ディック・リー(Dick Lee/繁体字:李炳文/出生名:Richard Lee Peng Boon/1956年8月24日~)は、シンガポール共和国出身のミュージシャン。

 

 

 

1956年8月24日、リチャード・リー・ペン・ブーンはシンガポールで生まれる。港湾関係の事業を経営している、中国系(広東語圏)の裕福なプラナカン家庭の出身で、5人兄弟の長男。交通事故で妹を亡くしている。敬虔なカトリック信徒でもある。

 

幼少の頃からクラシック音楽を聴く。

 

16歳の時、母親のブティック「ミッドティーン」のデザインを担当したことをきっかけに、ファッションに興味を持ち始めた。

 

ファッション・デザインの勉強のため英国ロンドンのハロー美術学校に留学した際、現地で西洋の生の音楽に触れる。

学生時代にはディープ・パープルなどのコピー・バンドを始めるが、時のシンガポール政府がハード・ロックを禁止したため、ニール・ヤングの様なタイプのシンガーソングライターに方向転換する。


 

1974年、アルバム『LIFE STORY』でデビュー。

 

ディックは元々ファッションデザイナー(ブランド名「DICK LEE」)兼イベント会社の経営者であるが、歌手としての成功はデザイナー時代からの夢であった。

デビュー後も積極的にレコードをリリースするなど精力的に音楽活動に取り組むが、しかし、発表する楽曲の売れ行きはどれも芳しくなかった。

 

 

1983年、アルバム『LIFE IN THE LION CITY』をリリース。

 

 

1985年、アルバム『RETURN TO BEAUTY WORLD』をリリース。

 

 

1986年、アルバム『FRIED RICE PARADICE』をリリース。

 

同年、アルバム『THE SONGS FROM LONG AGO』をリリース。

同年、アルバム『THE SONGS OF CHRISTMAS』をリリース。

 

 

1987年、アルバム『CONNECTIONS』をリリース。

 

 

1988年、アルバム『BEAUTY WORLD』をリリース。

 

 

1989年、アルバム『マッド・チャイナマン』(THE MAD CHINAMAN)をWEAからリリース。これを最後に引退しようと考えていたが、同アルバムがヒットしたことにより、歌手活動を続ける決心をしたという。『マッド〜』は、自身の音楽性のルーツである地元伝承の民謡や童謡をポップにアレンジしたカヴァー中心の作品である。時代は折りしもワールド・ミュージックブームであり、日本のマスメディアにも取り上げられるようになった。


ディックは自分を含む多くの東洋人について、「黄色人種でも中身は白人」という皮肉を込めて「バナナ」と揶揄しており、常に東洋人のアイデンティティーを問う楽曲を作り発言している。特にシンガポールでは、教養のある層や体制側から敬遠されがちな中国語・マレー語訛の英語「シングリッシュ」を数少ない自国の文化だと主張。その思想が顕著に現れた例として、『マッド・チャイナマン』のリード曲“ラサ・サヤン”(Rasa Sayang)ではシングリッシュを多用しシンガポール文化をラップ調で風刺している。同曲は政府の方針で当初は放送禁止になったものの、余りのヒット振りにやむなく解禁となった。そしてバラエティ番組『シングリッシュ講座』にも出演した。

ディックの音楽は、アジア風サウンド、天才的なメロディセンスによって紡ぎだされるAOR風メロディー、英語・マレー語・フランス語・広東語ができるリーが書く英語・マレー語・広東語という多彩な言語の歌詞が特徴である。そして歌詞の内容は痛烈な風刺、感傷的なラブソング、コミカルなものと幅広い。感性そのものが裕福で、ハイソサエティー的であるが、どこか悲しみを持っているところがまさにシンガポールの表現である。

同年、アルバム『ホエン・アイ・プレイ』(WHEN I PLAY)日本盤をリリース。

 

 

1990年、シングル“Mustapha”、“Rasa Sayang”、“Wo Wo Ni Ni”、“Cockatoo”をリリース。

 

 

 

同年、アルバム『エイジア・メイジア』(ASIA MAJOR)日本盤をWEA JAPANからリリース。

 

同年、音楽プロデューサーとしても活動し、サンディーの『マーシー』を久保田麻琴と共同プロデュースしている。

 

 

1991年、シングル“Asia Major”、“Orientalism”、“A Human Touch”、“Stars Of The East”、“Peace Life Love”をリリース。

 

 

 

 

同年、アルバム『オリエンタリズム』(ORIENTALISM)を日本盤をWEA JAPANからリリース。

 

同年、香港の歌手であるサンディ・ラムのアルバム『野花』をプロデュース。


1992年、シングル“BANANA”、“Dream of Nagraland”、“Year Of The Monkey”をリリース。

 

 

 

同年、ディック本人による原作、主演のオペレッタ『ナガランド』をシンガポール、香港、日本で公演。この公演は日本で活動するフェビアン・レザ・パネが音楽監督を務め、宮沢和史が唯一の日本人役者として出演した。


1993年、アルバム『イヤー・オブ・ザ・モンキー』(THE YEAR OF THE MONKEY)をWEA JAPANからリリース。

 

同年、アルバム『ピース・ライフ・ラヴ』(PEACE LIFE LOVE)日本盤をWEA JAPANからリリース。

 

同年に上演された宮本亜門演出によるミュージカル『香港ラプソディー』の全作曲を担当。互いに好きな作曲家がスティーヴン・ソンドハイム (Stephen Sondheim)ということから意気投合したという。サウンドトラック・アルバム『香港ラプソディー』(HONG KONG RHAPSODY)日本盤もWEA JAPANからリリース。


1994年には、ミュージカル「ファンテイジア」が、東京、大阪、福岡、名古屋にて公演。原案、作詞、作曲、主演はディック本人。構成・演出に菅野こうめい、音楽監督に野見祐二、演奏に青柳誠、牧野信博を迎える。

同年、デビュー・アルバム『LIFE STORY』をWEA JAPANから再販リリース。


1995年、シングル“Good Earth”をリリース。

 

同年、アルバム『どこにいても(北南西東)』日本盤をリリース。

 

同年、アルバム『シークレット・アイランド』(Secret Island)日本盤をリリース。

 

 

1996年、シングル“シャナナナナ”をリリース、日本の児童向け番組『ポンキッキーズ』主題歌。この頃、番組にも出演した。

 

 

同年、シングル“Little India”をリリース。

 

同年、アルバム『シンガポップ』(SINGAPOP)日本盤をリリース。



ディックが日本でもヒットを飛ばし、歌手としての活動が最盛期にあった頃のレコード会社はWEA MUSICであったが、同社は当時のマスターテープを紛失している模様。これにはディック本人も激怒している。

 

 

1999年、アルバム『トランジット・ラウンジ』(TRANSIT LOUNGE)を「DL PROJECT」名義で日本盤リリース。

 

 

2000年、セルフカヴァー・アルバム『エヴリシング。』(Everything)日本盤をリリース。

 

 

2003年、日本の福岡市より第14回福岡アジア文化賞芸術・文化賞を授与された。

 

 

2004年、ベスト・アルバム『LIFE』、『STORIES』をリリース。

 

 

2005年9月23日、松任谷由実が「愛・地球博」長久手会場内EXPOドームで、愛・地球博の閉幕コンサートとして開催した「YUMING Love The Earth Final」(このコンサートでは、松任谷由実の曲が歌われた)で共演したアジア各国のアーティスト4人により「Friends Of Love The Earth」が結成、ディックもメンバーとして参加した。メンバーは、Dick Lee(ディック・リー/シンガポール)、Xu Ke(許可[シュイ・クー]/中国)、 amin(アミン[阿敏]/中国)、Lim Hyung Joo(イム・ヒョンジュ[임형주、林亨柱]/韓国)。このコンサートで、松任谷由実を含む5人のコラボレーションである「YUMING Love The Earth Final」のテーマソング“Smile again”(松任谷由実書き下ろし曲)が発表され、この曲は9月14日にモバイル先行配信、9月28日にPC配信による発売が開始された。

12月31日、ディックは『第56回NHK紅白歌合戦』に「松任谷由実 with Friends Of Love The Earth」の一員として、上海のホテル「和平飯店」屋上から生出演(中継車の電波範囲の問題で黄浦公園からの中継も検討されたが、中国政府の許可が降りず断念し、場所変更)。瞬間最高視聴率42.5%(関東地区)の高視聴率を獲得した。

 

 

2006年2月15日に“Smile again”シングルCD(“虹の下のどしゃ降りで”のカップリング曲)として発売されるが、シングル曲のCDとして一般のCDショップでの発売は想定されていなかった。その大きな理由としては、CDでの発売より、パソコン等による配信のほうがアジアの人々に広く手に入れてもらえるからである。2005年の「iTunes Music Store」年間アルバムチャート1位、2006年1月18日付の全国有線放送ランキングチャート1位を獲得。なお、このプロジェクトでは、参加した各アーティストがそれぞれの母語で“Smile again”をソロ歌唱、ディックは英語訳詞で歌った。

 

9月17日、名古屋レインボーホールで行われた愛・地球博閉幕1周年記念コンサート「Friends of Love The Earth 2006」に出演。

同年、アルバム『RICE』日本盤をリリース。

 

 

2010年、アルバム『LIFE DELUXE』をリリース。

 

 

2014年、ベスト・アルバム『40TH ANNIVERSARY COLLECTION』をリリース。

 


2017年7月1日にロイヤルホース大阪、翌7月2日にモーションブルーヨコハマにて公演が行われた。日本での音楽活動はほぼ休止となっているが、1995年以来22年振りの来日公演となった。

 

 

2024年8月22日、“This Old World”を発表。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ディック・リー」「Dick Lee」

 

 

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