甲斐 よしひろ(かい よしひろ/本名:甲斐 祥弘(読み同じ)「祥」は正確には衣偏につくりが羊/1953年4月7日~)は、日本のミュージシャン、タレント。

 

 

 

1953年4月7日、甲斐祥弘は、福岡県福岡市中央区柳橋(現:清川)の自宅にて、4人兄弟の四男として生まれる。地元では裕福で知られる理髪店であった。
1958年6月、父親が借金の保証人になっていたため夜逃げ同然で福岡市南区大橋に転居直後に父親が蒸発してしまい生活保護を受ける等、しばらく極貧生活を送ることとなる。
1960年4月、福岡市立三宅小学校入学。
1966年4月、福岡市立三宅中学校入学。

1969年4月、福岡市立福岡商業高等学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学。

高校時代から本格的に音楽活動を始める。

 

1970年、同級生らと3人組カントリーバンド「ノーマン・ホイットフィールド」結成。地元のラジオ番組などに出演。

 

1971年、ライヴ喫茶「照和」に出演する。
 

1972年4月、名鉄観光サービス長崎支店に就職するが、サラリーマン生活が性に合わず4か月で退職。直後、高校時代より歌っていた照和に、ウエイター兼ソロ・シンガーとして出戻る。


1973年、福岡・少年文化会館(現:福岡市立少年科学文化会館)にて、ホールでの初のワンマンコンサート開催。福岡のアマチュアとしては当時最高の900人を動員。
同年、“恋時雨”(作詞・曲:甲斐よしひろ/特記ない限り以下同)で、「ポプコン」九州大会最優秀楽曲賞獲得も、受賞曲のヤマハへの版権委託条項を拒んだため、全国大会は出場辞退。

9月、甲斐は、大森信和(G)、長岡和弘(B)とともに「甲斐よしひろバンド」を結成。

 

 

1974年3月28日、“ポップコーンをほおばって”で、「第3回ハッピー・フォーク・コンテスト」全国大会(文化放送主催、会場:中野サンプラザ)優勝。
5月、甲斐よしひろバンドに、新たに松藤英男(Ds)を加えて「甲斐バンド」を結成。バンド名は元々仮だったが、いくつか候補があった中しっくりくるものが無く、結局仮名のままデビュー。

11月4日、“バス通り”でデビュー。キャッチフレーズは「九州最後のスーパー・スター」。オリコン最高位65位で6万枚を売り上げた。

 

 

1975年6月、2ndシングル“裏切りの街角”をリリース。オリコン7位のヒット曲となる。

 

10月20日、3rdシングル“かりそめのスウィング”を発売、オリコン44位。

 

 

1976年4月、文化放送にて『甲斐よしひろのセイ!ヤング』スタート、1977年3月まで担当。
 

 

1977年3月7日、突然の初渡米。行先は40年振りの強烈な寒波に見舞われたニューヨークだった。

9月5日、8枚目のシングル“そばかすの天使”を発売、オリコン61位。

 

 

1978年1月9日、ソロアルバムのレコーディングのため、マネージャーの佐藤剛とともにアメリカのナッシュビルへ渡航。
4月7日より、NHKラジオ『若いこだま』のパーソナリティ(DJ)に起用。
5月21日、カヴァー作品集となった甲斐初のソロアルバム『翼あるもの』を発売。オリコン27位。

※収録曲“グッド・ナイト・ベイビー”動画の演奏クレジットは甲斐バンド。

 

10月5日、5thアルバム『誘惑』を発売、ARBのギタリスト田中一郎がゲスト参加した。“翼あるもの”収録、オリコン14位。

 

 

11月、NHK-FM『サウンド・ストリート』放送開始、『若いこだま』に続きDJを担当。
12月20日発売のシングル“HERO(ヒーローになる時、それは今)”で、初のオリコンチャート1位を獲得、180万枚を超える大ヒットになる。オリジナルアルバム未収録。

 

 

1979年3月5日、初のベストアルバム『甲斐バンド・ストーリー』を発売、“HERO(ヒーローになる時、それは今)”収録。アルバムでは自身初のオリコン1位を獲得。

 

3月15日、『ザ・ベストテン』に出演。NHK-FMの自分の番組の公開録音スタジオからの生中継、司会者(黒柳徹子、久米宏)と話をしない、などの条件を付けた。

5月5日、12thシングル“感触”を発売、オリコン13位。

 

10月5日、13thシングル“安奈”を発売、オリコン4位。同時発売のアルバム『マイ・ジェネレーション』はオリコン2位。

 

11月26日、集英社より、自伝単行本『荒馬のように』発刊。

 

 

1980年3月5日、2枚目のライヴアルバム『100万$ナイト』を発売、オリコン4位。

3月20日、14thシングル“ビューティフル・エネルギー”を発売、オリコン9位。

 

7月20日、15thシングル“漂泊者(アウトロー)”を発売、オリコン14位。

 

10月5日、7thアルバム『地下室のメロディー』を発売、オリコン3位。
12月21日、アルバム表題曲を17thシングル“地下室のメロディー”としてリカット、オリコン75位。

 

 

1981年9月21日、19thシングル“破れたハートを売り物に”を発売、オリコン50位。

 

11月1日、8thアルバム『破れたハートを売り物に』を発売、オリコン3位。
11月15日、小学館より、甲斐バンド写真集『1982:BEATNIK』発売。

 

 

1982年5月1日、20thシングル“無法者の愛”を発売、オリコン53位。
9月21日、21stシングル“BLUE LETTER”を発売、オリコン39位。

 

11月1日、9thアルバム『虜-TORIKO-』を発売、オリコン2位。

 

同年、女優の竹田かほりと結婚、竹田は結婚・出産を機に芸能界を引退した。シンガーソングライターの甲斐名都(かい なつ/1983年8月31日~)は次女。

 

 

1983年5月21日、23rdシングル“シーズン”を発売、オリコン23位。

 

7月21日、10thアルバム『GOLD/黄金』を発売、オリコン8位。元ARBのギタリスト田中一郎がゲスト参加した。

 

 

1984年6月、田中一郎(1954年12月8日~)が正式加入。甲斐の1学年後輩になるが通った幼稚園・小学校・中学校が同じで、松藤英男と福岡大大濠高校の同級生。

7月17日、26thシングル“フェアリー(完全犯罪)”を発売、スズキ「アルト」CMソング。ファンハウス移籍第一弾で、田中一郎加入後初のシングル。オリコン34位。

 

 

1985年2月1日、29thシングル“冷血”(コールド・ブラッド)発売、オリコン43位。

 

3月1日、11thアルバム『ラヴ・マイナス・ゼロ』を発売、オリコン3位。

 

6月1日、30thシングル“ラヴ・マイナス・ゼロ”を発売、オリコン88位。

 

 

1986年6月、甲斐バンド解散。

11月12日、甲斐がプロデュースした中島みゆきのアルバム『36.5℃』が発売。
12月20・21日、明治神宮球場で行われた「JAPAN AID 1st」に出演し、ソロ活動を開始。“イエロー・キャブ”と“冷血”(ピーター・ガブリエル、ノナ・ヘンドリックスがコーラスで共演)を披露。

 


1987年4月6日、ソロシングル“電光石火BABY”を先行発売、オリコン41位。

4月22日、1stソロ・アルバム『ストレート・ライフ』発売。オリコン3位。

 

4月30日、アルバム・ツアーを44会場48公演開催し、ツアー中盤折り返し点に日本武道館3Days (6/29~7/1) を行う。

11月、甲斐バンドの12thアルバム『REPEAT & FADE』を大幅に編集し直した『コンプリート REPEAT & FADE』を、「甲斐よしひろ with 甲斐バンド」名義にて発表。
12月9・10日にも、"―& PROJECT K"名義で、日本武道館2Days『‐IN BUDOKAN 1987‐』を開催。

 

 

1988年2月25日、甲斐が作曲した中島みゆきのシングル“仮面”(作詞:中島みゆき/作曲:甲斐よしひろ)が発売。
3月5日、「田中一郎 and 甲斐よしひろ」名義で中島みゆき作のシングル“あり、か”(作詞・曲:中島みゆき)を発売。

 

4月29日、田中一郎の1stアルバム『IN』発売。甲斐と田中の共同プロデュース作品。
5月23日名古屋、26日日清パワーステーションにおける田中一郎のライブにゲスト出演。アンコール後に登場し、“あり、か”、“0℃の誘惑”、“悲しき愛奴(サーファー)”の3曲を共演する。
6月6日、5thソロシングル“I.L.Y.V.M.”を発売、オリコン36位。

 

12月7日、6thソロシングル“ミッドナイト・プラスワン”を発売、オリコン39位。

 

12月13~28日、コンサート・ツアー『TRANCE EXPRESS TOUR '88/KAI YOSHIHIRO & PROJECT K』(当初9月には『I.L.Y.M. NIGHT』と称していた)を開催。名古屋・大阪・東京で3会場11公演(そのうち東京・MZA有明においては、12/17,18,23 - 25,27,28日の7公演)を行う。

 

 

1989年2月22日、オリジナル・2ndソロアルバム『カオス』発売、オリコン7位。そして、アルバム・ツアー『TRANCE EXPRESS TOUR '89/KAI YOSHIHIRO & PROJECT K』を開催(3月1日 - 7月12日、36会場42公演、6月に1か月かけて東京の会場〔汐留PIT、NHKホール、東京厚生年金会館〕で5Days行われた『TOKYO SPECIAL 5DAYS』を含む)。

12月15日には日本武道館にて『RED SYMPATHY NIGHT』を開催。さらに12月19・20日、横浜本牧アポロ・シアターでのアコースティックライブ『A・G・LIVE・ AT・THE APOLLO』を行う。

 


1990年3月21日、7thシングル“スウィート・スムース・ステイトメント”を発売、NTTの携帯電話CMソング。オリコン27位。

 

同年、横浜・本牧アポロシアターや日清パワーステーションにおいて、『A・G・LIVE』・『Funk Up Night』など、実験的なコンサートを展開。

5月23日、オリジナル・3rdソロアルバム『エゴイスト』を発表、オリコン6位。これに伴い5月21日~7月15日アルバム・ツアー「the egoist 1990」を14会場14公演で開催。

12月14日には『SPECIAL GIG/インスタント・カーマ'90』と題したライブを、東京ベイNKホールにて行う(同月17日大阪、25日名古屋でも開催)。

12月21・22日に東京ドームで行われたジョン・レノン生誕50周年コンサート「GREENING OF THE WORLD/G.O.W.」に出演(単独では“翼あるもの”、“Oh My Love”の2曲を披露)。

 

 

1991年、初のソロ・ライブアルバム『ダブル・イニシアチブ』を発売。本作は、90年10月に2Daysで開催された『ダブル・イニシアチブ』ライブでの模様を中心に収録されている。
同年6月~1994年7月、「KAI FIVE」として活動。ラインナップは、甲斐よしひろ(Vo)、田中裕千(G)、今川ツトム[ECHOES](Ds)。

10月30日、KAI FIVEとして1stシングル“幻惑されて”を先行発売し、デビュー。

10月31日、KAI FIVEの1stアルバム『幻惑されて』を発売、“Oh My Love”収録。オリコン26位。

 

 

1993年2月10日、KAI FIVEの3rdシングル“風の中の火のように”を発売、フジテレビ系ドラマ『並木家の人々』主題歌。オリコン8位。

 

4月10日、福岡ドームのこけら落とし『ドリームライブ in 福岡ドーム』に、福岡出身のBIG4(他に井上陽水、財津和夫、武田鉄矢)の1人として、「甲斐よしひろand KAI FIVE」名にて出演。

4月21日、KAI FIVE発のライヴアルバム『History Live』を発売、オリコン16位。

5月12日、4thシングル“嵐の明日”を「甲斐よしひろ and KAI FIVE」名義で発売、オリコン37位。

 

6月2日、3rdアルバム『嵐の明日』を発売、オリコン16位。

10月21日、5thシングル“激愛(パッション)”を発売、オリコン66位。

 

 

1994年7月、KAI FIVEの活動を休止。

同年、レコード会社をポニーキャニオンへ移籍。

11月2日、9thソロシングル“渇いた街”を発売。

 

12月7日、4年ぶりのオリジナル・ソロ4thアルバム『太陽は死んじゃいない』を発表。オリコン42位。

12〜翌1995年1月、デビュー21周年記念イベントのプレステージとしての『21st anniversary special event Singer』を開催(埼玉・三郷、名古屋、大阪の3会場3公演)。
 

 

1995年1月14日、デビュー21周年記念として、日本武道館で「21st.anniversary special event/Singer」を開催。ゲストに甲斐バンド時代の盟友、松藤英男(Ds)と田中一郎(G)が登場、大森信和は急欠したが、3人が久々に同じステージに立った。

3月8日、日本武道館での阪神大震災被災者支援コンサート「March of the Music」に出演。また2001年までに、計5回開催された日清パワーステーションでの実験的ライヴ『ROCKUMENT』(5回目のみSHIBUYA-AX他にて開催)がスタート。

同年、レコード会社を再び古巣東芝EMIへ移籍。
11月22日、初のソロ名義ベスト盤『少年の蒼 (KAI YOSHIHIRO Best Selection)』も発表。

 

 

1996年、2年ぶりのオリジナル・5thソロアルバム『GUTS』を発表、オリコン34位。アルバム・ツアー『Welcome to the "GUTS FOR LOVE" Tour』を開催。
同年、甲斐バンドを期間限定で再結成。

7月24日、セルフカヴァー・アルバム『Big Night』を発売、オリコン22位。

9月16日、新曲のシングル“ティーンエイジ・ラスト”を発表、オリコン70位。その後、コンサート・ツアーも開催した。

 

 

1997年1月1日、「TK presents こねっと」のチャリティーシングル“YOU ARE THE ONE”(作詞:小室哲哉・MARC・DJ KOO・hitomi/作・編曲:小室哲哉)に参加、オリコン1位。

 

同年、オリジナル・6thソロアルバム、『PARTNER』を発表、オリコン37位。アルバム・ツアー『THE PARTNER TOUR 1997』を開催。
 

 

1998年5月4日、この年より始まった「MUSIC DAY」(会場:渋谷ON AIR EAST)に出演(アンコールで仲井戸麗市とセッションで共演)。
6月20日(の23:30開場)、『“MIDNIGHT・UNPLUGGEDER”』と題する深夜0時開始のライヴを日清パワーステーション(10日後の6月30日をもって閉店)にて開催。ゲストにEAST ENDのGAKU-MCが出演、終演は午前4時頃であった。
同年、レコード会社をSMEJ Associated Recordsへ移籍。

9月9日、小室哲哉プロデュースにより、オリコン52位になった13thシングル“Tonight I need your kiss”(作詞:甲斐よしひろ/作・編曲:小室哲哉)を皮切りに、10月21日14th“HEY! MONOCHROME CITY”(作詞:甲斐よしひろ/作・編曲:小室哲哉)、12月2日15th“KI-RA-ME-I-TE”(作詞:甲斐よしひろ/作・編曲:小室哲哉)とシングルを続けて3枚発売。コラボレーションに際して小室と決めたテーマは「最初から大きく宣伝するのではなく、1対1で緻密に作り上げる」こととし、「お互いの人間的感触・テイストが見てみたい」との思いから、プロデュース・作曲・編曲は小室、作詞は甲斐に完全に分担された。

 

12月25日渋谷公会堂、28日Zepp Osakaにて、スペシャル・ライヴ『1998 Holy night I need your kiss』開催。

 

 

1999年3月、音楽活動25周年記念として、甲斐よしひろ全告白集『か・さ・ぶ・た』をワニブックスより刊行。
6月、Zeppでのライブツアー『Highway 25 “UP”』を5会場5公演開催。
8月25日、デビュー25周年記念CD-BOX『HIGHWAY 25』発売。同時に公式ウェブサイト「KAI WEB」開設(同サイトはソニー・ミュージックエンタテインメント運営のため、契約終了と同時にコンテンツが移設、現在の「KAI SURF」となっている)。
11月13日、新高輪プリンスホテル・大宴会場「飛天の間」にて、デビュー25周年を記念したライヴ「Golden Thunder Review HIGHWAY 25 Standing in 飛天」を開催。多彩なゲストを招いたこのライヴでは甲斐バンドのメンバー全員も出演し、活動再開が伝えられた。

 

 

1999年、甲斐バンドの活動を再開。

12月10日、再開後第一弾となる37thシングル“トレーラー・ハウスで”をイーストウェスト・ジャパンから発売、オリコン75位。

 

 

2000年2月23日、38thシングル“白いブランケット”を発売、オリコン76位。
7月26日、38thシングル“甘いKissをしようぜ”を発売、オリコン87位。

 

 

2000年、ギター1本でのツアー「一人きりの甲斐よしひろ My name is KAI」を開催。
 


2001年4月1日、2ndソロ・ライブアルバム『月の裏側』を発売、

5月1日、3rdソロ・ライヴアルバム『雫の反射』を、2か月連続で発表。本作は「一人きりの甲斐よしひろ My name is KAI」の模様を収録、メジャーからの発売ではなく、初のインディーズ盤(発売元は所属事務所内のレーベル)となった。

6月6日、15年ぶりとなるオリジナル13thアルバム『夏の轍』発売、オリコン44位。

10月、文化放送『セイ!ヤング』の復活版『セイ!ヤング21』の金曜パーソナリティーを務め、引き続き翌年から『甲斐よしひろのセイ!ヤング21』として放送開始。

 

 

2002年、初のDVD-BOX『KAI ROCKUMENT BOX』を発売(本DVD-BOXは東芝EMIから発表されているが、この年のみレコード会社をオーマガトキに移籍)。

そして、自身の活動を3期に区切ってセットリストを組んだ、シリーズライヴ『Series of Dreams Tour Vol.1-3』を2004年まで開催。
 

 

2003年、レコード会社をユニバーサルミュージックへ移籍。

10月22日、25年ぶりのソロカヴァーアルバム『翼あるもの2』発売。オリコン70位。

また、甲斐バンドのドラマー松藤英男とのユニット「松藤×甲斐」としても活動、アルバム1枚をリリースした。
 

 

2004年7月5日、甲斐バンドのギタリスト大森信和が死去。

8月25日、デビュー30周年記念トリビュートアルバム『グッド・フェローズ』発売。

9月8日、7年ぶりのオリジナル・7thソロアルバム『アタタカイ・ハート』も発表し、コンサート・ツアー『PARTY 30 KAI 30th ANNIVERSARY TOUR XXX』を開催(9月10日~10月11日、8会場8公演)。
11月6日、『PARTY 30 in 日本武道館』において、DA PUMP、大黒摩季、大友康平、山口智充、m.c.A・Tらゲスト・アーティストを迎え、デビュー30周年ツアーの最後を締め括った。

 

 

2005年、アコースティック・ライブ・ツアー『アコギなPARTY 30』を開催(2月25日 - 6月2日、17会場17公演)。
同年9月、クラシック・ライブ『Classic Kai』を大阪・名古屋・東京で開催。
 

 

2006年、『ROLLING CIRCUS REVUE KAI YOSHIHIRO TOUR 2006』開催(2月3日-3月10日、5会場13公演)。
同年5月、KAI DVD-BOX第二弾、『KAI DVD-BOXII』を発売。
同年8月19日、『ライジング・サン・ロックフェスティバル2006 in EZO』2日目に出演(甲斐よしひろ&ROLLING CIRCUS REVUE BAND名義)。SUN STAGE 17:30-18:30の回にて、10曲を披露。
同年秋、アコースティック・ライブ・ツアー『aco-gi na KILLER GIG 2006』を開催(9月16日 - 12月3日、15会場16公演)。
 

 

2007年、レコード会社を、日本クラウンへ移籍。

2月4日、『翼あるもの』シリーズとはコンセプトを変えた、4年ぶりのカヴァーアルバム『10 Stories』発売、オリコン39位。

アルバム・ツアー『20 STORIES TOUR 2007 SPRING・AUTUMN』を、春に7会場11公演、秋に9会場9公演と分けて開催。なおAUTUMNはアコースティックライヴ。
5月4日、10周年を迎えた「MUSIC DAY 2007 at SHIBUYA-AX」にて、メインステージで「甲斐よしひろ×押尾コータロー×井上堯之バンド」名義で一夜限りのコラボレーションライヴを行う。
12月12日、甲斐バンドのアルバム17タイトルの紙ジャケット復刻盤(EMIミュージックジャパン)発売を記念し、大森信和の死後初めて、スペシャルライヴイベントとして甲斐バンドを一夜限りで復活させる(品川プリンス ステラボール、なお、チケットは10分で完売)。
 

 

2008年2月20日、『10 Stories』続編となるカヴァーアルバム第二弾『TEN STORIES 2』を発表、オリコン40位。

4月よりアルバム・ツアー『Tour of "TEN STORIES 2" 2008』を7会場7公演開催。
11月、自伝『九州少年』をランダムハウス講談社より刊行(2006年2月14日-4月28日に西日本新聞にて連載されたものを加筆修正、新規原稿を加え再構成したもの)。
同年より翌2009年にかけて、甲斐バンドとしてツアーを施行。

 

 

2009年2月、日刊スポーツ出版社より、『画面の告白』(「日刊スポーツ」「週刊宝石」に連載されたテレビと映画に関するエッセイ集)発刊。
7月18日、「ap bank fes '09」初日に出演。桜井和寿およびBank Bandとステージ初共演し、“漂泊者(アウトロー)”、“翼あるもの”、“破れたハートを売り物に”、“HERO(ヒーローになる時、それは今)”の4曲を披露。
同年、甲斐バンドとしての活動を再開。

10月21日、バンドとしては8年ぶりのオリジナル・アルバム『目線を上げろ』を発表、オリコン24位。

甲斐バンドとしてコンサート・ツアーを開催。以降、ソロ活動と並行して活動。

 

 

2010年4月9~11日、デビュー35周年を迎えた甲斐バンドの「原点」ともいうべき照和でステージライヴを実施。

11月、KAI DVD-BOX第三弾、『KAI DVD-BOXIII』発売。

12月、同年4月の照和での歴史的なライヴの模様を収録した映画『照和 My Little Town / KAI BAND』が公開。同映画には当日のライヴ映像や「照和」出身アーティストのインタビュー等が収録された。


 

2011年5月、東日本大震災の被災者支援のためセルフカヴァーした“光あるうちに行け 2011”を配信。本楽曲の収益は、全額被災者支援のために、後述の2011年に開催されたツアーでの会場募金と合算して、計124万円を最終的に寄付した。
6・7月、ツインリードギター/キーボードレスという編成で組まれた、3年ぶりのソロ・ツアー「甲斐よしひろ 2011 愛のろくでなしツアー」を、11会場14公演で開催。会場限定で、ニューアルバム『ホームカミング』を先行発売。ただし緊急発売のため、先行盤には歌詞カードやジャケットが無く、またシークレットトラック曲も入っていない。
10月1日、『MUSIC CITY TENJIN 2011』(出演会場:ドコモステージ〔福岡市役所西側ふれあい広場〕)と、9日石巻専修大学大学祭『2011石鳳祭』に出演(どちらもアコースティック・ライヴで、田中一郎と松藤英男が参加。石鳳祭ではラスト曲に甲斐名都も登場した)。

10月5日、ソロアルバム『ホームカミング KAI BOOTLEG SERIES Vol.1』を発表。本作は、所属事務所内に設立された独自レーベル「bloom label」からの発売となった。
11月、3日東京・5日大阪で『ホームカミング』発売記念インストアイベントをタワーレコードで開催。
 

 

2012年2・3月、押尾コータローをゲストミュージシャンに迎え、6会場6公演の日程で、コンサート・ツアー『MY NAME IS KAI II 2012 "MEETS" 甲斐よしひろ×押尾コータロー』を開催。

3月31日には、『MY NAME IS KAI II Premium Night』と題して、福岡県飯塚市・嘉穂劇場にて、甲斐のみでプレミアムナイトを開催、ゲストミュージシャンに上綱克彦(Key)が参加。
4月23日放送のTBS系ドラマ『猫弁〜死体の身代金〜』において、自身初となる、ドラマ挿入歌の音楽監修を担当。
4月28日~5月6日、新国立劇場(中劇場)にて行われた「PLATINUM LIVE 2012」において、初日を甲斐が担当。「MY NAME IS KAI II Premium Night」と同じ形式で開催(ただしゲストに上綱に加え、チェロの結城貴弘が参加)。
6月、コンサート・ツアー『甲斐よしひろ 2012 愛のろくでなしツアー2』を4会場5公演で開催。
12月25日、「押尾コータロー クリスマス・スペシャルライブ2012」(会場:大阪・サンケイホールブリーゼ)にゲスト出演。

 

 

2013年、デビュー40周年EVEとしての甲斐バンドのリメイクベストアルバム発売とコンサートツアーを発表(2012年11月)。
4月7日、自身の還暦を記念してバースデイライヴ「ROLLING BIRTHDAY 60」をTOKYO DOME CITY HALL(旧:JCBホール)にて、甲斐バンドとして開催。
9月28日~11月30日、2012年に開催され好評だった「MY NAME IS KAI II 2012 "MEETS" 甲斐よしひろ×押尾コータロー」のアンコールツアーとして、再び押尾コータローをゲストミュージシャンに迎え、14カ所15公演(追加公演含む)にて『MY NAME IS KAI III 2013 "MEETS AGAIN" 甲斐よしひろ×押尾コータロー』を開催。また11月27日には、追加で『MY NAME IS KAI III 2013 "MEETS AGAIN" SPECIAL at Billboard Live TOKYO 甲斐よしひろ×押尾コータロー』を2回公演(18:30~と21:30~)に分けて開催する。
 

 

2014年、デビュー40周年。甲斐バンドとしての活動を中心に、40周年を記念したKAI DVD-BOXシリーズ第4弾『KAI 40年 KAI DVD-BOX IV』を発表。
10月、テレビ東京系『新・刑事吉永誠一』の主題歌に甲斐バンドの新曲“Blood in the Street”が起用され、友人で甲斐バンドのファンでもある主演俳優、船越英一郎や同局からのオファーにより、第2話に出演。61歳にして俳優デビューを果たす。

 

 

2015年、「ビルボードライブ2015 EAST&WEST」と題して5月8・9日・6月1日OSAKA、5月15・16・19日TOKYOにて、それぞれ1日2回公演を開催。
10月10日~25日、「甲斐よしひろ 2015 愛のろくでなしツアー3」を4会場4公演で『開催。なお別枠で「コンサート in 倉吉」と題し10月23日に鳥取県・倉吉未来中心大ホールにて公演、さらに追加公演として10月29日、東京キネマ倶楽部でのライヴを行う。

 

 

2016年5・6月、「Billboard LIVE 2016 EAST FROM WEST」ツアー開催。
6月29日、8枚組BOX SET・KAI BAND&KAI YOSHIHIRO『THE NEW YORK BOX』がユニバーサルミュージックより発売。
10月1日-11月26日、全国10会場10公演にて「MY NAME IS KAI Ⅳ 2016 “MEETS RETURNS”甲斐よしひろ×押尾コータロー」を開催予定。

 

 

2022年4月27日、甲斐よしひろのソロ活動35周年を記念したベスト・アルバム『FLASH BACK 【KAI THE BEST 35th】』をユニバーサル ミュージックから発売。ソロ・ワークに加えて、KAI FIVE時代の楽曲も網羅したベスト選曲16曲のディスク1と、シンガー甲斐の魅力を堪能できるカヴァー選曲16曲+2のディスク2による2枚組。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「甲斐よしひろ」「甲斐バンド」「KAI FIVE」