が以下のURLに掲載されていますので、ご興味あればこちらもお読み下さい。

http://byakko-hokuriku.info/blog/1743

 

今日のブログを通じて一人でも多くの方が、個人人類同時成道の道である「世界平和の祈り」を祈って下さることをお願いし、お祈りします。

 

世界人類が平和でありますように

 

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