●トヨタが20年ぶりに「係長」を復活
6月11日付の日経新聞にこんな記事が出ていた。いまさら何故?
そのように感じる人も少なくないのではないだろうか?

90年代、意思決定の迅速化を受けてフラット型の組織へと多くの企業が舵を切った。
その結果、現場からの声はスピーディーに部長クラスへ届くようになった。
組織としてのスピード感も増大した。私自身もそのように感じている。

●最近の部長、課長は小粒
一方、中間管理職が削減された一方で、選びぬかれた課長、部長の能力はどうだろうか?
残念ながら、ここ数年の課長、部長のレベルは決して高いレベルにあると感じられない。
むしろ後退しており、一昔前の係長の仕事を課長が、課長の仕事を部長が担当している。
昔は大きな権限持つ象徴として「大課長」という言葉すらあったが、今は見る影もない。
中間管理職の数は減ったが、レベルは一段落ち込んでしまっている。

●マネジメントは経験
その一因は、若手がマネジメントを経験する機会が激減したことだ。
私の友人の勤める大手エネルギー会社では40歳になっても役職が回ってこず、部下がいない。
社会人になって20年近くマネジメントを経験することができない。
残念な事に、マネジメントは経験しなければ、その能力を高めることはできない。
予め書籍や研修などにより、リスクやノウハウを手に入れることはできるが、
迫りくる時間や成果のプレッシャーを感じながら生身の人間を相手にすることでしか、
マネジメント能力は高まらないと感じている。

●プレイングマネジャーの弊害
もうひとつの原因はマネジャーのプレイングマネジャー化である。
現在、課長の80%以上が実務をこなすプレイングマネジャーであり、
そのうちマネジメントに割く時間はわずか1日1時間を切る。
この時間にはコミュニケーションや戦略を練ることも含まれている。
マネジメントを欠いた組織が出来上がり、完全に思考停止状態である。

●踊り場のポジション
以前であれば、係長、課長代理などの管理職一歩手前の時期があった。
そのポジションの時期に「マネジメントとは何か」を学ぶと同時に、
課長はマネジメントに専念できる体制が出来上がっていた。
フラット化はマネジャーとしての修行期間とマネジメントの時間と機会をも消し去っていたのである。


●マネジメントの現場
私はコンサルティングを行う中で、新任マネジャーや部長クラスの方々向けの
研修やワークショップを担当することが少なくない。
その中で、新任マネジャーは大いなる不安を抱える一方で、
多忙のあまり部下への配慮が不足し、メンタルヘルスや若手の伸び悩みを生み出している。
部長は部のマネジメントや業務に追いまわされ、事業戦略にすら意識を向けられない現状を目の当たりにしている。
こうした状況は、中長期的にみて決して健全な状況とは言えない。

●脱思考停止
係長システムの採用で、管理職が考える機会の確保できることは望ましいことだと思う。
ただし、単に時間を確保するだけでは意味がない。
ゆとり世代に代表されるように「ゆるい」だけでは思考力は高まらないのである。
グローバルに勝ち残れる事業戦略やイノベーションを生み出す能力を課長、部長に明確に求めることも同時に必要だろう。
いずれにせよ、新しいマネジメントスタイルに舵を切ったトヨタを今後も注目しつつ、
今後の日本企業の動向に注目したいと思う。