徳島城跡(その1)~徳島市の城郭・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

九州下町おやじの珍道中

下町おやじが、愉快に美味しく楽しく過ごす九州。
よかとこやね~九州は♪大好きバイ(^^)

201911月28日の徳島県美馬市脇町・徳島市内の歴史散策の続き。

 

三島神社」をお参りした後は、「徳島城跡」に向かいました。

 

 

三島神社のレポ

 

 

 

 

 

三島神社」から、ラーメンを食べた「いのたに本店」の前に戻り、お店の正面から延びる道路を進むと、この日渡って来た「仁心橋(じんしんばし)」を再び渡ります。

 

 

 

 

仁心橋」の下は、新町川が流れていて…

 

 

 

 

国道318号線を右折。一つ目の信号の角に、「むやみち」と刻まれた石碑がありました。

 

 

 

 

こちらの面には、「こうゑん」とあります…指で方向を指していますから、道標のようですね~

 

 

 

 

大正5年の銘がありますので、結構古いものなんですね。

 

 

 

 

JR高徳線の踏切を渡って…

 

 

 

 

この踏切の右側は、徳島駅になります。

 

 

 

 

踏切を渡り、すぐ右の道路を進むと、徳山市立体育館があって…

 

 

 

 

その隣には、内町小学校があります。

 

 

 

 

体育館と小学校の前の並木は、紅葉していて、キレイだったな~♪

 

 

 

 

内町小学校の前を通り過ぎると、石垣が見えて来ます。この石垣の山が、「徳島城跡」になるんですよね。

 

 

 

 

石垣の手前には、鎮魂と刻まれた石碑がありました。「西部ニューギニア戦没者慰霊碑」。

 

 

 

 

台石には、由緒書きが刻まれていて…

太平洋戦争終結50年を記念し、南太平洋地域の激戦地西部ニューギニア戦線において、祖国のために尊い生命を捧げられた戦没者の英霊に思い、平和の尊厳と戦火の悲惨さ空しさを不覚心に刻み、恒久平和と繁栄を願い、建立されました。

 

 

 

 

ニューギニア島の地図もありました。

 

 

 

台石の裏側には、追悼の辞が刻まれていて…

 

 

 

 

その隣には、「愛馬の碑」。歩兵第二三五連隊、鯨第六八八三部隊 戦友会の建立。

 

 

 

 

先程見えていた石垣の脇に、小道があるんですよね。

 

 

 

 

その小道を登って行きます。

 

 

 

 

しばらく坂を上って行くと、また石垣が見えて来て…

 

 

 

 

石垣の途切れた所に、石段があります。

 

 

 

 

石段を上ると、平らな空間が広がっていて…かなりの広さです!

 

 

 

 

こちらは、「徳島城跡」の本丸跡

山城部分には、本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸が置かれていて、本丸は、標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪で、山城部分の中では最も面積が広く、中央に置かれた御座敷、城山の管理人であった御城山定番の詰めた御留守番所、弓櫓、東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が設けられていました。

 

 

 

藩主は山麓の御殿で暮らし、城山に上ることは稀でしたが、この御座敷にも藩主専用の部屋があり、台所も設けられていて、本丸東部に置かれた鐘は城下町の火事の際に打ち鳴らされ、町人たちの危急を救いました。

本丸の出入口は東西の門が使われましたが、北口には御座敷の建物で隠された非常時の脱出口(埋門)がありました。

本丸から一段下がった東二の丸には三層の天守が設けられ、天守の1階は七間(約14m)四方と大きかったですが、天守台はありませんでした。

西二の丸には鉄砲櫓と帳櫓、その西方の西三の丸には材木櫓と平櫓が設けられて、西三の丸の跡地には、現在、水道配水池が設置されています。

 

 

 

 

ここが本丸になるんですね~広い訳だ!

 

 

 

 

弓櫓跡。

 

 

 

 

本丸跡からの眺め。標高61mなだけ、ありますね~

 

 

 

 

本丸跡の一角に、石祠がありました。

 

 

 

 

この石祠は、「清玄坊」。

元祖は清和天皇で皇子民籍降下に当たり、「源氏」の称号を賜り、後に修験者となり三好家とともに、阿波に移り祈祷所を建てていました。

蜂須賀公が阿波に入国、築城に際し付近の全寺社に移転を命じましたが、清玄坊だけは頑として応じず、公は換地を与えると言って城下に連れ出し、紙屋町を通行中、弓で射て謀殺しました。

 

 

 

途端に蜂須賀家には変事が続出したので、清玄坊の祟りに違いないと、前非を悔いて石碑を建て、末代まで供養することを誓った処、変事はピタリと止まったと言います。

以来、紙屋町の住民は毎年お祭りを続けています。

 

清玄坊の長男範月蜂須賀家政公と和睦し、父の菩提を弔うため、刻んだ石地蔵が霊験あらたかで、現在掃溜地蔵として、瑞巌寺に安置されています。

次男右京院、三男左京院は難を逃れ、阿波郡東西善地に落ち着き、祈祷の傍ら農業をしながら酒巻家として今日に至っています。

その子孫五宝翁太郎は徳山県立聾唖学校の創始者で初代校長。

真珠湾攻撃で魚雷不発の為、九死に一生を得た特攻隊員の酒巻和男も子孫になります。

 

 

 

 

本丸跡を、今一度…

 

 

 

 

石段を下り、石積みを…美しい石垣だこと♪

 

 

 

 

古そうな感じで、風情あるな~♪

 

 

 

「その2」に続く。

 

 

 

 

道標

徳島県徳島市南出来島町1-5付近

 

 

 

徳島城跡

徳島県徳島市徳島町城内

 

 

徳島藩 蜂須賀家の家祖 蜂須賀小六正勝

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 福岡(市)・博多情報

https://localkyushu.blogmura.com/fukuoka_town/ranking.html?p_cid=10197823

↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!

 

 

人気ブログランキング

https://blog.with2.net/in.php?819555

↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!

 

 

Trip-Partner [トリップパートナー]

https://trip-partner.jp/

 

 

ぷらたび

https://platabi.com

 

 

イチオシのダンス&ヴォーカルユニット「MONSTER CAT'S」 Stand up!!