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Infinite Connection

私たちINCONNEは“教育の充実から国の充実へ”をモットーにしている関西最大規模の学生ボランティア団体です。ラオス南部のノンテノイ村に幼稚園と小学校を建設、現在はそれらの教育プログラムの充実と中学校建設、医療支援や道路整備を並行して活動中です。

"1人の人間を救う人が、世界を救う"

救えなかったあの子の亡骸を消せないまま、何千もの命のリストをつくりはじめた。



オスカー・シンドラーという人物をご存知でしょうか?

ナチス・ドイツの時代に、虐殺される運命にあったユダヤ人1200人を救った人です。


彼はナチ党の一員でした。
当時の立場で言えば、ユダヤ人を虐げる側の人間だったはず。

そんな人が、どうして彼らを生かすことに力を尽くしたのでしょう。


シンドラーはもともと、工場経営によって多額の儲けを手にするため、責任者としてユダヤ人の男性を雇いました。

彼の、ユダヤ人救出までの姿を描いた作品「シンドラーのリスト」では、

工場経営の話を持ちかけられたユダヤ人男性が「私はユダヤ人ですよ?」と訝しみ、「知ってるよ。何か問題が?」とシンドラーが返す、というシーンがありました。

彼は、ナチ党に属しながらもユダヤ人を迫害することに関心はなく、自分の利益のためなら迫害対象であるユダヤ人を雇うことも厭わない性格でした。

しかし、その時の彼の行動は、優しさではなく、ただ利益のためなら手段を選ばなかっただけのように思います。


ある日、シンドラーは、街を歩く1人の女の子を見ます。10歳くらいの、赤い服を着た女の子。

この時代、幼い子どもたちでさえも、ナチスから逃れる術を身に付けていたようです。
家の床下、下水道……。
隠れる場所をそれぞれに探し、身を潜めることで、収容所に送られたり、殺されないように姿を隠していたのです。

赤い服の少女もまた、隠れられそうな家を見つけ、そっと中に入っていくのを、シンドラーは遠くから見ていました。


それから、何日、何ヵ月経ったのかは分かりません。

ある日、虐殺されたユダヤ人達が、次々と焼却炉に運ばれていった日に、

彼は、赤い服を着た小さな遺体が運ばれていくのを見ました。

炎の中に落とされる遺体。

それは、工場での流れ作業のように、下の方で大きく燃え上がる火の中に、放り投げられていきました。


その日から、彼の中で、何かが変わっていきます。

移転先での工場作業員の買収、を名目に、ユダヤ人を生かすためのリストを作り始めるのです。


まだだ、もっと。まだ救える。

リストの人数は増やされ続け、最終的に1200人のユダヤ人が彼に救われることとなったのです。



スタディーツアー期間に現地に行けないメンバーは、スタツア in Japanメンバーとして日本で活動を行います。
今回のin Japanではプレゼンを行ったのですが、そのテーマの1つが「ボランティアや国際協力に還元できる本や映画を見て、紹介すること」でした。

シンドラーの成し遂げたことは、ボランティアでも、国際協力でもありません。

それでも、この作品を選んでプレゼンしようと思ったのは、
この作品から、インコネがしたいことのカタチを、メンバーにも感じ取って欲しいと思ったからでした。


1つは、人は変われるということ。

自分には関係ないと感じている人。
正反対の位置に立っている人。

そんな人の心でも、誰かの痛みが、ふとしたきっかけが、必死で伝えた言葉が、動かすことがあり得るってこと。

シンドラーは言った。「理由が無いのに殺せるのはパワーじゃない。理由があるのに許すのがパワーだ」と。

その言葉が、一時的にでも、ナチ党の人間の行動を変えた。

ユダヤ人少女の死は、シンドラーの心を変えた。

だから、絶対に変えられない人、変われないものなんてないんだと思って欲しくて。

ボランティアをやりそうにない人。
国際協力に興味の無い人。

最初から、共感してもらえないだろうなんて諦めるんじゃなくて、
誰かの心を動かす可能性を持っていると思って活動したいと感じました。


そして、2つ目は、1人を救う人間が、世界を救うということ。

「この車で10人が救えたはずだ。……たとえ1人でもいい。人間1人だぞ。努力すればもう1人救えたのに。…しなかった。救えたのに。」


映画の方では、全てが終わった後、シンドラーが泣き崩れてこんな言葉を言いました。

誰かの力になりたい時、難しいのは、自分の何かと天秤にかけた時だと思います。

誰だって、自分の欲はあります。

手放したくないもの、生きていくために必要とするもの。

自分も笑って生きていくために、大事なものは手離さなくていいんです。

ボランティアは自己犠牲ではありません。

自分も幸せになるために、他人も幸せにするために、自分以外に使える最大限の力で、誰かの未来を変えるもの。

シンドラーの場合は、それらが自分にとって"手放しても良かったもの"だったから後悔したのかもしれません。

でも、1人1人の重みを理解した人が、1200人に手を差し伸べたことは、大きく世界を変えていると思いました。



スタツア in Japanでは、他に「自分が興味を持ったラオスのこと」についてのプレゼンも行いました。
私は、難民問題に興味があり、ラオスで最も難民を出した第2次インドシナ戦争について詳しく調べ、「モンの悲劇」という、難民となったモン族について書かれた本を読みました。

それに関連して、絵本プロジェクトでお世話になっている安井清子さんが書かれた「空の民の子どもたち」という本も読みました。

安井さんが目指された図書小屋は、どんな空間であったのか。

エピソードを通してそれが凄く理解できて、安井さんからアドバイスを頂いているインコネもまた共感した空間のイメージに、今までよりずっとリンクすることができました。

絵本プロジェクトのメンバーにも、ぜひ読んで欲しい1冊です。


また、同時に、難民問題の本当の解決とは何なのか、考えさせられました。

難民を受け入れる国があればそれでほっとしてしまう自分がいるけれど、

実際は、文化や言語の違い、偏見、、、

受け入れ国で生きていくのに、そういったことに苦しんで、

どれだけその国が彼らが生きていきやすいように制度を整えてもそのデコボコは完全には消えないでしょう。



→国連UNHCR協会様 HPより引用

だからきっと最終的に、彼らが自分で乗り越えていくことを、誰も肩代わりすることはできないんだと。

私たちの活動も同じで、手伝うことはできるけれど、夢を叶えていくのは子どもたち。

私たちができるのは、最大限の力で、彼らが歩むためのお手伝いをしていくことなんだなと実感しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。



同志社女子大学
上嶋 湖雪
コープチャイとソークディ。
今回のスタツアでこの言葉を何回言ったか分かりません。
意味は ありがとう と お元気で。
いつもならまた半年後ねと言ってお別れをするけれど、今回は現役最後のスタツア。
これまで4回のスタツアに参加していろんな人に会ってきました。
その人たちに感謝の意を伝えることを今回のスタツアの個人的なテーマにしていました。
毎回の渡航でインコネを受け入れてくださるNPOの方、いつも入村の時に快く付いてきてくださる教育局の方、インコネを歓迎してくれる村人、そして中の良い子どもたち。
全ての人にこれまでの感謝を伝えようと今回のスタツアに臨みました。

1年生の終わりの春休みのスタツアが最初のスタツアでした。
その時から村人と仲良くなりたかった僕はできるだけ村人の近くに行き、できる限りの会話をし、できる限り握手をしていました。
自分の名前を覚えてもらおうと必死で自己紹介をしていたけれど、覚えにくい名前なのかなかなか覚えてもらえませんでした。
毎回村を訪れて交流しているうちにだんだんと輪に入っていくことができました。
ヒアリング調査で村人から話を聞くときも、僕から村人に何かを伝えるときにもその人間関係は大きな力となりました。

国際協力とかっていうけれど、結局はヒトとヒトとの協力。
そこにお互いを信頼できる関係性がなければ成り立ちません。
ノンテノイ村もカブー村もそこに住む人との人間関係があるからこそ、私たちはそこに存在する課題に気づくことができ、その課題を解決することができます。

現役最後のスタツアですが、もう2度と村を訪れないというわけではありません。
それでもひとまず、これまでありがとうございましたという感謝を伝えたくて、今までで一番心を込めてコープチャイと言ったスタツアでした。



副代表
宇野大志
"あなたに会えて嬉しいです。この村が、この村の子どもたちが、あなたが大好きです。本当にありがとう。"

"もう村には来ることができないけど、忘れないでね。
大好きだよ。本当にありがとう。"


そうやって村人や先生、子どもたちに直接伝えられた瞬間がつい最近のように心の中で何度も再生されます。



こんにちは!😊
営業部、3回の楠元真実です!
3回生にとって最後のブログリレーとなりました😳
今回のブログリレーのテーマはスタツア11th!

私が読んでくださっているあなたに伝えたいスタツア11thでの瞬間はノンテノイ村で新規中学校へ向かったときのことです。

ノンテノイ村訪問2日目の朝、私と同期のメンバー2人、そしてノンテノイ小学校の先生2人とトラクターを運転してくれた村人との6人で、新規中学校建設地に向かいました。

新規支援先についたとき広がっていたのは、
建設中ではありますが、大きくそして立派な中学校!

半年前、同じ新規中学校建設地に来て見た景色とはまるで違いました。
半年前は地面に大きく空いた穴があり、ここに土台を作るんだよと教えてもらい、建設が進んでいることは確認でき嬉しかったのは確かでしたが、
なにか心のどこかで本当に建設はうまく進むのか、
このペースであれば今小学校に通う子どもたちはこの中学校に通うことができるのか、
そう思ったのが正直な感想でした。

しかしそんな不安を忘れさせるくらいの光景が広がっていたのです。

新規中学校建設地につくと、トラクターを運転してくれた村人が、私たちに向けて、
「ここが女の子のトイレで、ここが男の子のトイレ、ここが手洗い場だよ」
「10教室ができるんだよ」
身振り手振りでここには階段ができると教えてくれたこと。

教室になるであろうところに入り、
「ここは何年生の部屋になるんやろうね。」
「こっちに黒板を置いてこっちが前になるのかな。」
「生徒何人くらいここの教室に入るんやろうか。」
と、同期のメンバーと話したこと。

拙いラオス語ながら
「とても嬉しい。はやく学校が立ってほしい。」と
先生たちにラオス語で伝えられたこと。

そんなたくさんの瞬間が詰まったあの時間は、
私たちメンバーのためにあるのではなく、
私たちメンバーはそれを今まで協力応援してくれた人に伝えるための存在であることを再認識しました。


この他にもノンテノイ村で、もちろんカブー村でも様々な活動を行い、そして同じ時間を過ごす中で、
小さい時日本人のお兄ちゃんお姉ちゃんが村に来て
たくさん遊んでもらった、楽しかった、
そんなプラスのイメージが彼らの心の片隅に残っていてふと思い出してくれたとき、
そして彼らが今思い浮かべている夢や大きくなってからできた夢が叶ったとき、
私たちがやってきたことが正解になるのではないかと思います。


インコネに入団できたからこそ出逢うことのできた
ノンテノイ村の村人や先生、子どもたち
カブー村の村人や先生、子どもたちはもちろん
日本でいつも応援してくださる方々、
ラオスでいつも協力してくださる通訳さんやラオス支部のみんな、
イベントの時には様々な形で応援してくださる協賛企業の方々、
イベントに来てくれたり、普段の活動も今日もインコネか!がんばって!と声をかけてくれる友達、
インコネに入ったことがきっかけで出逢った他団体の友達、
そんな数え切れないくらいの人たちがいたからこそ、今回がスタディツアーで見ることができた景色、村人と過ごすことができた時間、交わすことができた言葉、そんな大切な一瞬一瞬が詰まったものになったと思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございました😊
今回はスタツアブログということで、8/27~9/8に行ったスタディツアー11thについて書いていきたいと思います!

わたしにとってのラストブログ!
ぜひ最後までご覧ください!




個人的には4度目、そして現役ラストのスタツアでした。


ラオスは本当にだいすきな国になったので、またすぐにでも行きたいなと思いますが、
インコネメンバーとして、スタディツアーとしてラオスを訪れることができる最後の機会ということで、後悔のないよう、たくさんたくさん準備して行ってきました。


たくさんのものを見て、たくさんのことを感じて、毎回のことながら目まぐるしいスタツア期間でしたが、その中でも印象に残っているカブー村でのお話と最後の挨拶をさせてください。




わたしがはじめてラオスを、そしてカブー村を訪れたのは、1年半前でした。


新規支援先を決定するため、4つの村を周り、一番教育環境を変えていきたいと強く思っている、これからインコネと共に創っていくことができるのはどの村なのか、ヒアリングと観察をがむしゃらに行いました。


それから半年後。


新規支援先をカブー村に決定してからはじめての訪問で、まだまだお互いぎこちなく、いつか本音を聞き出せる関係になれるのか、本当にこの村人たちと共に創っていけるのか不安でした。
でもたくさんのおもてなしを受けて、村人たちの想いや希望を無駄にしたくないと思いました。


さらに半年後。


徐々に関係性もできはじめ、カブー村とインコネのこれからについて、村人たちとたくさんお話をしました。小学校増設費用の達成が近いことを伝えると大喜びで、本当に子どもたちのための小学校を待ち望んでいる村人たちに、早く良い知らせを持って来たいと強く思いました。


そしてこの半年間、街頭募金やチャリティイベントなどでたくさんの方に支えられ、無事に小学校増設費用を達成することができました。


そのことを1日でも早く村人たちに伝えたくて、喜ぶ顔が見たくて、やっと迎えた、今回のカブー村訪問日。




正直、想像とは違いました。


村人たちは、小学校が増設されることを現実的に考えられていないのか、まだ半信半疑なのか、どこかポカンとしていました。


4日間の入村の中で、実際の設計図を村人に見てもらったり、具体的な小学校増設に関する話し合いを通して、村人たちの中でも少しずつ現実味を増すようでしたが、
まだまだ、インコネとカブー村との信頼関係を構築し切れていないことを感じるエピソードでした。




これまで4度カブー村を訪れて、
確実に子どもたちと仲良くなることができました。
半年ぶりに会ったのに、わたしの名前を呼んで走って来てくれるようになりました。
近くの中学校に通うお姉ちゃんたちも、遊びに来てくれるようになりました。
村人たちとも仲良くなることができました。
前に一緒に撮った写真を現像して、自宅に飾ってくれている村人もいました。
ヒアリングにも積極的に参加してくれるようになりました。
そして、日本でのたくさんのご協力のおかげで、小学校増設費用を達成することもできました。



確実に前に進んでる。そう思います。


けれど、まだまだなところもあって、やっとこれからなのに、もう引退が目の前になっている、そんなやるせない気持ちがこみ上げて来て、最終日の帰りのバスで涙が止まりませんでした。


あともう少し、カブー村の未来を一緒に創っていたい。


正直そう思いますが、それは後輩たちがしっかりやってくれると思うので、バトンタッチしたいと思います。





そして、今回のツアーを通して、より一層、日本での活動の大きさを実感しました。



これまで様々な形でインコネの活動に協力してくださった方、本当にありがとうございます。


本当にメンバーだけでは成し遂げられなかったこと、見ることができなかった景色をたくさん見せていただきました。


がんばってねの一言が、本当に支えになっていました。


だいすきなインコネを、すきになって、応援していただけることが、何より嬉しかったです。



これからも応援のほど宜しくお願い致します。


そして、今度はわたしもその仲間に入れてください。





最後までご覧いただきありがとうございました!









関西大学3回生
スタディツアー部
村井志緒
こんにちは!
関西外国語大学3回生で営業部の森菜摘です!

今年の夏に私は1年半ぶり2回目となるラオスへ行ってきました!

初めて行ったスタツアとは違う感覚で、現役で行くのも最後なんだなとしみじみ思いつつ、まだ2回目なのに上回生なんだという違う緊張もあり、とにかくドキドキワクワクでラオスに臨みました!



今回は私がスタツアで印象に残った出来事を少しお話ししたいと思います。

私は今回、スタツアの目標を
“とことん納得するまで”と掲げていました。

その理由はいろいろありますが今回は置いておいて...

もう一つ裏の目標として
“子どもたちが「この村に昔こんな日本人が来てたなぁ」と将来思い出してもらえるような日本人の1人になること”です。


昔、誰かが国際協力をしているボランティア団体を批判している記事がありました。

その記事には
NPOやNGOが国際的支援をしているのだからボランティア団体などは支援先に行く意味がわからない。
直接会いに行ったとしても珍しい見世物にしか過ぎない。
1番いいボランティアは公式の組織や企業に寄付することだ。
貧困を解決するには結局お金が必要なのだからわざわざ出向いて直接会うより日本で働き日本から支援できることをするのが1番の役に立つ方法だ。

との内容が記載してありました。
(全ての内容が正解ではありませんがこの記事を読んだ時の私はこの部分が大きく印象に残っていました)


これを見た時、私はとても怒りや悔しさ、悲しさなどなんとも言えない感情になりました。

私たちは村の人と共に創る支援を目指しています。
村の人たちに寄り添って、本当に村人が思っていることや課題と感じていることを真剣に話し合い支援の仕方などを決めていきます。

そのことが間違っているとは思えません。
むしろこの姿勢があるからこそ本当の国際協力に繋がると考えています。例えそれが学生だろうと大人だろうと関係なしに。


そして、この記事を読んでから私は支援先の子たちに何かきっかけを与えられるような人になりたい!と考えるようになりました。

いつかノンテノイ村やカブー村が私たちの支援なしに自分たちで教育環境を整え、自分たちの力で村の問題を解決できるようになるのが私たちの目標です。

その目標のためにできることを全力でするのがインコネの役目だと思っています。


そんなわけで私は今回裏目標を
“子どもたちが「この村に昔こんな日本人が来てたなぁ」と将来思い出してもらえるような日本人の1人になること”にしました。

私たちの熱意や活動などを思い出してもらうことで自分たちの村を自分たちの力で解決できる行動へと繋がってほしいと思っています。


そして、今回私はノンテノイ村の仲良くなった一人の女の子にお手紙を書いてみました。

2日間ではありましたが、本当に人懐っこく私の名前を何度も呼び手をつないでは離さず、たくさんのラオス語を教えてくれ日本語も覚えてくれようとしてくれる本当に可愛い子でした。

手紙の内容としては楽しかった2日間のことや感謝の気持ち、私や私たちのことを忘れないでねといった内容を書きました。

今は理解してなくても何年後でも何十年後でも私のことやインコネのことを思い出してくれるきっかけになればいいなと思っています!


長々と真面目な話を書いていましたが、やっぱり村に行くと子どもたちが可愛く、思いっきり遊んだりコンテンツも楽しく行えて全力ですることができたので本当に充実した2日間になりました!



以上でスタツアブログを終わります!






と、言いたいところなのですが最後に一言だけ言いたいことがあります。

それは通訳をしてくれたソンプチャイや通訳を手伝ってくれたラオスの大学生のみんなへの感謝の気持ちです!

私たちのスタツアには彼らがいなければ成り立っていません。

彼らは一生懸命インコネのやりたい事を理解してくれ、それを全力で通訳してくれる。

さらに通訳してくれるだけでなく、子どもや村人にしっかり伝わるように盛り上げてくれたり真剣にヒアリングに付き合ってくれたり。

通訳の役目として当たり前と思っている人もいるかもしれませんが、彼らのやる気は本当に私たちの活動になくてはならない原動力になっています。

今回のスタツアで彼らの活動を生で見たことでよりありがとうと伝えたくなりました。

本当にありがとうございました!
そしてこれからもよろしくお願いします!笑




以上で私のスタツアブログを終わります!

長々と読んで頂きありがとうございました!