本日は、息子の6歳の誕生日。
振り返れば、楽しい6年間であった。
結婚にしても、育児にしても、
思い通りにいかず、自分を調整させる
人格強制ギブスのようなものであると感じる。

力に逆らわず、上手に、キレイなフォームで
接すると、非常にうまく機能するし楽しい。
結果も良い。
逆に、親の権力や凄みを使い、力任せに
黙らせようとすると結局うまくいかない。
これは、夫婦間、仕事場でも一緒ですね。

こうした自分の傾向を直視させられる機会として、
これまでとは違うアプローチの仕方を学ぶ機会として、
結婚や育児というのは本当にありがたい存在です。


他にも、色々な変化を生んでくれました。
息子が生まれてから、パパ友、ママ友が増え、
これまでとは違うつながりが生まれた。
また、地域とのつながりも強くなってきた。

恵比寿に越してきて11年になりますが、
地域とのつながりが生まれたのは
息子が幼稚園に行き始めてからのこと。

地域のお祭りに参加したり、
幼稚園で裏方を任されたりして輪が広がる
地域と接するには、子どもがハブとなるのだなぁと実感しますね。


逆に、お年寄り、独身者、子どものいない家庭は
地域とのつながりが生まれにくいのかもしれない。

地域とのつながりは、ある意味、
自由でいられるばかりではなく、
面倒なところもあるので、
必然が無ければ繋がらないのは、
当然と言えば、当然である。
(自分自身がそうであったように)

とはいえ、自由でいられなくなることが、
自分を豊かにしたり、
逆に自由になるキッカケにもつながるんですね。

これからの人生も楽しみである。
まずは、息子ちゃん、6歳の誕生日おめでとう!
年度末と4月を控えるこの時期ですが、
経営企画部門やら人事部門の方と良くお会いします。

我々の会社は、単発の研修というよりも
組織課題を解決したり、組織の地力を向上させる取り組みが多い。
そのせいもあり、スキル研修をポンとつけるよりも
現場での実践やら、社内での取り組みなどを支援促進します。

結局のところ、現場で成果を出そうとすれば、
研修だけでは難しい。

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おそらく、このことについては、
誰も反対を唱える人は少ないと思う。
人事や企画部門の方と話しても同じ反応。

しかしながら、面白いことに、
そのような提案が通るかといえば
必ずしもそうではない。

予算、現場の声、部門長の思惑、
他の研修などの取り組みとの兼ね合い
などなど、本質的な問題には
なかなか手を突っ込もうとしない。

結果、経営者や現場の人が本当に望む
取り組みには手を出せないまま、評判が下がる。

残念なことに、こうした話は非常に多い。


組織力や経営課題の多くは、
個々の人間の意識や行動に依存しているのは事実です。
しかし、その原因は個人の中にあるよりも
関係性や環境によるところが大きい。

しかも、社内全員が当事者なので
人事や企画部門すらその組織の問題の構成要素であり、
問題を解決させない片棒を担いでいる場合が多い。

そうした自分の立場、環境や関係を
客観的に見てみることは重要なことだ。
(特にスタッフ部門はそれが仕事だ)

特に、厳しい経営環境においては、
各部門のスタッフ、課長レベルの決断も
大きなインパクトになりえる可能性がある。

その上で、全社にインパクトのある取り組みに向け、
勇気ある決断を行い、行動することが必要だ。


さて、人事異動や組織変更を控え、
どのくらいの会社が本気で経営課題に取り組むか。
この時期から夏にかけての出会いが楽しみです。
弊社の60歳オーバーのオヤジさんがいる。
彼はイロイロなボランティアに参加し、
社会システムの向上、支援を地道にしていただいている。
本当に頭の下がるオヤジさんである。

さて、そのオヤジさんの日記を今日は引用してみたい。


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昨日訪問したグーループホームは組織運営上の問題が散見された。

ホーム長は、理想が高く、勉強もしていて、
目標に向かって進む意思も強く立派な管理者である。
しかし、利用者にとって住み心地の良いホームになっているかと言うと
そのようには感じられない。

原因は管理者と職員との意識のギャップにあるような気がする。
管理者は理想の具現化のため、職員に対し
研修、ミーティング等熱心な指導を行っているが、
それが返って職員のプレッシャーになり、
思うようなサービスに繋がってゆかない。

管理者が、職員の気持ちを汲んで、
職員の立場で考えていない点がギャップを生む原因のようだ。
介護職員は低い給与にも拘わらず、
老人の笑顔が救いで仕事をしている人が多い。

正論と現実の差、意識や視点の差がそうさせているようだ。

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こうした事例は本当にどこにでも転がっている。
ある意味、我々のサービスが求められる代表的な事例といえる。


多くの組織で、目指すべき状態があり、
その実現に向けて仕組みや制度、システムを導入する。
しかし、現実にはそう簡単にはいかない。
人間の社会はそんなにシンプルではないのだ。

導入準備の甘さや、日常の運用との乖離があり、
現実的には、当初の想定の半分も機能していないことが珍しくない。

ある調査によれば、ITシステム導入における
プロジェクトの失敗率は実に70%に上るとも言われている。
また、ISO導入企業で生産性向上に寄与し、
仕組みを使いこなしている企業は半分にも満たないという調査結果もある。


こうした原因は、あるべき論と現実のスキマを埋めずにいたこと。
この小さな、見逃してしまいがちなスキマはのちに大きなギャップを生む。

私自身、大手建設会社に勤務していた頃にも数多く目にしたし、
自分が盲目的にISOや業務システム導入を支援し、
失敗したとても苦い経験を持っている。

だからこそ、今、こうしたスキマを埋めるサービスを提供している。
スキマにこそ、成功の可否が隠されている。


ただ、本来、こうしたスキマを埋めることこそ、
管理職層に求められることであり、組織の成長の機会だ。

皆さんの職場はどうだろうか?
あるべき論と現実のスキマを埋める努力は
どの程度なされているだろうか?

おススメは、ゴールを見据えつつ、
小さく始め、現場に埋め込み、徐々に広げる進め方だ。

心当たりのある経営者、管理職の方には
ぜひ、大上段にぶち上げた理想を、
一旦、保留し、改めて、小さく始める勇気を持っていただきたい。

きっと、ギャップは解消され、生産性と一体感を手に入れることができる。
裁判員制度で、初めての死刑判決が出た。
裁判員の心のケアが必要であると言われている。

一昨年、NHK特集で裁判員制度に先立ち
模擬裁判の裁判員の取り組みを
ドキュメンタリーで追った番組が放送された。



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その中でも、死刑判決が出されたのだが、
非常に厳しく、悩ましいやり取りが繰り広げられた。
法律用語と日常用語の違い、
法律のとらえ方と更生の可能性、
被害者の家族と被告の家族
当事者たちの背景や状況、感情など

観ているこちらも、息詰まる雰囲気であった。
その裁判員の言葉には
「裁判員を模擬でも体験することで自分自身の人生観が変わった」
「人生や社会、法律などを深く考えるようになった」
といったものがあった。

私個人としても、同じ感想を持ち、
社会保障の重要性、死刑への疑問を強く意識するとともに、
社会システムに参加することで、
そのことについて、初めて当事者として考えるのだとも感じた。

自分自身が裁判員に選ばれたなら、
おそらく非常に悩むことになるだろうし、
その人だけでなく、社会制度などについても
思いが及ぶだろうと想像できる。

裁判員の心のケアは必須だと感じると同時に、
裁判員のケアだけにとどまらず、
社会全体としての方向性も考え、
積極的に取り組みたいと感じた。
昨日、白鵬の連勝記録が63でストップした。
これまでの戦いぶりからすれば、ちょっとあっけない、らしくない取り組み。
いろいろなプレッシャーもあったことだろう。

さて、本当かどうかはわからないが、
あえてひねくれた見方をしてみよう。

白鵬が敗れたのは何故か?
心技体を失ってしまったからというのは間違いないだろう。
果たしてその原因はなにか?

・連勝のプレッシャー
・相手の張り手
・出稽古不足
・外部からの無言の圧力
などなど、いろいろ考えられる。

個人的に思うのは、各界内での
記録更新に係る複雑な思いもあるかもしれない。
外国人力士が、今でも人気を誇る日本人力士の記録を
新しく塗り替えることは、
必ずしも歓迎ばかりではないだろう。

野球界においても王貞治の55本塁打の記録は
ある意味、抜いてはならない記録であったように思う。
この辺りに日本社会の閉鎖性を感じる。
(ただし、日本に限ったことではない)


もう一つ、さらにうがった見方をしてみると、
そもそも白鵬の連続記録が注目されたのは、
いろいろな問題がおこり、相撲人気に陰りが見え始めたころ。

ひょっとすると、その話題づくりという力も
どこかで働いたかもしれない。


こうして書いてみると、とても嫌な感じがしますね(笑)
でも、同じようなことが日常生活にはあふれています。
職場にも、家庭にも、友人関係にも。

結局のところ、言いたいことは
出来事にだけ振り回されず、
その背景や関係性を見ることが大事ということ。

こうした関係と構造に着目する考え方は
システム思考なんて言われ方します。

その昔、NYが犯罪都市であったころ、
その対策に地下鉄の落書きを消して回ったことも、
システム的なアプローチといえます。

$会社を変えよう!風土を変えよう!変革を支援するイノベーションアソシエイツ-NYの落書き


しかし、日常の中でこうしたことを感じ取ることは難しい。
なぜなら、自分自身もその関係性のど真ん中にいて、
自分の立場や行い、感情をなどを冷静に捉えることが困難だから。

改めて、立ち止まって、今うまくいっていること、
うまくいっていないことの背景や関係性を見てみると
新たな発見があるかもしれない。
最近、子育てについて夫婦で話し合う。

我が家には5歳になる息子がいる。
最近、短気で切れやすい彼について話した。
本当に最近の彼はヤクザばりの絡み方で、
肩が触っただけで、「お母さんがぶった!」と言いがかりをつける。
本当に呆れ返るくらい((+_+))

$会社を変えよう!風土を変えよう!変革を支援するイノベーションアソシエイツ-893さん


最近、ちょっとイベントや運動が多くて
疲れから来るのだろうと早寝を進めているが、
一週間ほどたっても、ほとんど改善されない。


原因は、嫁がプレッシャーをかけすぎるからか?
と、よこしまな原因を想定して、
よし、自分が優しい対応をとろうと決めて
じっくりアプローチする。
結構、じっくり話し合いに挑戦した。
しかし、あまりのウザさに、つい大声をあげてチカラでねじ伏せようとする私。
台所でニヤニヤ見ている嫁。

なかなか難しい。


布団の中でイロイロと話のなかで出た言葉。
「ひょっとして、反抗期?」
早速、iphoneを取り出してWebで調査!
(お布団でネットサーフィンができて超便利)

すると、出るわ出るわ、
身に覚えのありまくるお母さんの告白。
愚図る子供に正論やチカラでねじ伏せて
関係は益々悪化していく事例ばかり。

いくつかの事例を、読み上げてみると
嫁も私も自分のことを誰かが見ているのでは?
と錯覚するくらい、我が家と同じことが起きていました。

どこの家族も同じなんですね。


結局のところ対応策は、
・夫婦が仲良く笑顔でいること。
・親として納得できないことでも
・抱きしめて「そうだね、ゴメンね」と受け入れること。
・失敗も全部「スゴイね、ありがとう」ポジティブに伝えること。

中でもスゴイ!と思った事例はは

牛乳をこぼした時、「スゴイね!自分で取ろうとしたんだね!」
「テーブルは汚れていたから、丁度拭こうと思ってたんだ、ありがとう!」
と対応してみる。

という事例。
仕事柄、比較的物事をポジティブにとらえるほうだが、
ここまでは考えが及ばなかった!
(いや、お客様には伝えているなぁ)

「わかっている」のと「できる」のは
やっぱり全然違うなぁとしみじみ。


で、まずは一切怒らずに、すべてをポジティブにとらえ
抱きしめてあげることを実践してみました。

すると、たった1日、2日で息子の状態は
劇的に改善し、ご機嫌ボーイに変身!
スゴイ!


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確かに、ぐずぐずすることはありますが、
夫婦で「今は反抗期だしね」とあきらめて
受け容れてあげれば、すぐに機嫌が直ります。

家族も、子育ても、職場も、お客様とも
相手を尊重し、受け容れることが本当に大事だなぁと
しみじみと実感する出来事でした。

現状に反応しないで、ちょっと未来を創造して
今を俯瞰すると、「受け容れる」って行動を
洗濯できるようになるもんですね。

自分の戒めのために、こんなエントリーを書いてみました。
最近は、子育てを通しての発見が多いなぁと感じます。
その一つは、昨今の日本の社会には競争が不足。

何のことはない、幼稚園での運動会で、走る子供たちをみて、
その変化に驚き、人の本質を感じたのです。

ウチの息子は、恐ろしいほどに父親に似て
マイペースで幼稚園に行くのもモタモタ、
幼稚園から帰るときにも、用意をして出てくるのは最後のほう。
なかなか、自分から積極的にイチバンを取りに行こうとしないのです。

そんな姿を見て、ジレジレしてしまう親たち(笑)

そんな彼も、駆けっこでは燃える。
以前は、負ける喧嘩はしない系で、
積極的に走ろうとはしなかったのですが、
ほめちぎり、「俺はひょっとして早い?」と
本人が自覚し始めたあたりから、
よく走るようになり、負ければ悔しがるようになり
その結果、本当に足が速くなってきたんですね。

先日の日経新聞で富士フイルムHD・古森重隆社長が書かれていました。

「競争することで、努力する、強みと弱みを実感できる。
強みを探し、そこで勝負しようとする。
そこで、折り合いと自信をつける。」


正にその通りだなぁと実感。
自身を持たすのは、負けさせないことではなく、
勝たせる、できるという経験が重要ですよね。
いろいろな競争の場面を作り、それぞれを認めてやればよいんです。


似たような話が、日本のサッカーの話があります。
日本のサッカー選手が世界レベルにいけない理由の一つに
トーナメントシステムがあるそうです。

スペインでも、南米でもどこに行っても
サッカーの指導方法はそれほど違わず、
日本はむしろ進んでいるほうだそうです。

しかし、違うのは試合の数と仕組み。

スペインなどは、細かくレベル分けされたリーグがあり、
リーグは、毎週末開催されるし、
一つのクラブチームから、何チームでもリーグに参加できる。


これが、どんな違いを生むのかといえば、
・試合経験の圧倒的な数、
・試合に臨むメンタル(ここでお終いではなく、来週もある)
・PDCAサイクルの数。

日本では、強いチームのレギュラーばかりが
何試合もこなし、弱いチームの補欠は試合に出られない。
結局、試合が一向に上達しない。

その結果として、2極化が進み、裾野が広がらない。


あっぱり、結果平等ではなく、機会平等で
何度でもリベンジが可能であることが重要である。
(実現できなかったが、数年前の自民党、安倍内閣のコンセプトは悪くない)


世の中に目を向けたときの注意点は、
競争は自分の哲学を押し付けるのではなく、
同じルールの上で行われるべきだ。

戦争とは違う。

日本の社会に、良質な競争と
再チャレンジの機会が増大することを切に願う。

まずは、自分の実践と、子どもたちの支援からだね。
昨晩、久しぶりに録りためたビデオを観ました。
ウチの坊主が先に寝たので、久しぶりのドキュメンタリー。

NHK特集で「貧者の兵器とロボット兵器」というもの。
かいつまんで言えば、アフガニスタンでのテロ組織に対して、アメリカがロボット兵器を駆使して闘っているといもの。

以下、NHKwebからの引用
http://www.nhk.or.jp/special/onair/101017.html
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9.11同時多発テロから9年、米軍とタリバンの泥沼の戦闘が続くアフガニスタン。ここに歴史上初めての全く新しい戦争の姿が出現している。ハイテク無人機など“ロボット兵器”を駆使する大国正規軍と、カラシニコフ銃や手製爆弾など旧式の“貧者の兵器”に頼る武装集団が、互いの姿の見えない戦場で対峙する究極の“非対称戦争”だ。
知られざるその実像をとらえた膨大な映像記録をNHKは入手した。そこにたびたび登場するのがタリバン最強硬派の「ハッカーニネットワーク」だ。自爆軍団として米軍に恐れられ、無人機攻撃の最大の標的にもなっている。

だが、ソビエトがアフガンに侵攻した80年代、首領のハッカーニは反ソ勢力として最も頼りになる米国の友人だった。武器の供給から爆弾の製法まで、米国の支援で力を蓄え、皮肉にもそれが今、米軍を苦しめている。

今、米国はハッカーニらのゲリラ戦から自国兵士を守るため、ロボット兵器を次々と開発し、米本土から遠隔操作で攻撃を行う。だが誤爆も相次ぎ、犠牲者周辺からタリバン予備軍を生み出す憎しみの連鎖も呼んでいる。“貧者の兵器”対“ロボット兵器”。その実態を描き、21世紀の新たな戦争の姿とその脅威に迫る。
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観終わった感想は、極めて嫌な感じのするものでした。

ロボット兵器で遠隔操作により人をゲームのように殺す米兵。
資金もなく、特攻、人間爆弾によるテロを推し進めるテロ組織。
ゲーム感覚で、お気軽に戦えると笑顔で話す若い米兵。
殺傷能力の高さをロボット兵器見本市で自慢げに語る営業マン。
麻薬やマインドコントロールも使いながら殺人者を育て上げるテロ組織。

どちらも、終わりのない戦いの螺旋の上に乗り、その戦いはエスカレートしていく。
冷戦の時のように、相互が怖れながら国の威信をかけて戦うものとは異質なもの。
もっと、生々しい人と人との殺し合いの現場がそこにはあり、今も生死の境界線上にいる。


戦うことに、強い嫌悪感を感じ、
いろいろなものの見え方が変わったように思う。

たとえば、我が家のお掃除ロボットルンバ。兵器メーカーのiRobot社のもの。
あの掃除機の先には殺人兵器がある。
息子の観ている戦隊シリーズもこちらの理論を暴力で解決するという見方もできる(苦笑)
(アンパンマンですら、暴力で解決してるなぁ・・・)

戦いや競い合いがダメなのではなく、こちらの価値観やルールが合致しない相手を
暴力によって服従させるというアプローチには疑問、違和感を感じるということ。


こんなにも、敏感に反応するのは数日前にも似たような感じを体験したからだ。

数日前に神戸に出張した際に、
若いカップルが痴話喧嘩をしているのに遭遇した。
すこし強面のヤンチャな感じのお兄さんでしたが、
彼女らしき女性に大声で怒鳴り散らし、
女性の自転車を蹴散らし、威嚇している。

とても、嫌な雰囲気が流れている。
その後、彼女の心は彼を信頼し、受け入れるだろうか?
おそらく、答えはNoである可能性が高い。

彼は、自分の思い通りにさせたいという欲求と
その欲求によってとった行動が、
自分の理想のゴールから遠ざかっていくことを理解できていない。
(他人の状況は理解できるのンだと思いますが)

こうした、自分の行動が相手の感情や行動を刺激し、
その相手の行動が自分の意識と行動をさらに刺激し、
相互にエスカレートしていく状況を「共依存」というのですが、
正に、モデルのような状況ですね。

もっと悩ましいのは、私自身、息子や奥さんと
自分の欲求(息子、奥さんにはこうあってほしいという思い)から
彼や彼女に大声による威嚇や、威圧的な態度で以て、
相手を支配、服従させようとしていたりします。

その時、一時的に相手は、私の言うことを聞きます。
(当然、言うことを全く聞かないこともありますが)
どちらにせよ、その後は良い関係、良い結果を生みません。


結局のところ、自分の欲求を相手に力で押しつけたのでは変わらないのです。
アメリカとアフガニスタンの戦いは非常に悲惨で、
オバマ大統領、テロ組織のリーダーたちの賢明で勇気ある決断を祈念します。

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それだけではなく、私たち自身も相手の価値観を受け入れ、
威嚇や腕力、争いによる解決でない方法を考え、
実践し、学び、育てなければならないのだと強く感じました。

時には、幼い子どもと、テレビ番組についてさえ
語り合わなければならないのかもしれません。
(この辺りは、実に難しさを感じるところですが)

育児5年生の父として、
迷わぬはずの40歳の男性として
頑張っていこうと、小さな決意をした日でした。
サッカー日本代表はWCでベスト16、勝ち点1で単独9位
本戦が始まる前の状態、下馬評からすれば
「世界を驚かす」まではいかないものの
「日本を驚かし」「世界に存在感を見せつける」ことはできたと感じますね。

その原動力というのは色々あると思いますが、
やはり「チーム力」といのは外せないと思います。

インタビューに答える選手たちの口から必ず聞かれること
それが「メンバー、スタッフが一丸となっている」「雰囲気が良い」
というフレーズ。
中沢選手からキャプテンを譲り受けた長谷部選手も
「このメンバー、スタッフともっともっと闘いたかった」
やんちゃな大久保選手も
「このチームでもっと闘えば、このもっと強くなる」
といったコメントを残している。
そしてチーム力の高いチームは結果を残す。
野球のWBCにおいても原ジャパンのチーム力は素晴らしく高かった。

チーム事情で大揺れに揺れたカメルーンやフランスの
グループリーグ敗退をみれば、これは明らかではないだろうか。

改めて考えてみれば、このチーム力は偶然の産物か?

前回のドイツ大会で日本代表の選手から
よく聞かれたフレーズは
「もっとコミュニケーションをとらないと」
というフレーズ。
はた目から見ていても決してうまく機能している印象は無かった。

おそらく、今回の岡田監督は、
代表チームの特殊性を理解し、
一体感を高める何かしらの施策を
打っていたのではないだろうか。

結果が出ていない状況の時ですら、
選手たちは「雰囲気は良い」と話していた。
本戦に入り、更にそこが高まった。
とても偶然の産物だとは思えない。

結果を出すには、チーム力を高めることが最も重要な要素の一つである。


さて、皆さんに質問です。

あなたの職場、チームのチーム力度は100点満点で何点でしょう?
昨年と比べ、個々人の能力は高まりましたか?
昨年と比べ、チーム全体のチーム力は高まりましたか?
これらの結果は狙っていたものですか?
結果を出すため、どのような取り組みをしましたか?
その取り組み度は、100点満点で何点でしょう?

もしあなたが、チームをまとめるリーダーなら、
チーム力を高めるために目的とゴールを設定し、
そこに向かって頭と時間と体を使って取り組まなければなりません。

きっと、日本代表のように素晴らしい結果をつくることができるはずです。
わが社のチームも日本代表に負けていませんよ(*^_^*)

●トヨタが20年ぶりに「係長」を復活
6月11日付の日経新聞にこんな記事が出ていた。いまさら何故?
そのように感じる人も少なくないのではないだろうか?

90年代、意思決定の迅速化を受けてフラット型の組織へと多くの企業が舵を切った。
その結果、現場からの声はスピーディーに部長クラスへ届くようになった。
組織としてのスピード感も増大した。私自身もそのように感じている。

●最近の部長、課長は小粒
一方、中間管理職が削減された一方で、選びぬかれた課長、部長の能力はどうだろうか?
残念ながら、ここ数年の課長、部長のレベルは決して高いレベルにあると感じられない。
むしろ後退しており、一昔前の係長の仕事を課長が、課長の仕事を部長が担当している。
昔は大きな権限持つ象徴として「大課長」という言葉すらあったが、今は見る影もない。
中間管理職の数は減ったが、レベルは一段落ち込んでしまっている。

●マネジメントは経験
その一因は、若手がマネジメントを経験する機会が激減したことだ。
私の友人の勤める大手エネルギー会社では40歳になっても役職が回ってこず、部下がいない。
社会人になって20年近くマネジメントを経験することができない。
残念な事に、マネジメントは経験しなければ、その能力を高めることはできない。
予め書籍や研修などにより、リスクやノウハウを手に入れることはできるが、
迫りくる時間や成果のプレッシャーを感じながら生身の人間を相手にすることでしか、
マネジメント能力は高まらないと感じている。

●プレイングマネジャーの弊害
もうひとつの原因はマネジャーのプレイングマネジャー化である。
現在、課長の80%以上が実務をこなすプレイングマネジャーであり、
そのうちマネジメントに割く時間はわずか1日1時間を切る。
この時間にはコミュニケーションや戦略を練ることも含まれている。
マネジメントを欠いた組織が出来上がり、完全に思考停止状態である。

●踊り場のポジション
以前であれば、係長、課長代理などの管理職一歩手前の時期があった。
そのポジションの時期に「マネジメントとは何か」を学ぶと同時に、
課長はマネジメントに専念できる体制が出来上がっていた。
フラット化はマネジャーとしての修行期間とマネジメントの時間と機会をも消し去っていたのである。


●マネジメントの現場
私はコンサルティングを行う中で、新任マネジャーや部長クラスの方々向けの
研修やワークショップを担当することが少なくない。
その中で、新任マネジャーは大いなる不安を抱える一方で、
多忙のあまり部下への配慮が不足し、メンタルヘルスや若手の伸び悩みを生み出している。
部長は部のマネジメントや業務に追いまわされ、事業戦略にすら意識を向けられない現状を目の当たりにしている。
こうした状況は、中長期的にみて決して健全な状況とは言えない。

●脱思考停止
係長システムの採用で、管理職が考える機会の確保できることは望ましいことだと思う。
ただし、単に時間を確保するだけでは意味がない。
ゆとり世代に代表されるように「ゆるい」だけでは思考力は高まらないのである。
グローバルに勝ち残れる事業戦略やイノベーションを生み出す能力を課長、部長に明確に求めることも同時に必要だろう。
いずれにせよ、新しいマネジメントスタイルに舵を切ったトヨタを今後も注目しつつ、
今後の日本企業の動向に注目したいと思う。