ロバータ・フラック(Roberta Flack/出生名:Roberta Cleopatra Flack/1937年2月10日~)は、アメリカ合衆国の歌手。

 

 

 

1937年2月10日、ロバータ・クレオパトラ・フラックが、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ブラック・マウンテン(Black Mountain, North Carolina)にて、父はピアニスト、母はオルガニストという家庭で生まれる。

その後、バージニア州アーリントン郡で育った。

 

15歳の時、アフリカ系学生のピアノ・コンクールで優秀な成績を収め、ハワード大学に進学、クラシック、声楽を学ぶ。

 

大学卒業後、音楽教師や、ナイトクラブでピアノ演奏をしながらキャリアを積んだ。

 

 

1969年6月20日、1stアルバム『ファースト・テイク』(First Take)をアトランティック・レコードから発売してデビュー。ここからは、"Compared to What"/ "Hey, That's No Way to Say Goodbye"をカット。後に収録曲“愛は面影の中に” (The First Time Ever I Saw Your Face)をシングル発売して大ヒットしたこともあり、アルバムは米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)1位・同誌「R&Bアルバム・チャート」(以下「R&B」)1位・同誌「ジャズ・アルバム・チャート」(以下「ジャズ」)3位を獲得した。

 

 

 

1970年8月12日、2ndアルバム『第2章』(Chapter Two)をリリース、全米33位・R&B4位・ジャズ2位。ここからは、"Do What You Gotta Do"/"Let It Be Me"をシングルカット、全米117位となった。

 

 

 

1971年11月、3rdアルバム『クヮイエット・ファイア』(Quiet Fire)をリリース、全米18位・R&B4位・ジャズ5位。ここからのシングルは、"Will You Still Love Me Tomorrow"が全米76位・R&B38位・『ビルボード』誌「アダルト・コンテンポラリー」チャート(以下「AC」)15位を記録した。

 

 

11月に公開されたクリント・イーストウッドの初監督映画『恐怖のメロディ』(Play Misty for Me)にて、デビュー・アルバム『ファースト・テイク』収録の“愛は面影の中に”が使用される。アトランティックは翌1972年1月に同曲をシングル・カット。『ビルボード』誌の1972年年間チャートの1位を記録し、第15回グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞した。

 

 

1972年4月、ソウル・シンガーのダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway/1945年10月1日-1979年1月13日)との連名でアルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』(Roberta Flack & Donny Hathaway)をリリース、全米3位・R&B2位を記録した。ここからは、1971年に先行リリースしたハサウェイとのデュエット・ナンバー"You've Got a Friend"が全米29位・R&B8位・AC36位、"You've Lost That Lovin' Feelin'"が全米71位・R&B30位、さらに“恋人は何処に”(Where Is the Love)が全米5位・R&B1位・AC1位とヒットした。

 

 

 

 

 

1973年8月1日、アルバム『やさしく歌って』(Killing Me Softly)をリリース、全米3位・R&B2位。タイトル・トラック“やさしく歌って”(Killing Me Softly with His Song)も全米1位・R&B2位・AC2位の大ヒットを記録。邦題では“キリング・ミー・ソフトリー”と表記されることもあるこの曲の世界的により、グラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの三部門で受賞した。最優秀レコード賞(Record Of The Year)を2年連続で受賞したのは、フラックの他にはU2のみである。アルバムからは他に、"Jesse"が全米30位・R&B19位・AC3位になった。

 

 

 

 

1974年、次のアルバムからのリード・シングルとしてタイトル・トラック“愛のためいき”(Feel Like Makin' Love)を先行リリース、全米1位・R&B1位・イージーリスニング・チャートでも1位を記録した。

 

 

1975年3月、5thソロ・スタジオ・アルバム『愛のためいき』(Feel Like Makin' Love)をリリース、全米24位・R&B5位・ジャズ11位。

 

 

1977年12月13日、6thソロ・スタジオ・アルバム『愛の世界』(Blue Lights in the Basement)をリリース、全米8位・R&B5位。ここから、ハサウェイとの共演ナンバー“私の気持ち”(The Closer I Get To You)が全米2位・R&B1位・AC3位の大ヒットとなった。

 

 

 

1978年、原題ではセルフ・タイトルとなったアルバム『愛の絆』(Roberta Flack)をリリース、全米74位・R&B37位。ここからは、"If Ever I See You Again"が全米24位・R&B37位・AC1位になった。

 

 

1980年3月、ダニー・ハサウェイと1972年以来2枚目となるデュエット・アルバム『ダニーに捧ぐ』(Roberta Flack Featuring Donny Hathaway)を発表、全米25位・R&B4位・ジャズ9位・全英31位。ここからは、"You Are My Heaven"が全米47位・R&B8位・AC46位、"Back Together Again"が全米56位・R&B8位・全英3位、 "Don't Make Me Wait Too Long"が全米104位・R&B67位になった。

 

 

 

 

12月1日、ピーボ・ブライソン(Peabo Bryson)との連名で、ライヴ・アルバム『ライヴ&モア』(Live & More)をリリース、全米52位・R&B10位。ここからは、"Make the World Stand Still"がR&B13位になった。

 

 

1982年2月8日、先行シングル“メイキン・ラブ”Making Love"が全米13位・R&B29位・AC7位とヒットした。

 

5月1日、アルバム『アイム・ザ・ワン』(I'm the One)をリリース、全米59位・R&B16位。

 

 

1983年7月22日、ピーボ・ブライソンとの連名でスタジオ・アルバム『愛に生きて』(Born to Love)をリリース、全米25位・R&B8位。ここから、ブライソンとのデュエット・ナンバー“愛のセレブレイション”(Tonight, I Celebrate My Love)が全米16位・R&B5位・AC4位・全英2位とヒットした。

 

 

1988年11月1日、アルバム『オアシス』(Oasis)をリリース、全米159位・R&B24位。ここからのシングルは、タイトル・トラック"Oasis"がR&B1位・AC13位、"Uh-Uh Ooh-Ooh Look Out"がR&B37位・米ダンス・チャート1位・全英72を記録した。

 

 

 

1991年9月17日、アルバム『ナイト・トゥ・ミュージック』(Set the Night to Music)をリリース。

9月、マキシ・プリースト(Maxi Priest)とデュエットしたタイトル・トラック“ナイト・トゥ・ミュージック”(Set the Night to Music)が全米6位・R&B45位・AC2位とヒットしている。

 

 

1992年、アルバム『Stop The World〜時間よ止まれ』(Stop the World)を発表。

 

 

1994年、アルバム『ロバータ』(Roberta)をリリース。

 

 

1996年、シングル"Killing Me Softly with His Song"をリリース、米ダンス・チャート1位をマークした。

 

 

1997年、アルバム『The Christmas Album』をリリース。

 

 

1999年、髙橋真梨子の曲を英語詞でカヴァーしたアルバム『フレンズ〜ロバータ・フラック・シングス・マリコ・タカハシ』(Friends: Roberta Flack Sings Mariko Takahashi)をリリース。

 

 

2003年、アルバム『Holiday』をリリース。

 

 

2008年、ライヴ・アルバム『At Her Best – Live』をリリース。

 

 

2012年、ビートルズのカヴァー・アルバム『レット・イット・ビー・ロバータ』(Let It Be Roberta: Roberta Flack Sings the Beatles)をリリース。

 

 

2014年には平井堅のアルバム『Ken's Bar III』に収録された“やさしく歌って”のカヴァーに本人参加した。

 

 

2022年11月、ロバータ・フラックが筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis/略語:ALS)に罹患して現在闘病しており、会話することも困難になったことが広報担当者により公表された。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ロバータ・フラック」「Roberta Flack」

 

 

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