石橋 凌(いしばし りょう/本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)/1956年7月20日~)は、

日本の俳優、ミュージシャン、歌手。

 

 

福岡県久留米市出身

5人兄弟の五男として生まれ、兄に影響されて中学の頃から

ジョン・レノンやビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランを好んで聴いた。

中学1年生で父が他界し、高校2年生で音楽家志望を決意した。

福岡県立久留米高等学校を卒業。

 

九州朝日放送(KBC)の音楽番組のディレクター岸川均に

「東京でARBというバンドのヴォーカルを探している。オーディションを受けてみないか」

と声をかけられる。

 

ARBは、田中一郎(G)、宮城伸一郎(B)、エンマ(Key)、KEITH(Ds)の4人で1977年に結成。

ヴォーカリストを探していたバンドは、ラジオパーソナリティからの紹介や、

甲斐よしひろの薦めなどもあり、オーディションにより石橋を選び、メンバー5人が揃う。

バンド名「ARB」は、「Alexander Ragtime Band」(1911年アーヴィング・バーリン作詞作曲の

ヒット曲“Alexander's Ragtime Band”からの引用)のイニシャルを取ったもの。

当初は「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」とも名乗っていたが、

3枚目のアルバム『BOYS&GIRLS』発売時より、「ARB」を正式名称とすることになった。

 

デビュー前、後楽園球場でのピンク・レディーのコンサートにおいて前座を務めた際、

白の囚人服を着て登場したところ、ビクターエンタテインメント関係者の目にとまり、

レコード会社が決まった。

しかし、所属事務所のシンコーミュージックは、ARBをベイ・シティ・ローラーズのような、

いわゆるアイドルグループとして売り出そうとしていた。

1978年10月、ARBとしてシングル“野良犬”でデビュー。

1979年6月21日に1stアルバム『A.R.B.』発表後、純粋にロックをやりたいバンド側と

事務所側の溝はさらに広がり、デビューから1年足らずでシンコーミュージックから独立する。

 

その際、ベースの宮城とキーボードのエンマが脱退。

独立後、ベース不在のまま、シングル“魂こがして”をリリース。ベースは田中が弾いている。

 

同年、石井輝男監督作品『暴力戦士』で石橋がスクリーンデビュー。

 

1980年5月21日、ベースにサンジ(野中良浩)を迎え、2ndアルバム『BAD NEWS』を発表。

前作よりもギターサウンドを前面に打ち出したアルバムとなった。

新宿ロフトなどのライブハウスをメインに活動、ライブバンドとして知れわたる。

 

1980年代に入るとARBは「めんたいロック」の第二世代として注目を浴びる。

戦争や労働者、社会の在り方などを主題においた曲を数多く発表したのが特徴であり、

社会派バンドとも呼ばれた。

なお、労働に関する曲は「Work Song」と呼ばれ、ARBの代名詞のひとつとなっている。

 

1981年3月21日、3rdアルバム『BOYS & GIRLS』発表後、ドラムのKEITHが倒れ、

入院することになったが、4thアルバムの『指を鳴らせ!/Snap Your Fingers』の発売が

すでに決まっていたため、やむをえずサポートのドラマーを起用して製作が行われた。

そのため、アルバムのクレジット表記では「KEITH(IN THE HOSPITAL)」となっている。

 

1981年11月21日、4thアルバム『指を鳴らせ!/Snap Your Fingers』,、

1982年6月21日、5thアルバム『W』、

1983年4月21日、6thアルバム『トラブル中毒』をリリース。

田中一郎とサンジ(野中良浩)が参加した最後のオリジナルアルバムとなった。

 

 

 

 

 

1983年、バンドのリーダーのギタリスト田中一郎がツアー中に突然の脱退。

その後、ツアーにサポートとして参加していた元BOWWOWの斉藤光浩が正式加入する。

斉藤の加入により、田中時代のギターバンド路線を踏襲しつつも、

若干ポップな楽曲が発表されるようになった。

しかし、ギター交代の束の間、不祥事によりベースのサンジを解雇することになる。

その際、KEITHの親友であるストラングラーズ(The Stranglers)の

ジャン=ジャック・バーネルが急遽来日し、ベーシストとして一時参加した。

1984年9月21日リリースの7thアルバム『YELLOW BLOOD』にも

“ONE WAY TRIP”と“戦いぬくんだ! (FIGHT IT OUT)”の2曲に参加している。

その後、オーディションにより岡部滋が正式にベーシストとして加入した。

 

石橋はARBの知名度を上げるため、親交のあった俳優・松田優作が監督・主演の映画

『ア・ホーマンス』(原作:狩撫麻礼、作画:たなか亜希夫/1986年10月10日公開)に出演した。同作では石橋とともに、ヒットマンの一人を演じた寺島進が映画デビューしている。

石橋は演技が映画業界で認められ、第60回『キネマ旬報』最優秀新人賞、

くまもと映画祭最優秀新人賞を受賞。

以後のARBは石橋の俳優活動と並行した活動になる。

この映画の主題歌として、1985年10月3日リリースの8thアルバム『砂丘1945年』に

収録されている“AFTER '45”が使用された。

 

1986年、斉藤が脱退し、白浜久が加入。

白浜の加入により、それまでの田中〜斉藤時代の方向性とは大きく異なり、

必ずしもギターを軸としない楽曲、打ち込みを多用した楽曲が発表されるようになる。

ライヴでも、白浜加入後の楽曲はもちろん、過去の楽曲にも打ち込み要素を加えた

アレンジをして演奏していた(「Give me a chance」「BLUE COLOR DANCER」など)。

同年11月21日、9thアルバム『ONE and ONLY DREAMs』リリース。

 

1987年6月21日、打ち込み多用の集大成的な10thアルバム『ROCK OVER JAPAN』を発表。

このアルバム発表後に、岡部が脱退。シーナ&ロケッツのベーシスト浅田孟が加入。

浅田が加入したころになると、バンドは再びバンドサウンドを基調とした活動に戻っていった。また、シングル“SWEAT, HEART & BRAIN”のカップリングとして、

田中時代の楽曲“BAD NEWS”、“DO IT! BOY”のアレンジ版がリリースされ、

他の過去の楽曲についてもライヴで、コード進行の変更など

大胆なアレンジを積極的に行っていた。

 

1988年、デビュー10周年にして初の日本武道館ライブを敢行。

 

1989年11月8日、初の海外レコーディングを豪で行った12thアルバム『SYMPATHY』を発表。本作に収録の“MURDER GAME”は歌詞の内容が宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に酷似しているとNHKから指摘があったため、放送禁止になった。

 

同年、石橋は崔洋一監督作品『Aサインデイズ』サチオ役の演技が評価され、

ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞。

 

1990年、松田優作の急逝を受けて石橋が俳優転向宣言。これによりARBは活動停止。

ラストツアーとなる「THE LONGEST TOUR」では、縁のあるミュージシャンを

ゲストとして多数呼び、敢行された。

ツアー最終日の最後に演奏された曲は“明日へのBOOGIE”であった。

10月27日、2万人を集めた国立代々木第一体育館での公演と

同日深夜の『オールナイトフジ』への出演をもってARBは解散。

 

ARB解散後、石橋は1993年『ヤクザvsマフィア』(日米合作)、1994年『刺青 IREZUMI』(米)、

1996年『LAマフィア戦争 大殺戮』(日米合作)等のビデオ作品で海外との接点を持ち、

1995年に製作された、ジャック・ニコルソン主演のアメリカ映画『クロッシング・ガード』で

「ジェフリー」役によりハリウッドデビュー。

アメリカ合衆国の俳優組合であるSCREEN ACTERS GUILDに加入する。

 

1996年、北野武監督『キッズリターン』にて第18回ヨコハマ映画祭 助演男優賞を受賞。

 

1997年、新宿ロフトでARB復活を果たす。

石橋、KEITHに加えて、新メンバーとして元SUPER BAD、元MUTE BEATの内藤幸也(G)と

元ユニコーンのEBI(B)が加入。

1998年3月21日、復活後初となる13thアルバム『REAL LIFE』発表。

セールス10 万枚を超える。

 

1999年、武道館ライブを行う。

同年8月18日、14thアルバム『EL DORADO』発表。

 

2001年6月13日、15thアルバム『HARD-BOILED CITY』発表。

歌詞の一部がレコード制作基準倫理委員会に引っかかり、リリースを一度延期し、

歌詞を変えたうえでの発売となった。ライブでは元の歌詞で歌われている。

 

2002年、石橋初のソロ・シングル“カクテル☆トゥナイト”発表。

カップリング“12の頃”で父の死について歌う。

 

同年、ブッシュ政権のイラクへの宣戦布告を受けて、石橋はシングル“忘れてはイケナイ物語り”を発表。カップリングとしてARB名義の楽曲“HEY! WAR”と“ボート・ピープル”を収録した。

同年、映画『AIKI』に出演、車椅子に乗ったまま武術の修業をする主人公の青年の師匠

「平石正嗣」役を好演し、第12回日本映画批評家大賞 最優秀助演男優賞、

第17回高崎映画祭最優秀助演男優賞、第27回報知映画賞助演男優賞を受賞。

 

2003年、ARBデビュー25周年ツアーを実施。

同年12月17日、16thアルバム『KAZA-BANA』を発表。

長くビクター系列とのリリース契約が続いていたが本作はM&I COMPANYから発表となった。

 

2005年、東北楽天ゴールデンイーグルスの公認応援歌“荒鷲のうた”を発表。

 

2006年3月1日、ファンへ最後のメッセージ「一生歌っていきます。魂こがして」と残し、

石橋はA.R.B を脱退、これにより活動停止。

 

因みに、石橋はARB解散と言っているが、KEITHら他のメンバーは活動休止と表現している。

なお、ARBデビュー40周年の節目となる2018年、10月25日に新宿ロフトにて、

「ARB SONGS ALL TIME BEST」開催。ドラム・キース、初代ギタリスト・田中一郎、

2代目ギタリスト・斉藤光浩、4代目ギタリスト・内藤幸也、6代目ベーシスト・EBIが参加したが、石橋の参加は伝えられていない。

 

この後、石橋は俳優として幅を広げてゆき、映画やテレビドラマなどに出演を続け、

2010年には、「織田信長」を演じた『武田信玄』以来22年ぶりに

NHK大河ドラマ『龍馬伝』に出演。「朝比奈昌広」役を好演した。

 

2011年、石橋はソロとして音楽活動を再開。

同年12月7日、キャリア初のソロアルバム『表現者』をリリース。

ARB時代の名曲“AFTER’45”の再演にはゲストとして福山雅治がギターとコーラスで参加。

 

2015年1月28日、元ルースターズの池畑潤二(Ds)、RCサクセションのサポートで名高い

梅津和時(Sax)らを迎えて製作したミニアルバム『Neo Retro Music』をリリース。

 

2017年7月19日、6年ぶりのオリジナル・アルバム『may Burn!』をリリース。

 

2018年11月21日、デヴュー40周年を記念し、アナログレコード『粋る』をリリース。

 

2019年3月から、デヴュー40周年を記念して全国8カ所のライブツアー

『石橋凌 Debut 40th Anniversary Tour“淋しい街から”』を催行した。

ツアーファイナルは石橋凌の生まれ故郷である久留米。

その4月20日久留米シティープラザ大ホールで行われたライブを完全収録したBlu-ray & DVDを12月27日にツアーと同じ『石橋凌 Debut 40th Anniversary Tour“淋しい街から”』で発売。

 

2020年には、SUB監督作品『ダンシング・マリー』に出演。

シッチェス・カタロニア国際映画祭2019でワールドプレミア上映が行われた

同作品の公開が待たれる。

 

 

 

しかし、俳優も、ソロ・シンガーもいいが、やはり凌には

KEITHのタイコに合わせて歌う姿が一番似合ってる。

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「石橋凌」「ARB(バンド)」

石橋凌公式サイト