ボビー・キンボール(Bobby Kimball/本名:Robert Troy Kimball/1947年3月29日~)は、

アメリカ合衆国のシンガー。ロックバンド「TOTO」歴代シンガーの中でも最もよく知られている。

 

 

 

1947年3月29日、ロバート・トロイ・キンボールは合衆国ルイジアナ州カルカシュー教区の町ヴィントン (Vinton) で育ったが、同地には産科の病院がなかったため、生まれたのは隣町のテキサス州オレンジ(Orange)だった。

幼少時から音楽一家の中で歌っていたキンボールはピアノ演奏も始め、青春を過ごした。

1970年代を通して地元ルイジアナ州ニューオーリンズで様々なバンドのヴォーカリストを務めた。その中には、後にLe RouxとなるThe Levee Bandが含まれていた。

 

1976年、スリー・ドッグ・ナイトの元メンバーらが1975年暮れに結成したバンド「S.S.フールズ」(S. S. Fools)に加入、リード・ヴォーカリストの他にキーボード奏者も務めた。バンド名は、母体とも言うべきスリー・ドッグ・ナイトが1972年にリリースしたアルバム『Seven Separate Fools』に由来。

同年、S.S.フールズはセルフタイトルアルバム『S.S.フールズ』(S. S. Fools)をリリースしたが、最初のツアー中に解散してしまった。

 

 

 

1977年、キンボールはルイジアナを去り、ロサンゼルスに移住。そこでセッションミュージシャン5人のグループと出会い、6人でバンド「TOTO」を結成した。キンボールはバンドへのオーディション・ソングとして自身で書いた“You are the Flower”を提供した。

こうして集まったTOTOのオリジナル・ラインナップは、ジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro/1954年4月1日~1992年8月5日/ポーカロ3兄弟の長男/Ds)、デヴィッド・ペイチ(David Paich/1954年6月25日~/Vo,Key)、スティーヴ・ルカサー(Steve Lukather/1957年10月21日~/Vo,リードG)、スティーヴ・ポーカロ(Steve Porcaro/1957年9月2日~/ポーカロ3兄弟の末っ子/Key,Vo) 、デヴィッド・ハンゲイト(David Hungate/1948年8月5日~/B)、ボビー・キンボール(Vo)。

ポーカロ兄弟とペイチ、ルカサーは幼馴染など旧知の中で、それぞれ売れっ子ミュージシャンとなった後に1975年、ボズ・スキャッグス『シルク・ディグリーズ』(Silk Degrees)制作のために共演したことをきっかけにバンド結成に「至ったという。

 

バンド名の由来はその時々でメンバーの説明が異なっているため不明だが、日本の陶器メーカー「TOTO」(当時の東陶機器株式会社の商標で現社名)から採ったというのは、デビュー当時に人気が先行していた日本に対するリップサービスだという。他に広く知れ渡っている風評として、キンボールの本名のファミリーネームが実はトトース(Toteaux)で、これがバンド名の由来だというものがある。これはキンボールが南部のルイジアナ出身であることに因み、内輪のジョークとしてケイジャン風ファミリーネームをデヴィッド・ハンゲイトが付けたというのが真相だったのだが、これが一般にTOTOの由来としていつの間にか真実味を帯び、40年以上経過した現在ですら信じる者がいるほどのデマとなってしまった。

 

 

1978年10月15日、デビュー・アルバム『宇宙の騎士』(Toto)をリリース、全米9位を記録。アルバムからは“ホールド・ザ・ライン”(Hold the Line)が全米5位・全英14位になったのをはじめ、"I'll Supply the Love"が全米45位、"Georgy Porgy"が全米48位とヒット。さらに、キンボールがオーディション用に作った “You are the Flower”も収録されている。

 

 

 

 

 

1979年10月30日、2ndアルバム『ハイドラ』(Hydra)をリリース、全米37位。アルバムからリカットした"99"が全米26位に入った。

 

 

 

1981年1月1日、3rdアルバム『ターン・バック』(Turn Back)をリリース、全米41位。シングルは、“グッドバイ・エリノア”(Goodbye Elenore)が全米107位とチャートに入るのがやっとだった。

 

 

 

1982年4月8日、4thアルバム『TOTO IV〜聖なる剣〜』(Toto IV)をリリース、ポーカロ3兄弟の次男マイク・ポーカロ(Mike Porcaro/1955年5月29日~2015年3月15日/B)が本作からセッションで参加した。『TOTO IV〜聖なる剣〜』からは、キンボールがルカサーとリード・ヴォーカルを分担した"ロザーナ" (Rosanna)が全米2位・全英12位、ペイチとリード・ヴォーカルを分け合った"アフリカ"(Africa)が全米1位・全英3位、単独でリード・ヴォーカルを務めた"Make Believe"が全米30位、さらにルカサーが歌った"I Won't Hold You Back"も全米10位・全英37位となるなどシングルヒットを続出、アルバムは全米4位を達成し、グラミー賞を獲得した。

 

 

 

 

 

1984年の5thアルバム『アイソレーション』(Isolation)制作中に薬物と私的な問題により他メンバーとの衝突を引き起こし、キンボールはTOTOから脱退した。制作が進んでいたため、キンボールがリード・ヴォーカルのパートを歌ったトラックも数曲分レコーディングされたが採用は当然ながら見送られ、 “Lion”など3曲でバッキング・ヴォーカルとしてクレジットされただけだった。キンボールのいないTOTOがリリースした『アイソレーション』は、全米42位・全英12位となった。

 

 

1985年、TOTOを去ったキンボールは「ファー・コーポレーション」(Far Corporation)のフランク・フェーリアン(後にグラミー賞を剥奪される不運な口パクユニット「ミリ・ヴァニリ」を世に送り出す)の下で自身のキャリアを磨くためドイツに移住、アルバム『Division One』に参加した。

また、セッションシンガーとしても、様々なアーティストのバック・ヴォーカルとして参加した。

 

 

1989年から1990年の短い期間、TOTO復帰を前提にベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』へ追加収録する楽曲のレコーディングに参加したが、TOTOの所属レコード会社の意向で結局南アフリカ出身のシンガー、ジャン・ミシェル・バイロンが正式メンバーとして迎えられ、キンボールが録音した楽曲は収録されなかった。しかしバイロンはその後まもなく解雇された。

1991年から1997年まではギタリスト兼ヴォーカリストであるスティーヴ・ルカサーがTOTOのメイン・ヴォーカルの役目を引き継いだ。

 

1990年の後半、フランクフルト・ロック・オーケストラとともに演奏したライヴ・アルバム『Classic Toto Hits』をリリース。

 

その後何年かにわたり、様々なTOTOのヒット曲をリリースし続けた。

 

 

1994年、初のソロ・アルバム『ライズ・アップ』(Rise Up)をリリースした。

 

 

同年、再びファー・コーポレーションのアルバム『Solitude』に参加した。


1997年、日本のレコード会社が企画したア・カペラ・ユニット「ウエスト・コースト・オールスターズ」(West Coast All Stars)に参加。同じく元TOTOのジョセフ・ウィリアムズと、シカゴのビル・チャンプリン、ジェイソン・シェフの4人で同年、アルバム『夢のカリフォルニア』(California Dreamin')をリリース、翌年には2枚目のアルバム『Naturally』を発売した。

 

 

 

 

1998年にはチャンプリンに代わって、元エアプレイのトミー・ファンダーバークが参加した第2弾アルバム『ナチュラリー -天国への階段-』を発表している。
同年、TOTO20周年を記念した未発表作品集『TOTO XX』のリリースに合わせ、歴代メンバーとともにステージに立った。この作品には前述のアルバム『グレイテスト・ヒッツ』のためにレコーディングされた楽曲も収録されている。この20周年での共演で初代リード・ヴォーカルのキンボールと3代目ジョセフ・ウィリアムズとのどちらかが正式復帰するのではないかと噂され、ファンも期待していたが、それに応えるようにキンボールがTOTOの正式メンバーに復帰。

 

 

1999年3月16日、TOTOは1982年の『聖なる剣』以来となるキンボール参加のアルバム『マインドフィールズ』(Mindfields)を欧州で先行発表。フィンランド5位、フランス6位などヨーロッパで好評を博し、"Melanie"も欧州でチャートインした。1999年から2000年までの間、アルバムのプロモーションのためのツアーを行った。

 

 

 

2000年、キンボールは既にリリースされていたシングル“Kristine”を収録した2ndソロ・アルバム『All I Ever Needed』をリリースした。

 

 

2002年10月21日、カヴァー・アルバム『スルー・ザ・ルッキング・グラス』(Through the Looking Glass)をリリースした。全11曲中、ボブ・マーレーの“Could You Be Loved”やアニマルズの“朝日の当たる家”(House of the Rising Sun)など単独で5曲、ルカサーと共同で1曲、キンボールがリード・ヴォーカルを担当した。

 

 

 

2003年、オランダのバンド、カヤックによって行われた「Merlin - Bard of the Unseen」ツアーに参加し、アーサー王伝説をモチーフとした作品においてランスロット役を詠唱した。

 

 

2005年、TOTOは新メンバーとしてグレッグ・フィリンゲインズを迎えた。

 

 

2006年2月14日、『マインドフィールズ』以来のスタジオ作品となったアルバム『フォーリング・イン・ビトゥイーン』(Falling in Between)をヨーロッパで先行リリース。シングル"Bottom of Your Soul"ではバッキング・ヴォーカルを担当した。

 

同年、キンボールはシカゴのアルバム『XXX』の収録曲“キャロライン”にバック・ヴォーカルで参加した。

 


2007年末、TOTOは翌2008年3月のボズ・スキャッグスとの来日公演を最後にTOTOとしての活動を無期限休止すると宣言。

 

 

2008年7月23日、TOTOの解散が正式に発表された。

キンボールは、後続の意欲的な若手歌手を支援するウェブサイトを主催するようになった。


2010年、キンボールは世界中の彼の友人のバンドの多くとツアーをし、コンサートを行う。

1月、彼はドイツでボヘミアン交響楽団プラハとの「ロック・ミーツ・クラシック」ツアーで14回のコンサートを行い、指揮者および音楽編曲者としてフィリップ・マイヤーをフィーチャーした。このツアーでは、外国人の元リード・ヴォーカルであるルー・グラムと、バンドナザレスのダン・マッカファティがキンボールを演じた。
同年、元イエスのメンバーであるトニー・ケイ、ビリー・シャーウッドらと「YOSO」というバンドを結成し、ライヴ活動と『Elements』というタイトルのプログレッシブ・ロック・アルバムのレコーディングを行う。バンド名は Yes + TOTO の捩り。ライヴではTOTOの曲も演奏されている。

 

5月16日、ルイジアナ州アーウィンビルで開催されたLMHOFルイジアナミュージックホームカミングで、キンボールがルイジアナ・ミュージック・ホール・オブ・フェイムに就任した。
7月、筋萎縮性側索硬化症(ALS、またはルー・ゲーリック病)に冒され闘病中のマイク・ポーカロの応援ツアーで欧州を回るためTOTOは一時的に再結成したが、これには3代目のジョセフが参加し、キンボールは不参加だった。理由については「スケジュールがあわず」と回答したが、同時に「私は離れていてもTOTOが大好きなので、今後そういう誘いがあるなら喜んで参加する」とも続けた。

 


2011年、サバイバーのジミ・ジェイミソン(Jimi Jamison)とのプロジェクト作品『キンボール/ジェイミソン』(Kimball Jamison)をリリースした。

 

7月、キンボールはアイルランドの新興バンド「シャドウプレイ」とともにアイルランドのダブリン、ゴールウェイ、リムリック、スライゴをツアーで訪れ、アイルランド最大の非営利音楽イベントであるバンクラナ音楽祭でのヘッドライン・パフォーマンスで締めくくられた。


2012年11月、キンボールは、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ペルーなど南米をツアーで回った。


2013年3月、キンボールはネバダ州ラスベガスで開催されたRaiding the Rock Vaultクラシックロックトリビュートショーに特別ゲスト・ヴォーカリストとして招かれた。


2014年5月、ジェノヴァのFIM(Fiera Internazionale della Musica)で、キンボールはVerdiano Vera、FIM Award 2014-Legend of Rock-Best Voiceを与えられた。

 


2015年2月、彼はチリのビニャデルマールで開催されたLVI国際歌謡祭に米国代表として出場、“Living Your Life for Happiness”を歌唱した。

 

3月、マイク・ポーカロの訃報を受けて、療養に向けて懸命に頑張るマイクへの支援に自分が水を差すことを恐れて長らくマイク本人とは会っていなかったことを明かし、彼への哀悼の念も併せて、「マイクは最高に優しい人間だったし、ぼくが知っている中でも“グレート・ミュージシャン”だった」「彼が帰国する直前、東京で一緒に写真を撮ったんだ。この写真で、彼の笑顔を見るのが好きだったよ」とコメントした。


2016年後半、ボビーはソロ・アルバム『We're Not In Kansas Anymore』をリリースし、同年、音楽ウェブサイト「No Echo」がキンボールを「Best Male AOR Singers」リストに掲載した。

 

 

 

キンボールは、最近の多くのバンドのレコーディングにいくつかのゲスト出演をした。

また、アメリカのプログレッシブロックバンド「Hearafter」の楽曲“Tomorrow”にコーラスで参加した。


2019年11月、ドイツのメディアはキンボールが認知症に苦しんでいると報じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ボビー・キンボール」「Bobby Kimball」

 

 

 

(関連記事)