ジョン・フォガティ(John Fogerty/出生名:John Cameron Fogerty/1945年5月28日~)は、アメリカ合衆国のミュージシャン・音楽プロデューサー。クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(略称:CCR)を率いたギタリスト、ヴォーカリストとして有名。

 

 

 

1945年5月28、ジョン・キャメロン・フォガティはアメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーにて、ゲイレン・ロバートとエディス・ルシル(ライトル)・フォガティの間に生まれた5人の男子の3番目として誕生。アイオワ州生まれの父親はライノタイプ(Linotype/ Line of typeを省略した語で活版印刷機の一種)のオペレーターだった。

 

幼い頃よりブルーズを聴き、ベンチャーズの影響を受けギターを弾き始めた。フォガティ自身がカリフォルニアに住みながら、アフリカ系が多い南部の音楽の影響を受けたことが彼の音楽のルーツとなる。
 

 

10代から同州コントラコスタ郡エルサリートで育った。自伝によれば、父親も母親もアルコール依存症で、それが原因で離婚した。


バークレーのSaint Mary's College High Schoolに入学したが、校風が合わず、1年後にエルサリートのEl Cerrito High Schoolに転校した。

フォガティは夏休みをカリフォルニア州ウィンターズ近くのプタ・クリークで過ごし、そこでの時間はCCRの歌“グリーン・リバー”の題材となった。

 

 

1959年に中学生だったフォガティは、同級生とカヴァー・バンドを結成。バンド名は「ザ・ブルー・ベルベッツ」(The Blue Velvets)で、ラインナップは、ジョン・フォガティ (Vo,G)、ステュ・クック (B)、ダグ・クリフォード (Ds) 。バンドはロックンロールの先駆者、特にリトル・リチャードとボ・ディドリーにインスピレーションを得た。

その後、フォガティの兄トムがグループに加入。既にバンド活動を経験していたトムはリード・ヴォーカルを取るようになり、マネージャーも兼任する。

 

 

1964年、バンドは地元サンフランシスコを拠点とするジャズ系ローカル・レーベルのファンタジー・レコードと契約。当時のレーベル・マネージャーのソウル・ゼインツによって、半ば契約させられたとの説もある。

契約に伴いバンドは名前を「ゴリウォッグス」(The Golliwogs)に変更してデビュー。だが、ゴリウォッグスは「醜い面相の男たち」の意味であり、メンバーは無理やりレーベル側から着せられた衣装とともに、この名前も気に入らなかったという。

グループは7枚のシングルを録音したが、商業的には成功しなかった。

 

 


1966年、当時の徴兵制に従い、ジョンは米軍に入隊、2年に渡る訓練を受け、1968年に除隊している。

 

 

1968年、バンドは名前を「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」(Creedence Clearwater Revival/以下略称CCRを併用)と再度改めた。クリーデンス(信用)はトムの友人「クリーデンス・ニューボール」から拝借。クリアウォーターはビールのCMを見ていて流れる水の映像が気に入ったことと、メンバー全員の関心事であったエコロジーの観点から。そしてリバイバルはバンドの復活、新しいバンド名で再出発との意味をこめて名付けられた。

6月15日、再デビュー曲として発表されたルイジアナのシンガーソングライター、デイル・ホーキンスのカヴァー“スージーQ”(Suzie Q) は、サンフランシスコ・ベイエリアやシカゴのラジオ局でオンエアされ、米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)11位に達し、全米レコード協会(RIAA)から最終的にプラチナ認定を受けた。

 

7月、セルフ・タイトルの1stアルバム『Creedence Clearwater Revival』をリリース、シングル“スージーQ”のロング・ヴァージョンや、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの“アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー”(I Put a Spell on You)のカヴァーなどを収録、米南部で隆盛を極めたサザン・ロックの先駆的存在であり、また泥臭いサウンドはスワンプ・ロックの代表ともいえる存在でもあった。ブルーズ・ロックとサイケな曲などを含んだ内容で、当時ヒッピー文化が全盛だったサンフランシスコでも人気となり、『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)で52位に入った。

 

 

1969年1月15日、2ndアルバム『Bayou Country』をリリース、前作を上回る全米7位・全英62位を記録、最終的にRIAAダブル・プラチナを獲得した。ここからは“プラウド・メアリー”(Proud Mary)が3週連続全米2位に加え全英8位に入った。

 

 

8月7日、3rdアルバム『グリーン・リバー』(Green River)を発売、ついに全米アルバム・チャート1位に輝き、全英でも20位に到達。アルバムは最終的にRIAAからトリプル・プラチナ認定を受けた。ここからは、"バッド・ムーン・ライジング"(Bad Moon Rising)が全米2位・全英1位・RIAAダブルプラチナ・BPIプラチナを獲得、タイトル・ナンバー“グリーン・リバー”(Green River)が全米2位・全英19位・RIAAゴールド獲得と、2曲のヒットを生んだ。

 

 

 

10月29日、4thアルバム『Willy and the Poor Boys』をリリース、全米3位・全英10位をはじめ各国でトップ5入りし、RIAAダブル・プラチナを受けた。ここからは、"ダウン・オン・ザ・コーナー"(Down on the Corner)が全米3位・全英31位・RIAAダブル・プラチナを獲得、"Fortunate Son"が全米14位・RIAAトリプルプラチナ・BPIダブルプラチナを獲得した。

 

 

 


1970年7月8日、5thアルバム『Cosmo's Factory』をリリース、全米1位・全英1位をはじめ、各国で首位を得得する世界的ヒットになり、RIAA 4×プラチナ・BPIゴールドを獲得した。ここからのシングルは、"トラベリン・バンド"(Travelin' Band)が2週連続全米2位・全英8位、"Who'll Stop the Rain"が全米13位・RIAAプラチナ、"Up Around the Bend"が全米4位・全英3位・RIAAプラチナ・BPIシルバー、"ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア"(Lookin' Out My Back Door)が全米2位になった。この"ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア"でバンドは5曲目の全米2位を獲得したが、ついぞ全米No.1シングルを手に入れることはできなかった。これによりCCRは、現在まで全米No.1を獲得できなかった歌手、グループの中で最多5曲の全米第2位楽曲を持つという珍しい記録を持つこととなっている。

 

 

 

 

人気バンドになったCCRだったが、楽曲のほとんどを作曲し、サックスからピアノまで自分で演奏するジョンの才能に注目が集中したため、メンバー間の軋轢が生じる。ジョン以外のメンバーがベーシックトラック録音のみに参加した曲も存在する。

12月9日、バンドは6thアルバム『ペンデュラム』(Pendulum)をリリース、全米5位・全英8位、RIAAプラチナを獲得した。本作は実質ジョンのワンマン・レコーディング作ではないかと思われたことがあった。

 

 

1971年1月にバンドのマネージャーも兼任していたトムが脱退。ジョンが新マネージャーとして連れてこようとしたアラン・クレインは、「ビートルズを解散させた男」として悪名高い人物だった。

1月、『ペンデュラム』から"雨を見たかい"(Have You Ever Seen the Rain)をリカットすると、全米8位・全英36位・RIAAトリプル・プラチナ・ARIA 8×プラチナ、BPIプラチナなど、各国で大ヒットした。

 

この"雨を見たかい"の歌詞が「ベトナム戦争の反戦歌で、〈雨〉はアメリカ軍によるナパーム弾爆撃の隠喩である」という説が広く信じられていおり、映画『マイ・バック・ページ』でもそのことに言及するセリフがあるが、作詞作曲者のジョン・フォガティ自身は、1997年に当時のオフィシャル・ウェブサイトで以下のように発言し、反戦歌であることを否定している。

 「この事は、ベイエリアでは他の地区よりもよく起こる。陽が照ってるのに雨が、虹と雨粒が降って来る事がある。風が吹くと、雨が金門橋を越えてサンフランシスコ湾に飛ばされて来るんだ。“雨を見たかい”はCCRの崩壊についての歌なんだ。〈Have you ever seen the rain coming down, sunny day?〉の部分のsunny dayは黄金時代のクリーデンスを示してる。しかし、俺たちに雨が降りかかって来るのが見えたって事を言ってる訳さ」Hank Bordowitz著『Bad Moon Rising』p.107-108
一方、ドラマーのダグは、ひとつ前のアルバムの曲“フォール・ストップ・ザ・レイン”(Who'll Stop the Rain)と混同されたのではないかと語っている。この曲における〈雨〉はニクソン政権による空爆を指しているという。

 

 

1972年2月、CCRが初来日。2月25日:愛知県体育館、2月28日:大阪厚生年金会館大ホール (昼夜2回公演)、2月29日:日本武道館の4公演を行った。

4月11日、7thアルバム『マルディ・グラ』(Mardi Gras)をリリース、全米12位・RIAAゴールドを獲得した。本作は、各メンバーの手掛けた曲やヴォーカル曲も採用したアルバムであった。ここからは、 "Sweet Hitch-Hiker"が全米6位・全英36位・RIAAゴールド、ジョンが作曲した“サムデイ・ネバー・カムズ”(Someday Never Comes)が全米25位になった。

 

 

10月、バンドはおよそ4年余りの活動で解散した。

これ以後、ジョンはソロとして音楽活動をスタートし、バンドを模した一人多重録音による「ソロCCR」とも言うべき活動を続ける。

 

 

1973年4月、ジョンは初のソロ・アルバム『ザ・ブルー・リッジ・レンジャーズ』(The Blue Ridge Rangers)をファンタジー・レコードからリリースしてソロ歌手としてデビュー。全米47位を記録した。ここからは、"Jambalaya (On the Bayou)"が全米16位・米カントリー66位、"Hearts of Stone"が全米37位になった。

 

 

 

1974年、CCRのメンバー4人全員がトムのアルバム『ゼファー・ナショナル』収録曲“ミスティック・アイル・アヴァロン”に参加した。だが、ジョンは自分のパートを他のメンバーとは別に録音した。

 

 

1975年9月、セルフ・タイトルの2ndソロ・アルバム『ジョン・フォガティ』(John Fogerty)を発表、全米47位を記録する。だが、同時にファンタジー・レコードの元マネージャーで社長でもあるソウル・ゼインツとの金銭面と著作権による契約問題で訴訟を起こすなど、好きな歌が歌えなくなったため、フォガティは心身疲労となってミュージシャン活動を事実上休止していた時期もあった。
しかし、親交があったボブ・ディランらの支えもあり、なんとか苦境を乗り越える。

 

 

1980年10月19日、トム・フォガティの結婚式で一度だけ、CCRのオリジナル・ラインナップは解散後、パフォーマンスのために再集結した。

 

 

1983年の第20回エルセリート高校同窓会で、ジョン、クック、クリフォードは、本来の姿であるブルーベルベットとして演奏した。

 

 

1985年1月14日、ジョンは10年振りに3rdソロ・アルバム『センターフィールド』(Centerfield)を移籍したワーナー・ミュージックから発表、ソロになって初の全米アルバム・チャート1位を獲得し、RIAAダブルプラチナ認定を受けた。また、ノルウェーとフィンランドではアルバム・チャート1位を獲得、さらに各国でトップ5に入る世界的ヒット・アルバムとなった。ここからは、“オールド・マン・ダウン・ザ・ロード”(The Old Man Down the Road)が全米10位・ロック1位・全英90位になったのをはじめ、"Rock and Roll Girls"が全米20位・ロック5位・全英83位、 "Centerfield"が全米44位・ロック4位になった。

 

 

 

 

 

1986年9月29日、4thソロ・アルバム『アイ・オブ・ザ・ゾンビ』(Eye of the Zombie)を発表したが、全米26位と前作『センターフィールド』程にヒットせず、シングルも、"Eye of the Zombie"が全米81位・ロック3位、"Change in the Weather"がロック3位、"Headlines"がロック27位止まりだった。

 

 

さらに追い打ちするように、前作に収録された曲“オールド・マン・ダウン・ザ・ロード”がソウル・ゼインツからCCR時代の曲“ジャングルを越えて”(Run Through the Jungle)に類似しているために著作権に抵触すると指摘され、さらに「守銭奴」を意味する“ミスター・グリード”(Mr. Greed)や“ヴァンズ・カント・ダンツ”(Zanz Kant Danz)もソウル・ゼインツら経営者を揶揄する曲であると訴訟されてしまい、ショックを受けたジョンは再びミュージシャン活動から離れた。

 

 

この他にも、CCRの元メンバー間での訴訟が起こり、彼らの敵意はさらに深まった。 特にジョンはクックとクリフォードとの共演を拒否した。

 

 

1990年9月6日、ジョンの実兄で、CCRのオリジナル・メンバーでもあったトム・フォティガが死去。80年代に受けた手術の際に輸血でHIVに感染したのが原因だった。彼の死後、『ベリー・ベスト・オブ・トム・フォガティ』というタイトルの音楽コンピレーションがリリースされた。トムには2番目の妻トリシア・クラッパーと6人の子どもが残された。

 

 

1993年、CCRはロックの殿堂入りを果たす。だが、ジョンがブルース・スプリングスティーンやロビー・ロバートソンを含むオールスター・バンドと共演している間、クックとクリフォードの二人はステージから締め出された。トムの未亡人トリシアはCCRの再結成を期待しており、式典には夫の遺灰が入った骨壺まで持参していた。こうした屈辱的な扱いに激怒したクックとクリフォードは、家族とともにフォガティの部屋の向かい側のテーブルに座っていたが、パフォーマンスが始まると同時にボールルームから出てった。二人は後にロックの殿堂の理事会に別々の手紙を書き、彼らなしで公演を続けることを許すのは「傷つく」「侮辱的」だと訴えた。


 

1997年5月20日、ミシシッピのデルタ地帯を旅した経験を基に制作した、5thソロ・アルバム『ブルー・ムーン・スワンプ』(Blue Moon Swamp)をユニバーサル・ミュージックからリリース、全米37位・全英182位になった他、北欧で高い評価を得て、スウェーデンとフィンランドで1位、ノルウェー3位をマーク、RIAAではゴールドを獲得した。本アルバムはさらにグラミー賞最優秀ロック・アルバム賞を受賞した。ここからのシングルは、"Walking in a Hurricane"がロック14位、"Blueboy"がロック32位に入った。

 

 

 

1998年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得。

6月9日、ソロ初のライヴ・アルバム『Premonition』をリリース、全米29位・ノルウェー2位・スウェーデン1位を獲得。また、タイトル・トラック"Premonition"がロック19位をマークした。

 

 

2003年、「ザ・ブルース・ムービー・プロジェクト」を締めくくるコンサートに客演するなど、ジョンはやや消極的であるものの健在ぶりをアピールしていた。

 

 

2004年9月21日、6thソロ・アルバム『Deja Vu All Over Again』DreamWorksからリリース、全米23位を記録した。また、スウェーデンでは2作連続、ソロになって通算3枚目のアルバム1位を獲得した。

 

 

2005年、ソングライターの殿堂入りを果たした。

 

2007年、訴訟問題が解決し、ソウル・ゼインツらと和解した。

10月3日、フォガティは、古巣のファンタジー・レコードから7thソロ・アルバム『リバイバル』(Revival)を発表、全米14位・全英80位をマークした。


2009年5月20日、ユニバーサル・ミュージックから8thソロ・アルバム『ブルー・リッジ・レンジャーズ・ライズ・アゲイン』(Blue Moon Swamp)を発表。全米24位・全英98位に加え、ノルウェー1位・スウェーデン3位になった。本作には、ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)と共演した"When Will I Be Loved" を収録している。

 


2010年、フジロックフェスティバルへ出演するため、CCR時代の1972年以来38年ぶりにジョンが来日。

 

 

2013年5月28日、9thソロ・アルバム『ロート・ア・ソング・フォー・エブリワン』(Wrote a Song for Everyone)をVanguardから発表、全米3位・全英75位・ノルウェーとフィンランドで3位、スウェーデンで10位に入った。本作でジョンはCCR時代の曲を様々なゲスト・ミュージシャンとともに再演している。

 

4月、新設のヤンキー・スタジアムのオープニングセレモニーで“センターフィールド”を歌った。
 

 

2018年、ビリー・ギボンズ(featuring Billy Gibbons)をフィーチャーしたソロ・シングル"The Holy Grail"をリリース。

 

 

 

2020年、新型コロナウイルスの流行により各国で外出禁止の措置がなされる中、フォガティは3月24日から自宅で撮影したライヴを精力的に配信、家に留まることと手を洗うことを訴えた。これまでに“雨を見たかい”、“バッド・ムーン・ライジング”、“光りある限り”、“ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア”、“ダウン・オン・ザ・コーナー”、“フール・ストップ・ザ・レイン”、“フォーチュネイト・サン”等を演奏した。

11月20日、ソロ・アルバム『Fogerty's Factory』をBMGからリリース、全米63位。

 

 

2021年、ソロ・シングル"Weeping in the Promised Land"をリリース。

 

 

2023年9月22日、映画『クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル トラベリン・バンド』(Travelin’ Band Creedence Clearwater Revival at The Royal Albert Hall)が公開。他国ではNetflixで公開されていたが、劇場での公開は日本が世界初。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジョン・フォガティ」「John Fogerty」「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」「Creedence Clearwater Revival」

 

 

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