"1人の人間を救う人が、世界を救う"
救えなかったあの子の亡骸を消せないまま、何千もの命のリストをつくりはじめた。
オスカー・シンドラーという人物をご存知でしょうか?
ナチス・ドイツの時代に、虐殺される運命にあったユダヤ人1200人を救った人です。
彼はナチ党の一員でした。
当時の立場で言えば、ユダヤ人を虐げる側の人間だったはず。
そんな人が、どうして彼らを生かすことに力を尽くしたのでしょう。
シンドラーはもともと、工場経営によって多額の儲けを手にするため、責任者としてユダヤ人の男性を雇いました。
彼の、ユダヤ人救出までの姿を描いた作品「シンドラーのリスト」では、
工場経営の話を持ちかけられたユダヤ人男性が「私はユダヤ人ですよ?」と訝しみ、「知ってるよ。何か問題が?」とシンドラーが返す、というシーンがありました。
彼は、ナチ党に属しながらもユダヤ人を迫害することに関心はなく、自分の利益のためなら迫害対象であるユダヤ人を雇うことも厭わない性格でした。
しかし、その時の彼の行動は、優しさではなく、ただ利益のためなら手段を選ばなかっただけのように思います。
ある日、シンドラーは、街を歩く1人の女の子を見ます。10歳くらいの、赤い服を着た女の子。
この時代、幼い子どもたちでさえも、ナチスから逃れる術を身に付けていたようです。
家の床下、下水道……。
隠れる場所をそれぞれに探し、身を潜めることで、収容所に送られたり、殺されないように姿を隠していたのです。
赤い服の少女もまた、隠れられそうな家を見つけ、そっと中に入っていくのを、シンドラーは遠くから見ていました。
それから、何日、何ヵ月経ったのかは分かりません。
ある日、虐殺されたユダヤ人達が、次々と焼却炉に運ばれていった日に、
彼は、赤い服を着た小さな遺体が運ばれていくのを見ました。
炎の中に落とされる遺体。
それは、工場での流れ作業のように、下の方で大きく燃え上がる火の中に、放り投げられていきました。
その日から、彼の中で、何かが変わっていきます。
移転先での工場作業員の買収、を名目に、ユダヤ人を生かすためのリストを作り始めるのです。
まだだ、もっと。まだ救える。
リストの人数は増やされ続け、最終的に1200人のユダヤ人が彼に救われることとなったのです。
スタディーツアー期間に現地に行けないメンバーは、スタツア in Japanメンバーとして日本で活動を行います。
今回のin Japanではプレゼンを行ったのですが、そのテーマの1つが「ボランティアや国際協力に還元できる本や映画を見て、紹介すること」でした。
シンドラーの成し遂げたことは、ボランティアでも、国際協力でもありません。
それでも、この作品を選んでプレゼンしようと思ったのは、
この作品から、インコネがしたいことのカタチを、メンバーにも感じ取って欲しいと思ったからでした。
1つは、人は変われるということ。
自分には関係ないと感じている人。
正反対の位置に立っている人。
そんな人の心でも、誰かの痛みが、ふとしたきっかけが、必死で伝えた言葉が、動かすことがあり得るってこと。
シンドラーは言った。「理由が無いのに殺せるのはパワーじゃない。理由があるのに許すのがパワーだ」と。
その言葉が、一時的にでも、ナチ党の人間の行動を変えた。
ユダヤ人少女の死は、シンドラーの心を変えた。
だから、絶対に変えられない人、変われないものなんてないんだと思って欲しくて。
ボランティアをやりそうにない人。
国際協力に興味の無い人。
最初から、共感してもらえないだろうなんて諦めるんじゃなくて、
誰かの心を動かす可能性を持っていると思って活動したいと感じました。
そして、2つ目は、1人を救う人間が、世界を救うということ。
「この車で10人が救えたはずだ。……たとえ1人でもいい。人間1人だぞ。努力すればもう1人救えたのに。…しなかった。救えたのに。」
映画の方では、全てが終わった後、シンドラーが泣き崩れてこんな言葉を言いました。
誰かの力になりたい時、難しいのは、自分の何かと天秤にかけた時だと思います。
誰だって、自分の欲はあります。
手放したくないもの、生きていくために必要とするもの。
自分も笑って生きていくために、大事なものは手離さなくていいんです。
ボランティアは自己犠牲ではありません。
自分も幸せになるために、他人も幸せにするために、自分以外に使える最大限の力で、誰かの未来を変えるもの。
シンドラーの場合は、それらが自分にとって"手放しても良かったもの"だったから後悔したのかもしれません。
でも、1人1人の重みを理解した人が、1200人に手を差し伸べたことは、大きく世界を変えていると思いました。
スタツア in Japanでは、他に「自分が興味を持ったラオスのこと」についてのプレゼンも行いました。
私は、難民問題に興味があり、ラオスで最も難民を出した第2次インドシナ戦争について詳しく調べ、「モンの悲劇」という、難民となったモン族について書かれた本を読みました。
それに関連して、絵本プロジェクトでお世話になっている安井清子さんが書かれた「空の民の子どもたち」という本も読みました。
安井さんが目指された図書小屋は、どんな空間であったのか。
エピソードを通してそれが凄く理解できて、安井さんからアドバイスを頂いているインコネもまた共感した空間のイメージに、今までよりずっとリンクすることができました。
絵本プロジェクトのメンバーにも、ぜひ読んで欲しい1冊です。
また、同時に、難民問題の本当の解決とは何なのか、考えさせられました。
難民を受け入れる国があればそれでほっとしてしまう自分がいるけれど、
実際は、文化や言語の違い、偏見、、、
受け入れ国で生きていくのに、そういったことに苦しんで、
どれだけその国が彼らが生きていきやすいように制度を整えてもそのデコボコは完全には消えないでしょう。
→国連UNHCR協会様 HPより引用
だからきっと最終的に、彼らが自分で乗り越えていくことを、誰も肩代わりすることはできないんだと。
私たちの活動も同じで、手伝うことはできるけれど、夢を叶えていくのは子どもたち。
私たちができるのは、最大限の力で、彼らが歩むためのお手伝いをしていくことなんだなと実感しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
同志社女子大学
上嶋 湖雪