少し前に高校生のブロガーさまからメッセージを頂きました。(ここに書いたことは了承をいただきました)
登下校のバスの中で席を譲ることをしていて偽善だと同じバスの中で茶化されて不快だったそうです。それでも譲ることをしたい。
そういうメッセージでした。
僕は「はい、続けてください。大丈夫です。」そんなメッセージから細かく答えました。
僕は高校を2年生の時には暴行事件を起こして少年鑑別所送致になりました。もちろん退学になって鑑別所を出たあとに大検を目指しました。大学入学資格検定試験で合格しています。
取得のために、当時は地元から東京まで片道2時間近い距離を新幹線と電車を乗り継いで御茶ノ水の駿台予備校まで通っていました。
通学途中の新幹線は通勤時間に重なっていつも座席は満席でした。時折でした。朝の早い時間帯の新幹線に僕の祖母の世代に近いお年寄りが同乗していました。
僕は座っていた座席を譲るようになりました。初めての相手側への声かけはかなりの勇気がいりました。
「おばあちゃんどうぞ座ってください」この一言を吐くことに心臓はバクバクしてはちきれそうでした。
おばあちゃんは「いいの?ありがとうね」そう言って座ってくれました。
当時の僕は勇気を出してよかったと、とっても嬉しかったのを覚えています。
親切にした行為を見ていた大人たちの視線を独り占めにしました。明らかに、沈黙の中で褒められた視線が、あちらこちらの同乗していた見知らぬ大人たちから届きました。そうこうしているうちに視線と同時に今度は、どこかのおじさんが僕に席を譲ってくれたのです。
僕は勇気を出して褒められた経験がやめられなくなっていきました。次第にエスカレートした行為は、階段で立ち往生している人に手を差し出したり自然な行為になっていきました。
僕が大人になってから道端で人助けを自然にできるようになった原点はここに在ります。
人の善行は始めはほとんど偽善から始まります。
お年寄りに席を譲った子供は褒められる。誰かに親切にすると褒められるからまたやる。
はじまりが偽善でも良いのです。
なぜならいつからか偽善だったそれが普通になるのです。やらないと気持ち悪くさえなっていきます。いつの間にか誰に褒められなくても構わなくなっていきます。
やがてやがて自然に本当の善に変わるからです。
本当の善に変わったあとその者に身についた善はよほどの心痛へ遭遇しない限りは半永久的に続いていく尊い個性へと変身を遂げます。
女の子から女性へそして母親へ、男の子から男性へそして父親へメタモルフォーゼをするのと同じように、善がメタモルフォーゼを起こすのです。
何度も変身して強くなるのと同じように、偽善の行為が本物の善へと変身する過程において、反動でものすごく弱くなるときがあります。
滅多にないけどそのときばかりは誰かの助けがいります。
もしあなたが誰かへ親切にしたあとに疲れたりしんどくなったり不安になったりした時には、素直にあなたの気持ちを周りの大人たちへ話してみてくださいね。
話せるだけであなたの心につっかえていた息苦しさはまるでドロップキャンディーのように溶けてなくなります。
また頑張らなくても大丈夫!
また誰かへ優しくしたくなる日が来るから。
大丈夫です!
あなたは大丈夫!
また食べてしまいました。鶏のササミを使用しているのでサクサクいけます!病みつきになります。近所にあったらぜひお試しを。おすすめです。
↑チキンを食べながら視聴したくなります。