小学校2年生のとき、初めて家のオーブンでお母さんと一緒にクッキーを作った。
まだ冷めてない、手に取ったらホロッと砕けてしまうような、熱々のクッキー。
優しく手にとって、恐る恐る食べてみる。
バターのほんわかした香りと砂糖の甘さが口の中に広がる。
美味しかった。
わたしの将来の夢はクッキー屋さんになった。
小学校4年生のとき、ある盲導犬とその飼い主のノンフィクションの小説を読んだ。
10年近く飼い主と共に過ごし、パートナーとして生きていた盲導犬が死んだとき、涙が溢れてきた。
そして、盲導犬や介助犬の訓練士が足りていないということをあとがきを読んで知った。
そのとき、わたしの夢は介助犬の訓練士になった。
小学校6年生のとき、絵を描くことが大好きだった。別に上手くかけてたわけじゃないし、もっと絵のうまい子はクラスにもいたけれど、絵を描く時間が何よりも好きだった。自由張と12色の色鉛筆は常にお道具箱の中に入っていた。
スケッチブックが何冊も増えていった。
ずっと絵を描くことができたらいいのに。
そのときからわたしの夢は、イラストレーターになった。
夢ってコロコロ代わる。
その度に楽しさが膨らむ。
未来がすんごくきれいに見える。
夢がなかなったときは、
わたしはまだ何にでもないから、なんでもなれる。
可能性に溢れてる。
なんて、思うことにした。
だって、その方が何倍も未来が楽しみになるから。
明日も明後日も、10年後も。
きっとこの子だってそう。
この子だって。
これからたくさんの景色を見るであろうこの子だってそう。
この先生たちだって。
この写真は今から1年前の写真です。
新しく学校がほしいと願った先生たち。
彼らの夢が、あともう少しで達成されようとしています。
インコネとカブー村がパートナーとなって約1年。
『新しい小学校がカブー村には必要だ』
そんな数多くの村人たちの想いと熱意から、私たちはカブー村に小学校を建てることを約束しました。
そして、今年の8月に、彼らとの約束を果たすことができました。
果たせたのは、協力してくれたたくさんの日本の方々がいたからです。
ここにいたらいいのになぁ。
一年前と同じ気持ちになりました。
イベントに来てくれた友だちや、募金してくれた人たち。
みんなみんな、ここにいてほしかったです。
カブー村を訪れて、子どもたちや学校、自分の目に映るもの全てを、これまで協力してくれたたくさんの方々と一緒に見たかった、そんな思いが込み上げてきました。
わたしたちが行っていることは、彼らのお手伝いです。
赤色、青色、緑色、黄色、紫色、白色…。
自分の好きな色で未来を塗っていくのは、私たちではありません。
ここの村人全員です。
夢と希望で溢れた、子どもたちです。
でも絵の具足りなくて、描きたい絵が書けないのなら、わたしたちはその絵の具を用意します。
赤の絵の具が足りなくて、花の絵が描けないのなら赤色の絵の具を。
青の絵の具が足りなくて、空が描けないのなら青色の絵の具を。
わたしはもうすぐインコネを引退します。
このブログが外に出たときには、もうインコネにはいません。
それでも大切なパートナーがいる以上、インコネは
いつまでも続いていきます。
カブー村の教育環境が充実し、彼らが彼ら自身で村の問題を解決できることが可能になったとき、インコネがカブー村と手を離す時がきっと来るでしょう。
これから建設されるであろう新しい小学校で子どもたちが学び、夢へと近づく。
大きくなって、何かのきっかけで私たちのことを思い出してくれたらいいな。
そんな期待も胸に秘めながら、カブー村を後にしました。
インコネに入って、約2年半。
本当にたくさんのことがありましたが、引退する最後まで、このメンバーと活動できたことに大変嬉しく思います。
そして3600キロ離れたかけがえのない大切な人たちにも出会えたことも。
この2年半は一生の宝物です。
最後のブログ、読んでくださりありがとうございました。
関西学院大学 3回生
広報部
廣利千早