カトリック二日市教会と、大宰府政庁跡と、朱雀大路と、梅花の宴と ~福岡県太宰府市の教会・史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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20191月5日の二日市・太宰府歴史散策の続き。

 

 

飛梅の原木(通古賀の飛梅)」を見学し、菅原道真公ゆかりの「榎社(南館跡)」「伝 鶴の墓」をお参りした後は、「カトリック二日市教会」に向かいました。

 

 

飛梅の原木(通古賀の飛梅)榎社(南館跡)伝 鶴の墓のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12504624783.html

 

 

榎社(南館跡)」から北に進んで行くと、右手に、キリスト教会が見えて来ます。こちらは、「二日市カトリック教会」。

 

 

この日は年始でしたので、入口脇には馬小屋があって…。イエス様のご降誕を再現したものです。

 

 

御聖堂の中に入られせて頂きました。

 

 

 

祭壇に近づいて…。

 

 

祭壇にも、馬小屋がありました。

 

 

聖母マリア様。

 

 

こちらは…何でしょうか…?

 

 

祭壇の方から、入口方向を…。

 

 

カトリック二日市教会」には、広いグランドがあるんですね。

 

 

御聖堂を今一度…。

 

 

 

カトリック二日市教会」から更に北に進むと、右手に筑陽学園の校舎が見えて来て、更に進むと、国道3号線に出ますので、そこを左折すると、朱雀大路交差点。この先に、大宰府政庁朱雀大路が続いているんですよね。

 

 

交差点を渡ると、朱の欄干の橋があって…。

 

 

橋を渡ると、朱雀大路が真っ直ぐ北に延びています。

 

 

朱の橋の下に流れる御笠川

 

 

朱雀大路御笠川を渡った西側には、石碑と、大きな石が置かれているんですよね。

 

 

その石碑は、歌碑。「大君の 遠の朝廷と あり通ふ 島門を見れば 神代し思ほゆ

 

 

この歌碑の由緒書き。柿本人麻呂が筑紫国に下る途中、船の上で詠んだ和歌になるんですね。

 

 

遠の朝廷(とおのみかど)とは大宰府の事を指し、人麻呂が九州への海路、瀬戸内海の海を見て、神代の昔から大宰府政庁への往来は、この海峡を通って来たのだという感慨を頂いて詠んだ歌です。

 

 

柿本人麻呂歌碑の後ろには、丸い大きな石が置かれています。礎石のようですね。

 

 

由緒書き「大宰府朱雀門礎石(推定)」この礎石は、昭和57年(1982)御笠川河川改修工事の際に河床(現在の朱雀大橋の真下付近)から発見されたものです。

 

 

周辺の発掘調査から、奈良時代から平安時代にかけて大宰府政庁の前面には広場があり、その両側は役所が建ち並ぶ官衙域(官庁街)だったと分かって来ました。

都では大極殿や役所が並ぶ大内裏の南正面は「朱雀門」と呼ばれており、この礎石の発見により大宰府でも都と同じように官衙域の南正面であるこの付近に「朱雀門」があったと考えられるようになりました。

大きさは2.42m×1.82m、厚さ1.3m、重さ約7.5tで、上面には柱を建てる円形の柱座(上部径66cm)が造り出されています。

 

 

この礎石は、大宰府朱雀門のものと推定されているんですね!

 

 

 

朱雀大路を進んで行くと、左手の民家の一角に、また石碑が見えて来ます。こちらは「高浜虚子歌碑」。「夜 都府楼跡に佇む 天の川の下に 天智天皇と臣虚子と

 

 

 

朱雀大路の突き当たりに「大宰府政庁跡」があります。

 

 

大宰府政庁跡」はとっても広い敷地で、広場のようになっているんですね~

 

 

大宰府政庁跡」は、以前レポしているので、ここでは省略…(^^;

 

 

大宰府政庁跡のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483429318.html

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483429330.html

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12483452989.html

 

 

大宰府政庁跡」の向かって左手に進んで…。

 

 

その一角に、帯状に延びる敷地があります。

 

 

由緒書き「蔵司地区官衙」大宰府には実務を行う19の役所があり、政庁の西側に位置する丘陵は、現在、字名から「蔵司」と呼ばれています。

 

 

蔵司」は、もともと西海道(九州)九国三島(後に二島)の綿・絹などの庸調物(税)を収納管理する役所で、集められた庸調物は一旦ここに納められ、その後一部は都に進上されました。

後方の丘陵上に礎石建物(倉庫)1棟が存在することは早くから知られていましたが、1978~1979年にこの丘陵の前面地域が発掘調査され、二重の築地とその内部に建物5棟が新たに見つかりました。

これらの築地や建物は、8世紀~11世紀前後に渡って営まれており、「蔵司」を構成する建物の一部であることが明らかになりました。

 

 

大宰府政庁跡」の北西の角の辺りで振り返って…。

 

 

ここにも歌碑がありました。「正月立ち 春の来たらば かくしこそ 梅を招きつつ 楽しき終へめ

 

 

この歌碑の由緒書き「梅花の歌」。万葉集の中で最も華やかな「梅花の宴」が天平2年(730)正月13日、大宰帥大伴旅人邸で盛大に催されました。

 

 

九州管内諸国の官人32名は中国渡来の梅を題材に歌を詠んで、春の一日を楽しみました。

この歌は、宴の開始に当たり主賓の大弐紀卿の挨拶として、梅を客人のように見立てて歓迎したお祝いの歌とされています。

 

 

おお~まさに新元号「令和」の「梅花の宴」。その始まりの歌になるんですね♪

令和になる前の、平成31年1月に、この大宰府政庁跡に来られて、良かった♪

 

 

カトリック二日市教会」でお祈りを捧げ、「朱雀大路」を通り「大宰府政庁跡」を見学した後は、今話題の「坂本八幡宮」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

カトリック二日市教会

福岡県太宰府市朱雀4-14-1

 

 

大宰府朱雀門礎石(推定)

福岡県太宰府市観世音寺2-2-7付近

 

 

高浜虚子歌碑

福岡県太宰府市観世音寺2-1-1付近

http://www.city.dazaifu.lg.jp/bunkazai/6/ftiku/6099.html(太宰府市HP)

 

 

大宰府政庁跡

福岡県太宰府市観世音寺4-6

https://www.dazaifu.org/map/tanbo/tourismmap/7.html(大宰府観光協会HP)

 

 

 

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