飛梅の原木(通古賀の飛梅)・榎社(鴻臚南館)・鶴の墓 ~菅原道真公縁の地 ~福岡県太宰府市の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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20191月5日の二日市・太宰府歴史散策の続き。

 

 

鹿島神社」「猿田彦太神」「隈麿公奥都城(くままるこうおくつき)」とお参りした後は、「飛梅の原木(通古賀の飛梅)」に向かいました。

 

 

隈麿公奥都城・鹿島神社のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12491192708.html

 

 

隈麿公奥都城」から西に進み、西鉄天神大牟田線の線路を越え、路地を進んで行くと、民家の敷地内に案内板を伴う樹木が見えて来ます。こちらが次の目的地「飛梅の原木(通古賀の飛梅)」。

 

 

敷地内に失礼して、その案内板を…「『飛梅』原木の縁由」。

 

 

東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

太宰府天満宮の社殿前には「飛梅」がありますが、菅公が右大臣より左遷され、大宰権帥としてこの地に配流の時、都の旧邸の愛梅が公を慕って一夜のうちに飛んで来たので「飛び梅」と名付けられました。

大宰府における菅公の配所は「南館」(鴻臚南館)で、その一部が御旅所の榎寺となっています。

飛梅」の由来は、菅公の恩竉に預かった伊勢神宮の神官が、公を慕って大宰府に西下する途中、都の旧邸より公の遺愛の紅梅を根分けして携え、「南館」の庭前に植えたと伝えられています。

 

天満宮本殿造営の時、現在の社前に移植されました。

この「飛梅」の原木は「南館」の庭にあった証として、幾世代もこの地に植え継がれ、現在は浄土真宗正行寺の「榎寺多屋」の境内に、菅公を偲ぶよすがを留めています。

 

 

由緒書きの横にある梅の木。受け継がれてきた「飛梅の原木」になるんですね。

 

 

 

飛梅の原木(通古賀の飛梅)」から路地を一旦戻ってから、北に進むと、また西鉄天神大牟田線の線路に出ますが、踏切の向こうに鳥居が見えますね。

 

 

線路を渡り、鳥居に近づいて…。

 

 

こちらは「榎社」。先程の由緒書きにもあった菅原道真公の配流先の館「南館」の跡地と言われています。

 

 

太宰府天満宮の秋の神幸式大祭では、榎社に向けて御神輿の御神幸が行われます。

当境内に到着した御神輿は、まず道真公をお世話したと言う浄妙尼を祀る奥の小社に感謝の御幣を捧げた後、榎社を行宮(御旅所)として一夜お泊りになります。

 

神幸式大祭とは、平安時代の康和3年(1101)大宰権帥大江匡房により始められ、毎年9月に太宰府天満宮から榎社まで氏子達が御神輿を供奉します。福岡県無形民俗文化財に指定されています。

 

浄妙尼は、晩年の道真公は不遇な生活を送られていて、苦境を見かねて、道真公に餅を差し出したと言われ、この故事にならい、太宰府天満宮の門前町で梅ヶ枝餅が作られるようになったと言われています。

 

 

菅公館址」という石碑もあって…。

 

 

先程渡った踏切の脇、鳥居の向かい側には、古そうな石碑があるんですよね。

こちらは『伝「鶴の墓」の石』。

 

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伝承に由来する石。昔、飛騨の匠が木で鶴を作った。よくできたのでその鶴に乗り唐まで行った。唐の人々は怪しんで矢を放ち、矢は鶴の片羽に当たった。匠は片羽の鶴を操って太宰府まで飛んで来たが力尽きて榎寺の近くに落ちた。匠は鶴を愛おしんでそこに手厚く埋葬し、故郷に帰ったという。(太宰府市文化財情報HP)

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http://www.city.dazaifu.lg.jp/bunkazai/6/gtiku/6114.html

 

 

石の鳥居をくぐって、境内を進みます。

 

 

参道脇には、歌碑もあって…。

 

 

参道の真ん中には、石の土台があって、柵で囲われ、注連縄が張られていますが…。何に使うんだろう?

 

 

榎社の社殿。

 

 

参道脇には井戸と手水石があって…。昔はこの井戸を使用していたのでしょうね。現在は水道のようですが…(^^;

 

 

狛犬。

 

 

昭和12年の銘がありました。

 

 

拝殿の中の様子。荘厳ですね。

 

 

拝殿の左手から奥に回って、本殿を…。

 

 

本殿の裏手にも、柵で囲われた石の土台がありました。

 

 

その土台の後ろには、小さな社があって…。

 

 

扁額には「浄妙尼社」とあります。なるほど!先程の由緒書きにあった浄妙尼をお祀りする小社がこちらなんですね!ということは、石の土台は御旅所、御神輿が鎮座する場所になるのか~(^^)

 

 

浄妙尼社の横にも、小社があって…。

 

 

中には、石に彫られた仏様がいらっしゃいました。

 

 

大宰府に左遷された際の菅原道真公の館があったとされる「榎社」。

「1023年(治安3年)、大宰大弐・藤原惟憲道真の霊を弔うために浄妙院を建立したのが始まりで、境内にの大樹があったのでいつしか榎寺(えのきでら)と呼ばれるようになった(ウィキペディア「榎社」)」そうで、明治になり廃仏毀釈で「榎社」と呼ばれるようになったのでしょう。

 

太宰府には何度も出かけたことがありますが、ここ榎社は初めての訪問。

ここ榎社の境内は、荘厳で、この一角だけが特別な、異様な雰囲気を感じたんですよね。

道真公ゆかりの地だからでしょうか…

太宰府天満宮にお参りするだけでなく、こうした周辺にある菅原道真公ゆかりの地を巡るのも、いいもんですよね(^^)

 

飛梅の原木(通古賀の飛梅)」を見学し、菅原道真公ゆかりの「榎社(南館跡)」「伝 鶴の墓」をお参りした後は、「カトリック二日市教会」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

飛梅の原木(通古賀の飛梅)

福岡県太宰府市通古賀5-7-16

http://www.city.dazaifu.lg.jp/bunkazai/6/gtiku/6110.html(太宰府市文化財情報HP)

 

 

榎社(鴻臚南館跡)

福岡県太宰府市朱雀6-18-1

https://www.dazaifu.org/map/tanbo/tourismmap/13.html(太宰府観光協会HP)

 

 

 

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