リチャード・ペイジ(Richard Page/出生名:Richard James Page/1953年5月16日~)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。バンド「Mr. ミスター」のリード・シンガー兼ベーシストとして最もよく知られている。

 

 

 

1953年5月16日、リチャード・ジェームス・ペイジは、アメリカ合衆国アイオワ州キーオカク(Keokuk, Iowa)にて生まれる。母親はフェニックス少年合唱団のアシスタントディレクターとして働き、父親はフェニックス教会の音楽監督を務めていた。

 

ペイジはアリゾナ州フェニックスのセントラル高校に通った。ここでスティーヴ・ジョージ (Steve George)と知り合い、友情を築いた。

高校時代、ペイジは『オリバー!』などのスクール・ミュージカルに出演していた。

ペイジはこの段階での音楽的影響にはビートルズやビーチ・ボーイズが含まれていたと述べた。 

 

高校卒業後すぐにロサンゼルスのハリウッドへ移住。

ロスでは同郷の旧友スティーヴ・ジョージとともにタジオ・ミュージシャンとして活動し、「ロサンゼルスの音楽シーンを転々とし、最終的にはREOスピードワゴン、アンディ・ギブ、アル・ジャロウ、ケニー・ロギンスのようなトップクラスのアーティストと仕事をした」という。

 

1978年、リチャード・ペイジ(Vo,B)は、スティーヴ・ジョージ (Key,Sax,Cho) とともにポップ・バンド「ペイジズ」(Pages)を結成。グループにはペイジのいとこであるジョン・ラング(John Lang)も含まれていた。ラングは楽器を演奏できなかった(本人は音痴だと主張していた)が、ペイジズの主任作詞家となった。ペイジとラングは、ペイジズ、そして後のMr.ミスター、さらにはペイジのソロの活動において、ソングライティングで共作し、そこに時折ジョージがからんでくるという関係を続けることになる。

同年、セルフタイトルの1stアルバム『Pages』をEpicからリリース。ここから"If I Saw You Again"をカット。

 

 

1979年、2ndアルバム『Future Street』をリリース。ここからカットした"I Do Believe in You"が米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合シングルチャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)に84位で初めて、そしてバンド唯一のチャートインを果たした。

 

 

 

1981年、再びセルフタイトルとなった3rdアルバム『Pages』をCapitolからリリースするが、しかし、シングル"Come On Home"と"You Need a Hero"ともどもチャート入りに失敗する。

 

 

同年、ペイジズは解散。

バンド解散後、ペイジとジョージはスタジオ・ミュージシャンへ復帰する。

 

 

1982年、ペイジは再びジョージと組んで、新たなメンバーにスティーヴ・ファリス(G)とパット・マステロット(Ds)を迎えた新バンド「Mr.ミスター」(Mr.Mister)を結成。

 

 

1983年、キーボーディストの喜多郎と共演したペイジズ名義のシングル"Caravan" (with Kitarō)をリリース。

 

 

1984年3月27日、1stアルバム『アイ・ウェア・ザ・フェイス』(I Wear the Face)をリリースしてデビュー。米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合アルバムチャート「Billboard 200」(以下「全米」)に170位でチャートイン。アルバムからは、"Hunters of the Night"が全米57位に入った。

 


この直後、リチャード・ペイジはボビー・キンボール(Bobby Kimball/1947年3月29日-)の後任ヴォーカリストとして「TOTO」に誘われ、また同時にピーター・セテラ(Peter Cetera/1944年9月13日-)の後任ヴォーカリスト兼ベーシストとして「シカゴ」(Chicago)にも誘われた。両グループとも超大物バンドであり、ペイジにとっては大出世のチャンスだったが、自身のバンドを続けるためにいずれも断っている。


1985年6月、次のアルバムからの先行シングル“ブロウクン・ウィングス”(Broken Wings)をリリースすると、全米1位・全英4位をマークする大ヒットとなった。

 

11月27日、2ndアルバム『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』(Welcome to the Real World)をリリース、全米1位を獲得し、全英でも6位にランキングされた。Mr.ミスターはこのアルバムで1986年の最優秀ポップ・バンド賞を含むいくつかのグラミー賞にノミネートされた。

 

12月、次いで“キリエ”(Kyrie)をリカットすると、“ブロウクン・ウィングス”に続き2曲連続全米1位獲得の大ヒットとなり、バンドは一気にブレイク。なお、全米ナンバー1に輝いたこの2曲はともに、ペイジとジョージ、ラングのトリオにより作られた。

 

 

1986年3月、『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』からの3枚目のシングル"Is It Love"をリカット、アルバムから3曲目のトップ10入りとなる全米8位をマークした。

 


1987年9月8日、3rdアルバム『ゴー・オン』(Go On...)をリリース、ペイジはインタビューで、バンドが「多くの新しくて異なるサウンドやアイデアを試した」と述べ、バンドの最高のソングライティングがいくつか含まれていると述べた意欲作だった。しかしセールスに恵まれず、全米55位に終わった。ここからのシングルは、"Something Real"が全米29位に入ったのが目立った程度だった。同曲は、リチャード・ペイジ、スティーヴ・ジョージらが矢沢永吉のアルバム『FLASH IN JAPAN』(1987年)に提供した楽曲のセルフ・カヴァーである。また、"Healing Waters"、"The Border"、"Stand and Deliver"はMVも製作された。

 

 

 

 

 


1989年にスティーヴ・ファリスが脱退。

その後、残ったペイジ、ジョージ、マステロットの3人は、バジー・フェイトン(バズ・フェイトン)、トレヴァー・ラビンらのサポートを得て次作アルバム『PULL』をレコーディング。ペイジは本作をグループの「最も実験的なアルバム」と評している。だが、レコードレーベルからリリースを拒否されたため、「Mr.ミスター最後のアルバム」はお蔵入りとなった。

 

 

1990年9月25日、バンドは解散した。
その後、それぞれのメンバーはスタジオ・ミュージシャンとしての活動を再開した。

ペイジは後のソロアーティストとしての活動とともに、他のアーティストやバンドのバックグラウンドシンガーとしても働いた。彼はまた、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、ディオンヌ・ワーウィック、ジョシュ・グローバンなどの人気アーティストのために曲を書いた。


1994年、リチャード・ペイジは、マドンナ(Madonna/1958年8月16日-)の楽曲“アイル・リメンバー”(I'll Remember)の作曲を共作、全米2位・『ビルボード』誌「アダルト・コンテンポラリー」チャート1位のヒットに貢献した。

 

同年、マドンナの仕事で知り合ったプロデューサー、パトリック・レナード(Patrick Leonard)とバンド「サード・マチネ」(3rd Matinee)を結成。アルバム『Meanwhile』をワーナー・ブラザーズから出したが、商業的成功は得られなかった。

 

 

 

1996年、ペイジは1stソロ・アルバム『シェルター・ミー』(Shelter Me)を発表してソロ・デビュー。本アルバムにはシングル“ザ・ベスト・シング”(The Best Thing)と、ニック・カーショウのヒット曲のリメイクである“マイ・オキシジェン”(My Oxygen)を収録していたが、セールス面では結果に恵まれなかった。

 

 

 

 

2003年、竹内まりやの“純愛ラプソディ”を英語で“(Pure Love) Lucky Star”としてカヴァーしている。

 

 

2010年、2ndソロアルバム『Peculiar Life』をリリース。

 

 

11月23日、お蔵入りになっていたMr.ミスターのアルバム『PULL』が20年の時を経て、ペイジの自主レーベル「Little Dume」からリリースされた。

 

 

同年、友人であるリチャード・マークスの勧めにより、リンゴ・スター(Ringo Starr/1940年7月7日-)率いる「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」(Ringo Starr & His All-Starr Band)にベーシストとして参加。第11・12期に在籍し、2017年まで演奏した。第11期(2010–11年)のラインナップは、ワリー・パルマー、リック・デリンジャー、エドガー・ウィンター、リチャード・ペイジ、グレッグ・ビソネット。第12期(2012–17年)は、トッド・ラングレン、スティーヴ・ルカサー、リチャード・ペイジ、グレッグ・ローリー、マーク・リベラorウォーレン・ハム、グレッグ・ビソネットという顔ぶれだった。主にツアーに参加し、スタジオ・アルバムのレコーディング・セッションにもコーラスとベース演奏で加わった。

 

 

2011年、ライヴ・アルバム『Solo Acoustic』をリリース。

 

 

2012年、3rdソロアルバム『Songs from the Sketchbook』をリリース。

 

 

2013年2月に行われた日本公演では“キリエ”、“ブロウクン・ウィングス”などを披露した。

 

 

2015年、4thソロアルバム『Goin' South』をリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Richard Page (musician)」「 Pages (band)」「Mr.ミスター」「Mr.Mister」

 

 

(関連記事)