メアリー・J. ブライジ(Mary J. Blige/出生名:Mary Jane Blige/1971年1月11日~)は、アメリカ合衆国のR&B歌手・女優、音楽プロデューサー。

 



 

1971年1月11日、ジャズミュージシャンの父・トーマスと学校教師の母・コラの間に、ニューヨークのサウス・ブロンクスで生まれる。生後間もなく家族とともにジョージア州サヴァナ市に移住。

メアリーが4歳の時に両親は離婚し、母と姉弟と4人で暮らす。

 

5歳の時にニューヨーク州に戻り、ヨンカーズ市のプロジェクト(住宅斡旋プロジェクト)に住み、7歳の頃から教会の聖歌隊で歌い始め、母の影響でオーティス・レディング、サム・クック、アイズレー・ブラザーズ、グラディス・ナイト、アル・グリーン、スティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリン、チャカ・カーン、メイヴィス・ステイプルズなどの60年代-70年代ソウルを聴いて育つ。

 

 

1987年、16歳の時、アニタ・ベイカー1986年のヒット・ナンバー“コート・アップ・イン・ザ・ラプチャー”(Caught Up in the Rapture)を歌ったデモ・テープを作成、それが当時のアップタウン・レコードの社長だったアンドレ・ハレルに渡ったところ、すぐにアップタウン・レコード社と最年少で初の女性アーティスト契約を結ぶことになった。

 

 

1990年、ファーザーMCの“アイル・ドゥ・4・U”(I'll Do 4 U) に客演参加。

 

 

1992年、映画『ストリクトリー・ビジネス』(1991年公開)のサウンドトラック収録曲“ユー・リマインド・ミー”(You Remind Me) でソロデビュー、13週間という長いチャート・インを経て1992年7月25日付の米誌『ビルボード』全米R&Bチャート(以下「R&B」)で1位となる。

 

7月、デビュー・アルバム『ホワッツ・ザ・411?』(What's the 411?) をリリース。当時アップタウン・レコード社のA&Rだったショーン・パフィ・コムズがエグゼクティブ・プロデューサーを担当した。なお、「411」とは、米国向けの電話番号案内サービス「GOOG-411」のこと。『ホワッツ・ザ・411?』はヒップホップのビートでR&Bが歌われる、後に「ヒップホップ・ソウル」と呼ばれことになったスタイルを全編に亘って打ち出したアルバムで、メアリーはヒップホップ世代の新たな歌手として一躍大きな注目を浴びた。彼女のストリート感に溢れた「生の」(raw) 歌声は、アルバムのサウンドと見事に融合、普通のR&Bとは趣きの違う、その心地いい乗りが若者に支持された。

アルバム発売後の1stシングル“リアル・ラヴ”(Real Love)は、オーディオ・トゥー(Audio Two)の1987年のヒップ・ホップ・クラシック“トップ・ビリン”(Top Billin') をサンプリングした楽曲で、10月に2週連続R&B1位を記録する大ヒットとなった。他のシングルも、“ユー・リマインド・ミー”(You Remind Me) や、1993年に“レミニス”(Reminisce)、チャカ・カーンの曲のカヴァー“スウィート・シング”(Sweet Thing)、“ラヴ・ノー・リミット”(Love No Limit)、当時の恋人だったK-Ciヘイリーとのデュエット“アイ・ドント・ウォント・トゥ・ドゥ・エニシング”(I Don't Want to Do Anything)、1994年には“マイ・ラヴ”(My Love)と立て続けにヒットを飛ばし、アルバムは全米チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)6位、R&Bチャート「Hot R&B/Hip-Hop Songs」(以下「R&B」)1位を記録し見事プラチナを獲得、1994年末時点で300万枚を超え、1993年ソウル・トレイン・ミュージック・アワード(1993 Soul Train Music Awards)で、「Best R&B/Soul Album – Female」を受賞、メアリー本人も新人賞の「Best New R&B/Soul Artist」を受賞した。

 

 

 

 

 

 


1993年の映画『フーズ・ザ・マン?』のサウンドトラックに収録された“ユー・ドント・ハフツー・ウォリー”(You Don't Have to Worry)も同時期にヒットし、グランド・プバのシングル“チェック・イット・アウト”(Check It Out) にも客演参加する活動も見せた。

 

同年、ボビー・ブラウンのツアー「ハンピン・アラウンド・ザ・ワールド・ツアー」に同行して来日を果たし、オープニング・アクトとして当時の恋人 K-Ciヘイリーとのデュエットを披露した。

12月、アルバムの大ヒットを受け、リミックス・アルバム『ホワッツ・ザ・411? リミックス』を発売。

 

 

1994年11月、2ndスタジオ・アルバム『マイ・ライフ』(My Life) をリリース。アレサ・フランクリンと比較されるほどの存在感を放ち、このアルバムもプラチナとなり全米7位・R&B1位を記録した。『マイ・ライフ』も前作同様プロデュースにショーン・パフィ・コムズが関わり、他のプロデューサーはチャッキー・トンプソン、ハーブ・ミドルトンなどが新たに加わった。

シングルヒットは、カーティス・メイフィールドの1979年のアルバム『ハートビート』(Heartbeat) 収録曲“ユーアー・ソー・グッド・トゥ・ミー”(You're So Good To Me)をサンプリングした1stシングル“ビー・ハッピー”(Be Happy) がR&B6位となった。

 

その後のシングルは、メリー・ジェーン・ガールズが1983年に出した“オール・ナイト・ロング”(All Night Long)のベースラインやフレーズを引用した“メアリー・ジェーン (オールナイト・ロング)”(Mary Jane)や、ローズ・ロイスのカヴァー曲“アイム・ゴーイン・ダウン”(I'm Going Down)の他、バリー・ホワイトの1977年のファンク・ナンバー“エクスタシー”(It's Ecstasy When You Lay Down Next to Me)をサンプリングした“ユー・ブリング・ミー・ジョイ”(You Bring Me Joy)をリリースした。また、シングルにはなっていないが、バラード曲“ユー・ガッタ・ビリーヴ”(You Gotta Believe)でも、メアリーは高い歌唱力を実証することになった。

 

 

 


『マイ・ライフ』の発表後は、客演参加でメソッド・マンの“アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ”(I'll Be There for You/You're All I Need to Get By) や、ジェイ・Zの“キャント・ノック・ザ・ハッスル”(Can't Knock the Hustle) などでラッパーたちとの共演で存在感を発揮し、 メソッド・マンとの客演では第38回グラミー賞の「最優秀ラップ・パフォーマンス賞デュオ/グループ部門」(Grammy Award for Best Rap Performance by a Duo or Group)を受賞した。

 

 

1996年2月には、1995年の映画『ため息つかせて』の挿入歌になった入魂のR&Bバラード“ノット・ゴナ・クライ”(Not Gon' Cry) が5週連続R&B1位のヒットとなった。

 

同時期、アップタウン・レコードのショーン・パフィ・コムズとの制作面やビジネス面での確執が決定的となったメアリーはアップタウンを離脱し、その親会社のMCAレコード(現・ユニバーサル・ミュージック)と契約を結んだ。

 

 

1997年4月、メアリー自身がエグゼクティブ・プロデューサーとして全体を見て、パフィの代わりにスティーヴ・スタウトを据え、他のプロデューサー陣にベイビーフェイス、ジャム&ルイス、R・ケリー、エムトゥーメ、ロドニー・ジャーキンスといったそうそうたる面々を迎えた3作目のスタジオ・アルバム『シェア・マイ・ワールド』(Share My World) をリリースした。

 

このアルバムからのシングルには、ジョージ・ベンソン(G)が客演した“セヴン・デイズ”(Seven Days)、R・ケリーとのデュエット“イッツ・オン”(It's On)、サンプリングにスタイリスティックスの“ユー・アー・エヴリシング”(You Are Everything) とJBの“ペイバック”(The Payback)を使い、坂本九の“すきやき”(Sukiyaki) のメロディーラインの一部を採用した“エヴリシング”(Everything) がヒットし、前年1996年に大ヒットしたサントラのバラード“ノット・ゴナ・クライ”も収録されている。“ノット・ゴナ・クライ”は第39回グラミー賞で「最優秀R&B女性ボーカル賞」にノミネートされた。日本盤のボーナス・トラック“ナチュラル・ウーマン”は、アレサ・フランクリン1967年のヒット曲のカヴァーで、これも1995年のサウンドトラックからである。

 

 

 

『シェア・マイ・ワールド』はメアリーの新たなイメージが随所に盛り込まれ、全米1位(初週でも1位は自身のアルバム初)、R&B1位に達し、アメリカ国内だけで300万枚を超えるトリプルプラチナ・セールスを記録した上、初めて全英でもトップ10入りするなど、最大のヒットアルバムとなった。1998年アメリカン・ミュージック・アワードでは「Favorite Soul/R&B Album」を受賞し、第40回グラミー賞(1998年2月開催)の「最優秀R&Bアルバム賞部門」にもノミネートされた。
自身初の全米ツアー「シェア・マイ・ワールド・ツアー」(Share My World Tour)も翌1998年にかけて開催し、その模様を収録した1998年リリースの初ライヴ・アルバム『ザ・ツアー』 (The Tour)では、往年のボブ・モンゴメリーが作った“ミスティー・ブルー”(Misty Blue) もカヴァーした。

 

 

1998年、ベイビーフェイスがプロデュースした“アズ”(As)をジョージ・マイケルと客演デュエット。そのシングルが1999年3月にR&Bチャート・インのヒットとなった。

 

8月、4thアルバム『メアリー』(Mary)をリリース。シングルカットされた“オール・ザット・アイ・キャン・セイ”(All That I Can Say)はローリン・ヒルがプロデュース、バッキング・ヴォーカルでも参加している。収録曲“セクシー”(Sexy)には、スティーヴィー・ワンダーがマイケル・ジャクソン1979年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』の“アイ・キャント・ヘルプ・イット”(I Can't Help It)がサンプリングされている。その他のシングルは、エルトン・ジョン1973年のナンバー“ベニーとジェッツ”をサンプリングし、エルトン自身がピアノで客演している“ディープ・インサイド”(Deep Inside)や、ダイアン・ウォーレンが作詞作曲し、エリック・クラプトンとポール・ペスコがギター参加した“ギヴ・ミー・ユー”(Give Me You)や、“ユア・チャイルド”(Your Child)がヒット、“アス”(As)が全英4位にランクインした。

 

 

 

 

 

 

アルバムのプロデューサーにベイビーフェイスが参加しているが、アルバム名が示すように多くの楽曲にメアリー自身が作曲、プロデュースで関わっており、全体的に孤独感の漂うブルージーな静かなトーンとなっている。


 

2000年、コンサートツアーやユニセフのチャリティー・コンサート参加など多忙な中、ソウル・トレイン・ミュージック・アワードで、特別賞「Sammy Davis Jr. Award for Entertainer of the Year – Female」、アルバム『メアリー』が「Best R&B/Soul Album – Female」を受賞し2冠に輝いた。
12月、日本独自企画のコンピレーション・アルバム『バラッズ』(Ballads)が発売、本作ではスティーヴィー・ワンダーの“オーヴァージョイド”をカヴァーしたが、これは双方の友人マイケル・ジョーダンが企画し2人を引き合わせたことがきっかけで実現した。アメリカではジョーダンがイメージ・キャラクターを務めるナイキのCMで一部分が流れただけで、企画者ジョーダン本人が楽曲管理しているためシングル・リリースも不可能となっている。そのためこの曲が収録されている『バラッズ』は日本企画ながら世界のメアリー・ファンにとって貴重なものとなっている。

 

 

なお、メアリーがスティーヴィーの楽曲を初めてカヴァーしたのはMCAレコード系アーティストたちの1999年の企画アルバム『マイ・クリスマス・アルバム』(My Christmas Album)に収録された“想い出のクリスマス”(Someday at Christmas)で、“オーヴァージョイド”は2曲目のスティーヴィー・カヴァー曲である。

 


2001年には、映画やドラマなど女優にも挑戦。『プリズン・ソング』に出演した。

6月、第1回BETアワード(BET Awards 2001)で「Best Female R&B Artist」に選ばれるなど、確固とした地位を確立する。

8月、5thアルバム『ノー・モア・ドラマ』(No More Drama)をリリース。このアルバムの売上も200万枚を超えるプラチナとなり、全米2位・R&B1位を記録した。

アルバムからの1stシングル“ファミリー・アフェアー”(Family Affair)は6週連続全米1位という大ヒットを記録し、自身最大のヒット作となった。表題作シングル“ノー・モア・ドラマ”(No More Drama)もヒットし、アルバム全体もこのインパクトの強い2曲に代表されるように力強さを感じる作品になっている。他のシングルカットでは、ポリス1980年の曲“ひとりぼっちの夜”(The Bed's Too Big Without You)をサンプリングした“ダンス・フォー・ミー”(Dance for Me)をリリースした。

 

 

 

『ファミリー・アフェアー』は、第44回グラミー賞で「最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞」にノミネート、アルバム『ノー・モア・ドラマ』も「最優秀R&Bアルバム賞」にノミネートされた。2002年には新たな楽曲を収録した再発版もリリースされ、その中の“ヒー・シンク・アイ・ドント・ノウ”(He Think I Don't Know)は、第45回グラミー賞で「最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞」を受賞した。また2年連続でNFLスーパーボウルでのパフォーマンスを行なった。



2002年2月、世界ツアー「ノー・モア・ドラマ・ツアー」(o More Drama Tour)を開始、同年リリースの『ノー・モア・ドラマ~ニュー・エディション』では、仲違いをしていたP・ディディ(1stアルバム『What's the 411?』と2ndアルバム『マイ・ライフ』のプロデューサーだったショーン・パフィ・コムズ)が「ノー・モア・ドラマ」の リミックス・バージョンを手がけた。

 


2003年春、大ヒットした50セントの“イン・ダ・クラブ”(In da Club)のリミックス・トラックに参加。

6月、シングル“ラヴ@ファースト・サイト”(Love @ 1st Sight)を発売、ア・トライブ・コールド・クエストの1992年の“ホット・セックス”(Hot Sex)をサンプリングし、フィーチャリング・ラッパーには過去にメアリーとのコラボレート作で第38回グラミー賞の「最優秀ラップ・パフォーマンス賞デュオ/グループ部門」を受賞したメソッド・マンが採用されたが、全米22位・R&B10位止まりだった。

8月、6thアルバム『ラヴ &ライフ』をリリース、全米1位・R&B1位を記録したが、売上はプラチナを獲得するも100万枚止まりでそれ以上セールスは伸びず商業的には失敗した。収録曲“ホエン・ウィ”(When We)においてマーヴィン・ゲイの“アイ・ウォント・ユー”(I Want You)が鮮やかに引用されるなど、R&Bクラッシックを取り入れたプロデュースのパフィの方法論が駆使された作品となった。インパクトのある楽曲がなく期待外れの出来栄えに評論家もファンも一貫性の不足を批判した。アルバムの内容的には、シングル「ラヴ@ファースト・サイト」を始め、婚約者のでき愛に満ちたメアリーの幸福な精神面が反映されたものとなっている。


メアリーは元恋人のK-Ciヘイリーとの別離後も、ケイス、マーク・ミドルトン、カール・トーマスなどとの恋仲が報じられていたが、2000年から交際を始めていたマネージャーのマーチン・ケンドゥ・アイザックス(Martin "Kendu" Isaacs)と2003年12月7日に遂に結婚した。その結果、メアリーはマーチンの連れ子である3人の子供の継母になった(後年2016年に2人は離婚調停に入り、2018年に正式離婚することになるが、この当時は新婚で愛に満ちた日々であった)。

その後、、スティングの“ホエンエヴァー・アイ・セイ・ユア・ネイム”(Whenever I Say Your Name)や、ミッシー・エリオットとの客演が話題となった。スティングとコラボした曲は第46回グラミー賞で、「最優秀ポップ・コラボレーション賞」を受賞した。

 

 

2004年、映画『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』のサウンドトラックで、エルトン・ジョン1976年の楽曲“悲しみのバラード”(Sorry Seems to Be the Hardest Word) をカヴァーし、映画『シャーク・テイル』のサントラでは、客演ラッパーにウィル・スミスを据えて、シェリル・リン1978年のディスコ曲“ガット・トゥ・ビー・リアル”(Got to Be Real) をカヴァーした。

また数々のミュージシャンの作品への客演も続き、ノトーリアス・B.I.G.などの数々のラッパーとのコラボレーションが話題となった。


2005年、キャシディの“アイム・ア・ハッスル”(I'm a Hustla (song))のメアリーのリミックス・バージョンが大好評となったり、人気ラッパーゲームの“ヘイト・イット・オア・ラヴ・イット”(Hate It or Love It)をカヴァーすると、それを聴いたゲーム本人がメアリーとコラボレートしたいと申し入れてくるなど、次作アルバムへの新たな展開があった。そしてクール&ドレーのプロデュースによりリメイクされてゲームと50セントとコラボした“ヘイト・イット・オア・ラヴ・イット”はメアリーの新曲“MVP”(MJB da MVP)として4月にリリースされた。“MVP”はアルバム収録時に“MJB da MVP”と改題するが、この楽曲はこれまでのメアリーのヒット曲群の印象的なフレーズの数々が次々と織り込まれているダンサブルなナンバーで、メアリーの次作アルバムへの大きな期待が高まっていた。

 

9月、先行の2ndシングル“ビー・ウィザウト・ユー”(Be Without You)が、全米3位、R&Bチャートでは15週連続で1位を記録する大ヒットとなった。このR&Bチャートの記録は、ビルボード誌で一時期中断されていたR&Bチャートが1965年に再開されて以降の史上最高記録となった。

 

12月、7thアルバム『ザ・ブレイクスルー』(The Breakthrough)をリリース。タイトルの「Breakthrough」 (現状突破)」とは、自分自身にとって一番大きな障壁は「自分自身」だと学び、様々な葛藤や自己分析を経て「自分自身に関して変えられない部分、変えられる部分」の両方含めて自身を愛し自信を持つことができたメアリーのその思いが込められたものとなった。アルバムは初登場で全米1位となり、発売1週間で驚異的な72万7,163枚の売上を記録した。これは2006年度の発売週最多売上であると同時に、女性R&Bソロ・アーティスとしては過去最高記録を樹立。300万枚以上を売り上げた。

 

アルバムは、“ビー・ウィザウト・ユー”とともに2006年度のビルボード誌年間R&B/ヒップホップチャート1位を獲得した。また、2006年度ビルボード・ミュージック・アワード(2006 Billboard Music Awards)で最多9部門を受賞。BETアワード(BET Awards 2006)も最多2部門受賞者となった。その他、2006年アメリカン・ミュージック・アワード(American Music Awards of 2006)、第38回NAACPイメージ・アワード(38th NAACP Image Awards)などでもそれぞれ2部門受賞した。さらには第49回グラミー賞においては最多となる8部門にノミネートされ、その中の「最優秀R&Bアルバム賞」、シングル“ビー・ウィザウト・ユー”に対し「最優秀R&B楽曲賞」(Best R&B Song)と「最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞」(Best Female R&B Vocal Performance)の3部門を見事獲得した。

アルバムからの3rdシングルは、U2が1991年に発表したロック・バラードの名曲“ワン”(One)をボノとデュエットしたカヴァーで、この楽曲もヒットした。この共演は、ボノが2003年にグラミー賞に選ばれた際のチャリティー・ディナーでメアリーがこの曲を歌い、それを聴いたボノと意気投合したことがきっかけだった。他の収録曲もどれもシングルになるような出来栄えで、メアリーの力量が存分に発揮されたものとなった。


『ザ・ブレイクスルー』の成功後も、LL・クール・J、リュダクリス、P・ディディことパフィ(ショーン・コムズ)などの各アルバムに客演参加。

 

 

2006年7月からは「ザ・ブレイクスルー・エクスペリエンス・ツアー」(The Breakthrough Experience Tour)を行ない全米やカナダを凱旋する活動をみせ、10月には、大手家電製品チェーンのサーキット・シティー・ストアーズ社と共同で、スティングなどとの客演曲を含んだCD2枚組のアルバム『メアリー・J. ブライジ&フレンズ』 (Mary J. Blige & Friends)をリリース。売上金を子供擁護団体に寄付したり、ABCテレビドラマ『ワン・ライフ・トゥ・リヴ』で自身の役でゲスト出演するなど多忙な日々を送った。
12月、ジョン・レジェンドとの幻のデュエット曲“キング&クイーン”(King & Queen)等、新曲4曲を含む初のグレイテスト・ヒッツ『リフレクションズ~ア・レトロスペクティブ』(Reflections (A Retrospective))を発売。このベストアルバムの中での“マイ・ライフ”はニュー・バージョンで、メソッド・マンと客演した“アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ”(I'll Be There for You/You're All I Need to Get By)や、ワイクリフ・ジョンと客演した「911」(911)も収録された。

 

 

2006年公開の映画『ボビー』においてメアリーは、ブライアン・アダムス作のサウンドトラック曲“ネヴァー・ゴナ・ブレーク・マイ・フェイス”(Never Gonna Break My Faith) でアレサ・フランクリンと共演していたが、その歌唱により第50回グラミー賞の「最優秀ゴスペル・パフォーマンス賞」を受賞した。また2007年も様々なアーティストとの客演を行ない、中でもチャカ・カーンとの“ディスリスペクトフル”(Disrespectful)は、同じく第50回グラミー賞で、「最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ/グループ」を受賞した。
10月、そうした精力的な活動の中、早くも次作アルバムの制作が順調に進められ、トリッキー・スチュワートとジャジー・フェイの共同プロデュースで、ザ・ドリームが制作に参加した先行シングル“ジャスト・ファイン”(Just Fine)をリリース。このダンサブルな曲はクラブなどで評判が良かった。

 

12月、8thアルバム『グロウイング・ペインズ』(Growing Pains)をリリース。「ジャスト・ファイン」と同じプロデューサー陣で、アッシャーをフィーチャリング・アーティストに迎えた収録曲“シェイク・ダウン”(Shake Down)が話題となり、デジオン(Dejion)がプロデュースしリュダクリスとコラボした“グロウイン・ウーマン”(Grown Woman)もクラブ映えする楽曲となった。『グロウイング・ペインズ』は発売1週目は62万9000枚を売り上げ、R&Bチャートで1位、全米チャートでは2位に終わるが、翌週2008年1月12日付のチャートで1位を獲得した。
アルバム名の「Growing Pains」は、前作『ザ・ブレイクスルー』の大成功からの成長に伴う痛みといった意味合いがある。『グロウイング・ペインズ』は、第51回グラミー賞(2009年2月開催)で、「最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム賞」(Best Contemporary R&B Album)を受賞した。

女優としても本格的な役柄で活動することとなり、映画『アイ・キャン・ドゥ・バッド・オール・バイ・マイセルフ』(I Can Do Bad All by Myself)において、「タニア」という名のナイトクラブのマネージャー役を演じた。サントラにも楽曲提供したこの映画は2009年9月に公開された。

 

 

2009年1月、バラク・オバマ大統領就任イベント(2009年バラク・オバマ大統領就任式)に参加し、1998年にカーク・フランクリン、ボノ、R・ケリーらとコラボしカバー発表していた“リーン・オン・ミー”(Lean on Me) を熱唱した。
メアリーは映画『アイ・キャン・ドゥ・バッド・オール・バイ・マイセルフ』(2009年)のサントラの他にも、マライア・キャリーの出演で話題となった映画『プレシャス』に“アイ・キャン・シー・イン・カラー”(I Can See in Color) を提供した。
7月、カナダ出身のラッパー・ドレイクをフィーチャリングした先行シングル“ザ・ワン”(The One)をリリース。この楽曲のプロデューサーはこれまでもメアリーとタッグを組んだロドニー・ジャーキンスで、曲の制作に参加したエスター・ディーンは“ストロンガー”も書いている。
8月、プロバスケットボール選手のレブロン・ジェームズの伝記映画『モア・ザン・ア・ゲーム』(More than a Game)に提供した“ストロンガー” (Stronger)をリリース、映画を基調にしたPVも制作した。

 

12月、9thアルバム『ストロンガー・ウィズ・イーチ・ティア』(Stronger with Each Tear)を発売、シングル“アイ・アム”(I Am)もリリースした。この楽曲にはジョンティ・オースティンが参加しているが、元々はオースティン名義でメアリーが客演の形であったが、結局メアリーのヴォーカルメイン曲となった。


アルバム『ストロンガー・ウィズ・イーチ・ティア』は、全米2位となり、6作目の『ラヴ &ライフ』から8作目『グロウイング・ペインズ』まで続いていた1位の記録が途絶えてしまったが、R&Bアルバムチャートでは、1作目の『ホワッツ・ザ・411?』以来ずっと1位をキープした。チャートでは全米2位止まりとなったものの、作品的には前回に続き好評の内容で、第41回NAACPイメージ・アワードで見事「最優秀アルバム賞」を受賞すると同時に「最優秀女性アーティスト賞」も獲得、2010年BETアワードでは「最優秀女性R&Bアーティスト賞」にノミネートされた。


2010年5月には、続編となるインターナショナル盤の『ストロンガー・ウィズ・イーチ・ティア ~続編』を発売した。この盤には、前述のサントラの“ストロンガー”等の他、トラヴィス・バーカー、ランディ・ジャクソン、スティーヴ・ヴァイ、オリアンティ・パナガリスの4人の大物ミュージシャンをゲストに迎え、レッド・ツェッペリンの名曲“天国への階段”(Stairway to Heaven)をカヴァーした。

 

10月から翌年2011年2月まで世界ツアー「ミュージック・サイヴド・マイ・ライフ・ツアー」(Music Saved My Life Tour)を敢行。日本にも7年ぶりに訪れ、2011年1月に東京と大阪公演を行なった。
また、メアリーは“デスティニー”(Destiny)(『ノー・モア・ドラマ』収録曲)や、“アバウト・ユー”(About You)(『ザ・ブレイクスルー』収録曲)でニーナ・シモンの曲をサンプリングしていた。

 

 

2011年から2012年にかけても、DJキャレド、レア・ガーベイなど他のアーティストの楽曲に客演参加し、映画『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』(2011年8月公開)のサントラにはアンダードッグスのプロデュースでソウル・バラード「ザ・リヴィング・プルーフ」(The Living Proof) を提供した。また、ブロードウェイ・ミュージカル『ロック・オブ・エイジズ』の映画版『ロック・オブ・エイジズ』(2012年6月公開)には女優として出演し、バーテンダーのジャスティス(シュリ―の母親役)を演じながら、“ハーデン・マイ・ハート”(Harden My Heart)や“お気に召すまま”(Any Way You Want It) などを熱唱した。
そうした精力的な活動の合間を縫い、2011年3月に先行シングル“サムワン・トゥ・ラヴ・ミー (ネイキッド)”(Someone to Love Me [Naked])をリリース。この楽曲は、P・ディディとリル・ウェインがラッパーとして客演した。

 

11月、10thアルバム『マイ・ライフII…ザ・ジャーニー・コンティニューズ (Act 1)』(My Life II... The Journey Continues (Act 1))をリリース。このアルバム名は、傑作として名高い2ndアルバム『マイ・ライフ』の「II」という話題性の高いものであった。メアリーはこのアルバムのコンセプトについて、鬱病とドラッグ依存症の状態が最悪だった頃について真剣に考えたもので、「助けを求めて声を上げていたようなもの」だったと後年の2018年に明かしている。
アルバムからのシングル“25/8”(25/8)は、オージェイズ1973年の曲“ナウ・ザット・ウィ・ファウンド・ラヴ”(Now That We Found Love)をサンプリングした力強いナンバーで、ドレイクがラップ客演している次のシングル“ミスター・ロング”(Mr. Wrong)も印象的なミディアム・テンポの楽曲であった。しかし、“ミスター・ロング”はR&B10位で、これが収録曲の中では最高順位だった。


そして力作揃いであったアルバム『マイ・ライフII…ザ・ジャーニー・コンティニューズ (Act 1)』自体も、意外なことに全米チャートで5位止まりで総売上数が約80万枚と伸び悩んだ。また、デビューアルバム以来ずっと続いていたR&Bアルバムチャート1位の方の余裕の記録がここで途絶えてしまったことも誤算であった。そのため、続編となるはずであった「Act 2」の話が立ち消えになった。

10作目のアルバム発売後の2012年は、メアリーがデビューした1992年からちょうど20周年となる年であったがソロツアーはなく、ディアンジェロとのジョイントで8月から2013年6月まで「ザ・リベラレイション・ツアー」(The Liberation Tour (Mary J. Blige and D'Angelo Tour))を行なった。その2012年から2013年の間は、これまで精力的に行なわれていた客演参加は、ナズ、ミーク・ミル、ケンドリック・ラマー、ロッド・スチュアートなどとの数曲に留まった。

 


2013年10月、11thアルバム『ア・メアリー・クリスマス』(A Mary Christmas)をリリース。自己名義の初のクリスマス・アルバムに迎えた客演アーティストの面々は大御所のバーブラ・ストライサンド、ジャズ・トランペッターのクリス・ボッティ、クラーク・シスターズ、マーク・アンソニー、イギリスのジェシー・Jなどで、それまでのメアリーとは一味違う面が引き出されたアルバムとなった。アルバムからのシングルは、Jessie Jをフィーチャリングした"Do You Hear What I Hear?"が全英59位、"This Christmas"が全米アダルトR&Bチャート21位になった。

女優としては、2013年に映画『クリスマスの贈り物』に出演した。また、アメリカのCS局「Lifetime」で放送されたテレビ映画『ベティ&コレッタ』(Betty&Coretta)で、マルコム・Xの妻・ベティ・シャバズ(英語版)役で主演を務め、女性イメージネットワーク賞(Women's Image Network Awards)の「女優賞 ミニシリーズ・テレビ映画部門」(TV Show Produced by a Woman)にノミネートされた。
同年末、アルバム『ア・メアリー・クリスマス』は全米チャート10位だった。

 

 

2014年前半の音楽活動は、ディスクロージャーの“F・フォー・ユー”(F for You)やサム・スミスの“ステイ・ウィズ・ミー”(Stay with Me)などのUKダンス・ソウル曲のリミックスに客演参加しヒットした。

6月、コメディ映画『ベガス流 ヴァージンロードへの道』のサウンドトラック盤『シンク・ライク・ア・マン・トゥー』(Think Like a Man Too)を、全曲自身の新曲で構成し、話題となった。

同年前半におけるディスクロージャーやサム・スミスといったイギリスの新勢力とのコラボの刺激はメアリーに新たな展開をもたらし、次作アルバムはロンドンで録音されUKの新鋭音楽シーンを表現するものとなっていった。当初次作アルバムの総監修はノーティ・ボーイことシャヒード・カーン(Shahid Khan)が務めると噂されていたが、これまでもメアリーと組みヒットアルバムを生み出してきたロドニー・ジャーキンスが総プロデュースすることとなった。
ロドニーの指揮の元、集結したプロデューサー陣はディスクロージャーを始め、ノーティ・ボーイ、エッグ・ホワイト、ジミー・ネイプス、スティーヴ・フィッツモーリス、サム・ローマンズ等、英国のダンス・ソウルを支える気鋭のクリエイターに、ソングライターにはメアリーの他、サム・スミスらが加わった。

11月、待望の12作目となるスタジオアルバム『ザ・ロンドン・セッションズ』(The London Sessions)が発売された。この革新的なアルバムは、変化を恐れずに挑戦したメアリーの試みが感じられ、イギリスの『ガーディアン』紙の評価も高かった。しかしながら、全米チャート最高位は9位に留まり、セールス的にも初めて50万枚を下回る売上数となった。
とはいえ、商業的な伸び悩みに反して、メアリーの果敢な挑戦に対する業界の評価は非常に高く、ビルボード誌やイギリスのiTunesでは、2014年のベストR&Bアルバムに選出された。また、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベスト・アルバム賞で4位となり、『ローリング・ストーン』誌のベストR&Bアルバムでは6位となった。その他、『タイム』誌では、「2014年最も過小評価されたアルバム7選」の中に入るなど、作品の質的には良いものであった。



2016年7月に夫でありマネージャーでもあるマーチン・ケンドゥ・アイザックス(Martin "Kendu" Isaacs)との「和解しがたい不和」を理由に離婚申請をしたことが報じられた。その後メアリーはアイザックに対して配偶者手当を支払うことを拒否し彼の要求を棄却するよう裁判所に求め、この一件でアイザックの浪費癖と、メアリーが多額の借金を負っていることが明らかとなった。
7月、メアリーはオーランド銃乱射事件の犠牲者を追悼するチャリティー曲“ハンズ”(Hands)に、ブリトニー・スピアーズ、ジェニファー・ロペス、ピンク、グウェン・ステファニー、セレーナ・ゴメス、メーガン・トレイナーらとともに参加した。

8月、銃による暴力に抗議するブラック・アイド・ピーズの2003年の曲“ホエア・イズ・ザ・ラヴ”(Where Is the Love?のニュー・バージョン“#WHERESTHELOVE”(Where Is the Love?)に、エイサップ・ロッキー、スヌープ・ドッグ、クインシー・ジョーンズ、ジェイミー・フォックス、DJキャレド、ウィズ・カリファらと共に参加した。
9月、Apple Music内ラジオ局「ビーツ1」(Beats 1)の番組「The 411 with Mary J. Blige」で、ヒラリー・クリントンと対談、相次ぐ白人警官による無抵抗の黒人への暴力事件に抗議する意味を込めて、ブルース・スプリングスティーン2001年の曲“アメリカン・スキン”(American Skin (41 Shots))をカヴァーした。この曲は1999年にブロンクスで起きた白人警官4人によるギニア移民男性射殺事件(Shooting of Amadou Diallo)を題材にしたものである。
様々な社会問題に関心を寄せることの多くなった年であるが、女優としてはABCの人気法廷ドラマ『殺人を無罪にする方法』のシーズン3にゲスト出演した。また、映画『マッドバウンド 哀しき友情』(2017年公開)への出演が決まり、その主題歌の制作もあった。


2016年10月に先行シングルの“シック・オブ・イット”(Thick of It)をリリース。この楽曲はトラップ時代のR&Bバラードというべき斬新なサウンドで、ベイ・シティ・ローラーズ1975年の曲“恋をちょっぴり”(Give a Little Love)のイントロなどをサンプリングするという意外な選曲が取り入れられている。同曲は久々のヒットとなり、「クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル」の称号に相応しく、全米アダルトR&Bチャートにて2016年11月12日から連続16週1位を達成した。これは2010年代のメアリーのシングルでは最長のロング・ヒットとなった。

 

先行2ndシングル“ユー+ミー (ラヴ・レッスン)”(U + Me (Love Lesson))もヒットした。

 


2017年4月、13thアルバム『ストレングス・オブ・ア・ウーマン』(Strength of a Woman)が、デビュー25周年を記念する日にリリースされた。先行3rdシングル“ラヴ・ユアセルフ”(Love Yourself)はカニエ・ウエストが客演参加していたが、その話題曲がオープニングとなった。ミーゴスやDJキャレド、ミッシー・エリオットが客演参加しているトラップ・ビートの“グロウ・アップ”(Glow Up)や、ジャジーなネオ・ソウル“セット・ミー・フリー”(Set Me Free)にも、新しいR&B像を模索しているメアリーの挑戦の姿勢が窺えた。他にも、ケイトラナダとのコラボが魅力的に光るエレクトリック・ソウル“テリング・ザ・トゥルース”(Telling the Truth)や、プリンスのサウンドを彷彿させる“ファインド・ザ・ラヴ”(Find the Love)などもあり、アルバム全体が濃密な仕上がりとなっている。

 

 

 

アルバム発売後に北米などを廻るツアーを実施、その一環として6年ぶりに来日し、4月に東京と大阪公演の「ジャパン・ツアー 2017」も行なった。
11月、主題歌“マイティー・リヴァー”(Mighty River)を提供し、自身も出演した映画『マッドバウンド 哀しき友情』が公開された。そして“マイティー・リヴァー”は、2018年ブラック・リール賞では「最優秀オリジナル主題歌賞」を受賞した。女優としてのメアリーの演技も高く評価され、第90回アカデミー賞では「アカデミー歌曲賞」と「助演女優賞」に同時ノミネートされ、第75回ゴールデングローブ賞でも「助演女優賞」にもノミネートされた他、その演技は名立たる賞に多数ノミネートされ高く評価された。

 


2018年1月11日、47歳の誕生日に、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに殿堂入りを果す。

4月、エルトン・ジョンのデビュー50周年を祝うトリビュート・アルバム『ユア・ソング〜エルトン・ジョン ベスト・ヒッツ・カヴァー』(Revamp: Reimagining the Songs of Elton John & Bernie Taupin)に、メアリーも“悲しみのバラード”で参加。
6月20日、2年前の2016年7月から離婚申請中であった夫のマーチン・ケンドゥ・アイザックスとの離婚が正式に裁判所から認められた。
7月、リパブリック・レコードからデジタル配信で“オンリー・ラヴ”(Only Love)をリリース。このシングルにはファースト・チョイス1977年の曲“ドクター・ラヴ”(Doctor Love)がサンプリングされている。“オンリー・ラヴ”が全米アダルトR&Bチャートで10位となった時点で、1994年のシングル“ビー・ハッピー”(Be Happy)以来、シングル23曲がアダルトR&Bチャートでトップ10入りを果たしたこととなり、この記録はメアリーが最多となった。

 


2019年5月は、ナズを客演コラボに迎えた“スライヴィング”(Thriving)がデジタル配信された。

 

6月23日に開催された2019年BETアワード(BET Awards 2019)において、特別賞の「生涯功労賞」(Lifetime Achievement Award)を受賞し、会場となったロサンゼルスのマイクロソフト・シアターでパフォーマンスを披露しプレゼンターも務めた。
7月からナズとのジョイント・ツアー「ザ・ロイヤルティー・ツアー」(The Royalty Tour)で北米やカナダを廻っている。

8月8日、新曲“ノウ”(Know)をリリース。

 

10月には映画『BELLY OF THE BEAST』(Belly of the Beast)の主題歌“See What You've Done (From The Film Belly Of The Beast)”がリリースされた。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「メアリー・J. ブライジ」「Mary J. Blige」