細川 たかし(ほそかわ たかし/本名:細川 貴志[読み同じ]/1950年6月15日~)は、日本の歌手。




1950年6月15日、細川貴志は、北海道虻田郡真狩村字桜川(あぶたぐん、まっかりむら、あざ、さくらがわ)にて、父:松次郎、母:ヨミの第5子(兄1姉3)として生まれる。家業は農業で主にジャガイモの生産であったが、郷里は今でも冬になると3mを越す雪が降る厳しい環境である。

 

1957年4月、真狩村立知来別(ちらいべつ)小学校に入学。学校は生家から近く、僅か300m程しか離れていない。

少年時代、井沢八郎のヒット曲“北海の満月”を聴いて歌手を志す。

 

1963年3月、知来別小学校を卒業、卒業生は13名だった。

4月、真狩村立真狩中学校に入学。小学校時代から一転、中学では学校まで5kmの道のりを毎日歩いて通う生活が始まる。

中学生時代、同級生とバンドを結成。

 

1966年3月、真狩中学校を卒業。卒業アルバムには大好きな曲“北海の満月”(作詞:松井由利夫/作曲:大澤浄二)から「北海の心 満月の姿 演歌!! 細川貴志」と書いた。後に“北海の満月”の作詞&作曲コンビで“満天の舟歌”を歌っている。

4月、両親の反対を押し切って札幌に上京、自動車工場に住み込みで働く。

1967年、工員と掛け持ちでバンドボーイを始める。

その後、工場を辞め、昼間はヘルスセンター(今の健康ランド)の仕事も始める。歌や司会、マイクやスタンドの出し入れ、演出に至るまでするようになった。

この頃、ヘルスセンターで当時流行っていた民謡を耳にし、自然と覚える。

 

やがてナイトクラブで歌うようになり、札幌・すすきののクラブを中心に歌手活動を行う。当時、雰囲気が森進一に似ていたことから「札幌の森進一」と呼ばれていた。

札幌で一番忙しいナイトクラブ歌手と言われた細川に東京の芸能プロダクションが着目し、メジャー・デビューを勧める。この時細川に声をかけたのが、バーニングプロダクションの周防郁雄(すほういくお)社長であった。

 

 

1974年、下積み時代に知り合った2歳上の女性と結婚。

妻に背中を押され「1年で売れなかったら戻る」と約束し単身上京、10曲程をレコーディングした。その中で最も出来の良かった“心のこり”でのデビューが決まる。

 

 

1975年4月1日、シングル“心のこり”(作詞:なかにし礼/作曲:中村泰士)で日本コロムビアから「細川たかし」名で歌手デビュー。伸びやかな高音と民謡で鍛えられた肺活量で迫力を持った歌声は高い評価を受け、第6回日本歌謡大賞で放送音楽新人賞、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞など、同年の音楽新人賞を多数受賞。1位〜10位のすべてにランクされるという記録を樹立し、80万枚を売り上げ大ヒットした。なおデビュー曲“心のこり”は、当初「私バカよね」というタイトルとなる予定だった。だがデビュー曲であったために所属するレコード会社が挨拶まわりをする際に「このたび『私バカよね』でデビューすることになりました細川たかしです」と言うのはマズいとのことで“心のこり”に改題されたという。

 

同年の音楽新人賞争いは、岩崎宏美の“ロマンス”と激しい一騎討ちとなり、当時話題を集めた。

12月31日、『第26回NHK紅白歌合戦』に初出場、白組のトップバッターを務め、“心のこり”を歌唱した。


“心のこり”以降は長い間大きなヒットが出なかった。しかしながら、ヒットが出ないとはいえ当時、1作数十万枚の売れ行きがあったという。

また、この頃に三橋美智也と出会い民謡も極め、三橋流「三橋美智貴」の名も拝命。 “津軽山唄”に至っては、60歳を超えた現在でも、未だ変わらぬ凄まじい高音でのパフォーマンスを披露している。

 

 

1976年5月1日、4thシングル“六つの星”(作詞:能丸武/作曲:中山大三郎/編曲:高田弘)を発売。プロ野球のセントラル・リーグが発足25周年を迎えた記念事業として企画され、細川をメイン・ヴォーカルに、セ・リーグ参加各チームから主力選手1名ずつ(読売ジャイアンツ:王貞治/ヤクルトスワローズ:松岡弘/大洋ホエールズ:平松政次/中日ドラゴンズ:星野仙一/阪神タイガース:田淵幸一/広島東洋カープ:山本浩二)がバックコーラスを務めた。オリコン53位。

 

 

1981年春、TBSテレビの生放送番組『8時だよ!全員集合』で本番中のコントで熱演の余りアキレス腱を切断するケガを負い、60日程の長期入院を余儀なくされた。

入院で仕事量が激減した細川は、復帰後初仕事でテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!』にゲスト出演した際、自分の出番が終了後もなかなか帰ろうとせず「テレビに出られるって、いいなあ」と感慨深げに話していた。それを見た萩本欽一が細川に「よかったら、来週も来ない?」と声を掛けたのがきっかけとなり、以降レギュラーとして同番組に出演、「勝手に来てひとしきりうんちくを語った後、歌を歌って帰る」役を演じ、欽ちゃんファミリーの一員として人気を博した。なお、細川が歌った歌は初めは題名が無かったが、後に“北酒場”の題名を付けられ大ヒットする。

また日本テレビの『カックラキン大放送!!』にもよく出演したが、何故か自転車に乗ったお巡りさんの役ばかりだった。

 

 

1982年3月1日、18thシングル“北酒場”(作詞:なかにし礼/作曲:中村泰士)を発表。オリコンで週間ランキング最高3位、1982年度年間5位に入り、デビュー曲“心のこり”以来7年ぶりの大ヒットとなった。本作で第24回日本レコード大賞を初受賞。

 

12月31日、『第33回NHK紅白歌合戦』に8年連続8回目の出場し、“北酒場”を歌唱。



1983年2月21日、ちあきなおみが1976年に発表した“矢切の渡し”(作詞:石本美由起/作曲:船村徹)のカヴァーを19thシングルとして発売。オリコンで週間1位・1983年度年間2位の大ヒットとなり、第25回日本レコード大賞を受賞。レコ大大賞受賞の翌年は売れないというジンクスを打ち破り、史上初の2連覇を果たした。

 

12月31日、『第34回NHK紅白歌合戦』に9年連続9回目の出場、自身初の大トリで“矢切の渡し”を歌唱した。

 

 

1984年4月1日、21stシングル“ビクトリー”(作詞:能丸武/作曲:中山大三郎/編曲:高田弘)を発売。プロ野球・セントラル・リーグ賛歌。

 

6月1日、23rdシングル“星屑の街”(作詞:売野雅勇/作・編曲:鈴木慶一)を発売。サントリー「缶ビール」CMソング。

 

8月21日、24thシングル“浪花節だよ人生は”(作詞:藤田まさと/作曲:四方章人)を発表。第26回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。これにより、1975年第17回日本レコード大賞最優秀新人賞“心のこり”、1982年第24回日本レコード大賞“北坂場”・1983年第25回日本レコード大賞“矢切の渡し”、本年第26回日本レコード大賞最優秀歌唱賞“浪花節だよ人生は”と、日本レコード大賞3冠達成となる。なお、日本歌謡大賞で細川は、大賞を一度も獲得できなかった。1982年は岩崎宏美“聖母たちのララバイ”、1983年は田原俊彦“さらば‥夏”と、細川が日本レコード大賞を連覇した時期、規定によりレコ大にエントリーできない楽曲が歌謡大賞を受賞している。

 


1985年8月21日、27thシングル“望郷じょんから”(作詞:里村龍一/作曲:浜圭介/編曲:桜庭伸幸)を発売。

 

同年、郷里の真狩村に「細川たかしを讃える碑」が建立。

 

 

1986年8月21日、29thシングル“さだめ川”(作詞:石本美由起/作曲:船村徹/編曲:京建輔)を発売、オリコン33位。

 

 

1987年3月21日、30thシングル“夢暦”(作詞:里村龍一/作曲:聖川湧/編曲:京建輔)を発売。

 

 

1988年2月1日、31thシングル“北緯五十度”(作詞:中山大三郎/作曲:望月吾郎/編曲:斉藤恒夫)を発売。

 

3月21日、32ndシングル“正調 おそ松節”(作詞:秋元康/作曲:見岳章/編曲:竜崎孝路)/“おそ松くん音頭”(作詞:森雪之丞/作曲:中山大三郎/編曲:竜崎孝路)を発売。テレビアニメ『おそ松くん』OP/EDテーマ。

 

 

 

1989年8月10日、34thシングル"北国へ"(作詞:秋元康/作曲:高橋研/編曲:竜崎孝路)を発売。

 

 

1990年9月21日、36thシングル“うかれ節”(作詞:なかにし礼/作曲:杉本真人/編曲:馬飼野俊一)を発売。

 

 

1991年5月1日、38thシングル“応援歌、いきます”(作詞:糸井重里/作・編曲:岩崎元是)を発売。キリンビール「ドラフト」CMソング。

 

12月1日、39th佐渡のシングル“佐渡の恋唄”(作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:山田年秋)を発売。

 

 

1992年6月21日、40thシングル“レッツ オンド アゲイン”(作詞:大瀧詠一/作曲:K.Mann・D.Appell/編曲:井上鑑)を発売。NTT「サンクスフェア」CMソング。

 

 

1993年9月21日、42ndシングル“人生希望と辛抱だ”(作詞:大塚正士/作・編曲:馬飼野俊一)を発売。大鵬薬品「ソルマック」CMソング。

 

 

1994年には「細川たかし記念像」(別名「歌う銅像」)が建てられる。

11月21日、45thシングル“ヘドラーの山”(作詞・作曲・編曲:林哲司)を発売。NHK『みんなのうた』挿入歌。

 

 

1995年、『第46回NHK紅白歌合戦』に21年連続21回目の出場、2度目の大トリとして“望郷じょんから”(2回目)を歌唱した。

 

 

1996年8月21日、48thシングル“女のしぐれ”(作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:佐伯亮)を発売。

 

 

1997年8月21日、49thシングル“冬の宿”(作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:佐伯亮)を発売。

 

 

2001年8月18日、56thシングル“北の五番町”(作詞:二宮康/作曲:弦哲也/編曲:馬飼野俊一)を発売。

 

 

2004年8月25日、62thシングル“下北漁歌”(作詞:松井由利夫/作曲:聖川湧/編曲:石倉重信)を発売。

 

 

2006年12月31日、『第57回NHK紅白歌合戦』に32回連続32回目の出場を果たし、“浪花節だよ人生は”(3回目)を歌唱。紅白連続出場記録歴代5位を達成した。

 

 

2007年3月21日、66thシングル“満天の船歌”(作詞:松井由利夫/作曲:大沢浄二/編曲:南郷達也)を発売。歌の道を志すきっかけとなった“北海の満月”と同じ作詞家・作曲家コンビによる作品。

 

、出資法違反容疑で警視庁から家宅捜索を受けたエル・アンド・ジーが円天の顧客獲得のために開いた会員向けコンサートの仕事を約50回にわたって引き受け、多額の出演料を得ていたことが発覚した。他にも多くの歌手を紹介し、彼らの出演料の一部(およそ4割といわれている)を紹介料としてピンハネしていた疑惑も判明。その結果、「多大なる心配を掛けた」ことを理由に年末の『第58回NHK紅白歌合戦』への出場を辞退。これにより連続出場記録は32回でストップした。
その後、円天被害者弁護団から「宣伝に関与した責任がある」として上級幹部会員1名及び大学教授とともに損害賠償請求訴訟を起こされている(棄却)。


2008年4月15日放送の『大御所ジャパン!』で、若手演歌歌手に対して「ジェロに負けるな!」と言い、ジェロの服装について「あの格好は止めて欲しい」と苦言を呈した。しかし、共演者で同じ演歌歌手の藤あや子は「見た目格好いい方が良いじゃないですか」と擁護した。

7月1日、ベストアルバム『細川たかし』を発売。

9月中旬に指定暴力団山口組系後藤組組長とのゴルフコンペに参加したことが判明、NHK番組出演が見送られ、第59回紅白に不選出、2年連続紅白に出場できなかった。

同年、山形・銀山温泉歌碑建立 (恋宿り~銀山夜景~)。

 

 

2009年6月24日、68thシングル“櫻の花の散るごとく”(作詞:たかたかし/作曲:弦哲也/編曲:前田俊明)を発売。1999年『第50回NHK紅白歌合戦』歌唱曲。    

 

12月31日、『第60回NHK紅白歌合戦』に3年ぶり33回目の出場、“望郷じょんから”(4回目)を歌唱した。

 

 

2010年2月3日、三十五周年記念曲“北の男歌”(作詞:柚木由柚/作曲:桜田誠一/編曲:伊戸のりお)を69thシングルとして発売。

 

 

2011年6月22日、71stシングル“ねぶた”(作詞:なかにし礼/作曲:浜圭介/編曲:若草恵)を発売。

 

 

2013年1月23日、73rdシングル“屋久島”(作詞:おのりく/作・編曲:井上慎二郎)を発売。

 

 

2015年11月18日、ベスト・アルバム『細川たかし全曲集2015』を発売。ベストアルバムは曲を若干入れ替え毎年のようにリリースされている。いずれも主要なヒット曲は収録されているが、ここ数年以降で細川は以前とイメージが大きく異なるため、本稿では扉に掲示するのにふさわしい写真として、全盛期の面影も残す写真を使用した本作を選出した。

 

12月31日、『第66回NHK紅白歌合戦』に7年連続39回目の出場、“心のこり”(2回目)を歌唱した。

 

 

2016年の第67回に出場すれば紅白40回出場の節目になるはずだったが、細川は11月21日に「(紅白も)世代交代が必要」として後身に道を譲るべく、同年の第67回の出場を辞退、2015年限りで紅白歌合戦から卒業(勇退)する意向を表明した。

 

 

2018年10月24日、弟子の杜このみとのデュエット・シングル“新・応援歌、いきます”(作詞:糸井重里/作曲:岩崎元是/編曲:野中"まさ"雄)を発売。

 

11月、最初の妻が死去。

 

 

2019年2月20日、北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン「One Hokkaido Project」のキャンペーンソング“私たちの道”(作詞:なかにし礼/作曲:蔦谷好位置)がデジタル配信スタート。大黒摩季、m.c.A・T、福原みほなどといったポップス系ミュージシャンや俳優、アスリートなど北海道出身の著名人らとともに参加、同曲を歌唱した。同年3月6日にはCDシングルも発売された。

 

6月19日、ベスト・アルバム『ツイン・パック細川たかし』を発売。CD2枚組全32曲を収録。同一タイトルのベスト盤が2013・2016年にも発売されているが、2019年発売の本品が32曲と収録曲が最も多い。

 

 

 

2020年1月1日、NHK総合テレビジョン『NHKバーチャル紅白歌合戦』に出演。

4月22日、81stシングル“2020 イヨマンテの夜”(作詞:菊田一夫/作曲:古関裕而/編曲:西村真吾)を発売。カップリングは2002年『第53回NHK紅白歌合戦』歌唱曲の民謡"津軽山唄"(青森県民謡/編曲:佐伯亮)。

 

 

 

2021年7月14日、82ndシングル“風雪よされ”(作詞:冬木夏樹/作曲:増田空人/編曲:伊戸のりお)を発売。

 

12月31日、『第72回NHK紅白歌合戦』に6年振り40回目の出場、対戦相手なしの特別企画として、“望郷じょんから”(5回目)、“北酒場”(3回目)を披露した。

 

 

2022年7月1日、配信限定シングル“Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ”をリリース。

 

7月20日、83rdシングル“能登の女”(作詞:石原信一/作曲:浜圭介/編曲:西村真吾)を発売。

 

 

2023年7月19日、84thシングル“残雪・津軽”(作詞:都丸悠/作曲:増田空人/編曲:西村真吾)を発売。

 

近年は、大のハローキティ好き、いわゆる「キティラー」としてテレビ等に登場することがある。元々は少年隊の植草克秀にキティグッズをプレゼントされたのがきっかけであったが、今や自らの座長公演の際には楽屋にキティ柄の寝具一式を持ち込む程ハマり、自身とコラボしたキティハンカチを特注したこともあるという。

 


2024年1月10日、約4年前の2020年1月から交際していた一般女性と前年2023年6月に再婚していたことが明らかになった。

5月22日、配信シングルとして“男船”を先行リリース。

7月3日、85thシングル“男船”(作詞 : 都丸悠/作曲 : 増田空人/編曲 : 西村真吾)を発売予定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「細川たかし」

 

 

 

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