エディ・レヴァート(Eddie Levert/出生名:Edward Willis Levert/1942年6月16日~) は、アメリカ合衆国の歌手。「オージェイズ」のリード・ヴォーカリストとして最も有名。また、「レヴァート」のジェラルド・レヴァート (1966–2006年) とシーン・レヴァート (1968–2008年) の父としても知られている。

 

 

 

1942年6月16日、エドワード・ウィリス・レヴァートは、アメリカ合衆国アラバマ州ベッセマー(Bessemer, Alabama)で生まれた。

 

6歳の時、オハイオ州カントン(Canton, Ohio)に引っ越し、そこで育った。

彼は教会に定期的に通い、やがて教会の聖歌隊に参加した。

 

レヴァートは10代になっても歌い続け、教会の聖歌隊で認められる声を持つようになり、学校の演劇で歌い、ゴスペルのラジオ番組で定期的に演奏した。


1958年、カントン・マッキンリー高校に通っていたクラスメートのウォルター・ウィリアムズ、ウィリアム・パウエル、ボビー・マッセイ、ビル・アイルズと「トライアンフス」(The Triumphs)というグループを結成。トライアンフスは地元カントンで様々なバンドの前座を務め、「ソックホップ」を演奏した。

 

その後彼らはシンシナティに行き、キング・レコードの社長シド・ネイサンによりバンド名を「ザ・マスコット」(The Mascots)に変更され、彼のレーベルと契約した。

※ザ・トライアンフスとザ・マスコット、ザ・オージェイズと変遷したグループ名について、それぞれの変更年と変更順は資料により異なり、現時点では確認できず。

 

 

1961年、“ミラクルズ”(Miracles)のレコーディングを開始し、クリーブランド地域でそこそこヒットした。

 

 

1960年代初頭、メンバーのフランク・「フランキー」・リトル・ジュニアがギタリスト兼ソングライターとしてグループに加入。彼はリード歌手のエディ・レヴァートと共演し、1964年の“Do the Jerk”(フランク・ポークが録音)、1964年の“Oh, How You Hurt Me”、1966年の“Pretty Words”など、グループの曲作りに貢献した。また、1962年の“Down at the Corner”ではヴォーカルとしてクレジットされている。

 

 

その後、ザ・マスコットの人気は高まり、グループの音楽はクリーブランドのラジオ局で放送された。

 

 

1963年、彼らはクリーブランド・ラジオ局のDJであるエディ・オジェイ(Eddie O'Jay)に敬意を表し、「ザ・オージェイズ」(The O'Jays')というグループ名を使い始めた。エディ・オジェイは、フランキー・クロッカー、ハーブ・ハムレット、オジェイの強力なマネージメントチームの一員であった。

同年、ザ・オージェイズは“ロンリー・ドリフター”(Lonely Drifte)という曲をリリース、米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)に初めてランク・インし、93位まで上昇した。

 

 

1965年、ザ・オージェイズはデビュー・アルバム『Comin' Through』をImperialからリリース。

同年、"Lipstick Traces (On a Cigarette)"をリリース、全米48位・『ビルボード』誌「R&B Songs」チャート(以下「R&B」)28位・カナダ19位をマークした。

 

 

1966年にジェラルド・レヴァート、1968年にはシーン・レヴァートと、続けて息子が生まれ、エディは父親になった。

 

 

1967年、アルバム『Soul Sounds』をMinitからリリース。

 

 

1968年、アルバム『Back on Top』をBellからリリース。ここからは、 "I'll Be Sweeter Tomorrow (Than I Was Today)"が全米66位・R&B8位をマーク、初めてシングル・チャートでトップ10入りした。

 


1969年、ザ・オージェイズはフィラデルフィア・インターナショナル(Philadelphia International)・レコードと契約し、新しいレーベルでレコードをリリースし始めた。

 

 

1970年、アルバム『In Philadelphia』をNeptuneからリリース、全米156位・R&B37位を記録。ここからは、"Deeper (In Love with You)"が全米64位・R&B21位、"Looky Looky (Look at Me Girl)"が全米98位・R&B17位に入った。

 

 

 

1971年、アルバム『Super Bad』をTripからリリース。

 

 

1972年、アルバム『Back Stabbers』をフィラデルフィア・インターナショナルから発売、全米10位と初めて全米アルバム・チャートのトップ10入りを達成、R&B3位・RIAAゴールドを獲得。ここからは、"ラヴ・トレイン"(Love Train)が全米1位・R&B1位・9位・全英RIAA・ゴールド・BPIゴールドと念願の全米シングル・ナンバー1を獲得した。また、日本では“裏切り者のテーマ”の邦題で知られる"Back Stabbers"が全米3位・R&B1位・全英14位・RIAAゴールド、"Time to Get Down"が全米33位・R&B2位・全英51位、"992 Arguments"が全米57位・R&B13位をマークした。

 

 

 

 

 

 

1973年、アルバム『Ship Ahoy』をリリース、全米11位・R&B1位・RIAAプラチナを獲得。ここからは、"Put Your Hands Together"が全米10位・R&B2位、"For the Love of Money"が全米9位・R&B3位・全英52位・RIAAゴールドを獲得、"Now That We Found Love"が全英55位を記録した。

 

 

 

 

 

1974年、ライヴ・アルバム『The O'Jays Live in London』をリリース、全米17位・R&B2位・RIAAゴールドを獲得。

 

 

1975年、アルバム『Survival』をリリース、全米11位・R&B1位・RIAAゴールドを獲得。ここからは、"Give the People What They Want"が全英45位・R&B1位をマークした。

 

同年、アルバム『Family Reunion』をリリース、全米7位・R&B1位・RIAAプラチナを獲得。ここからは、"I Love Music (Part I)"が全米5位・R&B1位・米ダンス・チャート1位・全英13位・RIAAゴールドを獲得、"Livin' for the Weekend"が全米20位・R&B1位・全英52位を記録した。

 

 

 

 

1976年、アルバム『Message in the Music』をリリース、全米20位・R&B3位・RIAAゴールド認定を獲得。ここからは、タイトル・トラック"Message in Our Music"が全米49位・R&B1位・米ダンス38位・全英54位、"Darlin' Darlin' Baby (Sweet, Tender, Love)"が全米72位・R&B1位・全英24位を記録した。

 

 

※掲出のアルバムは、『Message in the Music』と『Travelin' at the Speed of Thought』のカプリング。

 

 

1977年、アルバム『Travelin' at the Speed of Thought』をリリース、全米27位・R&B6位・RIAAゴールドを獲得。ここからは、"Work on Me"がR&B7位に入った。

 

同年、Philadelphia International All Starsの一員として、『Let's Clean Up the Ghetto』に参加、ここからタイトル・トラック"Let's Clean Up the Ghetto"が全米91位・R&B4位・米ダンス26位・全英34位をマークした。

 

 

1978年、アルバム『So Full of Love』をリリース、全米6位・R&B1位・RIAAプラチナ認定を獲得。ここからは、"Use ta Be My Girl"が全米4位・R&B1位・全英12位・ RIAAゴールドを獲得、"Brandy"が全英79位・R&B21位・全英21位に到達した。

 

 

 

1979年、アルバム『Identify Yourself』をリリース、全米16位・R&B3位・RIAAプラチナ認定を獲得。ここから、"Sing a Happy Song"が全米102位・R&B7位・全英39位、"Forever Mine"が全米28位・R&B4位に入った。

 

 

 

 

1980年、アルバム『The Year 2000』をTSOPからリリース、全米36位・R&B6位。ここからは、"Girl, Don't Let It Get You Down"が全米55位・R&B3位になった。

 

 

1982年、アルバム『My Favorite Person』をフィラデルフィア・インターナショナルからリリース、全米49位・R&B7位。

 

 

1983年、アルバム『When Will I See You Again』をリリース、全米142位・R&B19位をマーク。

 


1984年、アルバム『Love and More』をリリース、R&B35位。

同年、当時まだ高校生だったレヴァートの2人の息子、ジェラルドとシーンは、父親であるエディの音楽的バックグラウンドを引き継ぎたいと、「レヴァート」(LeVert)というグループ名で活動を開始、レコーディング中に出会ったマーク・ゴードンとの3人で、7枚のアルバムのうち4枚がプラチナ・アルバムになる程のグループになった。

 

 

1985年、アルバム『Love Fever』をリリース、全米121位・R&B20位。
 

 

1987年、アルバム『Let Me Touch You』をリリース、全米66位・R&B3位。ここからのシングル“Lovin' You”がR&B1位・全英87位、"Let Me Touch You"がR&B5位をマークした。

 

 

 

1989年、ザ・オージェイズはEMI マンハッタン レコードと契約し、レヴァートとウィリアムズは共同で曲を書き、プロデュースし始めた。

同年、アルバム『Serious』をEMI Americaからリリース、全米114位・R&B4位。ここからは、"Have You Had Your Love Today"がR&B1位、Serious Hold on Me"がR&B9位になった。

 

 

 

1991年、アルバム『Emotionally Yours』をリリース、全米73位・R&B2位・RIAAゴールドを獲得。ここからは、"Don't Let Me Down"がR&B2位、"Emotionally Yours"がR&B5位、"Keep on Lovin' Me"がR&B4位と、ヒット曲を輩出した。

 

 

 

同年、アルバム『Home for Christmas』をリリース、R&B78位。

 

 

1992年、エディは息子のジェラルドと“Baby Hold On to Me”をレコーディングした。これはR&B1位・全米37位にまで上り詰めた。

 

 

1993年、アルバム『Heartbreaker』をリリース、全米75位・R&B7位。

 

 

1995年、アルバム『Father and Son』をリリース、全米20位・R&B2位をマーク。

 

 

1996年、Pure Soulとのコラボ・シングル"Stairway to Heaven"をリリース、全米79位・R&B18位をマークした。

 

 

1997年、アルバム『Love You to Tears』をVolcanoからリリース、全米75位・R&B14位。ここからは、"What's Stopping You"が全米73位・R&B21位、"Baby You Know"が全米76位・R&B34位に入った。

 

 

 

2001年、アルバム『For the Love...』をMCAからリリース、全米53位・R&B11位。
 

 

2004年、アルバム『Together We Are One』をフィラデルフィア・インターナショナルからリリース、R&B36位。

同年、アルバム『Imagination』をSanctuaryから発売、全米178位・R&B19位。



2006年、息子のジェラルドとシーンと南アフリカツアーから戻った時、ジェラルドは、処方された薬の相互作用により亡くなった。

 

 

2007年、エディと息子のジェラルドが2006年にレコーディングしたアルバム『Something to Talk About』がリリースされ、全米19位・R&B5位をマーク。続いてエディとジェラルドが共著した本『I Got Your Back』が出版された。

 

 

2008年、エディの息子シーンはオハイオ州の政府職員に必要な処方薬を拒否された結果亡くなった。ジェラルドに続き、エディは2年間で2人の息子を失った。

同年後半、エディと亡き息子のジェラルドは「ベストデュオまたはグループ」イメージ賞を受賞した。

 

 

2009年、オージェイズは BET の「生涯功労賞」を受賞し、エディ・レヴァートは「ヒーローズ・アンド・レジェンド・ペースセッター賞」を受賞した。

 

 

2010年、アルバム『Christmas with the O'Jays』をSaguaro Roadからリリース、R&B45位。

 

 

2011年1月29日、オージェイズは「トランペット生涯功労賞」を受賞した。エディ・レヴァートのキャリアを通じて、オージェイズは10枚のゴールド アルバムをリリースし、そのうち9枚は最終的にプラチナ アルバムとなり、10曲が1位を獲得した。

 

 

2012年、アルバム『I Still Have It』をリリース。

 

 

2016年、アルバム『Did I Make You Go Ooh』をリリース。

 

 

2019年、アルバム『The Last Word』をS-Curveからリリース、R&B26位。

 

 

2021年、オハイオ州ツインズバーグで1982年に発見された人骨が、グループ初期に在籍したギタリスト兼ソングライターのフランキー・リトルのものであることが判明した。

 


現在もエディ・レヴァートはオージェイズのメンバーとして活動し、ツアーを行っている。

また、彼はソロ・アーティストとしても活動している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Eddie Levert」「オージェイズ」「The O'Jays」 

 

 

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