感情をコントロールする方法 について、
基本的な方法から、怒 りや 後悔、心配 や 不安といった、個別具体的な
感情に対しての 対処方法まで紹介してまいりました。
ですが、実は 感情のコントロールという観点からいうと、
別記事で紹介した感情も、していない感情も、あらゆる 人間の感情
全てに共通する「コントロール方法」というものがあります。
誰しもがも持つ、根源的な感情
今、現代に生きている 大多数の人間が、その人生の時間の
ほぼ全てを費やしてまで、「成そう」 としているものがあります。
一体 それは何かと言うと、
『 自分を認識させること 』
です。
世の多くの人々が、「自分はここに存在しているのだ」と、
世界の全てに向けて、自分以外の全ての人 に対して
認識させよう としているのです。
これは自分の「生きる意味」にも関わることですが、
人には、
「自分の生きた証を残したい」
「自分が存在したという証を 世界に、人々の記憶に刻み付けたい」
という欲求があるのです。
故に、「私はここにいるのだ」という発信をしたいのです。
これは、ある種の脅迫観念 にも似た強い衝動で、
「人の記憶に残りたい」という、ただそれだけ のために、
犯罪を犯したり、命を掛ける者 もいるのです。
例えば、動画配信サイトで 自分の自殺するところを生中継したり、
リストカットなどの 自傷行為を撮影して 配信したり といった事を
見たり、聞いたことはあるでしょうか?
非常にショッキングな映像ですので、ここで紹介したり、
「是非、実際に見て欲しい」とは言えませんが
実際に、そういう行為を行う人が 存在するのです。
「馬鹿馬鹿しい」「理解できない」と思われるかもしれませんが、
そこまでして でも人は「注目されたい」のです。
そのためなら、人生の時間も 労力も、命でさえも 全て費やす。
そういう人が 世の中には たくさんいるのです。
これは言い換えるなら「 人からどう思われるのか? 」ということに
異様なまでに 集中する人 ということです。
「そんな人がいるなんて・・・」と思われるかもしれません。
しかし、これは、何も 特別なことではないです。
このような、ある種の承認欲求は、誰しもが根源的に持っているものです。
例えば、一般的に「世間体」や「評判」を気にするというのも、
程度こそ違えど 原理は全く同じです。
また 現代だと、インスタグラムなどに代表される「SNS」に写真を載せて、
「自分はこんな充実した生活をおくっているんだ」
とアピールしているのも、同じです。
ブランド物で着飾ったり、高い車に乗ったり、「社長」や「代表取締役」
などの 社会的な地位 や 肩書きを求めるのも 同じ。
人に認められたい、愛されたい、受け入れて貰いたい という欲求
スゴイと思われたい、自分の存在する価値を示したい という欲求。
そのような承認欲求を 誰しもが持っているのです。
そして、そうやって人からの評価を気にすることに
多くの時間を割いている人が、とてもとても 多いのです。
故に、感情がみだれる瞬間 というのは、多くの場合、
「 自分が否定されたとき 」に顕れるのです。
怒ったり、悲しくなったり、マイナス思考になってしまうのです。
全ての感情をコントロールする根本的な方法
人間なら 誰しもが持ち、感情を乱す 大元となる
“ 根源的な承認欲求 ”。
これに振り回されず、コントロールする方法は
一つ しかありません。
「自分が 既に認められている ことを知る」
ということです。
「自分に自信を持つ方」でも 少しお話ししましたが、
誰からも 認められていない人の周りには 誰もいなくなるものです。
だからアナタの傍に、家族でも友人でも、1人でもいてくれるのであれば、
既にアナタは認められているし、受け入れられているし、愛されています。
まず、それに気付くべきです。
そんなことにすら 気付かずに、「認められたい」と、人生の時間も、
お金も、労力も、全てを擲(なげう)って 犠牲にするなど
愚劣 極まりないことです。
それ以上、認められようとする必要なんて
一体どこにあるのでしょうか。
二度とは戻らない、貴重な人生の時間を
そんな下らない執着 のために 無駄にしてはいけません
自分を否定されて、怒りや悲しみなどのネガティブな感情に
襲われたなら、
「自分はもう愛されている のだから大丈夫だ」
と気付いてください。
目の前の誰から、何と悪口を言われようと、
「コイツは 私の良さを知らないだけだし、知って欲しいとも思わない」
「私の良さを知っている人には 愛されている のだから、
コイツが何を言っても 関係ない」
と思ってください。
なんなら、
「私がコイツのこと認めてやろうか?認めて欲しいんだろコイツも?」
と上から目線でも良いので、心に余裕を持つこのが大切です。
「愛されたい 認められたい」ではなく、
「私が愛してやろうか?認めてやろうか?」くらいの高飛車に思って、
堂々と構えていれば 良いのです。
また、そもそも、世の中の全員から好かれるなどは ありえない事です。
例えば、腸内の細菌には、善玉菌、悪玉菌、日和見菌という、
3種類の菌が存在しています。
一般的に、善玉菌は 良い菌で、悪玉菌は 悪い菌、日和見菌は
どっちにも属さないけれど、善玉菌が増えた時には 善玉菌に、悪玉菌が
増えたときには 悪玉菌に加担するように 働く菌とされています。
一見、3種類なんて言わずに、全て善玉菌になるのが
良い ように思えるかも 知れません。
しかしそうではないのです。
もし、この腸内菌のバランスが崩れると、身体を壊してしまいます。
つまり、善玉菌も、悪玉菌も、日和見菌も、
全てが必要な存在なのです。
全てが善玉になる ことはありえないし、
全てが悪玉になる こともありえません。
また、日和見がなくなる こともありません。
同様に、人間関係でも、あなたの事を「嫌い」という人が 1人いるなら、
必ず、「好き」と言う人も 1人いるのです。
もちろん、アナタのことを どっちとも思っていない人もいます。
この3種類の人が 必ず存在するのです。
アナタのことを「殺したいほど嫌い」という人 もいれば、
アナタを「命を掛けても護りたい」という人 も必ずいます。
要は、そういう人と出会えるかどうか なのです。
あなたを嫌う人に出会ってしまったなら、
「ああ、コイツが私を嫌う分、私を好いてくれる人がいるんだな。
会えるといいな」
くらいに 思っていてください。
この思考が、本当に、心の底から 思えるようになったのなら、
感情の問題は 根本から解決できたと思って良いでしょう。
最早、誰が何を言ってきても、また、やってきたとしても、
何ものにも翻弄されることはありません。