リンゴ・スター(Ringo Starr、KBE/本名・リチャード・スターキー[Sir Richard Starkey]/1940年

7月7日~)は、イギリスのミュージシャン、俳優。元ビートルズのメンバー。

 

 

 

1940年7月7日、リヴァプールのロイヤル・リヴァプール小児病院でリチャード・スターキーは誕生。労働者階級の慣習に倣い、父リチャード(1913 ~1981)のファーストネームを命名される。

3歳の時、両親は離婚。母子家庭で育つ。小学校低学年時に盲腸炎・腹膜炎などで1年以上休学、勉学面でついていけなくなったため、学校をズル休みする事が多くなってしまった。

 

12歳の時、母エルシー(1914~1987)がペンキ職人ハリー・グレイブス(1914~1994)と再婚。 病弱だったため入退院を繰り返し、学校にほとんど行くことができなかった。この入院中に医者からドラムを教えてもらい、やがて院内のバンドに加入。以来、彼はドラム以外の楽器に関心を示さなくなったという。ドラム・セットを手に入れた後は、もう学校に戻ることはなかった。昼は工場で働き、夜はダンス・パーティーなどでドラムを叩くという生活を送り、数々のグループに在籍して腕を磨いていく。

 

若い頃から職を転々としていたリンゴは、プロのドラマーになって初めて金銭を安定的に得られるようになった。ビートルズに出会った時には「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」の一員としてハンブルグ巡業中だった。ジョージ・ハリスンは、「出逢った頃のリンゴは僕らよりも収入が多くて、僕らよりも早く車を買って乗り回していた」と述べている。芸名「リンゴ・スター」は、ロリー・ストーム&ハリケーンズ時代にメンバー各人がステージネームを考えた時につけられた。指輪が好きで両手にいくつも着けていたため「Rings」(リングズ)と呼ばれており、自分がリンゴ・キッドに憧れていたことから「リンゴ」と命名。本人はRingo Starkeyでいくつもりだったが、しっくりこなかったのでStarkeyを半分にしてrをもうひとつ付け「Starr」としたと発言している。

 

1962年8月16日、当時ビートルズのドラマーだったピート・ベストが解雇され、リンゴが8月18日にビートルズに加入して新たなドラマーとなり10月5日に“Love Me Do”でレコードデビュー。ただし、同曲のレコーディングセッションは3回行われ、6月6日のセッションではオーディション用にピートがドラムを演奏、9月4日にはレコーディング用にバンドに加入した直後のリンゴがドラムを叩き、9月11日に2度目のレコーディングセッションでセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトが演奏した。同曲がデビュー・シングルとして英国で発売された際、リンゴが演奏した9月4日のテイクが使用されたが、以後の再版シングルや、オリジナル・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』、『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』、『ザ・ビートルズ1』等一部の企画アルバム、ビートルズのEPにはホワイトが演奏した9月11日テイクが採用された。リンゴが演奏した9月4日のテイクは、1980年に米国で発売された『レアリティーズ Vol.2』でアルバム初収録、『リヴァプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス』や『パスト・マスターズ Vol.1』に収録された。

 

1963年3月22日、1stアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』(Please Please Me)を発売、リンゴは“ボーイズ”(Boys)で歌唱している。

 

同年11月22日、英国で2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(With the Beatles)を発売。リンゴはジョンとポールがローリングストーンズの2ndシングルに提供した“アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン”(I Wanna Be Your Man)を歌唱している。

 

“A Hard Day's Night”、“Eight Days A Week”、“Tomorrow Never Knows”など、ビートルズの楽曲にリンゴの発言を曲名にしたといわれるものは多々あるが、いずれも文法的には正しくない。ジョンはリンゴのこうした言語感覚を讃えて「Ringo-ism」(リンゴ語)と呼び、「リンゴは時々、ちょっと面白い言い間違いをするんだ。文法の間違いだとかいうようなのじゃない、ジョークっぽいやつ。これが結構いいネタになるのさ」と発言している。

 

 

1965年2月、リンゴはモーリン・コックスと最初の結婚、同年9月13日に長男ザック誕生。

同年、MBE勲章五級を授与される。


 ビートルズが1970年以前に公式発表した、一般に213曲とされる楽曲のうち作曲家としてスター(Starr)の名がクレジットされている楽曲は“ドント・パス・ミー・バイ”、“オクトパス・ガーデン”、“フライング”、“ディグ・イット”、“消えた恋”(What Goes On)の5曲、そのうち彼が単独で作ったものは“ドント・パス・ミー・バイ”、“オクトパス・ガーデン”の2曲である。また、彼がリード・ヴォーカルを担当している曲は、シングル発売され全米2位・全英1位になった“イエロー・サブマリン”をはじめ、“ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ”、“グッド・ナイト”、自作の“オクトパス・ガーデン”など十数曲ある。

 

 

 

リンゴはまた、「僕の曲はアルバムに最低でも1曲入っていればOK」、「人気投票では3人に全く敵わないけど、“2番目に好きなメンバーを選ぶ投票”だったら、きっと1番になれる」等の発言から窺えるようにビートルズのメンバーの中で、最も穏やか、かつ人格者であったことでも知られ、彼がいなければビートルズの解散はもっと早まっていたとも言われている。

 

そんなリンゴでも2週間ほどレコーディングを離脱したことがあった。

1968年、アルバム『ザ・ビートルズ』(所謂『ホワイト・アルバム』)のセッションで“バック・イン・ザ U.S.S.R.”をレコーディング中のこと、自分のスケジュールを常に他の3人に合わせ、自由な時間もほとんどない状況で、その上ポール・マッカートニーがリンゴのドラミングにいちいち注文をつけ、挙句の果てにポールが自分でドラムを叩き「こういう風にやるんだよ」と言うと、流石のリンゴも激怒した。彼は「辞めてやる!」と言い放ち、スタジオを後にした。リンゴは2週間ビートルズを辞め、俳優のピーター・セラーズから貸与されたボートでサルデーニャの家族と休暇を過ごした。動物についての船長との会話は、リンゴが旅行中にギターで書いたアビーロードの楽曲“オクトパス・ガーデン”に影響を与えた。彼は2週間後にスタジオに戻り、ハリスンが「ウェルカム・バック」のジェスチャーとしてドラムキットを花で覆っていたことを発見した。

このホワイト・アルバム制作中に、4人は一時的に親密な関係に戻ったかに見えた。

7月、アニメーション映画『イエロー・サブマリン』を公開。

11月、アルバム『ザ・ビートルズ』(The Beatles)を発売。“グッド・ナイト”収録。

 

 

 

1969年1月、レコーディングとビートルズの4番目の長編映画『レット・イット・ビー』の撮影を兼ねる「ゲット・バック・セッション」開始。だが、メンバーの関係は再び、そしていっそう緊張した。

4月、『アビイ・ロード』(Abbey Road)のレコーディングをアビーロード・スタジオにて開始。

8月20日、“I Want You”ミキシング・セッションのため、アビー・ロード用としては最後の集合。9月、『アビイ・ロード』発売。 リンゴがリード・ヴォーカルを取った“オクトパス・ガーデン”収録。

 

9月20日の会合で、ジョンはビートルズを辞めたと他の人たちに語った。

 


1970年1月、ゲット・バック・セッションを再開。

3月23日〜4月2日、フィル・スペクターによって「最後のアルバム」の再制作が行われる。

3月27日、公式解散発表に先立ち、スタンダード・ナンバー集となる初のソロアルバム『センチメンタル・ジャーニー』(Sentimental Journey)発表し、ソロ活動を開始。全米22位・全英7位。

 

 

4月10日、ポールがビートルズからの脱退を発表。

5月8日、ビートルズ最後のアルバム『レット・イット・ビー』(Let It Be)が本国で発売。リンゴがクレジットに名を連ねている“ディグ・イット”収録。

 

9月25日、2ndソロアルバム『カントリー・アルバム』(Beaucoups of Blues)を発表。全米65位。

 

 

 

1971年4月9日、自作のシングル“明日への願い”(It Don't Come Easy)が全米4位・全英4位。

 

12月20日、リンゴも参加したジョージ・ハリスン主催「バングラデシュ難民救済コンサート」を収録したライヴ・アルバム『バングラデシュ・コンサート』(The Concert for Bangla Desh)が発売、全米2位。1972年度のグラミー賞の年間最優秀アルバム賞を獲得した。

 

 

1972年3月17日、“バック・オフ・ブーガルー”(Back Off Boogaloo)発売、全米9位・全英2位。

 

 

1973年9月24日、ジョージとの共作“想い出のフォトグラフ”(Photograph)全米1位・全英8位。

 

11月2日、3rdアルバム『リンゴ』(Ringo)を発表、全米1位・全英7位を獲得。本作でビートルズ解散以降初めて、4人のメンバーが1枚のレコードの中で名を連ね話題になった。

 

12月3日、ジョニー・バーネットのカヴァー曲“ユア・シックスティーン”(You're Sixteen)は、全米1位・全英4位を記録した。

 

 

1974年2月18日、“オー・マイ・マイ”(Oh My My)をリリースし、全米5位。

 

11月14日、ジョン・レノンやエルトン・ジョン、ニルソンなど、豪華な作家陣が楽曲を提供し、レコーディングにも参加したアルバム『グッドナイト・ウィーン』(Goodnight Vienna)を発表、タイトルトラックはジョンがリンゴのために書き下ろした。アルバムからシングルカットしたプラターズのカヴァー“オンリー・ユー”(Only You)も同時発売され、全米6位・全英28位。

 

 

 

1975年1月27日、米限定シングル“ノー・ノー・ソング”(No No Song)が全米3位と大ヒット。

 

 

1976年、古巣EMI/アップルを離れ、アトランティック・レコードに移籍。

同年、“ロックは恋の特効薬”(A Dose Of Rock'n Roll)を発表、全米26位。当時リンゴは、自らのレーベル「リング・オー・レコード」を設立。作品のプロデューサーにアリフ・マーディン、作曲家にヴィンセント・ポンシア・ジュニアなどを迎え、ファンキーなサウンド作りに徹していた。

 

同年、モーリーン・スターキーと離婚。

 

 

1977年、ファンキー路線をより打ち出したアルバム『ウイングズ~リンゴIV』が、チャート圏外という結果に終わる。この売上不振を原因に、アトランティックから契約を打ち切られている。

プライベートでも腸の病気を患い一時危篤状態に陥ったり、ロサンゼルスにある自宅が火事で全焼したりと、1970年代後半はリンゴにとって多難な時期となった。そんな中、彼は自らが主演を務める映画『おかしなおかしな石器人』で共演した女優のバーバラ・バックと恋に落ちる。1980年12月、ニューヨークでジョン・レノンが殺害されるという衝撃的な事件が起こった。この事件が起こった直後、リンゴはバーバラを伴い急遽ニューヨークのオノ・ヨーコのもとに向かい、ジョンの死を悼んだ。

1981年、リンゴはバーバラと再婚。

 

1980年代には2枚のオリジナルアルバムを発表したが、シングル・カットされて全米38位となった“ラック・マイ・ブレイン”(Wrack My Brain)以外はヒットには至らなかった。

 

1983年、ジョー・ウォルシュをプロデューサーに迎えて制作した『オールド・ウェイブ』は、本国やアメリカではリリースさえされなかった。1980年代の彼は私生活でもとても退廃的な体たらくだったようで、ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンのアルバムや、チャリティ・コンサート等でドラムを叩く活動が中心だった。

 

 

1986年頃、こんなCMで日本のお茶の間にも登場した。

 

 

1980年代後半はアルコール依存症にも悩まされていた。

 

1989年、アルコール依存症患者更生施設での治療を経て復活。ブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドや、イーグルスの元メンバー等を集め、新バンド「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」を結成、ビートルズ解散後初の本格的なワールド・ツアーに出る。

同年秋、日本公演も実現、元メンバーで解散後最初に武道館公演も行った。

 

1992年5月22日、久々のアルバム『タイム・テイクス・タイム』(Time Takes Time)を発表、これ以降、リンゴの活動はますます精力的なものとなる。

 

1995年、オールスター・バンドを従えて再び来日。この時の武道館公演は『ヴォリューム・ワン』というタイトルのCDとなって、アメリカの「ブロックバスター」から通販限定で販売された。

 

 

1996年、リンゴはこんな駄洒落にも付き合ってくれた。いい人だ。

 

 

1998年6月、キャロル・キングやエアロスミスなどを手がけたことで知られるマーク・ハドソンを作曲パートナーと共同プロデューサーに迎えて制作したアルバム『ヴァーティカル・マン~リンゴズ・リターン』(Vertical Man)を発表。ポールとジョージに加え、ブライアン・ウィルソン、アラニス・モリセットなど豪華なゲスト陣とともにレコーディングされた本作は、全米アルバムチャート61位に入り、リンゴにとって実に22年ぶりとなる全米トップ100入りを果たした。

 

 

その後もハドソンをパートナーに、精力的に創作活動に臨み、数枚のアルバムを発表した。数年間隔でオール・スター・バンドのツアーもこなし、マイペースながら着実な活動を継続中。

 

 

2008年、メンバー中唯一サインに応じる元ビートルとしての生活に嫌気が差したとし、「10月20日以降はどんなものであってもサインしない、ファンレターも読む暇がないのでゴミ箱行きになるから送らないでほしい」と声明を出した。ファンレターの返事にサインを送ると、送ったサインが転売されるというケースが頻発したことに対する憤激であるとも言われている。

 

 

2010年1月12日、アルバム『ワイ・ノット』(Y Not)を発売、全米58位。

 

 

 

2011年頃には、ギターを弾いている場面がよく見られる。「サマーツアー・イン・ヨーロッパ」のムービーでは青いフォークギターを弾いている。その他にリンゴのホームページでエレキギターやピアノを弾いているところを見ることができる。

 

2013年、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として三度目の日本公演を行った。

 

2014年1月、ビートルズ米国上陸50周年の記念イヤーに、グラミー賞授賞式でポールと共演。

1月27日、ビートルズ訪米50周年トリビュートコンサート「The Night That Changed America: A GRAMMY Salute To The Beatles」が開催。ラストではポールとともに“ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ”と“ヘイ・ジュード”を披露して会場を熱狂させた。

 

2015年、リンゴ・スター個人としてもロックの殿堂入りを果たす。これによりビートルズはバンドとしてだけでなくメンバー全員がそれぞれ殿堂入りを果たした。

 

2016年、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として四度目の日本公演を行った。

 

2018年3月20日、音楽界への貢献やエイズ研究などへの支援が評価され、ナイトの爵位が授与された。

 

2019年、アルバム『ホワッツ・マイ・ネーム』(What's My Name)をリリース。“Grow Old with Me” はジョンが生前書いた最後の曲のひとつで、本アルバムではポールがバック・ヴォーカルとベースで参加、ジョンの『ダブル・ファンタジー』と『ミルク・アンド・ハニー』をプロデュースしたジャック・ダグラスがジョージハリスンの引用を含むストリングスを編曲した、リンゴ曰く「これはある意味、僕たち4人だ」という曲になった。

 

同年、「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」として五度目の日本公演を行った。

 

 

2021年3月19日、EP『Zoom In』発表。収録曲“Here's To The Nights”では、スティーヴ・ルカサー(G)やネイザン・イースト(B)が演奏、さらにバッキング・ヴォーカルでポール・マッカートニー、ジョー・ウォルシュ、シェリル・クロウ、レニー・クラヴィッツらも参加している。

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

リンゴのドラミングについて誤解している人が多いように思う。プレイが比較的シンプルだったり、デビュー曲“Love Me Do”がセッションドラマーのテイクに差し替えられたり、ポールにドラミングについてケチつけられてスタジオを飛び出したり、という逸話があったりするからだろう。

しかし、ここで声を大にしていっておきたいのは、リンゴは非常に上手いドラマーである、ということだ。人気投票で上意に名が挙がるドラマー諸氏に比べて派手さはないが、他のパートを活かすために効果的に「引き算」ができる稀有なドラマーなのである。

 

例えばビートルズ時代のこの2曲。

 

イントロから緊張感を高めながらもサビまでスネアを叩かない抑制を利かせた『Abbey Road』の“Come Together”におけるドラミング。

 

一方、同じアルバムの“Something”では、曲に様々な表情をつけている。

 

ジョン、ポールそしてジョージと一緒にやっていく中で、他のパートを活かし、目立ち過ぎず、曲全体のリズムを支える、リンゴならではのドラミング・スタイルが形成されていったのだろう。

 

そもそも、ジョン、ポール、ジョージと一緒にやってるだけで超絶すごいこと。

さらにビートルズ解散後、他の3人すべてに呼ばれて一緒にやったのはリンゴだけであり、

また、自身の作品に他の3人すべてが参加したことのあるのもリンゴだけなのである。

 

性格が良いというだけで、天才ミュージシャン達からここまで求められるだろうか?

 

アマチュアは酷評する。プロフェッショナルは絶賛する。

 

それがリンゴ・スターのドラム演奏なのである。

 

 

そんなリンゴのドラミングで始まるビートルズ時代の、ご機嫌なバースデー・ソング。

“Birthday”。

 

 

 

2021年7月7日、リチャード・スターキー81歳の誕生日。

 

Happy birthday Ringo!

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「リンゴ・スター」「Ringo Starr」「ザ・ビートルズ」

 

リンゴ・スター公式サイト

 

amass リンゴ・スター 新曲「Zoom In Zoom Out」公開

 

みのミュージック 真の天才リンゴ・スター