昨年末からまたタイタニック流行ってますね!
そのひとつがタイタニックでした。
旦那さんの末裔のひいひい祖父母は隣の町に住むのに見知らぬどうしでニューヨークに降り立た後に友達になりました。
両親の目を避けて両親が帰宅する前に僕と妹ふたりのために食事を作り始めました。
妹は大嫌いになってしまうはずの料理を大好きになって料理道を極めて生きています。
妹がアメリカに渡ったのは2000年でした。オーストラリアに渡った僕と妹が再会したのは2001年の冬でした。2001年はニューヨークで世界同時多発テロが起きた年でした。
僕たちは、5年ぶりくらいの再会を果たすためにその街で待ち合わせをしました。
当時、妹はマサチューセッツ州の料理専門学校へ通っていました。妹が恋に落ちたのはそれから2年経たない頃でした。
友達といっしょに出席したティーパーティーで同じテーブルに旦那様のお母様が居たのです。パーティーから7日も経たないうちに、お母様が旦那様のお嫁さん候補として妹へアプローチが始まって、あっという間に結婚が決まりました。
妹はアメリカに渡った当初の学生時代のまだ英会話がペラペラでもないころ勉強の傍ら掃除のアルバイトをしていました。
アメリカのトイレや施設の掃除は日本の比ではない汚さです。その掃除屋さんをしながら本業にしたい料理の道のスキルを手にしていきました。
そしてある日でした。
掃除について上司から褒められてセレブの家の掃除専属が決まりました。
配属されたセレブ宅で仕事を始めてすぐに「日本料理を作って欲しい」と指示されました。
雇用主の奥様は履歴書から専門学校のことや料理の経験を把握していました。
妹はセレブ宅のお子様の健康について掃除をしながら食材にタブーな物を把握していました。
妹はグルテンフリーの和食を作りました。大雑把な仕事をこなすシェフが絶えなかったそうです。食材さえ細かく分けることや切り取る作業も大雑把な仕事ぶりのシェフに困り果てていたところへ舞い込んだチャンスの機会だったのです。
妹の仕事ぶりは雇用主の奥様を喜ばせ感動させ心を動かしました。
そして妹は掃除屋さんを退職してセレブ専属のお抱えシェフになりました。大富豪と呼ばれる家のシェフとして腕をふるいはじめました。
娘の結婚式に州の湾に花火を打ち上げるハリウッド映画の女優さんのおうちのシェフをするようになりました。
待遇も聞けば多くの取り計らいが見事なものでした。
そして…全米のセレブたちの豪邸や日本人メジャーリーガーのお宅やイギリス皇室しか入島できないプライベートな島へ同行したりと、一流を極めました。
いつも真心を込めて料理を作るシェフになりました。
両親の虐待のなかで生きるために手にした料理が今は人を笑顔にさせるための料理になりました。
僕と妹はドックフードを食べて飢えを凌いだり納屋に閉じ込められて落ちていた土をかじったりした経験があります。妹は空腹を凌ぐために料理を始めました。
僕と妹にとって実父は許し難い相手であり憎き相手で何度も何度も人生を踏みにじられ、子供らしい時代を生きられる時間を略奪した張本人です。
けれど憎むことで人生を埋め尽くしていたら復讐の心が自分の中心に存在して身動きが取れないまま人生を終わらせてしまいます。それは、いちばん損をするのは自分自身です。
だからふたりで怒りや復讐する心を手放して意味付きを変えたのです。意味付けを変えて人生を楽しむことにしました。
自分たちが幸せな人生を楽しむことが結局は最高の復讐になりました。
執着は人生を楽しむことができません。怒りも憎むことも身体を蝕むだけ。幸せになることは憎しみ度合いが高いほど困難です。
幸せな扉を拓きたいのか中途半端に幸せで終わらせるのかすべてはその人にかかっています。
僕たちはどうしても中途半端であきらめたくなかった。そして情熱が憎むより勝ったのです。
あなたが本当に変わりたい
人生を幸せにしたい。
今よりずっと何かを変えたい
そう願っているなら
その情熱がいまの現状より勝るものなら中途半端になりません。しかし、自分を変えることは加齢するほどこれまでの習慣や経験があなたの考えを頑固にします。なかなか新しい風を吸収しにくくなります。
それでも変わりたいのかどうかです。
決めたら前をむいて弱いなら強いフリをする。できない無理と制限をかけている自分を封印して後ろを振り向かないでひたすら動くことです。
できない
無理
弱くて続かない
制限をかけているのは自分です。
エネルギーに満ち溢れているつもりで動いていると精神状態が次第に変化していきます。呼吸や姿勢や顔の表情などなどがはっきり変化顕著になります。
情熱を抑えられないほど変わりたいならあなたは人生を変えられます。