ho capito.
壁画修復士をめざして、イタリアにやって来た頃は、まあめちゃくちゃやった。
今から思うと、その時しゃべれた数少ないイタリア語のフレーズには、
ひとつひとつ思い出がある。
ちょうどイオの出発日は、姉のブラジルからの帰国後10日といったところだったけれど、
一人で旅立つ妹が心配だったらしく、ついて来てくれた。
何年も仕事でブラジルへ行っていた姉が帰ってきたかと思ったら、
次は妹が旅立つというバタバタ… (ノ゚ο゚)ノ
チビの頃から外国には、旅行や、住んだりの経験もあったけど、
いつも家族一緒やったし、
その家族たちは、外国に住むにあたって、華やかじゃない部分も
実際経験して、知っていただけに、
このチビが、なんの頼りもなく、一人で旅立つとなると、心配だったんやろうと思う。
外国人大学推薦の不動産屋さんと、一生懸命メールでやりとりして、
予約してあった、イタリア初めてのアパートのオーナーは、
ぼったくりのおばちゃんで、
…確か、サントゥッチという名前だった。
のちに、この家をサントゥッチハウスと呼んでいる。
その月は残り10日なのに、丸々その一ヶ月分の高額家賃を払わせた上に、
姉の姿を見て、
「あら、お姉さんをどこに泊まらすつもり?」
「私と寝ます。」
と言ったら、
「じゃあ、あと200ユーロね。」
っと更に、ふんだくられた!
ホテルじゃないんやから、部屋を借りてるんやし、
自分の家に自分の姉を泊まらすのは普通やと思いながらも、
言葉がしゃべれないと、言われるがままなんやな、こういう場合。
それに、こっちは、何時間の旅してきてると思ってんねん!
早く休ませてぇ~!って感じやったしね。
イオの友達の中では、このオーナーはかなりの悪徳オーナーとして今や有名だ。
ということで、到着した日の翌日から、
滞在許可証の手続きや、大学のコースの手続き、レッスンレベルを決める試験、
そして、新しい家探しをバタバタとがむしゃらに始めたのだった。
どこへ行っても、はっきり言って、何言われてるのかわからなかったし、
オウムのように、知ってるフレーズを、ただ繰り返し繰り返し言っていた記憶がある。
心配でついて来てくれてた姉の前で、
「大丈夫だよ!」を見せようと、
初日から毎日、全力疾走状態やった。
日本人の知り合いも居なかったしね。
こんな状況の中、家を見る為にオーナー達と約束する電話をかけたり、
色んな手続きをしに行く度に、イオが
ho capito
オ カピート
ho capito! ho capito!
オ カピート オ カピート
と連呼していて、そんなイオを見て姉は、
「この子ホンマはわかってないのに… 大丈夫やろか?」 (・_・;)
と不憫に思ったという。
というのも、
ho capito オ カピート
の意味は、「わかりました。わかった。」だから。
あー今思い出しても、こみ上げてくるものがある。
姉と二人で、笑い泣きになるエピソード。
イオのイタリア滞在はこんな風に始まったんですよ。
(・ω・)/
今から思うと、その時しゃべれた数少ないイタリア語のフレーズには、
ひとつひとつ思い出がある。
ちょうどイオの出発日は、姉のブラジルからの帰国後10日といったところだったけれど、
一人で旅立つ妹が心配だったらしく、ついて来てくれた。
何年も仕事でブラジルへ行っていた姉が帰ってきたかと思ったら、
次は妹が旅立つというバタバタ… (ノ゚ο゚)ノ
チビの頃から外国には、旅行や、住んだりの経験もあったけど、
いつも家族一緒やったし、
その家族たちは、外国に住むにあたって、華やかじゃない部分も
実際経験して、知っていただけに、
このチビが、なんの頼りもなく、一人で旅立つとなると、心配だったんやろうと思う。
外国人大学推薦の不動産屋さんと、一生懸命メールでやりとりして、
予約してあった、イタリア初めてのアパートのオーナーは、
ぼったくりのおばちゃんで、
…確か、サントゥッチという名前だった。
のちに、この家をサントゥッチハウスと呼んでいる。
その月は残り10日なのに、丸々その一ヶ月分の高額家賃を払わせた上に、
姉の姿を見て、
「あら、お姉さんをどこに泊まらすつもり?」
「私と寝ます。」
と言ったら、
「じゃあ、あと200ユーロね。」
っと更に、ふんだくられた!
ホテルじゃないんやから、部屋を借りてるんやし、
自分の家に自分の姉を泊まらすのは普通やと思いながらも、
言葉がしゃべれないと、言われるがままなんやな、こういう場合。
それに、こっちは、何時間の旅してきてると思ってんねん!
早く休ませてぇ~!って感じやったしね。
イオの友達の中では、このオーナーはかなりの悪徳オーナーとして今や有名だ。
ということで、到着した日の翌日から、
滞在許可証の手続きや、大学のコースの手続き、レッスンレベルを決める試験、
そして、新しい家探しをバタバタとがむしゃらに始めたのだった。
どこへ行っても、はっきり言って、何言われてるのかわからなかったし、
オウムのように、知ってるフレーズを、ただ繰り返し繰り返し言っていた記憶がある。
心配でついて来てくれてた姉の前で、
「大丈夫だよ!」を見せようと、
初日から毎日、全力疾走状態やった。
日本人の知り合いも居なかったしね。
こんな状況の中、家を見る為にオーナー達と約束する電話をかけたり、
色んな手続きをしに行く度に、イオが
ho capito
オ カピート
ho capito! ho capito!
オ カピート オ カピート
と連呼していて、そんなイオを見て姉は、
「この子ホンマはわかってないのに… 大丈夫やろか?」 (・_・;)
と不憫に思ったという。
というのも、
ho capito オ カピート
の意味は、「わかりました。わかった。」だから。
あー今思い出しても、こみ上げてくるものがある。
姉と二人で、笑い泣きになるエピソード。
イオのイタリア滞在はこんな風に始まったんですよ。
(・ω・)/