おしゃべりイタリアーノ!! -166ページ目

ho capito.

壁画修復士をめざして、イタリアにやって来た頃は、まあめちゃくちゃやった。
今から思うと、その時しゃべれた数少ないイタリア語のフレーズには、
ひとつひとつ思い出がある。



ちょうどイオの出発日は、姉のブラジルからの帰国後10日といったところだったけれど、
一人で旅立つ妹が心配だったらしく、ついて来てくれた。
何年も仕事でブラジルへ行っていた姉が帰ってきたかと思ったら、
次は妹が旅立つというバタバタ… (ノ゚ο゚)ノ



チビの頃から外国には、旅行や、住んだりの経験もあったけど、
いつも家族一緒やったし、
その家族たちは、外国に住むにあたって、華やかじゃない部分も
実際経験して、知っていただけに、
このチビが、なんの頼りもなく、一人で旅立つとなると、心配だったんやろうと思う。



外国人大学推薦の不動産屋さんと、一生懸命メールでやりとりして、
予約してあった、イタリア初めてのアパートのオーナーは、
ぼったくりのおばちゃんで、


…確か、サントゥッチという名前だった。
のちに、この家をサントゥッチハウスと呼んでいる。



その月は残り10日なのに、丸々その一ヶ月分の高額家賃を払わせた上に、
姉の姿を見て、



「あら、お姉さんをどこに泊まらすつもり?」



「私と寝ます。」



と言ったら、
「じゃあ、あと200ユーロね。」



っと更に、ふんだくられた!
ホテルじゃないんやから、部屋を借りてるんやし、
自分の家に自分の姉を泊まらすのは普通やと思いながらも、
言葉がしゃべれないと、言われるがままなんやな、こういう場合。



それに、こっちは、何時間の旅してきてると思ってんねん!
早く休ませてぇ~!って感じやったしね。



イオの友達の中では、このオーナーはかなりの悪徳オーナーとして今や有名だ。



ということで、到着した日の翌日から、
滞在許可証の手続きや、大学のコースの手続き、レッスンレベルを決める試験、
そして、新しい家探しをバタバタとがむしゃらに始めたのだった。



どこへ行っても、はっきり言って、何言われてるのかわからなかったし、
オウムのように、知ってるフレーズを、ただ繰り返し繰り返し言っていた記憶がある。



心配でついて来てくれてた姉の前で、
「大丈夫だよ!」を見せようと、
初日から毎日、全力疾走状態やった。
日本人の知り合いも居なかったしね。



こんな状況の中、家を見る為にオーナー達と約束する電話をかけたり、
色んな手続きをしに行く度に、イオが



ho capito
オ カピート




$おしゃべりイタリアーノ!!-30/05/2011_01





ho capito!  ho capito!
オ カピート オ カピート



と連呼していて、そんなイオを見て姉は、



「この子ホンマはわかってないのに… 大丈夫やろか?」 (・_・;)



と不憫に思ったという。



というのも、
ho capito オ カピート
の意味は、「わかりました。わかった。」だから。



あー今思い出しても、こみ上げてくるものがある。
姉と二人で、笑い泣きになるエピソード。



イオのイタリア滞在はこんな風に始まったんですよ。



(・ω・)/