田中 一郎(たなか いちろう/1954年12月8日~)は、日本のミュージシャン、ギタリスト。甲斐バンドのギタリストであり、元ARBのリーダーで初代ギタリスト。

 

 

 

1954年12月8日、田中一郎が生まれる。福岡県福岡市出身。

父親は少年院の院長を務めていた。父と同じ少年院に勤務する教官の息子で幼馴染に白浜兄弟がおり、兄は田中と同級生、弟の白浜久(しらはま ひさし/1957年3月18日-)は後にミュージシャンになり、ARBへ3代目ギタリストとして加入する。

 

幼稚園と福岡市立三宅小学校・福岡市立三宅中学校の1学年先輩に、甲斐よしひろ(1953年4月7日-)がいる。

 

中学時代、田中は既に音楽を始めているが、当時はドラマーだった。

 

1970年4月、福岡大学附属大濠高等学校に進学。

高校入学後より、本格的にギターを始める。

後に甲斐バンドで一緒になる松藤英男(まつふじ ひでお/1954年4月19日-)は、同高校の同級生であり、かつ音楽仲間だった。

 

高校時代から田中は、福岡のライヴ喫茶「照和」等で活動していたバンド「リンドン」に所属。ラインナップは、田中一郎(G)、田中信昭(B)、伊藤薫(Ds)。

 

1973年3月、福岡大大濠高校を卒業。
 

1974年、リンドンの1stシングル“陽気な雨/タンポポ・ガール”を発売して、プロ・デビュー。

 

同年、リンドンの2ndシングル“夏の日の恋/悲しき想い”を発売。

 

 

1975年、リンドンの3rdシングル“赤いドレスは着ないでおくれ/雨の日にさようなら”を発売。

 

 

1976年、リンドンが解散。

 

 

1977年春、バンド「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」(Alexander Ragtime Band)を結成、最初期の顔ぶれは、田中(G)、宮城伸一郎(B)、エンマ(Key)、KEITH(キース/1952年2月6日-/Ds)の4人で、プロ・デビュー経験のある田中がリーダーを務めた。

同年、ヴォーカリストを探していたバンドは、甲斐よしひろの薦めやラジオ・パーソナリティからの紹介等もあり、オーディションにより石橋凌(いしばし りょう/1956年7月20日-)を選出、こうして揃った5人が結成メンバーとされる。

なお、ヴォーカル候補の1人には、後にオフコースのメンバーとなる松尾一彦がいた。

 

 

1978年、デビュー前、後楽園球場(当時)にて開催されたピンク・レディーのコンサートで前座を務めた際、白い囚人服を着てステージに登場した。これがビクターエンタテインメント関係者の目にとまり、レコード会社が決定。しかし所属事務所のシンコーミュージックは、メンバーたちの意向に反し、バンドをベイ・シティ・ローラーズのような、いわゆるアイドルグループとして売り出そうとしていた。

5月25日、アレキサンダー・ラグタイム・バンドの1stアルバム『A.R.B.』を発表。アルバム・タイトルはバンド名の英語表記の略称である。ここからは2枚のシングル、“野良犬/OH! PLEASE”(1978年)と“ワイルド・ローティーン・ガール/ジャックナイフ・ブルース”(1979年)をカット。本アルバムからのシングル曲はすべて石橋凌が作詞作曲を手掛けている。

 

 

この後、純粋なロックを指向するバンド側と事務所側の溝はさらに拡大。

10月5日、甲斐バンドの5thアルバム『誘惑』が発売、オリコン14位。田中はレコーディングに参加、4曲でギターを、1曲でベースを演奏している。

 

 

1979年、デビューから約1年後、アレキサンダー・ラグタイム・バンドは事務所からの独立を決意。その際、ベースの宮城とキーボードのエンマが脱退する。

同年、ベーシスト不在のまま、3rdシングル“魂こがして/Tokyo Cityは風だらけ”(作詞・曲:石橋凌/作詞:柴山俊之/作曲:田中一郎)を先行リリース。スタジオ・レコーディングでは田中がベースを演奏している。

 

 

 

1980年5月21日、アレキサンダー・ラグタイム・バンドの2ndアルバム『BAD NEWS』をリリース。ベースは田中が弾いている。ほとんどの楽曲を石橋が作詞作曲していた1stに対して、本アルバム全12曲中、表題曲“BAD NEWS(黒い予感)”など5曲を田中が作曲している。

 

同年、シングル“ノクターン・クラブ/R&R AIR MAIL”(作詞:石橋凌/作曲:田中一郎/作詞・曲:石橋凌)、“BLACK X'mas/Dance music~ハリケーン・バンド”(作詞:石橋凌/作曲:田中一郎/クレジット未確認)をリリース。

 

 

10月5日、甲斐バンドの7thアルバム『地下室のメロディー』が発売、オリコン3位。田中はレコーディング・セッションに参加し、収録曲“スローなブギにしてくれ”でギターを演奏している。

 

 

1981年3月21日、3枚目スタジオ・アルバム『BOYS&GIRLS』を発売、本アルバムからバンド名を、アレキサンダー・ラグタイム・バンド改め「ARB」とした。本作からベーシスト野中'SANZI'(サンジ)良浩が加入。全11曲中、“赤いラブレター”など6曲の作曲を田中が手掛けた。

 

 

同年、シングル“ダディーズ・シューズ/シェリーは昼間は死んでる”(作詞・曲:石橋凌/作詞:石橋凌/作曲:田中一郎)を発売。

 

同年、『BOYS & GIRLS』発表後、KEITHが倒れ入院することになったが、4thアルバムの発売が既に決まっていたため、止む無くサポート・ドラマーを起用して制作。そのため4thアルバムでは「KEITH(IN THE HOSPITAL)」とクレジットされた。

11月21日、ARBの4枚目スタジオ・アルバム『指を鳴らせ!/Snap Your Fingers』をリリース。全10曲中、“STANDING ON THE STREET”など7曲を田中が作曲した。

 

 

1982年6月21日、ARBの5枚目スタジオ・アルバム『W』をリリース。全11曲中、“ウィスキー&ウォッカ”や“ユニオン・ロッカー”など8曲を田中が作曲した。

 

 

 

同年、シングル“クレイジー・ラブ/エイリーン”(作詞:柴山俊之/作曲:木戸やすひろ/作詞:石橋凌/作曲:田中一郎)、“さらば相棒/ピエロ”(ともに作詞:石橋凌/作曲:田中一郎)を発売。

 

 

 

 

1983年4月21日、ARB6枚目のスタジオ・アルバム『トラブル中毒』をリリース。ARBは歴代の在籍ギタリストによりサウンドが変わることから、ギタリストごとに期を区切って論じられるが、本作は、初代ギタリスト田中一郎が在籍した第一期で、かつベースのサンジ(野中良浩)が参加した、第一期ARB最後のオリジナル・スタジオ・アルバムとなった。本アルバムでは全10曲中、“War Is Over!”、“ファクトリー”など8曲を田中が作曲している。

 

 

 

同年、アルバムから“トラブルド・キッズ/Give Me A Chance”(ともに作詞:石橋凌/作曲:田中一郎)をシングル・カットした。

 

 

7月21日、甲斐バンドの10thアルバム『GOLD/黄金』が発売、オリコン8位。田中は収録曲“GOLD”と“ボーイッシュ・ガール”のレコーディングに参加し、ギターを演奏。

9月、ARBのアルバム・ツアー中に、田中はバンドを脱退。田中はそれまで何度もレコーディングに参加していた甲斐バンドのライヴ・ツアーに参加した。

同年、田中が抜けたARBは、穴埋めに複数のサポート・ギタリストを入れてツアーを乗り切った後、BOWWOWのヴォーカル&ギター斉藤光浩(さいとう みつひろ/1958年2月3日-)が正式加入した。

12月5日、デビュー5年目にしてARB初のライヴ・アルバム『魂こがして』を発売。田中一郎と野中“サンジ”良浩が参加した最後の作品であり、第一期ARBのエピローグとなる渾身の一枚となった。

なお、この頃、覚醒剤に溺れていたサンジは、その代金欲しさに機材車から斉藤のレスポールを盗み出し質屋に売り飛ばしたことが判明したため、ARBを解雇された。

 

 

1984年6月、田中は甲斐バンドの正式メンバーとなる。

7月17日、田中の正式加入後初シングルとなる甲斐バンドの26thシングル“フェアリー(完全犯罪)”をリリース、オリコン34位。

 

12月1日、甲斐バンドの27thシングル“野獣 -A WILD BEAST-”をリリース、オリコン53位。

12月21日、28thシングル“野獣”を12inchで発売、オリコン56位。

 

 

1985年2月1日、29thシングル“冷血”を発売、カップリング曲“悪夢”は田中が作曲し、甲斐との共同編曲を手掛け、自身がヴォーカルも担当した。オリコン43位。

 

 

3月1日、11thアルバム『ラヴ・マイナス・ゼロ』を1年8か月ぶりに発表、オリコン3位。1か月以上に及ぶ、同アルバムのプロモーション・ツアーも同日、新潟県民会館よりスタートする(13か所17公演)。

3月31・4月1日、甲斐バンドは両国の新国技館のこけら落とし公演「BEATNIK TOUR in 両国国技館」を開催。

6月1日、30thシングル“ラヴ・マイナス・ゼロ”を発売、オリコン88位。

 

同年、東芝EMI / EXPRESSに移籍。

12月1日、近藤真彦初の12インチシングルとして“夢絆”(NEW VERSION)が発売、間奏部に“スニーカーぶる〜す”のイントロと“ブルージーンズメモリー”の歌詞の一節がサンプリングされている。レコーディング時に松下誠とともに田中もギター演奏を担当した。

12月1日、シングル“フェアリー(完全犯罪)”を東芝EMI / EXPRESSから再販。

 

 

1986年3月1日、32ndシングル“レイニー・ドライヴ”を発売、オリコン47位。

 

3月3日、甲斐バンドの解散を発表。

3月5日、甲斐バンドは12thアルバム『REPEAT & FADE」を12inch LP4枚組、CDでは2枚組としてリリース、オリコン4位。メンバーが作曲を担当した楽曲でLP1面ずつを構成、田中はDisc3を担当し4曲を作曲、“Run To Zero”(作詞:トシ・スミカワ/作曲:田中一郎/編曲:チト河内)はTBS系『ワールドカップラグビー』テーマソング。

 

 

3月14日、ファイナル・コンサート・ツアー「PARTY」を開始(全国50ケ所)。

5月1日、33rdシングル“メガロポリス・ノクターン”を12inchで先行発売、オリコン28位。

 

5月28日、フジテレビ『夜のヒットスタジオ・DELUXE」に生出演。別スタジオでの特別ゲストとして、“BLUE LETTER”、“漂泊者(アウトロー)”の2曲を披露。
5月29日、フジテレビ系列にて、デビューから解散までの12年間の映像ドキュメンタリー番組『甲斐バンド 十二年戦争-栄光の軌跡-』が放送。
6月23~27日、「PARTY」ツアーファイナル・ライヴを日本武道館で5日間開催。
6月29日、横浜・黒澤フィルムスタジオにて開催された、1500人限定(ちなみにチケットの応募が20万通あった)の正装・フリードリンク付き・オールスタンディングのシークレット・ギグを開催。

これを最後に、甲斐バンドは解散した。

 

 

1987年、甲斐よしひろの1stソロアルバムのレコーディングに参加、また、甲斐のソロ・ツアーサポートとして結成された「PROJECT K」では元ARBのギタリスト斎藤光浩が参加、田中とツイン・ギターを構成した。

甲斐のソロ活動のサポートを皮切りに、田中自身もソロ音楽活動を開始。

また、これ以降、現在までソロ活動と並行しながらプロデューサーとして、THE HEART、ECHOES、横道坊主、斉藤光浩、柳葉敏郎など、他バンドやミュージシャンのサウンドプロデュースを手がける。

 


1988年3月5日、ソロ・ワークとして「田中一郎 and 甲斐よしひろ」名義で田中と甲斐のデュエット・シングル“あり、か”(作詞・曲:中島みゆき/編曲:佐久間正英)を先行発売、プロデュースは甲斐、楽曲提供は中島みゆき。オリコン88位。

 

4月29日、田中一郎初のソロ・アルバム『IN』を東芝EMIから発売。中島みゆき提供のシングル“あり、か”を除き田中が全作曲を手掛け、作詞は様々なシンガーから提供を受ける。これらの楽曲で田中は全曲でヴォーカル&ギターを担当した。

 

 

6月5日、田中一郎名義でシングル“0℃の誘惑”をアルバムからリカット。

 

6月14日、2ndソロ・アルバム『HOBO』を発売。斉藤光浩が参加した。

7月6日、甲斐バンドの35thシングル“ちんぴら”を発売、オリコン79位。

 

 

1990年3月14日、「田中一郎スーパーノマッド」名義で、アルバムからの先行シングルとして“雨を見たかい”をリリース。CCRの略称でも知られる「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」(Creedence Clearwater Revival)が発表し、1971年に全米8位を記録した“Have You Ever Seen the Rain?”の日本語カヴァー。エースコック「スーパーカップ」CMソングとして使用された。

 

4月、TBS『いかす!!バンド天国』に審査員としてレギュラー出演開始。これ以前にも審査員として出演したことがあるが、このレギュラー出演の時期より審査委員長を務めることが多かった。

5月30日、「田中一郎スーパーノマッド」名義でアルバム『SUPER NOMAD』を東芝EMIから発売。“雨を見たかい”をはじめロックのカヴァー集。オリコン56位。

同年、田中は、ARBの2代目ギタリスト斉藤光浩や、上綱克彦(Key)、榎本高(Key)、四ツ田ヨシヒロ(Ds)というメンバーでバンド「One boy players」を結成、アルバム『GIMME A BREAK』をトランジスタ・レコードからリリースする。

 

11月21日、3rdソロ・アルバム『Going To Paradise』を発売。

 

 

1991年8月30日、4thソロ・アルバム『my home town』を発売。

 

 

1992年2月26日、5thソロ・アルバム『morning glow』を発売。

 

 

1993年、ミュージシャン活動と並行して、東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)で、レコード・メーカーのプロデューサーとなる。

 

ソロ活動は、アコースティックギターでの独演スタイルと、ドラム:西川貴博(THE KIDS)、ベース:市川洋二(ex.THE STREET SLIDERS)、(現在は、One boy players,One boy trio,KIT16のメンバーでもあった榎本高)との3ピースのバンドスタイルの、2スタイルとなっている。

 


1995年、プロデューサー業やソロ活動と並行して、バンド「KIT16」(キット・シックスティーン)を結成、約10年ぶりにバンド活動を行う。バンドの在籍メンバーは、田中一郎(Vo,G)、榎本高(B)、河村智康(Ds)、大森信和(G)、斉藤光浩(B)。バンド名は、河村(カースケ)のK、一郎のI、高のTを並べた「KIT」に、イチローの語呂合わせの16をミックスした。また、KITは英語のkitの意味もかけている。

 

 

1996年、甲斐バンドの10年ぶりの期間限定復活に参加。福岡・天神でストリートライヴを行う。

9月19日、甲斐バンドの36thシングル“ティーンエイジ・ラスト”を発売、オリコン70位。

 

 

1997年7月25日、KIT16のセルフ・タイトルの1stアルバム『KIT16』をリリース。

 

 

1998年、再びフリーのプロデューサーに戻り、多くのアーティスト育成・プロデュースを手掛ける。

6月22日、KIT16の2ndアルバム『Let's Fly Out』をリリース。

 

 

1999年11月1日、KIT16の3rdアルバム『VEX&CAVE』をリリース。

11月13日、甲斐バンドが、新高輪プリンスホテル 大宴会場 「飛天」にて開催された「Golden Thunder Review Standing in 飛天」から活動を再開。

12月10日、3年ぶりとなる甲斐バンド37thシングル“トレーラー・ハウスで”を、移籍したイーストウェスト・ジャパンから発売、オリコン75位。

 

 

2000年2月23日、38thシングル“白いブランケット”を発売、オリコン76位。

 

7月26日、39thシングル“甘いKissをしようぜ”を発売、オリコン87位。

 

 

2001年1月1日、KIT16の4thアルバム『AAA』をリリース。

同年、KIT16の活動を終了。

6月6日、甲斐バンド15年ぶりのオリジナル・アルバム『夏の轍』を発表、同月から全国ツアー「KAI BAND BEATNIK TOUR 2001 Do you beat?」(追加公演を含む全11公演)を開催。

8月25日、「サウンドコニファー229」にHOUND DOG、CHAGE and ASKAとともに出演。トリを飾り、甲斐バンドの12曲目、アンコールの『HERO』で、大友康平、CHAGE、ASKAと共演した。

再結成後、もう解散はしないと言っていた甲斐バンドだったが、これ以降、再び活動休止状態になる。

 

 

2003年4月16日、6thソロ・アルバム『Believe in R&R』を、さくらミュージックエンタテインメントから発売。

 

 

2005年3月2日、7thソロ・アルバム『It's a Rock』をMM Recordsから発売。

12月21日、8thソロ・アルバム『1954 BLUES』をサイトロン・デジタルコンテンツから発売。

 

 

2006年6月28日、9thソロ・アルバム『Timeless Rock'n Roll』をMM Recordsから発売。

 

 

2008年、甲斐バンドの再々結成に参加。全国ツアー「甲斐バンド BEATNIK TOUR 08-09 THE ONE NIGHT STAND」(追加公演を含む全23公演)を開催。翌年2月7日のツアーファイナルは、甲斐バンドとしては約13年ぶりとなる日本武道館で行われた。武道館の翌日、当日の音源が着うた・着うたフルで配信された。

同年、甲斐バンドの解散を宣言。

 

 

2009年7月、甲斐よしひろと甲斐バンドのデビュー35周年を機に、甲斐バンドの活動再開を発表。
10月21日、8年ぶりに甲斐バンドの13thオリジナル・アルバム『目線を上げろ』を古巣EMIミュージックジャパンより発表、オリコン24位。

10月~翌年2月、「KAI 35th Anniversary KAI BAND NEVER END TOUR」(追加公演を含む全24公演)を開催。
12月9日、甲斐バンド初のバラード・ベスト『ロッカ・バラード』を発表し、発売日にJR新橋駅SL広場前にて、13年ぶりにストリートライヴを行う。
 

 

2010年2月27日、「NEVER END TOUR」最終公演、東京厚生年金会館2Days初日に、甲斐の実娘でシンガーソングライターの甲斐名都(かい なつ/1983年8月31日-)がサプライズ・ゲストとして出演。父娘ステージ初共演を果たす(共演曲は「恋のバカンス」と「ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)」)。
4月9日~11日、福岡のライヴ喫茶「照和」にて「甲斐バンド Live at the 照和」を開催。当初は、10・11日の2Days3公演の予定だったが、エントリーが多数寄せられたため急遽2公演追加された。参加者限定特典として、当日のライヴ音源CD(KAIC-6:セレクトされた3曲『三つ数えろ』・『地下室のメロディー』・『バス通り』)がプレゼント(後日郵送)された。また当日の音源が着うた・着うたフルで配信された。
10月1日、4月の照和にて開催したライヴに模様を映画化した『照和 My Little Town / KAI BAND』が12月18日の全国ロードショーに向けて、福岡「ソラリアシネマ(現:TOHOシネマズ天神ソラリア館)」にて1週間先行ロードショー公開。
12月18日、映画『照和 My Little Town / KAI BAND』全国ロードショー。公開初日、シネセゾン渋谷にて甲斐バンド(甲斐・田中)と監督のフカツマサカズ、映画の中で語りを担当している大森南朋が舞台挨拶を行った。

 

 

2011年1月21~23日の3日間・4公演の日程で、Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて「甲斐バンド LIVE at the PLEASURE PLEASURE」を開催。このライヴは、映画『照和 My Little Town / KAI BAND』の公開を受け、2010年4月に映画の舞台となったライヴ喫茶照和で行われたアコースティック・ライブを再現したもの。公演開催中の22・23日には、シネセゾン渋谷での追加上映が決定し、ライブ観覧後にそのまま映画を観に行けた。このライヴの音源は、最終公演5日後の1月28日から、Amazon.co.jpにて配信限定でリリース。
4月2日、NHK BS『デジタルプレミアムライブ 〜がんばろう東北・がんばろう関東〜 J-POPプレミアム』出演。

5月25日、10thソロ・アルバム『Black & Red』を発売。
10月、1日に『MUSIC CITY TENJIN 2011』、9日に石巻専修大学大学祭『2011石鳳祭』に甲斐よしひろと連名でイベントに参加。

 

 

2012年8月12日、奈良県・薬師寺にて、『KAI BAND"スウィートテンプル・ムーン・ライブ"』と題した野外ライヴを開催。ワンマンでの野外ライヴは1983年の「THE BIG GIG」以来、約29年ぶり。この模様はNHK-BSプレミアムで同月30日に放映。
11月21日、12年ぶりのIVY Records 39thシングル“安奈-2012-”をアイビーレコード(IVY Records)より発売。
12月29日、幕張メッセで開催された「COUNTDOWN JAPAN12/13」に出演。COSMO STAGEにて、16:30~17:00に6曲を演奏。

 

 

2013年1月、1996年以来16年ぶりに甲斐バンド2枚目となるセルフカヴァー・アルバム『ROCKS』を発売。これを記念して1月7日、東京・渋谷区の代官山蔦屋書店でインストアライヴを実施。甲斐バンドとしてのインストアイベントは2001年以来であり、約100人のファンが参加。1月12日からは7カ所8公演で『甲斐バンド「ROCKS」ツアー2013』と題した約3年ぶりのツアーを開催。
4月7日、甲斐の還暦を記念してバースデイ・ライヴ「ROLLING BIRTHDAY 60」をTOKYO DOME CITY HALL(旧:JCBホール)にて、甲斐バンドとして開催。

4月9日には、FM沖縄「For PM」主催の『2013 For PM フォークの日 リスナーの集いライブ』に出演。
9月28日、翌年の結成40周年の記念企画として、ファンが選ぶセルフカヴァーアルバム収録曲の人気投票を10月15日までネット上で開催。9月末から約2週間で約7600票が集まった。

 

 

2014年2月26日、結成40周年企画として昨年発表されたセルフカヴァー・アルバム『ROCKS』の続編として『ROCKSII』を発売。
3月22日、福岡サンパレスホテル&ホールにて開催の『JAバンク福岡presents KBCオールナイトニッポンコンサート』に出演。
7月6日~8月30日 、「甲斐バンド 40th Anniversary tour 2014」と題した約1年半ぶりのツアーを11カ所12公演で開催。会場では来場者全員に新曲3曲が収録された『KAI BAND 40th ANNIVERSARY マキシシングル』(収録曲:Blood in the Street/ランナウェイ・ブルース/黄昏に消えた)が贈呈された。ツアー最終日には、36年ぶりに日比谷野外音楽堂にて公演を行なった。
9月19日、『オールナイトニッポンコンサート2014~スペシャルアコースティックNight~』(会場:福井フェニックスプラザ)に泉谷しげると共に出演。
10月、テレビ東京系『新・刑事吉永誠一』主題歌に、「甲斐バンド 40th Anniversary tour 2014」で配布した「KAI BAND 40th ANNIVERSARY マキシシングル」に収録の新曲“Blood in the Street”が起用。また、甲斐が同ドラマの第2話に出演。61歳にして俳優デビューを果たす。

 

11月15日、甲斐バンド40th Anniversary FINAL「甲斐バンド シンフォニー」を東京国際フォーラム・ホールAにて開催。藤原いくろう指揮する60名の東京ニューシティ管弦楽団と共演したこの模様は、WOWOWにて生中継された。
11月26日、デビュー40周年の締めくくりとして『KAI BAND 40th ANNIVERSARY マキシシングル』の新曲から“Blood in the Street”と“黄昏に消えた”を収録した40th Anniversary CD『Blood in the Street/甲斐バンド 40th Anniversary tour in 日比谷野音』をキングレコードより発売。Disc.1がシングル、Disc.2がライヴ・アルバムの2枚組という変則的な形態となっている。

 

12月10日、文化放送メディアプラスホールにて40th Anniversary CD『Blood in the Street/甲斐バンド 40th Anniversary tour in 日比谷野音』リリース記念イベントを開催。

 

 

2015年2月28日、全国14劇場にて、甲斐バンドの楽曲をモチーフにした短編映画集『破れたハートを売り物に』上映&甲斐バンド生ライヴ(お台場シネマメディアージュ、他13劇場に同時中継)開催。この短編映画は同年1月21日~2月10日までの期間で通販限定にてDVD-BOXも発売された。
前年11カ所12公演で開催された『甲斐バンド 40th Anniversary tour 2014』と題したツアーの最終日の日比谷野音でのライヴの模様を完全ノーカットで収録した2枚組DVD『Complete 日比谷野音LIVE』を発売(3月にファンクラブ会員向け先行発売、のちに8月よりAmazon限定で一般発売)。
 

 

2016年6月29日、8枚組BOX SET・KAI BAND&KAI YOSHIHIRO『THE NEW YORK BOX』がユニバーサルJより発売。
8月7日、「THE BIG GIG AGAIN 2016』を日比谷野外大音楽堂にて開催。33年前の1983年の同日に行われた「THE BIG GIG」と同一セットリストの再現ライヴとして行われた(WOWOWでの生中継有り)。
 

 

2017年7月26日、10年ぶりのベスト・アルバム『Best of Rock Set「かりそめのスウィング」』をユニバーサルJよりリリース。9月23日から始まる“KAI BAND TOUR「かりそめのスウィング」2017”のセットリストと同内容の曲目を収録。
KAI BAND かりそめのスウィングツアー2017を、9月23日埼玉・戸田 ‐ 12月3日TOKYO DOME CITY HALLにかけて全国9会場にて開催。
 

 

2019年6月26日、7月6日からスタートする「CIRCUS & CIRCUS 2019」ツアーに合わせて、セットリストと同じ曲目をコンパイルした『サーカス&サーカス2019』発売。過去の様々なライヴ音源からベストテイクを選出し、最新リマスタリングを施したライヴ・ベストアルバム。初回限定盤は、未CD化のボーナス音源6曲を追加収録。
原点回帰したライヴハウスツアー、45th Anniversary KAI BAND TOUR「CIRCUS&CIRCUS 2019」を7月6日広島 - 8月12日クラブチッタ川崎まで全国9会場で開催。
10月16日、KAI BAND『HEROES -45th ANNIVERSARY BEST-』をリリース。甲斐バンドのデビュー45周年を記念する最新リマスター・ベスト。新たにレコーディングされた“らせん階段”、“ティーンエイジ・ラスト”、リミックスされた“三つ数えろ”の他、10月26日からスタートする全国ホールツアーのセットリスト通りの22曲を収録。マスタリングは英メトロポリス・スタジオのジョン・デイヴィスが担当。

 

45周年のホールツアーとして秋に、KAI BAND 45th Anniversary Tour HEROES 2019を開催。10月26日埼玉・川口 - 翌年1月16日東京・NHKホールまでの11会場。

 

 

2020年現在、ソロ活動の他、洗足学園音楽大学でのギター講師やプロデューサーとしての活動も行っている。

 

 

2021年7月10日、甲斐バンド45周年の締めくくりとして、コロナ禍により1年延期されていた野外ライヴ『KAI BAND 45th+1 Anniversary FINAL 100万$ナイトin横浜赤レンガ倉庫』を開催した。この模様はWOWOWライヴでも生中継された。
12月25日、甲斐バンド初のディナーショー「KAI BAND Christmas Dinner Show 2021 in HITEN - SHOW MUST GO ON」を新高輪プリンスホテル 大宴会場 「飛天」にて開催。

 


 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「田中一郎 (ミュージシャン)」「リンドン」「ARB (バンド)」「甲斐バンド」「KIT16」

 

 

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