リチャード・マークス(Richard Marx/1963年9月16日~)は、

アメリカ合衆国のシンガー・ソングライター、音楽プロデューサー。

 

 

作曲家の父ディック・マークスとその妻で歌手のルース・マークスの間に、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで生まれる。母のルースにとってリチャードは唯一の子どもであるが、父ディックには以前の結婚で生まれた子ども、リチャードにとっては異母兄弟が3人いる。

イリノイ州クック郡ウィネトカのNorth Shore Country Day Schoolで学ぶ。

 

19歳の頃、リチャードのデモ・テープを聴いたライオネル・リッチーに認められて、

音楽活動に本格的に取り組むため、ロサンゼルスに移住、

 

1982年、ライオネルのソロデビューアルバム『ライオネル・リッチー』のレコーディングに参加した。

 

その後、ライオネルの紹介でカントリーミュージック界の重鎮ケニー・ロジャースのバックアップ・シンガーとなったリチャードは、さらにケニーと楽曲の共作も開始。

 

1984年、ケニーと2人で共作した“クレイジー”が、ケニー自身による歌唱で『ビルボード』カントリー・シングル・チャート1位を獲得した。

 

1987年6月15日(米国での発売日。以下同)、セルフタイトルアルバム『リチャード・マークス』(Richard Marx)でデビュー。アルバムからのシングルカット第一弾となったデビューシングル“Don't Mean Nothing”がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。その後、同アルバムからの2枚目シングル“Should've Known Better”が3位、3枚目シングル“Endless Summer Nights”が2位と、立て続けにチャートインさせ、4枚目の“Hold On to the Nights”で遂に全米ナンバーワンを獲得、しかも2週連続の首位となった。

 

1988年2月、初来日公演を実施、日本武道館でも公演を行った。

 

1989年4月26日、デビュー作の人気を受けてリリースしたセカンドアルバム『リピート・オフェンダー』(Repeat Offender)からは、1枚目のシングルカット“Satisfied”が2週連続1位、

次いで“Right Here Waitingが4週連続1位を獲得し、全英でも2位と前作を上回るビッグヒット。

3枚目の"Angelia"も全米チャート4位に入るヒットとなった。アルバムも全米1位になったほか、オーストラリアでもチャート1位を達成。

なお、“Right Here Waiting”は、当時交際していた女優シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので、自身最大のヒット曲となり、これを契機にシンシアと結婚した。

 

1991年10月28日、デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたマークスは、満を持して3枚目のアルバム『Rush Street』を発売。第一弾シングル“Keep Coming Back”はあらゆるフォーマットのシングルレコードが準備されたが、アダルトコンテンポラリー(以下AC)チャートでは1位になるものの、全米チャートでは12位。続く"Hazard"もACチャート1位になり、全米トップテンに食い込むも9位止まりと、前作までの勢いは完全に喪失。その後、3枚目の“Take This Heart”をシングルカットしたが、全米20位、ACチャート4位に終わった。

 

1994年2月8日、4枚目のアルバム『ナウ・アンド・フォエヴァー』(Paid Vacation)をリリース。シングルカットされた“Now and Forever”は、映画『ゲッタウェイ』主題歌に採用されたこともあり、全米7位、ACチャート1位に加え、カナダでは年間1位になるヒットになった。これがリチャードにとって全米トップテンに入った最後のシングルとなった(2020年9月16日現在)。

3月3日、コンピレーションアルバム『バラッズ』(Ballads)リリース。日本でゴールドディスク認定を受ける。

 

1990年代半ばよりプロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、アイドルグループのイン・シンクやバックストリート・ボーイズに曲を提供なども行う傍ら、コンスタントにアルバムリリースを行っている。

 

1996年、CHAGE&ASKAの楽曲を世界中の一流歌手が歌唱するトリビュート・アルバム『one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA』に参加。マークスが歌唱した“Heart of My Own”は英国版には収録されていないが、日本版の追加曲として収録された。

 

1997年、シングル“Every Day Of Your Life”は前年のトリビュート・アルバムでの縁もあり、ASKAとのデュエット曲となっている。

 

4月8日、アルバム『この愛のすべて—フレッシュ&ボーン—』(Flesh and Bone)リリース。"Until I Find You Again"がシングルカットされ、ACチャート4位、全米42位を記録。

10月23日、自身初のベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ』(Greatest Hits)をリリース。このアルバムは、リチャードの父、ディック・マークスに捧げられた。

 

 

2000年10月24日、6枚目のアルバム『Days in Avalon』をリリース。

タイトルナンバー“Days in Avalon”をシングルカットした。

 

2004年2004年8月10日、アルバム『My Own Best Enemy』をリリース。

同年、ルーサー・ヴァンドロスの“Dance With My Father”をルーサーと共作し、

グラミー賞最優秀楽曲を受賞した。

 

2006年、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのメンバーに名を連ねた。

 

2008年10月31日、8枚目のアルバム『Emotional Remains』と9枚目のアルバム『Sundown』を自身のウエブサイトにて期間限定で同時リリース。

 

2010年11月9日、アコースティックアルバム『Stories to Tell』をリリース。

 

2012年10月22日、オリジナルアルバムとしては通算10枚目となる

『Christmas Spirit』をリリース。

 

2014年4月、シンシアとの離婚を発表。

7月8日、アルバム『Beautiful Goodbye』をリリースし、全米39位、インディペンデント・アルバム・チャートで6位を記録、20年ぶりの全米トップ40シンガーとなった。

 

2015年12月23日、自身のFacebook上でデイジー・フエンテスとの結婚を発表した。

 

2016年、1997年にリリースした『グレイテスト・ヒッツ』がRIAAからゴールド認定を受ける。これにより同アルバムは、リチャード5番目のアメリカンゴールドアルバムとなった。

 

2019年6月30日、次のアルバムからの先行シングルとして"Another One Down"をリリース。リチャードと同じくシンガー・ソングライターとして活躍する息子ルーカスと共作した同曲は、ACチャートのトップ15入りを果たした。

 

2020年2月7日、アルバム『Limitless』をリリース。楽曲の共作者としてサラ・バレリスや息子のルーカス、そして自身の妻であるデイジー・フエンテスらがフィーチャーされている。

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「リチャード・マークス」

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https://www.hmv.co.jp/news/article/2002231011/